玉虫色の依頼、少女達のストライド

些稚絃羽

7.言葉の意味

「掃除、しようと思って」

 バツが悪そうに目を逸らした多枝さんが言う。

 他の人からも話を聞きたいと二階まで下りたところで、上がってきた多枝さんとかち合った。その手には水の入ったバケツと雑巾が握られていた。

「もういいよね? 他の子達のこと考えたら今のまま置いとく訳にいかないから」
「それは勿論いいですが」
「僕が代わりにやりますよ」

 できれば早く話を聞きたいと思っているのが分かったのか、正哉くんが掃除をかって出てくれた。しかし多枝さんには伝わらず、むっとして僕の頭上を睨んだ。

「何、私には任せられないって?」
「そんなつもりはないですよ。でも結構臭いきついから。多枝さん、顔色悪いし無理しないでく」
「触んないで!」

 肩に触れようとした手を振り払った。正哉くんはごめんなさいと謝罪を口にし、多枝さんは俯いた。下世話なことだが、あまり仲が良くないのだろうか。見る限り多枝さんが一方的に毛嫌いしているようだけれど。
 黙ってしまったふたりに挟まれている僕は、多枝さんの手からバケツと雑巾を抜き取った。

「掃除の代わりに話を聞かせてもらえませんか」
「警察の真似事?」
「はい。朝陽ちゃんのことをちゃんと知りたいんです。そして皆さんの助けにもなりたい」

 納得をしたようではなかったけれど、応じてはくれるらしい。一度僕を見返してそれから、丁寧に掃除してよね、と背を向けた。正哉くんは小さく肩を竦めて、任せてください、と微笑んだ。

 

 リビングには誰の姿もなかった。多枝さんによるとつい先程全員部屋に戻ったらしい。満月ちゃんはまりもちゃんとゆうくんと共に知里さんの部屋で遊ぶことになったようだ。実際に遊ぶのは他のふたりだけだろうが。
 席についてすぐ、多枝さんは足早にキッチンに入りガラスのコップをふたつ携えて戻ってきた。すでにテーブルに置かれていたペットボトルから中身を注ぐ。スポーツドリンク特有の優しい酸味が漂い香る。喉がカラカラに乾いていた。一口飲むと酸味が痛みに変わって喉をするりと流れていった。

「……さっきはごめん。勢いであんたまで傷付けるようなこと言った」

 どのことだろうと考えて、「あんたには分からない」というやつかなと思い至る。しかし大して傷付いていない。あの逼迫した精神状態なら寧ろ当たり前にあることだ。

「以前にそうしたことがあったなら仕方ないことだと思います」

 そう答えると一瞬怪訝そうに眉を顰めてそれからふっと笑みを零し、あぁそっか、とひとりごちた。何を納得したのか、置いてきぼりを食らった僕が逡巡する間もなく、多枝さんが話し始める。彼女のコップはまだ上まで半透明に揺れている。

「私も施設の出なんだ。ここほどじゃないけど温かくて住み心地の良いところだった。十歳から高校卒業までお世話になったの。里親は結局見つからなかったけど自立するために沢山助けてもらった」

 そんなことはどうでもいいんだけど。そう言いながらもやはり少し寂しそうだ。
 里親が見つからないということは、人に受け入れてもらえないということとイコールなのかもしれない。実際、理由はどうあれ実の親から見放されたという思いが少なからずある筈で。家族を見つけて去っていくのを見送るばかりの毎日ではそんな考えも過ってしまうだろう。
 ……恩返しなのだろうか。敢えて聞くことはしないままそうかもしれないと思った。自分を助けてくれた人達。その本人ではないとしても、自分と同じように新しい家族を求める子供達や支援する人達への思いは一際強い筈だ。支えてもらった分をそういう人達のために使いたいと思っても何ら不思議ではない。
 きっと多枝さんにとってあの子供達は、かつての自分自身なのだ。

 多枝さんは続ける。警察を嫌いになった理由を。

「私が十四になったばかりの頃に、財布が無くなる事件があったの。十数人居た子供全員分のね」
「え、強盗ですか?」
「そう思って職員は警察を呼んだ。その時は全員で近くの公園に行ってて、帰ってから無くなってることに気が付いたから。勿論通報する前に、全員で持ち物を確認したし施設内を探し回った。それでもひとつも出てこなくて、裏口の鍵穴は明らかに傷付けられていたし誰の靴とも違う足跡が残ってた。それなのに……」
「内部犯が疑われた、と」

