絶望世界の最強機≪インフィニティ≫ ~三十五歳、異世界に立つ。~
第二百八十話 胎動Ⅲ
「Ω……?」
マーズは魔女の言葉を聞いて首を傾げる。
それを見て魔女はくくっと笑う。
「ああ、そうだった。ギリシャ文字を知らないからそう言っても解らないのね。ああ、可哀想!」
「魔女、と言ったわね。流石にムカついてきたわ。なんというか、さっきから鼻にかける感じで、ね」
「あら。嫉妬しているのかしら?」
魔女はまた一歩進む。
「嫉妬は恐ろしいものよ。人間は嫉妬により世界を変えていったといってもいいくらい、嫉妬に塗り固められた歴史を送った。そして今もそう。インフィニティという最強の個体を保持している。それによって他国で嫉妬が生じているのもまた事実でしょう?」
「確かにそれは事実かもしれない……。だからといって、それを正当化してはならない! インフィニティの力はあまりにも強力である。だからこそ、それを私たちは『守って』いかねばならないのよ!」
「守る? 既にあなたたちヴァリエイブルは腐る程使っているじゃない。誰のものであるのかを理解しないまま、人は強いものを使っている。強ければそれでいい? バカバカしい、だから人間はつまらなくて、くだらないのよ」
マーズと魔女の会話は水平線上からずれることは無かった。一ミクロンたりとも動くことのないその境目を見ていて、周りは怒りを募らせていた。どうすればこちら側に都合のいい展開を持っていくことができるのか。
それができるかどうかが解らなかった。水面下での探り合い――といえばいいだろうか。
「人間はくだらない……。それは人間以外の存在である、人間の理から外れた魔女という存在の視点から言えることでしょう? 人間からすれば人間はくだらないなんて思わない」
「それは当然でしょう。人間が同族嫌悪することもあるけれど、それは人間以外が嫌悪する可能性から比べれば天地の差があると言ってもいい」
「天地の差……ねえ。そんなこと、ほんとうにありえるとでも思っているの?」
マーズの言葉に、魔女の顔には青筋が立ち始める。
それを見てマーズは思う。魔女という存在は煽りに弱い、と。魔女は外界に居た。人との関わりが乏しかった。だからこそそういうものに慣れていないのではないだろうか、という仮説がマーズの中で出来ていた。
魔女は愉悦な笑みを浮かべる。未だ自信があるのだろう。煽られていることに自分で気付いていないのかもしれない。
「ええ、その通りよ。あなたたち人間は解っていないの。この世界がどのようになっていったのか。どんな風に変わっていったのか。人間がこの世界を作り上げたのではない。人間以外の存在が、過去に世界の形を作り上げたというのに、それをあなたたちは記憶を上書きしているのよ。世界は人間が作り出した、自分たちは偉大な存在だ……と。ほんと、人間って愚かよね」
「人間が愚か、ですって? 人間は愚かな時代を生きてきたかもしれないわ。確かにそれはそうかもしれない。……でも、私たちは長らくこの世界で生きてきて思った。人間は愚かかもしれない。人間は汚い存在かもしれない。それでも人間はお互いがお互いのことを思わないと生きていくことが出来ない。人間はひとりで生きていくことが出来ないのよ。人間はそうやって生きていくのよ」
魔女は踵を返した。
魔女は懐に忍ばせていた時計を見て、頷く。
「……ここまでのようね」
その言葉と同時に、通路が大きく揺れた。それはもう、立っていることが出来ないほどに。
マーズたちが軒並み尻餅をついてしまったが、しかし、魔女だけはその場に立っていた。
「何をした……! まさか魔法か!?」
「魔法? まさか。私がこんな状態においてそんなことをするとでも? 私は高い金をもらって、約束をしてもらって、そのために活動しているまでだ。時間稼ぎ、と言えばいいだろうか」
「時間稼ぎ……だと?」
マーズは訝しげに首を傾げる。
「ああ、そうだ。時間稼ぎだよ。ただその時間稼ぎが何を意味しているのか……それは明確に理解していないがね」
「なんだと……!」
