比翼の鳥

風慎

第9話 蜃気楼(9)

 当時、流行り始めた音ゲーは俺も好きだったが、なんせ単価が200円と高く、学生の身分ではそうそう出来る様な物では無かった。勿論、今も金がある訳では無く、連続プレイと言う選択肢は無い。そもそも、終わったら一回、筐体を離れるのは基本中の基本だしな。

 結果、揚羽を引き連れて、逃げる様にゲームセンターを後にした俺達は、今、学生の味方である、某M的なファーストフードで向かい合って座っていた。
 一時期、教祖様となり熱狂的なファンを生み出した、あの道化のお店だ。

 取りあえず注文したのは、ポテトとドリンク。正にド定番である。
 ちなみに、飲み物は水で済ますと言う選択肢もあったのだが、そこそこに長い間、席を占有する気満々であったので、その分を払う気持ちで注文した。

「いやぁ、参った。まさか、あんなに人が集まるとはね。」

 あまり人ごみが得意ではない俺は、ようやく人心地ついて、向かいに鎮座する揚羽へと言葉を放る。
 だが、先程のゲームクリアーの件から、何かを考えているのか、ずっと上の空である彼女からは、生返事しか返って来なかった。

 初めての経験も多かっただろうから、少し整理する時間が必要かもしれないな。

 そう思い、俺は椅子に寄りかかりながら、何とも無しに、ポテトを摘まみながら、正面に座る美少女を眺める。
 うむ、ポテトが美味い。体に悪いと分っていても、止められないこの悪魔の食べ物は、一種の兵器だと思う。
 視覚も満たされ、味覚も満たされる。これ程の贅沢はそうそう無い。

 しかし、こうやってみると、やはり、この子もおかしい位、整った顔立ちをしている。
 目は少し吊り上がって強気な印象だが、目が大きいので、あまり気にならない。艶やかな黒髪とツインテールの相性は最高だし、小柄な体躯にその髪型は良く合っている。
 彼女自身は胸の薄さを気にしているようだったが、男はいざとなったら、そんな事気にしませんよ?
 本能的に、大きい物に目が行くのは許してほしい。こればっかりは、意思の力ではどうにもならんのです。
 本来、大きくても小さくても胸は胸なのです。どちらも等しく胸ならば、それで良いのです。それが男の子のさがと言うものです。
 話がずれた……。おほん。ともかく、彼女はそんな訳で、自分の持っている魅力を良く知り、最大限開花させている印象が強い。

 胸の話にも被るが……人は憧れる像があれば、そこを目指そうとするのが常だ。
 例えば、アイドル。俳優。モデル。そう言った、憧れる人達に近づきたいと努力する。
 だが、中には、自分の持ち味を加味しないまま、自分自身を憧れる人のコピー品にしようとしてしまう事がある。
 良いと思う所を真似するのは結構な事なのだが、それが本当に自分を引き立てているかどうかに、意識が回らないんだよな。
 実に勿体ない事だと、常々俺は感じていた。

 日本人の女性には、日本人特有の良さがある。
 カラスの濡れ羽根色のような艶やかな黒髪。身長こそ低いながらも、バランスの良い体格。
 どれをとっても、生かし方次第で化けると思うんだが。

 スレンダーな外国人に憧れ、骨格を矯正するまで美を追求する様な人は、別にして、大抵の人は努力ではそこまで届かない。
 元が違うのだから、そこを目指すのは、効率が悪いのだ。
 それでも、突き進めるだけの熱意と根性があるなら、それは一つの才能だと思う。
 応援もするし、そうやって作り上げた美と言うのも素晴らしいと思う。

 だけど、そこまでしなくても、自分らしさって表現できると思うんだ。
 普通に暮らしていく分の自分らしさって、結構、簡単な所にあるんじゃないかって思う。

 そういう意味で、目の前の彼女は、その自分らしさを突き詰めた、典型的な例だった。
 無理に背伸びせず、自分の良さを追求したと言う感じがある。

 ちなみに、彼女の出で立ちなら、マイクでも持って、フリルの沢山ついたドレスでも着て、歌って踊ったらそれだけで金が稼げそうな勢いだ。それ位に洗練されている。

 そんな彼女が、ステージに立つ。
 熱く煮えたぎる様に高ぶった大きいお友達を前に、笑顔で踊る彼女を想像し……その後、何もない所で転ぶところまで妄想して、思わず口元が緩む。
 駄目だな。まぁ、キャラとしては有りだろうが、その前に、彼女が摩耗して擦り切れそうだ。

 そんな失礼な想像をしているのがバレた訳では無いだろうが、ふと気づけば、向かいに座る揚羽が、真剣な眼差しを向けていた。

 ん? いや、変な事は考えていませんよ? 大丈夫ですよ?

