絶望世界の最強機≪インフィニティ≫ ~三十五歳、異世界に立つ。~

巫夏希

第三百四十九話 世界線

 マーズは何もしなかったわけではない。
 衝撃があり、天井が崩落した。その瞬間、彼女はブレイカーコントローラを使ってブレイカーの頭上にある天井を支えることに成功した。
 しかしながら。

「信楽……瑛仁」

 管制室は上から潰されてしまっていた。
 死体など確認することは出来ないが、おそらく潰れてしまっているのだろう。今の時点でそれを確認する術は無い。
 人間は脆く、弱い。
 それを目の当たりにした彼女は――それを静かに受け止めることしかしなかった。
 別に見たことが無い景色だったわけでもない。寧ろ、彼女にとってこの光景は懐かしいことすら思える。
長い間戦場に居た彼女は、かつて『女神』と謳われた。
 しかし、その渾名は敵から呼ばれているものではないということは、明白である。
 では、敵からは何と呼ばれていたのか?


 ――死神。


 マーズ・リッペンバーが戦地に赴けば、敵は必ず殲滅される。彼女の高い戦闘能力が生んだ結果であり、敵である彼らがそのようになってしまうのは当然なことなのかもしれないが、結果として、ヴァリエイブル以外の国家に所属する兵士からは、彼女を恐れてそう呼ぶようになった。
 それは女神という渾名に対極して名づけられたのかもしれない。
 女神であり死神である彼女を、敵はもちろん味方も恐怖していたのは事実だろう。実際問題、彼女を畏怖することで戦線を離脱する起動従士も少なくなかった。
 そんな彼女の内情もまた――ひどく脆かった。もしかしたら普通の人間以上にその意志は脆かったのかもしれない。
 けれど彼女は彼女として生きた。誰よりも強くあろうと願い、訓練を積んだ。
 でも、彼女の強さが上がっていくにつれて、彼女から人は離れていった。
 いや、正確に言えばそれは間違いである。――『彼女を真の友人と思う人が居なくなった』と言えばいいだろうか。実際、彼女と関係を持っているのは、大半が彼女に嫌われたくないという意志から築かれたものである。無論、彼女もそれに気付いていたが、何も言わなかった。何も言い出せなかった。何も言えなかった。

「救えなかった」

 救えなかった。
 目の前に居た、たったひとりの人間ですら。
 目の前に居た、この世界で彼女の道筋を教えてくれるだろう人間を。
 救えなかった。
 力はあった。
 けれど、救えなかった。
 なぜ?
 どうして?
 どうして救えなかった?
 どうして助けられなかった?
 なぜ? なぜ? なぜ?


 ――答えは、見つからなかった。


 見つけられなかった。
 彼女は泣かなかった。
 泣くことなど、しなかった。
 それよりも、死んだ人間を弔うため――戦わなくてはならない。彼女はそう決断しなくてはならなかった。
 決断する猶予など、無かった。
 刹那、彼女を乗せたブレイカーは空に向かい、浮かび上がった。


 ◇◇◇


 地上にあった建物は、ブレイカーの格納庫を中心としてなぎ倒されていた。とはいえ、その建物の殆どがコンクリート製であり、衝撃に耐えきれず、ほぼ崩壊していた。

「……これ程の衝撃……いったい何が生み出したというの? 隕石? それとも――」

 彼女は頭上を見上げる。
 そこにあったのは――黒い球体だった。

『見いつけちゃった、見つけちゃった! まさかこんな簡単に見つかるとは思いもしなかったよ! それはそれはすごいことだねえ、まさか「帽子屋」があんなことを仕出かすとは思いもしなかった!』
『こらあ! 「帽子屋」と言うと、僕と被っちゃうでしょ?』

 そう言ってピンク色の球体がどこからともなく現れた。
 何を見ているのか、今の彼女には理解できなかった。
 何が起きているのか――目の前に居るのは、帽子屋を知っているように見えた――つまり、『シリーズ』の仲間だというのだろうか?

