絶望世界の最強機≪インフィニティ≫ ~三十五歳、異世界に立つ。~

巫夏希

第二百六十二話 軍令特務零号

 ラグストリアルはマーズの部屋まで見送り、その後彼女と別れた。誰かがすれ違うたびに、たとえその人間がどんなに忙しそうであっても、敬礼して通過していく。彼はそれを見て毎回頷きで答えていく。
 彼がここに居るのは、何もマーズを見送りに来たわけではない。あくまでも目的地が途中まで一緒だったために向かっていた次第だった。
 ならば、彼は何処へ向かっているというのだろうか?
 答えは単純明快。自身の寝室であった。幾ら自分が最高権力を持つ指揮官であったとしても、睡眠を取らないと冷静な判断が出来なくなってしまう。
 そして、今。
 ラグストリアルは二十時間ぶりに数時間の仮眠をとることが出来た。とはいえ、奇襲などがあった時は有無を言わずに起こされてしまう。それが起きたのが約二十時間前――ということだ。
 こういう緊急事態だからこそ、たとえ僅かでもゆっくり眠ることが出来るというのはいいことなのだろうが――それでも最近は激しさを増していた。
 これで他国から何も無いというのが、未だ奇跡的だった。いや、実際にはあるのかもしれないが、『瀬戸際』でどうにか抑え込んでいるのだ。
 ティパモール内乱に対するヴァリエイブルの対応については国民にとっても賛否両論であった。かたや平和(或いは秩序)を守るためには致し方ないことだという意見もあり、そうかと思えばやはりティパモールの民も国民なのだから権利を尊重すべきだという意見もある。未だこういう真逆の意見が現実に対立していないが、それも時間の問題といえよう。

「……何とかして早く抑え込まねば……」

 そうすることで、同時に国民の関心をそちらにずらすことが出来る。少なくとも国に対する不満を僅かでも逸らすことが出来る。

「ほんとうはそんなことのために人を殺すべきではないのだがな……。『進言された』からには致し方ない」

 そう彼は言い訳を呟く。言い訳だ。それ以上でもそれ以下でもない、最低の理由である。
 だが、彼には断れない理由があった。それが『進言された』という一言に集約されている。何者かに進言された、しかもその何者かはとても地位が高く逆らうことが出来ないか実力行使で強制的にそれを行った、ということ――それが彼の心を縛り付けていた。

「いったい『あれ』は……あいつは、何のためにティパモールを……」

 呪詛めいた呟きをしたが、それが聞こえる人間など誰も居なかった。


 ◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇


 深夜。
 ヴァルトは唐突に目を覚ました。ヴァルトたちの寝床は三人で一緒になって寝るようになっている。そのため、誰が居ないのかということが簡単に解ってしまうのだ。いつもブレイブは寺院で僧といつも寝食を共にしているが、今日は久しぶりに三人で眠っている。
 彼がちょうど目を覚ましたとき――その隣に眠っていたグレイシアの姿が無かった。

「姉貴……?」

 いったい何処へ行ったのか。そう思ったヴァルトは起き上がる。あくまでも、隣に寝ているブレイブを起こさないように、慎重に、慎重に。
 ゆっくりと起き上がっていったが、その僅かな時間があまりにも長く感じる。一秒が一分に、一分が一時間に感じてしまう。どれも皆、同じ一秒であるこのはかわりない。
 寝床を何とかして出たヴァルトは、外を見て深夜の空気が普段のものとはまったく違うのを感じた。
 肌に貼り付くように寒さがヒリヒリと感じる。しかしながら、それほど強い風も吹いていなかった。
 ヴァルトたちが住む家は高台にある。ここが一番安い家だったからだ。両親亡き後、ブレイブが僧になり、師匠が提案してくれた家がここだった。だから今でも彼は師匠には頭が上がらないのである。
 高台の端に、グレイシアは立っていた。彼女は月を見ていたのだ。月に照らされた彼女の横顔はとても綺麗で、神秘的であった。まるで天から降りてきたような美しさ、と言ってもいい。血の繋がった弟の彼でさえ、彼女の美しさに見惚れてしまったのだから。

