玉虫色の依頼、少女達のストライド
11.陽だまりの家族
「みぃが……? うそ……」
多枝さん以外は誰も声を発しなかった。ただ息を吸い込む音と飲み込む音だけが、僕の口内で響く歯軋りの音に混じるように消えていった。
恐らく全員が嘘だと思っただろう。少女達のことをよく知っているからこそ、そんなことが起こる筈がないと思うのは当然のことだ。
「でたらめだよ、こんな話。警察でもないのに分かる訳ないんだから」
暫くして蓮ちゃんがそう言った。
僕の無力さは僕自身がよく知っている。凸凹して噛み合うのかも不安なロジックを組み立てて、勢いでそれを放出する。もっともらしく聞こえる言葉を選んで、全てを理解しているような口振りで。それでもこれまで真実が明らかになったのは、彼等が根っからの悪人ではなかったからだ。罪人にはなってしまったけれど、悪に染まってしまった人は居なかった。進んだ役回りは痛みを伴ったけれど、実りに似た何かが残ったと思う。彼等自身のお蔭で。
憶測から始まる推理なんてものは所詮、憶測の域を出ない。それに頷く人間が居なければ信憑性があったとしても確信に至ることはないだろう。
話の中心にされているあの子は今、小さな家族と共にソファで眠っている。気絶するように眠ったあの瞬間の苦しそうな顔は今はない。ごく自然な、お昼寝の時間。そんな風に見えた。
もし起きてこの話を聞いていたとしても、その胸の内を上手く伝えることはきっとできなかった。それは彼女が幼いからでも僕の想像に過ぎないからでもなく、自身でも理解できないほど複雑だからだ。考えて考えて、俯くことが限度かもしれない。
自分のしたことを告白できない、それはつまり、僕の推理をその場で肯定してくれる人間が一人も居ないということでもある。しかし、もうその必要はない。とても難解で、探るべきでないとさえ思える彼女の胸中は、あの言葉で、たったそれだけで言い表された。彼女の口から出たその言葉は紛れもない真実だ。憶測から始まる推理はただの憶測でしかないが、真実から始まる推理は憶測の中で最も真実に近いと言えるだろう。
だから僕はこの推理を、真実として話すのだ。
「このことが起こったのは、ふたりが互いを大切に思い過ぎたからだと僕は思っています」
「大切? 刺して、殺したってあんたが言ったんじゃない」
「蓮、やめろ。お前だって分かるだろ。あゆちゃんが一番きつい立場だってこと」
いいんだよ、僕のことは。
大切に思うことと命を奪うこととは本来なら結び付く筈のないもの。だから蓮ちゃんの考えは当たり前に浮かぶものだ。それに疑問を感じるということは彼女もまた真実を知りたいと思っているということ。それならばとことんまで僕は向き合うべきだろう。
「朝陽ちゃんが息を引き取ったことで結果的に殺害してしまった、だけどそんなつもりはなかった。皆さんがこんなことある筈がない、でたらめだと感じるように。この出来事には悪意はひとつもなかったんだ」
一番初めから話さなくてはならなかった。そうしなければ満月ちゃんの本当の気持ちを知ることなどできないから。そして朝陽ちゃんの思いも同時に知る必要がある。そのためには彼女達の出生の頃から振り返り、勘違いを洗い直し、新たな認識を得てもらわなくてはならなかった。
見過ごされていた彼女達という真実。僕達が何よりも知らなくてはいけないのはそれだった。
寄り添うように、また距離を取るように空いた僅かな隙間を縫うみたいに僕の声が流れていく。
隅で壁にもたれている美奈子さんは硬い表情で床を見つめている。唯一席を立てない知里さんはテーブルの上の両手を組むと祈るように瞼を閉じた。年長者達はそうして取り乱すことなく、また抗うことなくこの時に身を任せようとしている。それは諦めや幻滅ではなく、全てを受け入れる覚悟だと僕は感じた。
かくれんぼの最中、ふたりはあの屋根裏部屋で一緒になった。そこで恐らく朝陽ちゃんの方から里親のことを切り出した――。
そう言うと明らかに不可解の色が見えた。それを正哉くんが代弁する。
「あっちゃんはすぐにみぃちゃんに知らせていたと思います。言わない筈がないですよ」
「そうだね。たとえ言わなくてもそのご夫婦が来なくなったことで満月ちゃんの方が気付いただろう。清貴くんから聞いたけど、満月ちゃんは朝陽ちゃんに家族ができそうだと相当喜んでいたようだし」