 状況は素人目にも空き巣と断定できるほどだった。しかし警察は偏見と個人的主観でありもしない容疑を吹っ掛けた。警察としてあるまじき、もはや人としても見過ごせない行為だ。

「近所の人がたまたま不審者を通報してて、それがうちに入った強盗犯だって分かったから一応の解決はしたけどね。
 親の居ない子供は非行に走るだとか、偽装工作くらいの悪知恵は簡単に働くだとか、私達のことを何も知らないくせにそんなことばかり言って。あのにやついた顔が忘れられない」
「酷い話だ」
「だけど、ごめん」

 もう一度謝られて、今度は何事かと首を傾げた。

「警察って言われた途端、あんたも本当は同じなんじゃないかって思っちゃったんだ。あいつらみたいに自分とは無関係の人種だと思ってるんじゃないかってさ」
「そんなことは」
「うん、だからごめん。同情でも何でもなく、純粋にここを好いてくれてるの、分かってたのに」

――私達は皆あなたのことを信じてるわ。
 それは嬉しくて、暖かくて、くすぐったくて、少し重い。優しい感情は失った時の反動があまりに大きいから。向けられているに値する何かをちゃんと返せるのか、それを考えると素直に喜べないんだ。正哉くん、多枝さん……少しずつあの言葉が真実味を帯びていく度、肩に圧し掛かるプレッシャーが情けない。
 特に気にすることもなく多枝さんの声は続く。

「大好きな場所だから、ここを気に入ってもらえたなら本当に嬉しいんだ。騒がしいし、蓮なんか私に似て口が悪くなっちゃったけど」

 くすりと笑った仕草の中には確かな愛情があった。ここが、この家族が好きなことが伝わってくる。だからこそ不思議だった。

「下世話なことを聞くようですけど、正哉くんのことお嫌いなんですか?」
「ほんと下世話」
「すみません」
「冗談よ。別に嫌いじゃない。ただ変に優しすぎるからどうしたらいいか分かんなくなるだけ」

 幸せな家族の様子が垣間見えてしまうんだ、と言った。
 自分が得られなかったものを持って、自分にはない自然な優しさを当たり前のように示すから。

「遠いな、って思うんだよね。向こうから近付かれると余計にね、怖くなるから。……報われないのに想っちゃいそうになるから」

 きっともう、想ってしまったんだ。その気持ちを貫けるほどこの関係は甘くない。彼が誰を想っているかも分かっていて、家族を持たない自分に引け目も感じてしまう。だから強く当たって触れそうになる手を振り払う。それが正しいのだと無理やり信じ込んで。
 ここで彼女は初めてコップに口を付けた。そして一気に飲み干した。多枝さんも案外不器用な人だ。


 パンッ、と乾いた音に我に返る。頬を張られた訳ではない、単に多枝さんが両手を合わせた音だ。

「さて、本題に入ろう。私から聞いてもいい?」

 急なことだったが、本当の目的はここからだ。気持ちを切り替えなくては。
 彼女が聞きたいと言ったのは現場検証の結果だった。僕は見たままを答え、外部から人が入った形跡はないこと、可能性としては朝陽ちゃん本人による事故か自殺の線が濃厚であろうことを明かした。

「ほぼ自殺だって思ってるんでしょ?」
「そう思いますか?」
「だってあのハサミ、普通のより少し長いから。どんな風に刺さったか見てないけどあれが偶然刺さるのは無理がありそうだし」

 考えたくはなかったけど自殺なのかもって思ってた、と加えた。リビングを飛び出した時より落ち着いて見えるのは自身である程度の答えを出したからなのかもしれない。顔色は決して元通りとはいかないけれど。
 多枝さんの指摘に加えて、朝陽ちゃんが自身でハサミを抜いているのが僕の中通りで自殺の線を濃くしている。

「もし自殺だとしたら、その原因になりそうなことに心当たりはありますか?」
「心当たりなんてない、底抜けに明るい子だから。朝陽あっけよりみぃの方が余程心配だったな」

 多枝さんもまた満月ちゃんへの危惧を口にする。

「あのふたりは本当に仲が良かったけど、みぃのあれは依存に近かった。ひとりでは何も始めようとしなかったし、決定をほとんどあっけに任せてた。だからもしひとりになったらこの子は壊れるかもしれないってずっと思ってたよ」
「……それを朝陽ちゃんも感じていたと思いますか?」
「え、どうかな? 感受性の強い子だしそう感じてもおかしくはない、かな」

