ロシアンルーレットで異世界へ行ったら頭脳派の魔法使いになっていた件【三部作】

日比野庵

14-111.では本題に移りましょうか

  
 ――ウオバル。夜。

 蓮の形をした月が山から登り、闇夜を照らし始めた。

 遠くに聳える黒々とした稜線の上に蓮月が顔を覗かせるその光景は、まるで泥中に開花した蓮の華のようだ。十重二十重に重なった花弁が太陽光を乱反射して、街を虹色に染める。

 二人の男と一人の女がまだ人通りが残る紫の路ブレウ・ウィアを歩いていた。三人はこの路通りに店を構えるシャローム商会に向かっていた。

 先導する一人はウオバルの青年商人、シャローム・マーロウ。シャローム商会の店主だが、彼のことを豪商と呼ぶものもいる。ここ数年急速に力をつけてきた目下売り出し中の商人だ。

 シャロームの直ぐ横を歩く若い女はエルテ、冒険者達の代理人マネージャーを生業としている。彼女はギルドに出入りしては自分の意に適う人物を探していたが、彼女にはもう一つの顔があった。彼女はウオバル最強と目された冒険者パーティスティール・メイデンを一蹴した風の魔法使い、黒衣の不可触ブラックアンタッチャブルでもある。

 その二人の後に続く男の名はカカミ・ヒロ。冒険者だ。日本からこの異世界に転移した彼は、リムとソラリスの二人を仲間とし、冒険者としてこの街で暮らしている。

 冒険者になったばかりのヒロは、シャロームの依頼で配達のクエストを請負い、その帰りに黒衣の不可触ブラック・アンタッチャブルの襲撃を受けた。なんとか黒衣の不可触ブラック・アンタッチャブルを退けたヒロだったが、その正体がエルテだと知り衝撃を受ける。そこに姿を見せたシャローム。シャロームは混乱するヒロに事情を説明するとだけ告げ、自分の商会へと案内しているのだ。

 ヒロは事の次第をシャロームに問い質したい気持ちを抑え、彼の後をついていく。

 やがてヒロの前に見慣れた建物が現れた。

「お帰りなさいませ。旦那様」

 シャロームの到着がどうして分かったのだろうか。ドンピシャのタイミングで商会の扉が開き、女性店員が出迎える。今日は早めに店仕舞いしたのか、客は一人も居なかった。

「パール、何か変わった事はありませんでしたか?」

 シャロームがニコリとして尋ねる。

「いえ、特に何も御座いません」
「そうですか。申し伝えた通り、客人ヒロをお連れしました。上の部屋に通します。お茶を淹れてください。あと、例のものを……」
「はい。畏まりました」

 女性店員パールがシャロームとヒロ達に目礼した後、落ち着いた足取りで事務スペースの奥へ姿を消した。

「では。ヒロ、エルテ。二階へどうぞ」

 ヒロとエルテはシャロームの案内で二階の応接室に向かった。


◇◇◇

 ――シャローム商会の応接室。

  ついこの間入った部屋だ。大して広くもないが、中央に黒檀のような材質のテーブルが置かれ、それを取り囲むように革張りのソファが置かれた落ち着いた雰囲気の造りだ。

  シャロームは二人に座るよう勧め、ヒロはシャロームの対面に腰を下ろした。エルテはシャロームに断ってそのまま奥の部屋に入った。

 ヒロとシャロームが向かい合わせのソファに腰かけた後、しばらくしてエルテが戻ってきた。エルテは黒ローブを脱いでいた。薄紫のコットの上に袖なしの紺色のシュルコを重ねたシンプルな服装。この世界では室内でよく見る格好だ。エルテは軽く会釈してから、シャロームとヒロが一度に視界に入る位置に置かれた一人掛けのソファに座った。

 ――コンコン。

 扉をノックしてから、先ほどのパールと呼ばれた女性店員が取っ手に金の装飾が施された四角い盆を持って入ってきた。テーブルに置かれた盆には、ソーサーに伏せられた白磁のカップが三つと同じく白磁のポット、そして白地に銀の刺繍が入った小さな巾着袋があった。

