雨模様の終礼、隠されたスピリット

些稚絃羽

9.満たされない談笑

 物理室にはまた全員が揃った。昼の終わりを告げるチャイムは既に鳴り終わっている。
 僕達が戻った時には、渡瀬君と少し距離を置いて手持ち無沙汰にチョークを弄っている望月君の姿があった。彼は入っていった僕達を、いや香田さんを見て明らかにほっとした表情を浮かべた。そんな彼には悪いが、香田さんに美術室で待つ新垣さんを呼びに行くようお願いすると、出ていく彼女と入れ違いに伊岡さんも戻ってきた。そうして硬い表情をした五人が、僕の前に揃ったのだった。

 職員室と教室に戻っていたと言う伊岡さんに聞くと、生徒も教師も、誰ひとりこちらの異変には気付いていないらしい。幸いと言うべきか今日は別棟を使う教科はなく、その教師達にも業者が来ていることにして出入りしないようにと話しているらしい。二年C組の生徒達は流石に訝しがっているだろうと思ったが、この学校の特殊さ故に数時間通常授業に出られないことや学校外に出る生徒も多く、特に気にも留めてないそうだ。別棟以外は本当にいつも通りの時間を過ごしているのだと分かると、腹の底がキリキリと痛む気がした。
 それぞれが思い思いの場所に散らばって居心地が悪そうに身を縮めている。その目線は控えめでありながら答えを求めるように自分以外の表情を窺っていた。

「結論から言おう。……ふたりとも犯人じゃないね?」

 僕の言葉に当人達は顔を見合わせた。他の三人も動きを止める。

「ちょっと待って、渡瀬はいいとしても……ふたりって何だよ?」
「新垣さんも自分がやった、と」

 自分が居ない間の展開に、頭が着いていけていない望月君が絶句して頭を描いた。上手くセットしていた尖った毛先は情けなくへたりこんで、「でも、ふたりとも違うん、だよな……?」とひとりごちている彼自身の心情を表しているようだった。
 事情を知らない望月君と伊岡さんにもさわりだけは話しておかなくてはいけないだろう。彼等の中では事態は渡瀬君の告白を聞いたところで止まってしまっているのだから。

「渡瀬君から話を聞いた後、戻ってきた新垣さんとも話をしたんだ。どちらも自分がやったの一点張りだったけどね。
 新垣さんの体操服が準備室から見つかったのは、彼女の自作自演だったという話が聞けたよ」
「えっ、自作自演?」
「堀氏を学校から追い出すため、だったんだよね?」

 本人に向ければ、バツが悪そうに頷いた。理由をそれ以上僕の口から語ることは憚れるが、言わなくても幾らか察する程度の敏感さは望月君にもあるようだ。伊岡さんも詳しくは知らなくても女性として彼女の気持ちは理解できるのだろう、硬く瞼を閉じた。
 誰もが時計の音に耳を貸すような空間の中で、望月君だけが疑問を口にする。

「それとこれって関係あんのか? そうしたからって犯人だとかってことにはならないと思うけど」
「彼女が準備室に入ったのが、遺体発見の直前だったんだ。だから可能性としてはあった」

 答えを聞いて、呻きに似た声を漏らす。 

「けどさっきふたりとも違うって……何かもう、訳分かんね……」

 俺にも分かるように説明して、と溢す彼が背中を丸める。渡瀬君の発言を聞いた後、ひとりで昼を過ごしていたという彼の心境を考えると、これからの話が良いものだとしても迂闊に笑ってしまえない。相談してもらえない侘しさを呟いていた彼を思い返せば、自分がやったと軽く話した渡瀬君への戸惑いや寂しさは一入だろうと思う。今でも開く微妙な距離感はそんなことを示しているのかもしれない。
 どう話せば伝わるかと考えながら、知ったこと考えたことを挙げていくしかないのだと息を吸う。それに反応して恐々見上げてくる瞳に、安心してもらえるように笑みを投げ掛ける。そして話すべき相手に顔を向けた。


「君の行動を追ってみようと図書室に行った。大森さんから君の様子を聞いたよ」

 守ろうとしていた人が犯人ではないと知って、混乱しながらも渡瀬君の表情は心なしか落ち着いていた。

「君は図書室の窓から、新垣さんが準備室へと入っていくのを見たんじゃないか? そして出ていくのも見た。恐らくそれは数十秒程度だっただろうが、警戒していた堀氏の元に彼女自ら入っていくのを見て、君は戸惑った」