「……断ったのが不満だったんなら、もっと早く何かが起こってておかしくないよな? それなら何で今日?」
その考えももっともなことだ。断ってから数週間経った今、こんなことが起こるのは時間に開きがありすぎる。しかしそこには様々なものが絡み合っている。
答えを僕は朝陽ちゃんからもらっていた。事が起きる前にそのことに気が付いていたらどうなっていたのだろう。今度は紙の感覚が素直に指に伝わってきた。
「朝陽ちゃんが僕に描いてくれた絵です。リュックに入っているのを先程見つけました」
手にしていても満月ちゃんには見せられなかった。見せたらきっともっと自分を責めてしまうから。
「屋根裏部屋で朝陽ちゃんはこのことを提案しようとしていたのではないでしょうか」
 格好良く白いスーツで決めた僕と、手を繋いでVサインを向けるワンピース姿のふたりがそこには描かれていた。まるで王子様とお姫様みたいな。
「かぞくになれますように」、思いの込められた文字が心に刺さる。これが彼女なりに考えた結末だった。
「里親を断った朝陽ちゃんはすぐそのことを話していたと僕も思います。そして同時に満月ちゃんがその決定を受け入れてくれないことにショックを受けたでしょう。満月ちゃんと一緒に居たい、ただそれだけなのにその思いを否定された気がしてもおかしくはありません」
皆が考え込むように視線を下げる。これまで見てきたものが覆された今、過去の情景をどんな風に思い浮かべているのだろう。
「だから必死で考えた、どうすればずっと一緒に居られるかを。
そんな時僕の存在を思い出した。ここの家族以外の見知った大人だったからでしょう、家族になってくれるかもしれないと思った。困った人を助ける仕事をしているなら“ご依頼”をすれば絶対なってくれる、と」
「みぃを守って、か……」
多枝さんがそう呟いて溜息を吐いた。
みいちゃんを守って。あの言葉にはきっと家族として守ってほしいという気持ちが込められていたのだ。依頼は僕が思っていたよりも大きなものだった。
「でも話は拗れてしまった。そして何かの拍子に朝陽ちゃんは咄嗟に嘘をついてしまいました」
「嘘?」
「自分は嫌われたんだ、と。だから里親は断ったのではなく断られたんだと言ってしまったんです」
満月ちゃんから直接聞いたことだと言うと空気が変わった。もう疑っている人は居なかったけれど、証明されたことで耳を流れる言葉が確信になった。
自分と離れて幸せになってほしい満月ちゃんと、ふたり一緒が幸せの朝陽ちゃん。互いが互いを想う故にすれ違う。隣合って並べた筈の歩幅が揃わないまま、ふたりの距離を離していく。
積み重なった自己否定に初めてついたささやかな嘘が加わって、噛み合わなかった歯車が動き出してしまったんだ。
「みぃちゃんが悪い子だからあっちゃんも悪い子になった、だから嫌われた。満月ちゃんはそう言いました」
ふたりは心の中にお互いが住んでいると考えていた。それを言い始めた満月ちゃんにとってそれは朝陽ちゃんを寂しがらせないための暗示のようなものだったかもしれない。でも言い続けている内に次第に自身もそれを信じるようになった。
「嫌われたのは朝陽ちゃんの中に自分が居るからだ、そこから居なくなれば朝陽ちゃんは大好きになってもらえる。
いつも使っていたハサミは、彼女達にとって魔法のハサミ。きっと上手に心の中の自分を取り出せる。……そんな思いがあったのだと思います」
簡単に納得できる話ではないかもしれない。夢見がちな少女の思考は大抵そういうものではあるが、そこに生死が関われば別問題だろう。しかし受け入れてあげなければいけない。これはただの興味本位でする悪戯や反吐が出るような理由で繰り返される罪とは訳が違う。全く許されるものではないのも分かっている。しかし負わされた苦しみ、強迫観念を思えば誰に彼女を責める資格があるだろう。……そんなもの誰にもある筈がない。何より彼女が自身を深く咎めていること以上に必要なことなどありはしないのだ。誰が何と言おうと、この考えを改める気はない。
ちょっと待って、と多枝さんが声を上げた。
「チョーワだ、って言ったのは? それにみぃがひとりになったら守って、っていうのもそれが本当なら意味が通じない気がするんだけど?」
僕もその点についてはずっと考えていたんだ。そして行き着いたひとつの答え。