 パールは、慣れた手つきでカップをソーサーにセットして、三人の前に置くと、ポットから茶を注いだ。乾いた葉の香りが、部屋に薄く漂う柑橘の香りと混ざる。ヒロは一瞬、自分が果樹園かどこかにいるような錯覚にとらわれた。

「旦那様。こちらです」

 パールは、最後に盆に残った巾着袋をシャロームに渡すと、ヒロとエルテに軽く会釈して盆を下げ退室した。

「ヒロ、エルテ、商会内は禁酒にしていましてね。お茶で申し訳ありませんが、御一服下さい」

 シャロームの勧めに従って、ヒロは取っ手のついたカップに口を付ける。また甘い茶なのだろうと警戒して、ほんの少しだけ口に含んだのだが、全然甘くない。味は緑茶によく似ていて、渋みもあるが香りはもっと強い。馥郁とした香りが鼻を抜けていく感覚に身を任せる。肩から緊張が抜けていくのが分かる。ヒロは思わずカップを覗き込んでしまった。

「気づきましたか。ヒロ。これは緑の泉リディ・ファーと言いましてね。東のガラムリア産の高級茶葉です。最近、王国にも流通し始めたところでしてね。甘味を入れると香りが損なわれるということで、産地では何も入れずにそのまま嗜んでいるそうです。そのお陰でウオバルここでも貴族の間では、何も入れずに茶を飲むのが流行り始めているんですよ。私としては蜂蜜とセットで売れないのは残念ですがね……」

 シャロームは肩を竦めておどけてみせた。

「成程ね。俺の国でも茶には何も入れないんだ。こっちの方が嬉しいね」

 いきなり襲撃された疑問も彼らへの不信感も解けた訳ではないが、時間をおいた分、ヒロも冷静になっていた。二人の様子を観察する余裕がある。シャロームは何事もなかったように平然としている。

 こちらの忍耐力でも試しているのだろうか。それとも駆け引きの一種か。エルテも何も言わない。

 ――駆け引きはしてもいいが、人を信じなくなるのは駄目だ。そんな奴はいつかしっぺ返しを喰らうんだ。

 元の世界で世話になった町工場の社長おやっさんの言葉を思い出す。シャロームのようなやり手の商人が、理由わけもなく顧客の不信感を買うような真似を侵す筈がない。

「それは良かった。そうそう、先にこれを……」

 シャロームは先程、パールから渡された巾着袋をヒロに手渡した。ヒロの手の平に乗せられた袋がチャリと音を立てた。

「こちらから依頼させていただいた、配達クエストの報酬です。確認してください」

 ヒロが巾着袋の口を開けて中を覗き込む。銀貨が三枚。この間承認クエストをしたときに得た報酬の四倍近い額だ。相場を遙かに凌駕している。

「シャローム。これは?」

 思わず驚きの表情を見せたヒロだったが、シャロームは小さく腕を上げ、手の平でヒロを制した。

「いえ。いいんですよ。それは、貴方の要望に答えられなかった分と先程の非礼のお詫び分も入っていますから。正当な報酬です」
「?」
「ヒロ、貴方は今回のクエストの報酬として、大学に入る為の身元引受人を要求されました。生憎、昨日の今日では御紹介できる人を見つける事が出来ませんでしてね。申し訳ない。それが銀貨一枚。先程のお詫び分がもう一枚。最後の一枚は配達クエストの報酬分です。少しだけ成功報酬を足させていただきましたけれどもね」

 シャロームはニコリとした。一応、彼なりの理屈があっての報酬額のようだ。

「そうか。気持ちは分かったが、それおわびを受け取るかは、説明を聞かせて貰ってからだ」

 ヒロは袋から銀貨を一枚だけ取り出すと、残り二枚が入った巾着袋をテーブルの真ん中に置いた。クエストの報酬は受け取るがそれ以上は受け取らないという意思表示だ。

 果たして、銀貨一枚が謝罪の額として相応そうおうなのかどうか分からない。無論、シャロームとて、これで先程エルテが襲ってきた事を一切合財チャラにする積もりはないだろう。だがそれでも、受け取ってしまえば、形の上では謝罪を受け入れた事になってしまう。それは説明を聞いてからでも遅くない。