 証拠と言えるものは僕の手には何もないが、結果を伝えれば本当のことを話してくれると思った。庇う必要もなく隠す必要もないのだ、緊張するふたりの関係を早く元に戻してあげたかった。

「きっと呆然とした状態でこの別棟へと来ただろう。彼女に理由を聞くかどうか迷っていたかもしれないな。そんな時に悲鳴が聞こえ、堀氏が明らかな他殺体で見つかった。
 冷静に考えればその短時間での犯行は難しいと思えただろうが、そんなざわついた精神状態では新垣さんを犯人だと思ってしまっても仕方がない」

 僕が警察なら捜査を混乱させたと咎める場面なのかもしれないが、生憎警察でもないし聞いて思ったことを話しているに過ぎない僕には、そんなことはどうでも良かった。彼のその時の気持ちは分かる気がする。守りたい、助けたい、そうした気持ちに突き動かされてしまったのだ。寧ろ全てを捨ててもいいと思えるほどに彼女を想ったその心は眩しいくらいに一途で、胸を打たれた。
 今度は新垣さんへと視線を向ける。彼女は自分の行為を悔いた目で彼のことを見つめている。僕が見ていることに気が付くとはっとした顔で唇を引いた。やはり僕のしていることは間違っていないと思う。

「新垣さん、君は話してくれた通りトイレに隠していた体操服をあの時持って行ったんだね。話では置いて出ようとしたところで堀氏に見つかったということだったけど、本当はそのまま出てきたんだね?」

 彼女は問いに頷いて、口を開く。

「こっちで物音がしていましたけど、気付かれる前に出てきました。なので、会っていません」
「それで君は渡瀬君がやったと信じてしまったんだね」
「階段を降りてきた中に居なかったのを思い出して……。私の代わりにそういうことになったのかもしれない、私が勝手に動いたせいかもしれない。そう思ったら、黙っているなんてできませんでした」

 その答えを聞いて溜息が幾つも落ちた。僕がふたりは犯人じゃないと言ったところで本人の言葉がなければそれを確信することは難しいのだろう。やってないと信じたいし、信じていると思ってはいても、あの衝撃は簡単に拭えるものではない。コントロールするのはどうしたって上手くはいかない。
 多少乱れることはあったにせよ終始落ち着いて自分の犯行だと説明していた彼でさえ、事実を知ると酸素を求めるように忙しく口を動かす。そうしてやっとの思いで理解すると、呆れたように情けなく笑う。

「……そう、だよな。あんな一瞬みたいな時間でそんなことできる筈ないか……。何でそんなこと気付かなかったんだろう。
 新垣、疑ってごめん」

 お互い様だから、という返答にも安心したというよりはやはり、間違っていた自身の判断に落ち込んでいるみたいに見えた。
 言ってしまえば確かに、彼が名乗り出なければ彼女が過去を話すことはなかったかもしれない。しかしそれを自分のせいだと考えるのは違うだろう。彼を助けたいと思ったのは彼女自身で、話すことに決めたのもまた彼女自身だ。そこに込められた彼女の決意を彼は見なければいけないと思う。決して一方的な想いではないこと、守られてきたことへの義務感でもないことを受け入れるべきだ。……だけどそれは僕がとやかく言うことではない。きっと彼等の中で物事は動く筈だし、そうでなくてはいけないと思うから。
 それから渡瀬君が僕の方を見ると、すっと頭を下げた。

「すみませんでした、混乱させるようなことをして。
 でも話したことは嘘じゃないんです。言われたのはもっと前で、奇跡的に理性を保てたけど」

 話を聞いた僕だけが分かる、彼にあった十分の動機。

「よく、耐えたね」
「自分でもそう思います。こんな形でも話せて良かった。……ひとりで抱えるには少し重すぎたので」

 ありがとうございました、と礼を言って見せた笑顔は年相応に幼く、過ごしてきた苦しい時間を思わせた。
 本当によく耐えたと思う。誰にも言わずに今日まで隠してきた彼の忍耐力は、僕やそこらの大人より余程強いだろう。彼の胸の内を少しでも軽くできたのなら、部外者である僕の存在も無駄ではなかった。

 突然、伊岡さんが立ち上がり渡瀬君の元まで進むと、その胸倉を両手でぎゅと掴んだ。まさかの荒っぽい行動に誰もすぐに反応することができなかった。

「どうしてこんな嘘ついたの」

 叱るようにそう問う。驚きのあまり凝視して固まっていた彼がバツが悪そうな顔で答えた。

「……俺がやったってことにすれば、他の誰も苦しまなくていいと思ったから」
「してもいないことで自分を汚して、それで皆が苦しまないとでも言うの? どうしてもっと……自分を見てくれる人達のことを考えないのっ!?」