『ああ、やっぱり勘違いしているよ。この「少女」』
『しょうじょというのはちがうのではないか?』

 さらに出てきたのは青色の球体。
 なぜか言葉の全部が幼い印象を持つような、舌足らずな感じだったがそんなことは関係ない。
 今、起きている現状を彼女は脳内で理解することで精一杯だった。

『仕方ないのう、こういうことになるから現状説明は面倒だが……。まあ、現時点で我々に楯突くのはこいつだけだ。しかしながら、我々にとって、そして「この世界にとって」重要な戦力であることも事実。ここは真実を伝えてしまったほうがいいとおもうが、どうだ? 「帽子屋」「バンダースナッチ」』

 聞いたことのあるワードを含めた言葉を、黒い球体は告げる。
 その言葉にピンクと青の球体は何の反応も示さなかった。

『それでは、満場一致で君に説明をすることとしよう。マーズ・リッペンバー、一応言っておくが、話は長くなるだろう。その話を君が理解できるかどうか、今は問わない。だが、いつかは理解せねばならない。そして、あの世界の「帽子屋」に紐づけられた運命を自ら打破できるか否か……それは君の行動力にかかっている』

 そして。
 黒き球体は話を始める。

『どこから話せばいいか……そうだねえ、先ずはこの世界について話すこととしようか』
「それだ」

 マーズ・リッペンバーは早速口をはさんだ。

「この世界、あの世界とあえて区別しているように見えるけれど……それってどういうこと? まるでこの世界以外にも世界があるような……」
『まさに、君の言った通りだよ』

 黒い球体は告げる。
 彼女に、真っ直ぐとした真実を。

『君の住んでいた世界線、我々の居る世界線、そして……「もともとこの戦争に参加していなかった」タカト・オーノの世界線……凡てがバラバラの世界線として一本の線が宇宙空間……いや違うな、位相空間と言えばいいか、位相空間に散らばっている。その線の終端がどこになるかは線によって様々だし、始点も然り。一つだけ言えることは、無限にもとれる選択でその世界線を乗り換えることも出来れば、強制的に世界線を変更することも出来るということだ』
「世界線……? 位相空間……?」

 解らない単語だらけで、頭がパンクしそうだった。
 でも、彼女は聞かねばならなかった。

「位相空間だとか世界線だとか、そんなことはどうだっていい。問題はそこから、一言単純なこと。この世界は私が住んでいた……ヴァリエイブルやティパモール、リリーファーが居ない世界ということ。それがどうしてなのか、それについて問いたいだけよ」
『立場を弁えたまえ、マーズ・リッペンバー』

 言ったのはピンクの球体だった。

『さっきから勘違いしているようだから、ハンプティ・ダンプティに変わって言うけれど、君には口答えする権利なんて全くないのだよ? それどころか、君は僕らに従ったほうがいいことだらけ。それはきっとハンプティ・ダンプティが言ってくれるだろうけれど……、まあ、別にそんなことはどうでもいい。問題は君が理解しようとするかどうか、だけ。君が戦ってくれるのなら、僕たちはそれについて疑問を提示されようとも、無視するだけだよ。君は戦わないと、生きることを許されない。また別の何者かを探すだけだ。破壊者の適格者をね』
『おい、帽子屋。今は私が話しているのだ。私の話を遮るようなことはしないでくれたまえよ』
『ああ、済まないね。ハンプティ・ダンプティ。いいよ、続けて』

 帽子屋はすぐに話すのをやめて、ハンプティ・ダンプティに会話を譲る。

『……さて、それでは世界線について簡単に説明しなおすとするか。簡単に説明、と言っても我々は人間の知能レベルについてあまり理解しきれていない。そこまでうまく噛み砕くことが出来るかどうか……。そうだね、たとえば君がブレイカーに乗れなかったとしよう。そうして生まれる世界線は「マーズ・リッペンバーがブレイカーに乗れなかった世界線」だ。そして、マーズ・リッペンバーはその世界線を進むことになる。そこから強制的に、君が行動しても、世界線を移動することは難しい。具体的に言えば、君が望む世界線に動くことが難しいということであって、別の世界線に移動することは割と容易なことではあるがね』

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