 もしそうなら、朝陽ちゃんが満月ちゃんを置いて死を選ぶことがあるだろうか。守ってほしいと願うほどに大切に思っている人をひとりにする意味は果たしてあるのだろうか。
 不思議そうにしている多枝さんに、朝陽ちゃんの依頼のことを話した。すると首を傾げられた。

「つまり、これから死ぬからみぃのことよろしくねってこと? それは何からしくない気がするけど」
「というと?」
「ふたりの間の決定権はほぼあっけが持ってたけど、あっけはどんな時も必ずみぃに意見を聞いてた。こう思うんだけどみぃちゃんはどう、って。みぃはいつもあっけの考えに乗ってたけど」

 そう言いつつも、多枝さんは唸り始めた。大人になったってことかな、と呟いたのは朝陽ちゃんが“満月ちゃん離れ”を始めていたかもしれないということだろう。しかしこればかりは本人にしか分からないことだ。双子とはいえいずれは別々に行動するようになる筈で。遅かれ早かれ満月ちゃんもそれを受け入れるようになったと思う、こんな形でなければ。
 まだ考え込んでいた多枝さんが、あっ、と声を上げた。何か考え付いたらしい。

「直前だって言うから遺言みたいに聞いてたけど、それとは無関係ってことも考えられるよね? 違う意味で頼んで、やっぱり事故だったとか」
「違う意味ですか?」
「夏休みに入る前にご夫婦で見学に来られた方が居てね。どうもあっけを気に入ったみたいで里親になれないかって言ってたみたい。結局どうなったのか詳しい話は私は知らないんだけど」
「その里親の元に行くことを真剣に考えていたかもしれないってことですか」

 そうであれば確かに、「ひとりになったら」という言葉の意味も納得できる。まだ決めかねているけれどもしそうなったら。それは僕も最初に考えたことだ。そしてすぐに打ち消した考えでもある。けれど実際そうした出来事があったなら信憑性はある。だがその後すぐに、なんてタイミングが合いすぎてはいないか。偶然とは勿論そうしたものだけれど、やはり事故の可能性に戻るのは厳しい気がした。

 どうして彼女はあんな依頼を僕にしたのだろう。玉虫のように角度を変える毎に彼女の本当の思いが分からなくなる。何を願って、何を望んで、何を見ていたのだろう。その丸いつぶらな瞳に何を映していたのだろう。
――やくそく、まもって。ごいらいだから。
 途切れ途切れに聞いた最期の言葉。その唇の動きに応えて僕は頷いた。息絶えながら尚も願うその約束はどこに向かっているのだろう。

 ふと思い出す。「ひとりになったら」の意味を問い返した時、返って来た言葉。それに重要な意味があるのではないか。

「チョーワとは、何ですか?」

 突然投げかけた質問に多枝さんは驚いたようだった。

「知らなかったんだ」
「今日初めて聞いたんです。ひとりになるってどういうことかと聞いたら、チョーワだよと」
「え、それって……」

 多枝さんにとっても不可解だったらしい。眉間に皺を寄せて顎を擦っている。
 すると廊下を走る足音が聞こえて、まりもちゃんとゆうくんが顔を出した。

「たえちゃん、おばばがよんでるよ」
「おねがいだって!」
「何だろ、すぐ行く」

 多枝さんの答えを聞いてふたりは去っていった。事態が把握できていないだけだが、小さな子達が元気でいてくれるのはいい。心が落ち着く。
 ちょっと行ってくる、そう言って立ち上がる。戻ってくるまで待っていようかと思っていると、リビングを出ていく前に多枝さんが振り返った。

「チョーワっていうのはあっけとみぃの能力のこと。双子特有の、ってやつかな。全員知ってるから聞いてみたらいいよ。悪いけどよろしく」

 ひとり残されて考える。能力? 双子特有の? それは一体どんなものなんだ。


 先程の賑やかな足音とは違う、ひっそりとした足音が聞こえて顔を向けた。
 蓮ちゃんだ。そして僕と目が合うとあからさまに嫌そうな顔をして踵を返そうとするから慌てて引き留めた。

「ちょっと待って、少し話せないかな?」

 じろりの睨み返されてたじろいだけれど、多枝さんの言葉を振り返るとこの子も不器用なだけかもしれないと思えてくる。重く深い溜息をつかれても。そうであってほしいと願うばかりだ。
 多枝さんが座っていた席に蓮ちゃんが仕方なさそうに腰を下ろす。そうしてもう一度深く深く息を吐くと、真っ直ぐに僕を睨みつけた。

「で、お説教でもしようって訳?」


  

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