玉虫色の依頼、少女達のストライド

些稚絃羽

4.たったひとつの“ご依頼”

 冷房を効かせている訳でもないのに、室内は随分と涼しく感じられた。一時間程度のピクニックは、それでも身体の内外まとめて熱してしまったらしい。そこまで暑さを感じなかったのも恐らく思考に集中していたせいだ。あのままじっとしていれば倒れていたかもしれない。知里さんの体調に影響はなかっただろうか。
 しっかりと水分補給をした後、早速かくれんぼを始める。じゃんけんをすれば大抵負ける僕なのだからと鬼を決めるじゃんけんに加わると、どういう訳かひとり勝ちしてしまった。負けようとする時に限って勝ってしまうこの不思議。そのことについて文句を言う子は居ないのだけど、ゆうくんが鬼に決まった瞬間に自分の空気の読めなさを呪った。代わってあげようかと打診すると子供達は結構シビアで、じゃんけんで決まったものは絶対だと譲らない。ゆうくんはすでに背を向けて後ろの壁に伏していた。四歳の方が大人である。
 幼い声がカウントを始める。いーち、にー、さーん。少しの間の後、よーんと続く。駆け出した少女達に倣って僕もリビングを出た。

 お兄ちゃん。
 囁く声が降ってきた。足を止め顔を上げると、二階へ続く階段の手すりの隙間にその姿を見つけた。手招きするのに応えて近付くと、無言のままジェスチャーで階段を上がるよう促される。カウントはじゅうさんを数えたところだが、どこが終わりかを聞いていない。まぁ、大丈夫だろう。

「あさ」
「しー!!」
「……朝陽ちゃん、隠れなくていいの?」

 僕を呼び止めた彼女に小声で問い直すと、隠れるけど大事なお話し、と階段の途中に座らされる。後ではいけないのだろうか。かくれんぼの真っ最中に隠れることを中断してまで話さなくてはならないことというのは、何も思い至らなかった。明らかにどこに隠れるかの相談ではないだろう。いつもふたりで行動するのに今は朝陽ちゃんしか居ないのも少し気になった。お兄ちゃん、と再度呼び掛ける瞳の真剣さに、気付けば生唾を飲んでいた。

「あっちゃんのごいらい、聞いてくれる?」
「ご依頼?」

 無くしたものでもあるのだろうか。それなら勿論探してあげるが、しかしこのタイミングで? 少女特有の気まぐれとも違う気がした。

「お兄ちゃんはみんなのお願い、叶えてくれる人なんだよね?」
「えっと……うん、そうだよ。だから朝陽ちゃんのご依頼も聞きましょう」
「ほんと!? あのね」

 少女の言葉を訂正するほど、僕だって野暮じゃない。どんなお願いだって聞いてあげよう。
 そうして実際に彼女の口から告げられた願いは、僕の想像を遥かに越えていた。

「みぃちゃんがひとりになったら、みぃちゃんのこと、守ってあげて」


*****


「みーつけた!」
「あ。隠れるの忘れてた……」

 階段の真ん中で座ったままの僕をゆうくんはあっさりと見つけた。はっと周囲を確認するが他には誰も居ない。当然だ、僕を膠着状態に陥らせた本人は僕を残して行ってしまったのだから。

「みつかったらソファ、だよ」

 見つかった人はソファで大人しくしていろ、という指示のようだ。了解の意を示すと小さな鬼は二階の部屋に向けて進んでいった。
 リビングに入ると、キッチンの方から水の音が聞こえた。何もせずにいるのもどうだろう、そう思い覗いてみる。多枝さんが洗い物をしていた。

「手伝いましょうか」
「いいよ、かくれんぼ中でしょ? あの子達、勝手に抜けると怒るよ」

 大人として手伝うのがマナーかとも思うが、今日僕を呼んでくれたのは子供達で、その子達をさて置くのはもっと悪い。ここは申し訳ないが多枝さんの言葉に従おう。一言謝ってキッチンを出たところで正哉くんとぶつかりそうになった。

「あれ、もしかして見つかりました?」
「隠れ損ねちゃってね」
「歩さんは鬼の方がいいんじゃないですか、職業柄?」

 そんな会話をしてから、今度こそ見つかった者らしくソファに腰を下ろす。二階でパタパタと駆け回る足音。二人目がなかなか見つからないようだ。清貴くんが「ここにはいねぇよ」と言っているのも聞こえてきた。本はテーブルの上に積まれたままだが蓮ちゃんはどうしているのだろう。……詮索すると今以上に嫌われそうだ、やめておこう。
 後ろの窓からすっと風が流れ込んできて、誘われるようにそちらを向いた。揺れるレースのカーテンの隙間からさっきまで時間を過ごしていた庭が見える。一枚の絵画のような、まるで選び取られた景色だ。