「ふふっ。当然ですね」

 シャロームはまだ被っていた自分の赤いベレー帽に手をやった。

◇◇◇

「では、本題に移りましょうか」

 シャロームはエルテに目配せしてから続ける。

「此処にいるエルテは御存知ですね。冒険者の代理人マネージャーをしています。もうお察しの事と思いますが、私はアラニスの出でしてね。エルテとは幼馴染みなのですよ」
「アラニス?」
「貴方と初めて会った酒場の村ですよ」

 ヒロの脳裏に、その時の光景が蘇った。シャロームを相手にリムの持っていた古金貨を、この国で流通している金貨と交換する交渉を行った酒場だ。シャロームが酒場のマスターアルバと古くからの知り合いのような口振りだったのも、アルバもシャロームの事を良く知っていたのも、そういうことか。ヒロは軽く頷いて見せた。

彼女エルテはこう見えても、高位の神官でも……」
「違うわ、シャル。私は神官ではなくてよ」

 エルテが首を振った。

「いいえ、エルテ。たとえ正式に任命されていなくても貴方は神官の能力も資格も十分に持っています。なにせ大司教グラスの秘蔵っ子なのですから」

 ――神官。

 そういえば、ロンボクが黒衣の不可触ブラックアンタッチャブルは高位の神官だという噂があるといっていた。神官は防御魔法を得意として、数が少なく貴重な存在だとも。

 ロンボクは黒衣の不可触ブラックアンタッチャブルの正体は高位神官ハイプリーストではないかと言っていたが、やはりそういうことだったのか。

 だが、そんな彼女エルテが、何故黒衣の不可触ブラックアンタッチャブルだったのだ。それに正規の神官ではないとはどういうことなのか。ヒロの疑念は深まるばかりだ。

「ここからは私が話させていただきますわ」

 エルテが指先を揃えた綺麗な左手を伸ばしてシャロームに同意を求める。香水でも付けているのか、手の動きに合わせて、ほんのりと柑橘系の香りが漂った。シャロームが僅かに微笑んでから、どうぞと答えたのを見届けるとエルテはそのブルーの瞳をヒロに向けた。

「ヒロ様。先程の無礼、改めて謝罪いたします。申し訳ありません」

 エルテが再び深々とヒロに頭を下げる。

「私の名は、エルテ・ラクシス・クライファート。アラニス村で育ちました。先程、シャロームが私のことを神官と言いましたけれども、神官ではありませんわ。亡き父、クライファートから一通りの神官の教育を受けましたけれど、それだけ。正式な任命を受けているわけではありませんわ」

 エルテが静かに告げる。

「神官なのかそうでないのかよく分からないが、それは兎も角、何故、俺を襲うような真似をしたんだ? 俺はリーファ神の信徒ではないが、神の罰を受けるような真似をした覚えもない。それとも、誰かの差し金か?」

 ヒロは一瞬、シャロームに視線を投げてから、エルテに注意を戻した。ヒロは、名指しこそしなかったが、シャロームが裏で糸を引いているのではないかと考えていた。でなければ、エルテと戦闘を繰り広げたあの場に、タイミング良く現れる筈がない。そもそもシャロームは馬車まで用意していたのだ。偶然であるとはとても思えなかった。

「誰の指図でもありませんわ。シャロームには私が協力をお願いしたのです。どうかシャロームを責めないでください」

 エルテはヒロに懇願した。

「……分かった。で、俺を狙った理由は?」
「フォーの迷宮に行く資格を持った冒険者を探すためです」
「言っていることが、よく分からないが」
「レーベの秘宝というのを聞いたことはございますか?」
「いや。俺は遠い異国から来た身でね。こちらのことはよく知らないんだ」
「そうですか」

 エルテは一度目を伏せてから、顔を上げた。

「少し長くなりますが、よろしいですか」

 ヒロが頷くのを確認すると、薄く紅を差した唇から、エルテは自らの過去を語り始めた。
  

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