玉虫色の依頼、少女達のストライド

些稚絃羽

1.お姫様のお迎え

 ハミングするように軽やかなふたつの音がアルミのドアを叩く。続いて微かに小さな笑い声が聞こえてきて、自然と頬が緩んだ。それは誰もが感じるような当たり前の愛しさからなのかもしれないし、もしくは頼りない自分を必要としてくれることへの喜びからなのかもしれなかった。どちらにしても、今日を少なからず楽しみにしていたことは偽りようもない事実だ。
 もったいつけるようにドアを開くと、手を繋いで並ぶ愛らしいふたりのお姫様が恭しく膝を曲げて見せた。

「お兄ちゃん、ごきげんよう!」
「……ごきげん、よう……」
朝陽あさひちゃん、満月みつきちゃん。お迎えに来ていただき光栄です」

 お返しにと大袈裟な動作で腕を振りかぶり頭を下げる。お気に召したのかケタケタと笑って見せる姿にはお姫様の品格は少し足りないが、少女らしい鮮やかさがあった。しかしそれもほんの一瞬の間の話で、主に声を上げていた朝陽ちゃんが顰めっ面で僕を見上げた。

「お兄ちゃん、その服なの?」
「え、駄目かな?」

 王子様っぽくない! と叫ばれてたじろいだ。
 目の前のふたりは真っ白のワンピースに身を包んでいる。ふんわりと膨らんだ袖が小さな肩を覆い、ボリュームのあるスカート部分は末広がりでレース地の裾が膝上でちらちらと揺れている。レースを彩るように所々に赤や黄の可愛らしい花の装飾が施され、後ろで三つ編みに結い上げた髪にも同じ花が編み込まれている。控えめに色付く花達がふたりの可憐さを一層引き立てていた。
 僕の立場が王子様役であることは今知ったのだけど、確かにこのふたりに並ぶとなると、黒のTシャツにカーキのチノパンでは些かラフすぎるというか、用心棒にもなれそうにはなかった。向かう場所が本当に城だとしたら門番に冷たく追い払われるだろう。先日公園で遊んだ時のことを思って動きやすい格好を選んだのだが、今日には適さなかったようだ。

「じゃ、服を選んでもらってもいいかな?」
「いいよ!」

 言うなり駆けだした朝陽ちゃんは一目散に事務所の奥にある僕の自室に向かっていった。勝手知ったる他人の家、だな。
 手を離されて所在なく佇む満月ちゃんは動かない。けれど視線はパーテーションを突き破るような強さでじっと奥を見据えている。僕はそんな彼女の頭に手を置いて見上げられた瞳に笑いかけた。

「満月ちゃん、僕は何色が似合うと思う?」
「……きみどり」
「お、黄緑か。黄緑の服あったかなぁ。一緒に探してくれる?」
「……うん」

 コツコツとサンダルの踵が床を打つ音が遠ざかっていく。そうして家主だけが入口の前に取り残されてしまうのだった。


 
 僕は“探し物探偵”神咲歩かんざきあゆむ。依頼人が無くしてしまった持ち物や居なくなってしまったペット等を探す、という仕事をしている。もうすぐ七年目を迎えるこの探し物探偵業、知名度は着実に上がってきている。お得意様の熱心な働きかけもあって未だに依頼の電話が鳴らない日はない。冬の間はほとんどが僕を何でも屋と勘違いした人からの電話で正式な依頼は月に五件程度だったが、それも近頃では電話の半分はきちんとした探し物の依頼だ。実際に依頼主の元に行けば大した実りにはならないものが多いけれど、真摯な態度で向き合っていれば信頼は確実についてくるものだ。今後のための土台作りだと思って今はどんなに小さな仕事でも喜んで受けることにしている。
 しかしたったひとりで切り盛りする探し物探偵事務所だ、仕事もお金も勿論欲しいがたまには休みだって欲しい。正確に言えば何も考えないで済む時間。仕事の時とは違う、ただ単純に楽しめる時間が僕には必要だった。

