ロシアンルーレットで異世界へ行ったら頭脳派の魔法使いになっていた件【三部作】
5-034.リムの懇願
――翌朝。
ソラリスに起こされたヒロとリムは、ソラリスの案内で冒険者ギルドに向かった。紫の路の中程にそれはあった。高さこそ隣接する建物と同じ四階建の建物だが、横幅が非常にあり、周りの建物の四つ分はある。その玄関は広く、開け放たれていた。玄関の脇に看板がぶら下がっている。看板は木製だったが、切り出したばかりであるかのように白く、杉板のような香りがする。剣を突き立てたハートの横に、口の開いた皮袋と金貨の図柄が鮮やかな色で着色されている。染料を使っているのか、その色は鮮やかで艶がある。月日が経っても簡単には色褪せないように見えた。建物の大きさといい、手間の掛けた看板といい、羽振りは良さそうだ。ヒロとリムとソラリスの三人は、玄関をくぐり、中に入った。
ギルドの広いフロアは賑わっていた。木製の長テーブルがいくつも並べられ、大勢の人が座って話し込んでいる。彼らの中には、皮の鎧に身を固め、剣を腰に携えた者、フードで頭を覆っている者。厚手のマントに身を包んだ者、如何にも冒険者だと思わせる風体だ。
フロアの奥には、カウンターでL時型に仕切られたエリアがあり、ギルドの事務員らしき人が、忙しく立ち働いていた。
「ヒロ、あそこが受付だ」
ソラリスがそのL字を指さす。カウンターの隅に一人の女性が座っている。
「あたいが話をつけてくるからよ。ちょっとその辺にでも座って待ってな」
ソラリスはそう言い残すと、すたすたと受付に行く。ヒロとリムは顔を見合わせて、じゃあ、と座って待つことにしたのだが、三人で座れるテーブルが見つからない。
「相席でもいいかな」
長テーブルの一隅だけ空いているのを見つけたヒロがリムに問いかける。リムは全然気にしませんと答えた。
「此処の席、空いてますか?」
ヒロは相席となる相手に訊ねた。向かいの席に座っていた老人はじっとしたまま何の反応もしない。
特に制止される様子もないので、ヒロとリムに目配せして、そのまま席についたのだが、ヒロは座る前に老人に軽く会釈をしておいた。会釈という仕草がこの世界で通じるのかどうかは分からないが、日本人としての習性だ。簡単に直るものではない。それに会釈は昨日の酒場の給仕もやっていた。多分、変には思われないだろう。
老人は先の尖った円錐型の黒帽子に黒マントという如何にも魔法使いという恰好をしていた。マントを胸の前で止める紐はボロボロで今にも切れそうだが、マントの生地には艶があり、上物に見えた。
そのマントの両肩から胸の前辺りまでルーン文字を丸くしたような文様が金色で刺繍されている。この世界では魔法使いはこういう服を着るのだろうか。ヒロはエマの賭場で、元魔法使いと言われたマスターの姿を思い浮かべた。だが、記憶にある彼の姿は白のカッターシャツにサスペンダーで吊された黒ズボンだった。もちろん帽子など被っていなかった。あまり魔法使いというイメージで全てを説明しようとするのも考えものだ。
「あの……、良いお天気ですね」
ヒロは、目の前の老人に話しかけた。自分の先入観を振り払う意味も込めた積もりだったのが、発した言葉は、随分と間の抜けたものだった。リムは横できょとんとしている。陽気なアメリカ人だったらもっと気の利いたジョークでも飛ばしているところだ。だが、ヒロは日本人だ。別にシャイだとは言わないが、弾けた性格という訳でもない。
老人はヒロの声掛けにも無反応だ。半眼のまま身じろぎもしない。完全に無視されているようだ。ヒロは、二言三言掛けたあと、それ以上老人に話しかけることを止めた。
何となく手持ち無沙汰になったヒロはフロアを見回した。長テーブルは、殆ど冒険者と思しき者達で埋まっていた。賑やかなものだ。冒険者は稼げるとソラリスは言っていたが、稼ぎが良い所に人が集まるのはどの世界でも同じだ。
しかし、冒険者に向いていると太鼓判を押したソラリスの言葉にヒロは半信半疑だった。一体どの辺りが冒険者向きだというのだろうか。剣もナイフも使えない。無論、包丁くらい握ったことはあるが、たまの料理の時だけだ。使ったうちには入らない。ましてや魔法となると尚更だ。黒曜犬に襲われたとき咄嗟に魔法を使ったようだが、自分には全く記憶がない。
と、フロアの奥にある長テーブルに紫色のローブを纏った人が立っているのがヒロの目に止まった。長テーブルに座っている冒険者達と何か話している。
その人物は頭まですっぽりとフードを被っていて、顔は見えなかった。片手に水晶玉のような丸いものを持っている。しばらくして、紫ローブはテーブルを離れると隣のテーブルに近づき、またそのテーブルの冒険者達に話しかける。遠すぎてその内容は聞こえなかったが、手にした水晶と思しき玉を触らせているのが見えた。