「朝陽ちゃんにはあったんじゃないでしょうか」
「何が?」
「チョーワ……シンクロニシティの力が」
どの程度のものかは分からない、傍に居るから何となく分かる程度だったかもしれない。こじつけようとする僕の希望的観測に過ぎないのかもしれない。けれど彼女達が言い続けた「チョーワ」が単に作り上げられたものではないと思えた。
ゼロからではなくイチがあったからこそ思い付いたものならば、重なる傷は力の証明だ。
「もし僕の元に来ることになっても、いずれ満月ちゃんがひとりになる予感が朝陽ちゃんにはあったのだと思います。満月ちゃん自身が離れることを望んでいるのが分かったから」
だからあの言葉は、みいちゃんがひとりになってもみぃちゃんを守って、ふたりじゃなくなっても家族で居て、そう言いたかったのかもしれない。実際のことはもう何も分からないけれど、僕はそう確信していた。三人並んだ絵を見た時に思いが流れ込んでくるように思えたから。「かぞくになれますように」という言葉の間に信じる気持ちが強く表れていたから。
家族。それはどんなもので定義するのだろう。目の前に広がるひとつの家族の景色は滲んで、儚くも揺るぎなくも見えた。
僕は家族になれたのだろうか。あまりに大きな決断は今や遠い。この瞬間の僕の頭では例え話でも答えを出すことができない。
脳が震えて、心臓が震えて――あぁ、僕が一番の悪かもしれない。
安易に頷いてしまった僕が、微かな命の灯を吹き消した。そんな気がした。安心させるため簡単に分かったと告げてしまったから。そうでなければ違った結末があったのかもしれない。どうしてひとつの選択肢しか選ぶことができないのだろう。
「最後の最後まで、依頼のことを気にしてた。ほとんど聞き取れない声で「約束守って、ご依頼だから」って。分かったからと返せば笑って、本当に安心しきった顔で。これで……これで幸せになれるねって言ってるみたいに」
「歩くん……」
「僕は、僕は。どうしたら良かったんでしょう、どうしたらあの時、助けられたんだっ」
悔しさが込み上げてくる。きっと救えた、そのまま死なずに済んだ、そう思うと僕の行為は間違いだらけだ。知らなくてもいい筈の過去や秘密を幾つも抉じ開けてきたツケが今になって回ってきたのだろうか。そうだとしたら最悪だ――僕の存在なんて。
眼前が白く明滅した。頬に響く痛みと、僕の前で涙を堪える蓮ちゃんの顔で何が起こったかが分かった。
……本当に多枝さんと似ている。
「あんただけが被害者みたいな顔しないでよ! 頼られて、最後に話もできて……あたしらがどんな気持ちで運ばれてく朝陽をただ見てたと思ってんのっ!
……ずっと一緒に居たのに、最後まで何もしてあげられなかったあたしは、どう悔やんだらいいのよ……」
零れ落ちた涙が悲しみからじゃなくても、後悔からのものだとしても、それは泣けないと卑下した彼女の確かな涙だった。
ちゃんと繋がっていた。同じ場所で同じ時間を過ごしていただけじゃない。何かをしてあげたい、その気持ちでちゃんと繋がっていた。その繋がりに名前を付与するならば、それは“家族”だ。
僕にもちゃんとあった筈なのに、忘れてしまったのはいつからだろう。
「あゆちゃん、俺によくやってるって言ってくれたじゃん。本当は大したことできなかったけど、そうやって見てくれる人が居るんだ、って嬉しかったよ。俺からしたら今日のあゆちゃんこそ表彰もんだぜ?」
お前もずっとあいつらの姉ちゃんだったろ。
清貴くんが蓮ちゃんの頭を荒く撫でる。彼の姿だって否定しようのない兄の姿だった。
誰の顔にも笑顔があった。悲しみや悔しさや不甲斐なさ、そうした感情を今はまだ拭うことはできないけれど、家族らしい温かさがあった。一度抱いた深い愛情は決して消え去ることはない。これからも変わることなく愛していける。
眠る幼い顔に思う。
目覚める度、失った存在に苦しむかもしれない。苦しくて悲しくて、それはとても寂しいかもしれない。だけど決して独りではないから。抱き締めてくれる腕は、寄り添う背中は、向けられる笑顔はいつだって君の隣にあることを忘れないで。
やがてインターフォンが鳴る。
涙を捨てよう。ここは陽だまりの庭、一片の雨雲でさえ似合わない穏やかな場所だから。
「朝陽、おかえり」
柔らかな声で、誰かが言った。