――みぃちゃんがひとりになったら……

 ひとりになる、とはどういう意味だ。
 里親を見つけたということだろうか、朝陽じぶんだけを引き取る里親を。僕の勝手な思い込みで、彼女達はいずれふたりで同じ家庭に引き取られていくのだと思っていた。それほどふたりの仲は切れないもので、これからも一緒に育っていくのだと決めつけていた。だけど、そうはいかない事情もある。子供をふたり育てるのは大変なことだ、まして双子なら尚更だろう。ある程度自分でできる年齢にはなっているが逆に言えば思春期を迎えようとしている。加えて金銭的な問題も捨て置けない。ふたりを一緒に引き取るというのは、簡単には出せない選択だろう。
 しかしもしそうだとして僕に満月ちゃんを守って、と願うのは幾らか突飛に思える。僕はいつもここに居られる訳ではないし、ましてや里親になるなんて無理がある。自分ひとりが生活するのにも苦労している中で、どうやって少女を養い守っていけるだろう。そんなこと彼女には知ったことではないだろうが。

――みぃちゃんがひとりになったら……

 どうして。どうしてこんなことが頭を過るんだ。僕の感覚はやはりどこかおかしな方向へ曲がってしまっているのか。だって、そんなこと、ある筈がないじゃないか。
 朝陽しょうじょが、この世から居なくなってしまうなんて。 

 思い浮かぶ、雪さんの顔、北川さんの顔。幸福のため自ら死を選んだ女、死を予感して尚それを受け入れた男。そんなんじゃない、そんな意味なんてないとそう思うのに、どうしてこんなにも胸騒ぎがするのだろう。
 食器のぶつかる音、微かな話し声。壁を隔てた向こうのふたりに、何かを知っているような素振りは見られなかった。玄関先で迎えてくれた美奈子さんも、つい先程まで話をしていた知里さんも。
 僕が知る必要のない事実があるならそれでいい。例えば里親のこととか、実は病気を抱えているとか。そういうことなら詳しくは知らないままでいい。
 ただ僕は彼女本人から"依頼"を受けた。それはつまり、ここの家族では果たせないことなのだろう。本当にこの依頼、果たせるのだろうか。せめてもう少し、分かりやすく教えてくれたらいいのに。


――みぃちゃんがひとりになったら、みぃちゃんのこと、守ってあげて。
――ひとりに? それはどういう……?
――チョーワ、だよ。


 チョーワ、とは何だ?

 激しい足音が思考から僕を引き戻す。次々とリビングに入ってくる子供達は僕を見ると一目散に駆けてきて、避ける暇もなく飛びかかられた。ぎゅうぎゅうと抱き締められ圧し掛かられて窒息しそうな中、ふと朝陽ちゃんと目が合う。何の変わりも含みもない表情。まさに今を楽しんでいるのが伝わってくる弾ける笑顔。物憂げな笑顔とは違う……そんなの当たり前じゃないか、僕が心配するようなことなんて起きやしないんだから。後でまた改めて聞いてみることにしよう、そう決めた。

「うぐ、さす、がにくるじぃ……」
「こらこら、皆! 歩さんが死んじゃうよ!!」

 僕の身の方が、余程危険なんじゃなかろうか。タオルで首を絞めてたのは誰だ。荒く呼吸を整える中、そうして頭をぶるりと振った。


 
*****


 一番に見つかってしまった僕が今度は鬼を務めることとなった。結果オーライである。
 一斉にリビングを後にした背を見送って、壁を前に寄りかかる。事前に確認したところによるとカウントは六十秒という決まりらしかった。よく聞こえるようにはっきりと、そしてゆっくり数字を重ねていく。頭上で迷う足音はハンデになってしまうから聞こえないふりをして、さっきは皆どこに隠れていたのだろう、どこに隠れられるだろうと考えを巡らした。
 これだな、と思う。僕がここに来ようと思った理由。すり減った心を楽しい思い出に塗り替えるため。上書きをして、痛みを隠して、元の僕に戻るため。そのためには何も考えず、ただ今を楽しみたい。無邪気に走り回る子供達のように。

 ろくじゅう、を数え終わる。目一杯大きな声で、もういいかい、と叫んだ。
 ……誰も答えてくれない。
 じわっと寂しさが胸の奥で沸き上がる。こういうことあったな、と小学生時代の心持ちを思い出した。静まり返った中にひとり取り残された気分で、誰かが答えるまで延々と叫んだこともある。息を殺して隠れているだけなのだからさっさと探しに行けばいいのに、と今ならそう思うが、あの頃は意地になっていたのかもしれない。子供の頃からもっと要領よく動けたら、違う自分になれていたんじゃないだろうか。……と、考えても意味はないのだけど。