占い師の類か何かなのだろうか。やがてそのテーブルの甲冑を着込んだ男が、指先で追い払うかのように振ると、ローブを着た人物は軽く膝を折って挨拶をしてテーブルを離れた。そして、また次のテーブルで同じことを始める。
この様子だと、このテーブルにも来るかもしれない。ヒロは顔を上げて、ソラリスの姿を探した。ソラリスは受付嬢と何やら話し込んでいた。時々笑い顔を見せている。こちらに戻ってくるまで、まだまだ掛かりそうだ。
「ヒロ様。ヒロ様は冒険者になられるのですか?」
突然リムが話しかけてきた。彼女の金色の瞳がどことなく憂いを帯びているように見える。いつもはあんなに陽気なのに。もしかしたら、ヒロが冒険者になったらモンスター狩りに一緒に連れていかれると不安に思っているのかもしれない。
「あぁ、でも登録だけだよ。別にモンスター狩りに出かけたりする訳じゃない」
ヒロは安心させる積もりでそう言ったのだが、リムはそう受け取らなかった。
「でも、冒険者になってしまったら、歯止めが利かなくなっちゃいます。最初はその積もりでなくても、気づいたら奥まで足を踏み入れて戻れなくなってしまうことだって……。私はそういう人をいっぱい見てきました」
リムは真剣な顔でヒロに訴えた。突然の反論にヒロは何と答えればよいのか分からなかった。形は子供のように見えても精霊だ。実年齢も同じとは限らない。何千年前の古金貨を持っていることといい、彼女を人間の基準で推し量るのは間違いなのかもしれない。ヒロは言葉に詰まった。
「わたしはヒロ様に魔法なんて使って欲しくありません!」
リムはそう言ったきり俯いて黙り込んだ。彼女の体が少し震えている。それがリムの精一杯の言葉なのだということが、ヒロにも痛いほど分かった。ヒロはリムの頭に優しく手を乗せた。
「悪かった。リム。でも心配いらない。俺は魔法使いじゃない。魔法の使い方も知らない。冒険者登録するのは、身分証明の代わりさ。この街で仕事を見つけるためにも冒険者登録しておいた方がいいんだよ。それだけさ」
リムは俯いたまましばらく動かなかったが、やがて小さくコクリと頷いた。
冒険者になれと勧めるソラリスと、冒険者になって欲しくないと懇願するリム。ヒロは急いで結論を出すのはよそうと決めた。
やがてヒロのテーブルに影が落ちた。やっとソラリスが戻ってきたかと顔を上げたヒロの目の前に立っていたのは、ソラリスではなく、例のローブの人物だった。
ソラリスに起こされたヒロとリムは、ソラリスの案内で冒険者ギルドに向かった。紫の路の中程にそれはあった。高さこそ隣接する建物と同じ四階建の建物だが、横幅が非常にあり、周りの建物の四つ分はある。その玄関は広く、開け放たれていた。玄関の脇に看板がぶら下がっている。看板は木製だったが、切り出したばかりであるかのように白く、杉板のような香りがする。剣を突き立てたハートの横に、口の開いた皮袋と金貨の図柄が鮮やかな色で着色されている。染料を使っているのか、その色は鮮やかで艶がある。月日が経っても簡単には色褪せないように見えた。建物の大きさといい、手間の掛けた看板といい、羽振りは良さそうだ。ヒロとリムとソラリスの三人は、玄関をくぐり、中に入った。
ギルドの広いフロアは賑わっていた。木製の長テーブルがいくつも並べられ、大勢の人が座って話し込んでいる。彼らの中には、皮の鎧に身を固め、剣を腰に携えた者、フードで頭を覆っている者。厚手のマントに身を包んだ者、如何にも冒険者だと思わせる風体だ。
フロアの奥には、カウンターでL時型に仕切られたエリアがあり、ギルドの事務員らしき人が、忙しく立ち働いていた。
「ヒロ、あそこが受付だ」
ソラリスがそのL字を指さす。カウンターの隅に一人の女性が座っている。
「あたいが話をつけてくるからよ。ちょっとその辺にでも座って待ってな」
ソラリスはそう言い残すと、すたすたと受付に行く。ヒロとリムは顔を見合わせて、じゃあ、と座って待つことにしたのだが、三人で座れるテーブルが見つからない。
「相席でもいいかな」
長テーブルの一隅だけ空いているのを見つけたヒロがリムに問いかける。リムは全然気にしませんと答えた。
「此処の席、空いてますか?」
ヒロは相席となる相手に訊ねた。向かいの席に座っていた老人はじっとしたまま何の反応もしない。
特に制止される様子もないので、ヒロとリムに目配せして、そのまま席についたのだが、ヒロは座る前に老人に軽く会釈をしておいた。会釈という仕草がこの世界で通じるのかどうかは分からないが、日本人としての習性だ。簡単に直るものではない。それに会釈は昨日の酒場の給仕もやっていた。多分、変には思われないだろう。