多枝さん以外は誰も声を発しなかった。ただ息を吸い込む音と飲み込む音だけが、僕の口内で響く歯軋りの音に混じるように消えていった。
恐らく全員が嘘だと思っただろう。少女達のことをよく知っているからこそ、そんなことが起こる筈がないと思うのは当然のことだ。
「でたらめだよ、こんな話。警察でもないのに分かる訳ないんだから」
暫くして蓮ちゃんがそう言った。
僕の無力さは僕自身がよく知っている。凸凹して噛み合うのかも不安なロジックを組み立てて、勢いでそれを放出する。もっともらしく聞こえる言葉を選んで、全てを理解しているような口振りで。それでもこれまで真実が明らかになったのは、彼等が根っからの悪人ではなかったからだ。罪人にはなってしまったけれど、悪に染まってしまった人は居なかった。進んだ役回りは痛みを伴ったけれど、実りに似た何かが残ったと思う。彼等自身のお蔭で。
憶測から始まる推理なんてものは所詮、憶測の域を出ない。それに頷く人間が居なければ信憑性があったとしても確信に至ることはないだろう。
話の中心にされているあの子は今、小さな家族と共にソファで眠っている。気絶するように眠ったあの瞬間の苦しそうな顔は今はない。ごく自然な、お昼寝の時間。そんな風に見えた。
もし起きてこの話を聞いていたとしても、その胸の内を上手く伝えることはきっとできなかった。それは彼女が幼いからでも僕の想像に過ぎないからでもなく、自身でも理解できないほど複雑だからだ。考えて考えて、俯くことが限度かもしれない。
自分のしたことを告白できない、それはつまり、僕の推理をその場で肯定してくれる人間が一人も居ないということでもある。しかし、もうその必要はない。とても難解で、探るべきでないとさえ思える彼女の胸中は、あの言葉で、たったそれだけで言い表された。彼女の口から出たその言葉は紛れもない真実だ。憶測から始まる推理はただの憶測でしかないが、真実から始まる推理は憶測の中で最も真実に近いと言えるだろう。
だから僕はこの推理を、真実として話すのだ。
「このことが起こったのは、ふたりが互いを大切に思い過ぎたからだと僕は思っています」
「大切? 刺して、殺したってあんたが言ったんじゃない」
「蓮、やめろ。お前だって分かるだろ。あゆちゃんが一番きつい立場だってこと」
いいんだよ、僕のことは。
大切に思うことと命を奪うこととは本来なら結び付く筈のないもの。だから蓮ちゃんの考えは当たり前に浮かぶものだ。それに疑問を感じるということは彼女もまた真実を知りたいと思っているということ。それならばとことんまで僕は向き合うべきだろう。
「朝陽ちゃんが息を引き取ったことで結果的に殺害してしまった、だけどそんなつもりはなかった。皆さんがこんなことある筈がない、でたらめだと感じるように。この出来事には悪意はひとつもなかったんだ」
一番初めから話さなくてはならなかった。そうしなければ満月ちゃんの本当の気持ちを知ることなどできないから。そして朝陽ちゃんの思いも同時に知る必要がある。そのためには彼女達の出生の頃から振り返り、勘違いを洗い直し、新たな認識を得てもらわなくてはならなかった。
見過ごされていた彼女達という真実。僕達が何よりも知らなくてはいけないのはそれだった。
寄り添うように、また距離を取るように空いた僅かな隙間を縫うみたいに僕の声が流れていく。
隅で壁にもたれている美奈子さんは硬い表情で床を見つめている。唯一席を立てない知里さんはテーブルの上の両手を組むと祈るように瞼を閉じた。年長者達はそうして取り乱すことなく、また抗うことなくこの時に身を任せようとしている。それは諦めや幻滅ではなく、全てを受け入れる覚悟だと僕は感じた。
かくれんぼの最中、ふたりはあの屋根裏部屋で一緒になった。そこで恐らく朝陽ちゃんの方から里親のことを切り出した――。
そう言うと明らかに不可解の色が見えた。それを正哉くんが代弁する。
「あっちゃんはすぐにみぃちゃんに知らせていたと思います。言わない筈がないですよ」
「そうだね。たとえ言わなくてもそのご夫婦が来なくなったことで満月ちゃんの方が気付いただろう。清貴くんから聞いたけど、満月ちゃんは朝陽ちゃんに家族ができそうだと相当喜んでいたようだし」
「……断ったのが不満だったんなら、もっと早く何かが起こってておかしくないよな? それなら何で今日?」