「もういいかーい」
「……」
「もういいかーい」
「さっさと行けばいいのに」
「蓮、あゆちゃんの邪魔してやんなよ。真面目なんだから」

 これは行くしかなさそうだな。聞こえていないということもないだろうし。いつの間に降りてきたのか、外野も煩いし。
 念のため廊下に出たところでもう一度声を上げる。

「もういいかーい」

 やはり返事はない。が、代わりに何かがばらばらと撒かれるような音が上の方から聞えてくる。折角声を出さずに隠れていても音をさせたら意味がないじゃないか。皆しっかりしていてもそういうところはまだ子供だな。
 大人げないと言われようが、僕は単なる遊びでも真面目に取り組む方だ。たまにはすぐに見つかる敗北感を味わわせてあげるというのも大人の役目だろうと思う。別にさっきのことを根に持っている訳ではない。

 音がしたのはどこだ。二階の誰かの部屋ならもっと直接響くような音がしたはずだが、実際はもっと篭ったような音だった。三階にも部屋があったんだったか。上がったことはないものの、写真の中でその部屋をすでに知っている。
 階段を上がり、廊下を敢えて大きな音で踏み鳴らす。右手の壁に並ぶ四枚のドアを一枚も開けることなく通り過ぎると、三階へと上っていく。
 あまり使わないのだろうか、妙に空気が冷たく乾いているように感じた。明かり取り程度の小さな窓があるが、掃除をし忘れているらしく薄っすらと白く曇っていた。
 右手に今度は二枚のドアを並んでいる。が、そのどちらも開いている。一回目で使ってそのままだったりするのだろうか。手前の部屋を覗き込む。黒いカーテンが閉め切られていて暗いものの、よく見れば壁一面にスクリーンが張られている。奥には機材もあり、小さな映画館が完成していた。残念ながら隠れられる場所は子供一人分もなさそうだが。
 次の部屋に行こうとして微かな声が聞こえた。苦しさに呻くような。一体どんな隠れ方をしているんだ?
 そちらの部屋は十分に光が入るようで、ドアの隙間から廊下に筋が走っている。そして中で白い小さな背中が座り込んでいるのが見えた。

「みーつけ、た……」

 

 もういいかい、を一度減らせば。もういいよ、を待たなければ。――そうしていれば、こんな光景を見る事もなかったのだろうか。

 胸元を彩る深紅は少しずつ先へ先へと手を伸ばし、今にも白いワンピースを塗りかえようとしていた。走り寄り首に下げたタオルを押さえつけても、驚く間もなくそれは役立たずの布切れへと姿を変える。
 救急車、と呟きそれが叫びに変わるまで、何度も繰り返し譫言のように発し続けた。自分の声がひどく遠い。近付いてくる足音を聞きながら、血で染まるタオルを投げ捨て、カーテンを引きちぎった。
 止まれよ、止まれ、とまれ、とまれ、とまれ……!!

 
 屋根裏部屋の真ん中。たった八歳の少女、朝陽の最期を、僕は確かに感じていた。

 
 カラン、と床が鳴って、視界に一本のハサミが映る。元の色が分からないくらいに血蒸れたそれは、驚くほど残酷な造形をして見えた。少女の痙攣する手が、腕が、指先が赤くて。拭おうと無意識に伸ばした指を先に握られた。弱く、しかし切なくなるほど命を感じさせた。

「や……ま、もて」
「うん」
「ご、はっ……だかっ、はっ」
「うん……うん、分かったから、もうっ」

 声は上手く聞き取れなかった。それでも唇の動きでその意思を汲むことはできた。
 ひゅっと漏れる息が何度か続いて、全身を身震いするように大きく震わす。僕の耳の裏で何かがプツンと切れるような音がした。
 最期の瞬間、少女は笑った。


 窓の向こう、くぐもった救急車のサイレンと共に彼女が遠のいていく。救急隊が駆けつけた時にはすでに、まだ出血をしているのかどうかさえ分からないほどワンピースが血で染まっていた。もうあの笑顔には会えないだろう、どれほどの手を尽くしても。無情な考えが浮かんで、しかしあり得ないことと笑うことはできなかった。
 傍に居てやりたかった。あの言葉をこんな形で真実にさせたくなかった。何もできなくとも、ただその手を握っていてやりたかった。もう少しだけ、ほんの僅かの時間、それだけで良かったのに。
 それでもこの子を放って行く事はできない。付いて行かないかと美奈子さんから声をかけられたけれど断ってしまった。どこかが痛むように顔を歪ませて声にならない声で呟かれた「ありがとう」に、美奈子さんの思いは詰まっていたと思う。だからこそ僕は、全身で震えながら一歩も動けなくなってしまった、彼女と同じ顔をしたこの子のために、ここに残る事を決めた。

「……満月ちゃん、皆のところに戻ろうか」

 もう見えなくなった救急車の姿を見つめながら、僕のシャツの裾をぎゅっと握る。代わってあげられたら……そんな思いは無責任だと分かってはいても思わずにはいられない。未だ動けない少女を僕はそっと抱き上げて歩き出した。足元に溜まる赤い水たまりは見ないようにして。




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