老人は先の尖った円錐型の黒帽子に黒マントという如何にも魔法使いという恰好をしていた。マントを胸の前で止める紐はボロボロで今にも切れそうだが、マントの生地には艶があり、上物に見えた。
そのマントの両肩から胸の前辺りまでルーン文字を丸くしたような文様が金色で刺繍されている。この世界では魔法使いはこういう服を着るのだろうか。ヒロはエマの賭場で、元魔法使いと言われたマスターの姿を思い浮かべた。だが、記憶にある彼の姿は白のカッターシャツにサスペンダーで吊された黒ズボンだった。もちろん帽子など被っていなかった。あまり魔法使いというイメージで全てを説明しようとするのも考えものだ。
「あの……、良いお天気ですね」
ヒロは、目の前の老人に話しかけた。自分の先入観を振り払う意味も込めた積もりだったのが、発した言葉は、随分と間の抜けたものだった。リムは横できょとんとしている。陽気なアメリカ人だったらもっと気の利いたジョークでも飛ばしているところだ。だが、ヒロは日本人だ。別にシャイだとは言わないが、弾けた性格という訳でもない。
老人はヒロの声掛けにも無反応だ。半眼のまま身じろぎもしない。完全に無視されているようだ。ヒロは、二言三言掛けたあと、それ以上老人に話しかけることを止めた。
何となく手持ち無沙汰になったヒロはフロアを見回した。長テーブルは、殆ど冒険者と思しき者達で埋まっていた。賑やかなものだ。冒険者は稼げるとソラリスは言っていたが、稼ぎが良い所に人が集まるのはどの世界でも同じだ。
しかし、冒険者に向いていると太鼓判を押したソラリスの言葉にヒロは半信半疑だった。一体どの辺りが冒険者向きだというのだろうか。剣もナイフも使えない。無論、包丁くらい握ったことはあるが、たまの料理の時だけだ。使ったうちには入らない。ましてや魔法となると尚更だ。黒曜犬に襲われたとき咄嗟に魔法を使ったようだが、自分には全く記憶がない。
と、フロアの奥にある長テーブルに紫色のローブを纏った人が立っているのがヒロの目に止まった。長テーブルに座っている冒険者達と何か話している。
その人物は頭まですっぽりとフードを被っていて、顔は見えなかった。片手に水晶玉のような丸いものを持っている。しばらくして、紫ローブはテーブルを離れると隣のテーブルに近づき、またそのテーブルの冒険者達に話しかける。遠すぎてその内容は聞こえなかったが、手にした水晶と思しき玉を触らせているのが見えた。
占い師の類か何かなのだろうか。やがてそのテーブルの甲冑を着込んだ男が、指先で追い払うかのように振ると、ローブを着た人物は軽く膝を折って挨拶をしてテーブルを離れた。そして、また次のテーブルで同じことを始める。
この様子だと、このテーブルにも来るかもしれない。ヒロは顔を上げて、ソラリスの姿を探した。ソラリスは受付嬢と何やら話し込んでいた。時々笑い顔を見せている。こちらに戻ってくるまで、まだまだ掛かりそうだ。
「ヒロ様。ヒロ様は冒険者になられるのですか?」
突然リムが話しかけてきた。彼女の金色の瞳がどことなく憂いを帯びているように見える。いつもはあんなに陽気なのに。もしかしたら、ヒロが冒険者になったらモンスター狩りに一緒に連れていかれると不安に思っているのかもしれない。
「あぁ、でも登録だけだよ。別にモンスター狩りに出かけたりする訳じゃない」
ヒロは安心させる積もりでそう言ったのだが、リムはそう受け取らなかった。
「でも、冒険者になってしまったら、歯止めが利かなくなっちゃいます。最初はその積もりでなくても、気づいたら奥まで足を踏み入れて戻れなくなってしまうことだって……。私はそういう人をいっぱい見てきました」
リムは真剣な顔でヒロに訴えた。突然の反論にヒロは何と答えればよいのか分からなかった。形は子供のように見えても精霊だ。実年齢も同じとは限らない。何千年前の古金貨を持っていることといい、彼女を人間の基準で推し量るのは間違いなのかもしれない。ヒロは言葉に詰まった。
「わたしはヒロ様に魔法なんて使って欲しくありません!」
リムはそう言ったきり俯いて黙り込んだ。彼女の体が少し震えている。それがリムの精一杯の言葉なのだということが、ヒロにも痛いほど分かった。ヒロはリムの頭に優しく手を乗せた。
「悪かった。リム。でも心配いらない。俺は魔法使いじゃない。魔法の使い方も知らない。冒険者登録するのは、身分証明の代わりさ。この街で仕事を見つけるためにも冒険者登録しておいた方がいいんだよ。それだけさ」
リムは俯いたまましばらく動かなかったが、やがて小さくコクリと頷いた。
冒険者になれと勧めるソラリスと、冒険者になって欲しくないと懇願するリム。ヒロは急いで結論を出すのはよそうと決めた。
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