「姉貴」

 その空間を壊しては不味いと彼も思ったが、しかしなぜ彼女がそこに居るのかという興味がそれを上回った。だから、彼は声をかけた。

「あら、ヴァルト。起こしちゃったのかな?」

 グレイシアは振り返り、ヴァルトに訊ねる。
 ヴァルトはそれに首を横に振ったことで返答とする。

「……眠れなかったのかな。私もそうだよ、全然寝付けないんだ。なんというか、目が冴えちゃって」
「でも寝ないと明日に堪えるぞ? やっぱり幾らか寝ておかないと……」
「……怖い夢を見たの」

 唐突に。
 グレイシアはそう言った。
 その言葉の意味が解らなかったわけでは無かった。
 あまりにも突拍子も無いことだったから理解出来なかった――そういうわけでも無かった。

「……姉貴、それっていったいどういうこと?」
「怖い夢よ。朝日と共に何もかもが破壊される夢……とてもとても、恐ろしい夢だった……!」
「だから、それを紛らすためにここに?」

 こくり、と彼女は頷いた。

「大丈夫だよ、姉貴。そんなことは起きない。まだヴァリエイブル軍は此方まで来ちゃいないって言っていたし、そんなことは無いよ」
「でも……」
「大丈夫」

 ヴァルトはグレイシアの手を取り、握った。彼女を落ち着かせるためにとった行動だった。

「大丈夫だよ。何の問題も無い。明日も普通にやって来るさ。……だから、ゆっくり眠ろう?」

 グレイシアはその言葉に頷いた。
 そして二人は、そのまま戻っていった。


 ◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇


 朝方。
 ラグストリアルは起床し、予定通り『軍令特務零号』を公布した。これは読んで字の如く、軍令の中でもさらに特別な命令スペシャルケースである『特務』の零号命令である。特務は普段使われるような命令ではなく、今回のような緊急時に用いられるものばかりだ。
 そして、その中の『零号』とは――。


 ――地区殲滅も辞さない、最新世代のリリーファーを投入して完全に事態を収束させること。


 要するに『殲滅』を下した命令であった。
 それを聞いて軍の中でも緊張が走る。特務零号は滅多に公布されることのない、貴重な命令だ。それが自国内で公布されるというのだから、緊張しないほうがおかしい話だ。

「国王陛下は四時三十七分、軍令特務零号を公布なされた。それの意味は君たちでも良く知っていることだろう。そこで我々は、その命令に従うこととなる。リリーファーは『マーク・ゼロ』と『マーク・ワン』。さらにサラエナの東から『マーク・ツー』、『マーク・スリー』が攻め入ることが予定されている。時刻は五時。五時より『ティパモール殲滅戦』を開始する!!」



 街中を走る兵士の姿があった。それも一人ではない。十人、最低でも二十人以上……一個中隊ほどの戦力がある。ティパモールの街中を走り、住民を見つけ次第射殺していく。
 普通ならばこんな残虐行為は許されない。
 しかし、軍令特務零号――殺戮をも許可したこの命令はそれすらも可能とする。
 助けを求める女性、最後まで抗う若い男、なぜこんな目にあったのかも解らない子供……みんなみんな、銃殺していく。射殺していく。刺殺していく。
 殺して殺して殺して殺して殺していく。
 それが彼らに課せられた命令だから。それが彼らに課せられた使命だから。
 人々を守るために、国民を守るために鍛えてきたこの肉体を、この装備を、この力を、同じ国の民を殺すために振るっている。それは国民に危険が脅かされるからかもしれないからだ。
 それはあくまでもそれを正当化しているだけにすぎない。それはその行為を自分が正しい、自分が正義だと思い込んでいるだけにすぎない。
 そして、それはサラエナまでやってきていた。