その考えももっともなことだ。断ってから数週間経った今、こんなことが起こるのは時間に開きがありすぎる。しかしそこには様々なものが絡み合っている。
答えを僕は朝陽ちゃんからもらっていた。事が起きる前にそのことに気が付いていたらどうなっていたのだろう。今度は紙の感覚が素直に指に伝わってきた。
「朝陽ちゃんが僕に描いてくれた絵です。リュックに入っているのを先程見つけました」
手にしていても満月ちゃんには見せられなかった。見せたらきっともっと自分を責めてしまうから。
「屋根裏部屋で朝陽ちゃんはこのことを提案しようとしていたのではないでしょうか」
 格好良く白いスーツで決めた僕と、手を繋いでVサインを向けるワンピース姿のふたりがそこには描かれていた。まるで王子様とお姫様みたいな。
「かぞくになれますように」、思いの込められた文字が心に刺さる。これが彼女なりに考えた結末だった。
「里親を断った朝陽ちゃんはすぐそのことを話していたと僕も思います。そして同時に満月ちゃんがその決定を受け入れてくれないことにショックを受けたでしょう。満月ちゃんと一緒に居たい、ただそれだけなのにその思いを否定された気がしてもおかしくはありません」
皆が考え込むように視線を下げる。これまで見てきたものが覆された今、過去の情景をどんな風に思い浮かべているのだろう。
「だから必死で考えた、どうすればずっと一緒に居られるかを。
そんな時僕の存在を思い出した。ここの家族以外の見知った大人だったからでしょう、家族になってくれるかもしれないと思った。困った人を助ける仕事をしているなら“ご依頼”をすれば絶対なってくれる、と」
「みぃを守って、か……」
多枝さんがそう呟いて溜息を吐いた。
みいちゃんを守って。あの言葉にはきっと家族として守ってほしいという気持ちが込められていたのだ。依頼は僕が思っていたよりも大きなものだった。
「でも話は拗れてしまった。そして何かの拍子に朝陽ちゃんは咄嗟に嘘をついてしまいました」
「嘘?」
「自分は嫌われたんだ、と。だから里親は断ったのではなく断られたんだと言ってしまったんです」
満月ちゃんから直接聞いたことだと言うと空気が変わった。もう疑っている人は居なかったけれど、証明されたことで耳を流れる言葉が確信になった。
自分と離れて幸せになってほしい満月ちゃんと、ふたり一緒が幸せの朝陽ちゃん。互いが互いを想う故にすれ違う。隣合って並べた筈の歩幅が揃わないまま、ふたりの距離を離していく。
積み重なった自己否定に初めてついたささやかな嘘が加わって、噛み合わなかった歯車が動き出してしまったんだ。
「みぃちゃんが悪い子だからあっちゃんも悪い子になった、だから嫌われた。満月ちゃんはそう言いました」
ふたりは心の中にお互いが住んでいると考えていた。それを言い始めた満月ちゃんにとってそれは朝陽ちゃんを寂しがらせないための暗示のようなものだったかもしれない。でも言い続けている内に次第に自身もそれを信じるようになった。
「嫌われたのは朝陽ちゃんの中に自分が居るからだ、そこから居なくなれば朝陽ちゃんは大好きになってもらえる。
いつも使っていたハサミは、彼女達にとって魔法のハサミ。きっと上手に心の中の自分を取り出せる。……そんな思いがあったのだと思います」
簡単に納得できる話ではないかもしれない。夢見がちな少女の思考は大抵そういうものではあるが、そこに生死が関われば別問題だろう。しかし受け入れてあげなければいけない。これはただの興味本位でする悪戯や反吐が出るような理由で繰り返される罪とは訳が違う。全く許されるものではないのも分かっている。しかし負わされた苦しみ、強迫観念を思えば誰に彼女を責める資格があるだろう。……そんなもの誰にもある筈がない。何より彼女が自身を深く咎めていること以上に必要なことなどありはしないのだ。誰が何と言おうと、この考えを改める気はない。
ちょっと待って、と多枝さんが声を上げた。
「チョーワだ、って言ったのは? それにみぃがひとりになったら守って、っていうのもそれが本当なら意味が通じない気がするんだけど?」
僕もその点についてはずっと考えていたんだ。そして行き着いたひとつの答え。
「朝陽ちゃんにはあったんじゃないでしょうか」
「何が?」