徐々に魔女の身体が煙に塗れていく。
消えていく。消えていく。消えていく。
「待て――!」
マーズは魔女の手を取る。
――が、実際にはその手を取る前に魔女の身体は煙と化して消えていった。
魔女が消えてもまだ揺れは収まらない。
「マーズ・リッペンバー様! 急いで、戻りましょう!! 先程の魔女とやらの言葉を聞いてから……何やら嫌な予感が致します……!」
グランドの言葉にマーズは頷く。
そしてハリー騎士団の面々は通ってきた通路を再び戻っていった。
◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇
地上は強い風の塊に覆われていた。
青白く光る物体が、その風の塊の中心に鎮座していた。
「あれが……インフィニティ……なの?」
マーズは呻いた。そこにあったものが、彼女の見たことがあるモノだったからだ。いや、彼女だけではない。正確にはハリー騎士団全員が身近に感じていたモノであった。
インフィニティ。
最強のリリーファーであり、そのリリーファーはたったひとりの起動従士にしか扱うことは出来ない。即ち、インフィニティが動いているということは彼がインフィニティに乗り込んで操作しているということになる。インフィニティには自律して動くオペレーティングシステムが存在しているというが、それも基本はユーザである起動従士に依存している。
だからこそ、起動従士が操られてしまうとその時点で大変なことになってしまうのは誰にだって理解できた。
「タカト……あなたいったい、何をするつもりなの……!」
世界が、コロシアムを中心として、闇に飲み込まれつつあった。
◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇
法王庁自治領。
その中心にある首都ユースティティア。
そしてその中心に聳え立つ、クリスタルタワーの最上階にある法王の間。
法王は報告を聞いていた。
「成る程……。ヴァリエイブルから、凄まじいエネルギー反応を感じている、と」
報告をしているのはバルタッサーレだ。
「はい。まだ確認しきれてはいませんが、このままですと法王庁の自治領までその嵐がやってくる可能性も……」
「どういうことだ? 嵐は動かないのだろう?」
「その……勢力が拡大しつつあるのです。このままでは世界が壊滅すると言ってもおかしくはありません。現にヴァリエイブルは首都付近まで嵐が勢力を伸ばしており、死者が多数出ているとのことです。諜報員の話によれば、嵐は怪しげな雰囲気が立ち篭めており、……人が生きている気配がない、と」
「当たり前だろう。バルタッサーレの報告どおりならばその嵐とやらの勢いもとてつもないはずだ。ならばその中で人が生きることなど不可能に近い」
「ええ……。それもあるのでしょうが、それ以外のこともあります。それが……『魔法』とは違う、ものだというのです。なんというか……死臭、といいますか」
「死臭? 死体が大量にできたとでもいうのか? 或いは短期間で大量の死体が腐ったとでも?」
「いえ……そうとは言い難いのですが……」
バルタッサーレは言葉を濁す。まだ確定でない情報であるからかもしれない。
対して法王は苛立ちを募らせていた。バルタッサーレが言葉を濁しているというのもあるだろう。しかし、それ以上に和平交渉を結びその条約を結んだにもかかわらず再び世界を脅かしているヴァリエイブルに怒りを募らせていた――というのが正しいのかもしれない。
「……ともかく、今回の報告は『赤い翼』なるテロ集団が関わっている。バルタッサーレはそう報告した、そうだな?」
法王の言葉にバルタッサーレは頷く。
だとしたら問題である。ヴァリエイブルは数年もの間、赤い翼という脅威を放置していたということになるのだから。一年前も赤い翼が襲撃したという時もその一派のみを潰し、それ以上のことは大してしなかったという。だとするならば、赤い翼に対して怠慢を働いていたということになる。
「彼奴らのみの世界ではないということを、彼らはまだ理解していないらしいな」