 ずっと離れていたのに、二度と会わないと飛び出したのに。あっさりとまた出会って、ざらついた声を聞いて。求められるままに傷付けて、挑発に乗って言葉を浴びせて。
 こうしてまた誰にも干渉されないひとりきりに戻った今、つくづく僕は幼かったあの頃と何も変わってやしないことに気が付く。そのことに気が付いてしまったら、何もしていない時間が怖くなった。依頼人の来訪を待つ数十分、その日最後の依頼を終えた後の帰り道、自室のベッドに横になる頃。何もかもの手を止めてぼうっとする瞬間に、言いようのない焦りや自責の念に襲われる。ここにこうしている理由を思い出せよと、腹の底から聞こえる唸り声に目的を放り投げてしまいそうになる。そうしてしまえば最後、僕はもっと酷い感情に囚われて抜け殻のようになってしまだろうことも容易に想像できるけれど。

 そんな沸き立つ胸の内を沈めるために時間が欲しかった。仕事をしていれば考えなくて済むけれど、そうやって誤魔化すのには限界がある。移り変わりが激しいからだ。だから楽しいことを。ふとした時に思わず何度も思い返してしまうような楽しいことがあれば、気を緩めた時にだって真っ先にその記憶が思い出される。時経つ内に薄れてもまた次の楽しさで上書きしていける。それは誤魔化しではなく、向き合うための精神のコントロールだ。
 そんな時に彼女達に招待を受けた。夏前に公園でそんな話をされた時には友達とまで言われて喜んでしまったが、きっとすぐに忘れてしまうだろうとも思っていた。けれど彼女達はその言葉通り、翌週には手作りの招待状を送ってくれた。日付は夏休みも中盤の八月十一日。三ヶ月以上先のことで僕が忘れてしまわないように祝日の日してくれたんだそう。ただ、八月十一日が山の日だって僕の中ではまだ定着していなかったり。
 でもカレンダーに印を付けておいたから忘れることなく今日を迎えた。誕生日会のようなお祝い事でもないのにあそこまで着飾ってくれているのは、単にホスト役だからというだけではないだろう。華やかなワンピースの生地には真新しい硬さが見えた。僕がそうであったように彼女達もこの日を楽しみにしていてくれたのだと思うと、八歳の子供相手とはいえ胸が高鳴ってしまう。
 まさか事務所を出る前に着せ替え人形にされるとは思わなかったけどな。


 結局、事務所を出たのはたっぷり一時間経ってからだった。真夏の午前十時の太陽というのはぐったりするのに十分の日差しで熱気を伝えてくる。左右で踊るように歩くふたりの色はこれでもかと光を吸収して、お姫様から妖精への昇格も近い。重ねた掌は外へ飛び出してすぐからじっとりと湿っている。
 満月ちゃん一押しの黄緑色のシャツに、王子様は白じゃなきゃと朝陽ちゃんにゴリ押しされた白いリネンパンツ、スニーカーは駄目だと取り上げられた代わりに出された皮ベルトのサンダルという出で立ちで、僕は彼女達に挟まれて歩いている。
 黄緑色のシャツがあったのは奇跡的と言っていいくらいだ。満月ちゃんが珍しく満足そうに微笑んでくれたのには隠れてガッツポーズをせざるを得なかった。王子様なのにサンダルでいいのかという疑問はあったが、ふたりが決めてくれたのだからいいことにしよう。王子様にも色んな文化があるのだろうし。

 暑いから被った方がいいと麦わらのハットを被せてきた当の本人たちは、髪が崩れるのが嫌なのか帽子を持ってすらいなかった。というより何の荷物も持って来ていなかった。服を着せ替えられている間、誰かが遅れて訪ねてくるか電話の一本でもあるかと思ったがそれもない。本当にふたりだけで来たらしかった。

「今日はふたりだけで出てくるって言ってあるんだよね?」

 心配になって聞くと同じ顔が僕を見上げて同時に頷いた。どこか犬を思わせる真ん丸の大きな瞳がしっかりと僕を捉えている。

「おばばとの約束、守ったから」
「約束?」
「……夏休みの宿題、みんな終わらせたらいいよって」
「え、じゃあ宿題全部終わったの?」
「なな月の間に終わったよ!」

 また同時に頷いた。これは。ふたりの頑張りは勿論驚くほどだし、その原因が僕だと思うと照れくさいやら気恥ずかしいやらだけど、何より"おばば"の物事の扱い方があっぱれだ。流石は皆のおばあちゃん、この子達の性格をよく分かっていらっしゃる。