 少しずつ増していく熱に比例して声量も加わっていく。見過ごされていた学生の頃を重ねているのだろうか。制服を握る手が小刻みに震えている。
 普段、こんなにも感情を出す人ではないんだろうと思う。学校に不満を持っていても言えず燻っていた感情が、自分を捨てようとした彼の決定で爆発したのかもしれない。彼が慕われていることを知っているからこそ、大切に思ってきた生徒の決断が悲しかったのかもしれない。
 伊岡さんは落ち着くための深い息を吐くと、そっと手を放した。姿勢を戻し改めて彼を見据えると、

「正直に生きなさい。君の代わりは、居ないんだから」

と告げた。ハリのある声が意味を含んで波打つように広がっていく。
 人が求めるのは助けてくれる能力のある人ではない。初めはそうだとしても、その人を見つけた時には“その人自身”を求めるようになるんだ。彼等も何かをしてくれるから一緒に居るんじゃない、誰でもいいのでもない。‟渡瀬了”という人だから一緒に居て、だから彼を信じたいと思ったんだ。――自分の居た位置を本当の意味で埋められるのは自分しかいないことを、僕達は誰も忘れちゃいけない。
 伊岡さんはゆっくり振り返るとまた話し出す。

「新垣さんもよ。考えもなしにひとりで行動するのはやめなさい。その結果がどうなるか、もう分かったでしょう?」

 思い付きの行動を非難してはいたが、その声は優しく諭すように紡がれた。それは勇気を出して状況を変えようとしたことを認めているようでもあった。新垣さんもしっかりと返事をする。彼女はもっと強い女性になるような気がした。
 あたしにはー? と香田さんが聞く。いつの間にか先生から助言をもらう時間に変わってしまったらしい。伊岡さんもそれに笑いながら、そうねと首を傾けた。

「香田さんは香田さんのままでいいと思うわ。お父様を目標にするのは良いことだけど、私は今の香田さんのままで居てほしい」

 考え込むように黙ってしまった香田さんを尻目に、僕の前では自分の番かと緊張した面持ちで待つ望月君が。伊岡さんは勿論それに気が付いていて、わざとらしく真剣な目で彼を見る。それなのに分かりやすく背筋が伸びるから、やはり見ていて飽きない。
 望月君。重く放たれた名前に拳を握ったのが分かった。

「望月君は毎時間、真面目に授業を受けるように」
「何か俺だけ質が違う!」

 嘆く彼に笑いが起こった。こんな状況だけれど、何事もなかったように笑った。壁の向こうの惨状を忘れてしまえそうで……本当に忘れてしまえたらいいのに。今の状況は人間性を疑われてしまうようなものかもしれない。けれどきっとここに居る全員が、焼き付く記憶を忘れてしまえたらどんなにいいかと思っているのだと思う。だから束の間、皆と居る今だけは笑っていたい。そんな思いで楽しげな声を上げているんだ――本当はもう、気が付いてしまっているから。

 探偵の役割を与えられて始めてしまった以上、いつかは終わりを宣言しなくてはいけない。目を瞑ることはもうできない。消去法の答えだとしても、答えが出てしまったら明かさなくてはいけないんだ。そのために僕は今までここに居るのだから。
 それなのに少し、迷っている。決めた筈なのに皆の笑顔を見ていると、何も知らないふりをしてもいいように思えてくる。その方が幸せなんじゃないかと思ってしまう。……だけど違う。香田さんに話したことを思い出す。僕がこうしているのは、いつの日か何も気にせず笑える日が来るように願っているからなんだ。
 伊岡さんの話はまだ続いている。

「そういえば皆の夢って聞いたことなかったわね。
 どんな道に進むとしても、悔いなく自分を偽らない人で居て。夢を持った瞬間の強い気持ちを無くさないでね」

 将来への励ましの言葉は、別れの気配を感じさせた。夢を聞くこともままならないように、語る機会が最後だとでも言うように。さよならの前の挨拶をしているようで、そこに意思と決意を感じた。

「……めぐちゃん先生、格好いい」
「ありがとう、先生も修行中だけどね」

 そうして微笑んだのを境に、彼女は口を噤んだ。その時・・・を待っているのだと僕には分かった。恐らくそれは彼等にも。
 ――彼女の覚悟に、僕は応えなくてはいけない。

「……行きたい場所があるんですが一緒に行っていただけますか、伊岡さん?」

 彼女は僕の目をじっと見て、はいと頷いた。


    

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