「チョーワ……シンクロニシティの力が」
どの程度のものかは分からない、傍に居るから何となく分かる程度だったかもしれない。こじつけようとする僕の希望的観測に過ぎないのかもしれない。けれど彼女達が言い続けた「チョーワ」が単に作り上げられたものではないと思えた。
ゼロからではなくイチがあったからこそ思い付いたものならば、重なる傷は力の証明だ。
「もし僕の元に来ることになっても、いずれ満月ちゃんがひとりになる予感が朝陽ちゃんにはあったのだと思います。満月ちゃん自身が離れることを望んでいるのが分かったから」
だからあの言葉は、みいちゃんがひとりになってもみぃちゃんを守って、ふたりじゃなくなっても家族で居て、そう言いたかったのかもしれない。実際のことはもう何も分からないけれど、僕はそう確信していた。三人並んだ絵を見た時に思いが流れ込んでくるように思えたから。「かぞくになれますように」という言葉の間に信じる気持ちが強く表れていたから。
家族。それはどんなもので定義するのだろう。目の前に広がるひとつの家族の景色は滲んで、儚くも揺るぎなくも見えた。
僕は家族になれたのだろうか。あまりに大きな決断は今や遠い。この瞬間の僕の頭では例え話でも答えを出すことができない。
脳が震えて、心臓が震えて――あぁ、僕が一番の悪かもしれない。
安易に頷いてしまった僕が、微かな命の灯を吹き消した。そんな気がした。安心させるため簡単に分かったと告げてしまったから。そうでなければ違った結末があったのかもしれない。どうしてひとつの選択肢しか選ぶことができないのだろう。
「最後の最後まで、依頼のことを気にしてた。ほとんど聞き取れない声で「約束守って、ご依頼だから」って。分かったからと返せば笑って、本当に安心しきった顔で。これで……これで幸せになれるねって言ってるみたいに」
「歩くん……」
「僕は、僕は。どうしたら良かったんでしょう、どうしたらあの時、助けられたんだっ」
悔しさが込み上げてくる。きっと救えた、そのまま死なずに済んだ、そう思うと僕の行為は間違いだらけだ。知らなくてもいい筈の過去や秘密を幾つも抉じ開けてきたツケが今になって回ってきたのだろうか。そうだとしたら最悪だ――僕の存在なんて。
眼前が白く明滅した。頬に響く痛みと、僕の前で涙を堪える蓮ちゃんの顔で何が起こったかが分かった。
……本当に多枝さんと似ている。
「あんただけが被害者みたいな顔しないでよ! 頼られて、最後に話もできて……あたしらがどんな気持ちで運ばれてく朝陽をただ見てたと思ってんのっ!
……ずっと一緒に居たのに、最後まで何もしてあげられなかったあたしは、どう悔やんだらいいのよ……」
零れ落ちた涙が悲しみからじゃなくても、後悔からのものだとしても、それは泣けないと卑下した彼女の確かな涙だった。
ちゃんと繋がっていた。同じ場所で同じ時間を過ごしていただけじゃない。何かをしてあげたい、その気持ちでちゃんと繋がっていた。その繋がりに名前を付与するならば、それは“家族”だ。
僕にもちゃんとあった筈なのに、忘れてしまったのはいつからだろう。
「あゆちゃん、俺によくやってるって言ってくれたじゃん。本当は大したことできなかったけど、そうやって見てくれる人が居るんだ、って嬉しかったよ。俺からしたら今日のあゆちゃんこそ表彰もんだぜ?」
お前もずっとあいつらの姉ちゃんだったろ。
清貴くんが蓮ちゃんの頭を荒く撫でる。彼の姿だって否定しようのない兄の姿だった。
誰の顔にも笑顔があった。悲しみや悔しさや不甲斐なさ、そうした感情を今はまだ拭うことはできないけれど、家族らしい温かさがあった。一度抱いた深い愛情は決して消え去ることはない。これからも変わることなく愛していける。
眠る幼い顔に思う。
目覚める度、失った存在に苦しむかもしれない。苦しくて悲しくて、それはとても寂しいかもしれない。だけど決して独りではないから。抱き締めてくれる腕は、寄り添う背中は、向けられる笑顔はいつだって君の隣にあることを忘れないで。
やがてインターフォンが鳴る。
涙を捨てよう。ここは陽だまりの庭、一片の雨雲でさえ似合わない穏やかな場所だから。
「朝陽、おかえり」
柔らかな声で、誰かが言った。
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