法王は溜息を吐く。その言葉に、苦笑しつつバルタッサーレは頷いた。
マーズは魔女の言葉を聞いて首を傾げる。
それを見て魔女はくくっと笑う。
「ああ、そうだった。ギリシャ文字を知らないからそう言っても解らないのね。ああ、可哀想!」
「魔女、と言ったわね。流石にムカついてきたわ。なんというか、さっきから鼻にかける感じで、ね」
「あら。嫉妬しているのかしら?」
魔女はまた一歩進む。
「嫉妬は恐ろしいものよ。人間は嫉妬により世界を変えていったといってもいいくらい、嫉妬に塗り固められた歴史を送った。そして今もそう。インフィニティという最強の個体を保持している。それによって他国で嫉妬が生じているのもまた事実でしょう?」
「確かにそれは事実かもしれない……。だからといって、それを正当化してはならない! インフィニティの力はあまりにも強力である。だからこそ、それを私たちは『守って』いかねばならないのよ!」
「守る? 既にあなたたちヴァリエイブルは腐る程使っているじゃない。誰のものであるのかを理解しないまま、人は強いものを使っている。強ければそれでいい? バカバカしい、だから人間はつまらなくて、くだらないのよ」
マーズと魔女の会話は水平線上からずれることは無かった。一ミクロンたりとも動くことのないその境目を見ていて、周りは怒りを募らせていた。どうすればこちら側に都合のいい展開を持っていくことができるのか。
それができるかどうかが解らなかった。水面下での探り合い――といえばいいだろうか。
「人間はくだらない……。それは人間以外の存在である、人間の理から外れた魔女という存在の視点から言えることでしょう? 人間からすれば人間はくだらないなんて思わない」
「それは当然でしょう。人間が同族嫌悪することもあるけれど、それは人間以外が嫌悪する可能性から比べれば天地の差があると言ってもいい」
「天地の差……ねえ。そんなこと、ほんとうにありえるとでも思っているの?」
マーズの言葉に、魔女の顔には青筋が立ち始める。
それを見てマーズは思う。魔女という存在は煽りに弱い、と。魔女は外界に居た。人との関わりが乏しかった。だからこそそういうものに慣れていないのではないだろうか、という仮説がマーズの中で出来ていた。
魔女は愉悦な笑みを浮かべる。未だ自信があるのだろう。煽られていることに自分で気付いていないのかもしれない。
「ええ、その通りよ。あなたたち人間は解っていないの。この世界がどのようになっていったのか。どんな風に変わっていったのか。人間がこの世界を作り上げたのではない。人間以外の存在が、過去に世界の形を作り上げたというのに、それをあなたたちは記憶を上書きしているのよ。世界は人間が作り出した、自分たちは偉大な存在だ……と。ほんと、人間って愚かよね」
「人間が愚か、ですって? 人間は愚かな時代を生きてきたかもしれないわ。確かにそれはそうかもしれない。……でも、私たちは長らくこの世界で生きてきて思った。人間は愚かかもしれない。人間は汚い存在かもしれない。それでも人間はお互いがお互いのことを思わないと生きていくことが出来ない。人間はひとりで生きていくことが出来ないのよ。人間はそうやって生きていくのよ」
魔女は踵を返した。
魔女は懐に忍ばせていた時計を見て、頷く。
「……ここまでのようね」
その言葉と同時に、通路が大きく揺れた。それはもう、立っていることが出来ないほどに。
マーズたちが軒並み尻餅をついてしまったが、しかし、魔女だけはその場に立っていた。
「何をした……! まさか魔法か!?」
「魔法? まさか。私がこんな状態においてそんなことをするとでも? 私は高い金をもらって、約束をしてもらって、そのために活動しているまでだ。時間稼ぎ、と言えばいいだろうか」
「時間稼ぎ……だと?」
マーズは訝しげに首を傾げる。
「ああ、そうだ。時間稼ぎだよ。ただその時間稼ぎが何を意味しているのか……それは明確に理解していないがね」
「なんだと……!」
徐々に魔女の身体が煙に塗れていく。