「姉貴! もうサラエナの街はお終いだ! もうすぐここにもやってくるはず……!」

 ヴァルトはグレイシアのいる部屋へやってきた。もうすぐそこまで兵士が迫ってきている。だから逃げなくてはならなかった。

「逃げると言っても……」

 グレイシアは布団の上に居た。疲れていたのだ。
 だが、その手を取って、

「急いで!」

 ヴァルトは駆け出した。
 あいにくブレイブは寺院へと出かけていったために、家にいるのはヴァルトとグレイシアだけだった。それが幸いとも言えるだろう。

「とりあえず寺院へ逃げよう……! 寺院まで行けばどうにかなる!」
「どうにか、って!?」
「兄さんが居る!」

 ヴァルトがそう言うと、グレイシアは黙ってしまった。それを是と受け取って、ヴァルトは駆け出していった。



 寺院。
 ティパ神を祀るティパ教の寺院は騒然としていた。突然、ヴァリエイブルが戦闘態勢に入ったためである。

「ヴァリエイブルめ……。罪なき人間や無抵抗の女性までも殺しているという! これではまるで悪魔の所業ではないか!」

 僧の一人がそう言ってテーブルを叩く。

「……、」

 ブレイブもそう言いたかった。ヴァリエイブルとティパモールは長年内乱が続いていた。だから、ヴァリエイブルは強行突破に出たのだろう。そして、圧倒的戦力をもってティパモールを制圧する……ブレイブは考えていた。
 もしブレイブの考えが正しいもので、そうなるのであるとすれば、一刻も早くここから逃げるべきなのか、それとも僧の皆と最後まで戦い抗うべきなのか。

「ブレイブ」

 その時だった。
 彼の元にある男がやってきた。その姿はブレイブが忘れるはずもない。

「師匠……!」
「ブレイブ、お前にも家族がいるだろう。急いでここを離れ、そこへ向かいなさい」

 師匠から言われた言葉は、彼にとって少なからず衝撃を与えた。そんなことを言われるとは思いもしなかったからだ。

「師匠、しかし……」
寺院ここを心配しているのだろう? だったらそんなものは心配ない。真に重要なのは家族だ。家族は居なくなってしまったら取り戻すことなど容易ではない。況してや命を失ってしまってはな……。だから、ブレイブ。お前は家族を救いに行くがいい。ほかの僧もそうだ。家族がいる人間、大切な人がいる人間……そして、それらを『助けたい』と思う僧がいるのであれば、私は止めない。その人間たちを救いに行くがいい」
「しかし……」
「そんなこと言われても、寺院は?」
「師匠。レイブン様はどうなさるのですか!」

 ブレイブ以外にも集まっていた僧が、師匠――レイブンに質問を投げかける。
 レイブンは首を振った。

「ここは心配いらない。ティパ神様の加護がある。それはお前たちにもある。ここで厳しい修行を積んだお前たちには、ティパ神様の加護がかかってるのだよ」
「しかし……!」
「さあ、行くがよい。家族との大切な時間が、刻一刻と失われつつあるのだぞ」

 それを聞いて、僧は一人、また一人と部屋を出て行く。
 最終的に残ったのはブレイブとレイブンだけとなった。

「……どうした、ブレイブ。早く行かないと……」
「師匠は」
「だから言っただろう。私はここに残ると。心配などいらぬ、ティパ神様の加護が……」
「もしかして、軍に一番狙われるのがここだと思ったのではないでしょうか?」

 ぴくり、とレイブンの眉が動いた。
 ブレイブの話は続く。

「異民族を統治するために取る手段として一番に挙げられるのは宗教を認めることです。特に我々ティパモールに住む人間の大半はティパ神を信じ、ティパ教を信じています。ですから、ヴァリエイブルは一度ティパ教を受け入れたのでしょう」
「……すると、ブレイブ。君はティパ教を受け入れたのはこのような時のために仕組んだことである。そう言いたいのかね?」

 ブレイブは頷く。
 それを見てレイブンは溜息を吐く。

「そうだ。君も私と同じ考えに辿り着くとはな……。別に悪いことではないが、やはり君はここで死ぬべき人間ではない。急いで家族と逃げたまえ。未だ今ならティパモールから脱出することも可能だろう。私の知り合いがアースガルズ国境で君たちを待っている。あとは彼に従えばいい」
「師匠! まさかあなたはそれを知っていて、受け入れを許可したのですか!」
「そうするほかなかったのだよ。ティパ教をこのままティパモールで続けていくためにも、ティパモールという場所が、文化が、残り続けていくためにも……だ」
「しかし……結果としてティパモールはこのような目にあっています! ティパモールはもう、崩壊しようとしています……!」
「ああ、そうだ。私の判断は間違っていたのかもしれない。だが、この屈辱は忘れてはいけないのだ。忘れてはいけないが、耐えねばならない。復讐は復讐しか生み出さないのだよ」
「ですが……!」
「もう時間がない。銃撃の音が聞こえておろう? 行くがよい。中庭に地下通路がある。そこを通ればどうにか見つからずにサラエナから脱出出来るはずだ」

 その声はとてもか細かった。しかし、はっきりとブレイブの耳に届いた。
 そして、彼は涙を堪えながら踵を返し、その場を後にした。

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