「頑張ってくれたんだね?」
「あっちゃんたち、すごい?」
「うん、すごいよ」
「……ママも、いっぱいほめてくれた……」

 ‟おばば”も‟ママ”も、彼女達の祖母と母親のことではない。渾名のようなものだ。彼女達は祖父母はおろか、実の両親のことすら知らない。一歳にも満たない頃、児童養護施設・<陽だまりの庭>の玄関先に二人用のベビーカーに乗せられたまま置き去りにされていたらしい。おばばと呼ばれているのは陽だまりの庭の施設長のことで、ママはその娘さんだ。
 以前に仕事の依頼を受けて施設を訪ねたのが縁で知り合った。大きな施設ではなく、子供達と職員の方を含めても十名そこらしかいない。でもそれがむしろアットホームな雰囲気を醸し出していて仲の良い家族のようであり、皆が友達のようでもあって。彼女達が施設という場に集っている理由を忘れてしまうくらいだった。あまり良い言い方ではないけれど何もかも「普通」に見えた。

「今日のお昼はね、たえちゃん特製のサンドイッチなんだよ。天気がいいからお庭で食べようねって」
「そっか、楽しみだなぁ。皆施設おうちに居るの?」
「……たか兄、バイトお休み」
「れんちゃんは図書館に行ってるけどお昼には帰って来るって言ってたよ」
「そうなんだ。皆に会えるの楽しみだな」

 これと言った情報が出なかったことから三ヶ月前と変動なく、僕の見知った面々が居るようだ。それは会える点では嬉しいが、子供達にとってはどうなのだろう。慣れ親しんだ施設おうちと新しい家族、どこに居るのが幸せなのかはとても複雑な問題なのだろうと思う。……考えても仕方ない、この子達の幸せはこの子達自身が決めること。僕はただ友達としておうちに行けばいいだけなのだから。

 突然始まったしりとりに付き合って、から始まる言葉を考えていた時、背後から声をかけられた。

「あら、探し物屋さん?」

 そう呼びかけられて自分のことだと理解してしまうのはもうどうしようもないことだ。振り返って見つけたのは奇しくもから始まる、うちのお得意様で巨大な情報網を持つ謎のマダム、高橋さんだった。しかしここで「高橋季久代タカハシキクヨ」を挙げてもしりとりに勝ことはできないだろう。

「高橋さん、こんにちは」
「こんにちは。どうしたの、今日は可愛い子をふたりも連れて」
「実はですね」

 答えようとしたのを無視されて、高橋さんの視線はすでに二人の少女達に注がれている。ふたりもそんなことには慣れているのか、挨拶と共に「あさひです」「みつきです」と自己紹介までしている。ご満悦な様子の高橋さんがその豊満な肉体をくねらせて挨拶に応える。けれど途端に何かに気付いたように顔を上げた。そうしてから憂いの滲んだ視線を下へ落とす。

「そう、そうだったのね……私ったらてっきり、そういうことには無縁の子なんだろうと思っていたから少し戸惑っているわ……」
「はい?」
「でもそうよね、こういう不安定な仕事をしていると女は不安になるもの。まして双子の子が居るとなると経済的に苦労するだろうし」
「あの、高橋さん?」
「やっぱりここはわたしが頑張って安定的に依頼が入るようにしてあげないとっ!」
「何か勘違いを……」
「大丈夫よ、任せなさい! 絶対また家族四人で一緒に暮らせるように助けてあげるから。そうと決まればのんびりしている場合じゃないわ、県知事に会いに行かなくちゃ!」
「け、県知事!?」

 どたどたとアスファルトを踏みつけるような足音と共に、劇的に遅い足取りで高橋さんが去っていく。あまりに大きな勘違いをしたまま。訂正する間も与えてもらえず、しかし最後に向けられた瞳は確実に僕のために決意を固めた熱い眼差しを湛えていた。勝手に間違っているとはいえ黙ったままだと嘘をついているようで心苦しいが、ほとぼりが冷めてから改めて話すことにしよう。それまでよろしくお願いします。
 それにしても県知事とも知り合いの高橋さん、やはり只者じゃないぞ。

 立ち尽くしていた僕の両手がくいっと引かれる。見ると不安そうに首を傾げたふたりがこちらを見上げていた。お仕事に行くの? そんな声が聞こえる気がした。こうした時の表情は少しだけ違って見える。目尻の形のせいだろうか。
 たった数分の間にも日差しは鋭く肌を刺す。施設まではもう暫く歩かなくてはならない。汗ばんで額に貼り付いた短い前髪を見ながら、意気揚々と声を上げた。

「よし、おうちまでダッシュだ!」
「オー!」
「……おー」




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