消えていく。消えていく。消えていく。
「待て――!」
マーズは魔女の手を取る。
――が、実際にはその手を取る前に魔女の身体は煙と化して消えていった。
魔女が消えてもまだ揺れは収まらない。
「マーズ・リッペンバー様! 急いで、戻りましょう!! 先程の魔女とやらの言葉を聞いてから……何やら嫌な予感が致します……!」
グランドの言葉にマーズは頷く。
そしてハリー騎士団の面々は通ってきた通路を再び戻っていった。
◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇
地上は強い風の塊に覆われていた。
青白く光る物体が、その風の塊の中心に鎮座していた。
「あれが……インフィニティ……なの?」
マーズは呻いた。そこにあったものが、彼女の見たことがあるモノだったからだ。いや、彼女だけではない。正確にはハリー騎士団全員が身近に感じていたモノであった。
インフィニティ。
最強のリリーファーであり、そのリリーファーはたったひとりの起動従士にしか扱うことは出来ない。即ち、インフィニティが動いているということは彼がインフィニティに乗り込んで操作しているということになる。インフィニティには自律して動くオペレーティングシステムが存在しているというが、それも基本はユーザである起動従士に依存している。
だからこそ、起動従士が操られてしまうとその時点で大変なことになってしまうのは誰にだって理解できた。
「タカト……あなたいったい、何をするつもりなの……!」
世界が、コロシアムを中心として、闇に飲み込まれつつあった。
◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇
法王庁自治領。
その中心にある首都ユースティティア。
そしてその中心に聳え立つ、クリスタルタワーの最上階にある法王の間。
法王は報告を聞いていた。
「成る程……。ヴァリエイブルから、凄まじいエネルギー反応を感じている、と」
報告をしているのはバルタッサーレだ。
「はい。まだ確認しきれてはいませんが、このままですと法王庁の自治領までその嵐がやってくる可能性も……」
「どういうことだ? 嵐は動かないのだろう?」
「その……勢力が拡大しつつあるのです。このままでは世界が壊滅すると言ってもおかしくはありません。現にヴァリエイブルは首都付近まで嵐が勢力を伸ばしており、死者が多数出ているとのことです。諜報員の話によれば、嵐は怪しげな雰囲気が立ち篭めており、……人が生きている気配がない、と」
「当たり前だろう。バルタッサーレの報告どおりならばその嵐とやらの勢いもとてつもないはずだ。ならばその中で人が生きることなど不可能に近い」
「ええ……。それもあるのでしょうが、それ以外のこともあります。それが……『魔法』とは違う、ものだというのです。なんというか……死臭、といいますか」
「死臭? 死体が大量にできたとでもいうのか? 或いは短期間で大量の死体が腐ったとでも?」
「いえ……そうとは言い難いのですが……」
バルタッサーレは言葉を濁す。まだ確定でない情報であるからかもしれない。
対して法王は苛立ちを募らせていた。バルタッサーレが言葉を濁しているというのもあるだろう。しかし、それ以上に和平交渉を結びその条約を結んだにもかかわらず再び世界を脅かしているヴァリエイブルに怒りを募らせていた――というのが正しいのかもしれない。
「……ともかく、今回の報告は『赤い翼』なるテロ集団が関わっている。バルタッサーレはそう報告した、そうだな?」
法王の言葉にバルタッサーレは頷く。
だとしたら問題である。ヴァリエイブルは数年もの間、赤い翼という脅威を放置していたということになるのだから。一年前も赤い翼が襲撃したという時もその一派のみを潰し、それ以上のことは大してしなかったという。だとするならば、赤い翼に対して怠慢を働いていたということになる。
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