 何故か、俺は咄嗟に、心の中で言い訳を並べてしまう。
 いや、言わなければ伝わらんだろうに、と頭の片隅で思いつつ、同時に、これで良いと言う反する思考がぶつかり合った。
 その瞬間、錆びた歯車が音を立てて噛みあうような、そんな不快感が俺の脳裏に走る。

 なんだ、これは……。
 地が一揺れした様な、不安定な感覚の後、俺の脳裏に断片的な映像が浮かぶ。

 長い髪をなびかせ、白い少女が笑う。怒る。……そして、泣く。

 っ!? 誰、だ!

 俺は、必死に記憶を探り、そして、湿った手を砂の中に手を入れた様な、不快な感じを覚える。
 その瞬間、突然、鈍痛が俺の頭を襲い、思わず反射的に、頭に手をやった。

「お兄さん!?」

 そんな俺の様子を見た揚羽が、慌てたように思わず声を上げる。
 立ち上がろうとした彼女を手で制すと、深呼吸をして意識を深化させる。

 意識を引き延ばせ。……そう、痛みを意識して……押し込め、散らす。
 伊達に、長い間、頭痛とは付き合っていない。
 血液の流れを知覚し、血流をイメージし、そして、痛みの元を鈍化させる。
 呼吸を深くし、そうして、落ち着くと痛みは徐々に消え去った。

「大丈夫だ。驚かせてごめんね。」

 俺のそんな言葉に、揚羽は泣きそうな顔で、首を振る。
 心配かけてしまったのは申し訳ないと思う一方で、先程からこの子の様子がおかしい事に、改めて疑問を抱く。

 何だか、今日のこの子は、妙に不安定だな? どうしたのだろうか?
 とりあえず、少し話をしてみるかと思った矢先に、彼女の方から徐に、口を開いて来た。

「ねぇ、お兄さん……。私といて、楽しいですか?」

「ん? そうだね。楽しいよ。色々、大変だけど。おっさんは、若い子についていく体力は無いのだよ。」

 そう言いながら、自分の言葉に違和感を覚えた。
 あれ? なんか変だな?

「……っ。本当? じゃあ、ずっと一緒に、いましょ? ね?」

「ははは、揚羽みたいな美少女と、ずっと一緒か……。うん、嬉しいね。」

 咄嗟とっさの事だったので、そう茶化して濁すに留める。
 おいおい、その言い方だと、勘違いされてしまうぞ? と心で突っ込みを入れる。
 だが何故か彼女は、更に変な方向に話を放り投げた。

「本当!? じゃぁ、ほら、ここで暮らしましょう! ね? お兄さんもその方がきっと幸せになれるよ!」

「あー? もしもし、揚羽さんよ。流石に、ここに住むのは無理でしょ。」

 突然、そんな暴走を始めた彼女の言葉を聞いて、俺は背中に汗を垂らしつつ、そう言葉にして、苦笑するに留める。

 ファーストフードに定住……うん、何かネットカフェ難民と同じカテゴリに入りそうだな。
 それって、ほぼほぼ、ホームレスじゃないですか。
 そもそも、俺達には家があるんだから、ここに住む意味なんて無いじゃないでしょうに。

 だが、俺のそんな態度が腹に据えかねたのか、少し眉を上げると、

「無理じゃないよ! 私、分かったから。お兄さんとだったら、きっと大丈夫! だから、ね? 私と一緒に、ずっといようよ!」

 もう、彼女の言う事が意味不明過ぎて、俺もどう返して良い物やら、考え込んでしまう。

 しかし、この状況。捉えようによっては、告白とも……下手をすれば逆プロポーズにも見える状況なのだが……そんな甘ったるい雰囲気は微塵もない。むしろ、彼女の必死さの方が、表にでていて、それはともすれば、不安すら抱かせる。
 そうだな、その線で一旦、ちょっとクールダウンしよう。このままだと平行線の様な気がする。

「こらこら、ちょっと落ち着きなさい。今の言い方だと、一歩間違えれば、一生を添い遂げるって言っているようなもんだよ? 流石に、女子中学生からプロポーズされたら、おっさん困っちゃいますよ。」

 そんな俺の、ちょっとした茶化しも入った言葉に、彼女は一瞬、意味を掴みかねたのか、呆けた顔になる。

 って言うか、そんな事をした日には、下手すると、俺、豚箱行きですから。
 中学生に手を出した中年……しかも塾講師とか、ワイドショー一面を総ざらいだろうな。
 一瞬、カメラのフラッシュに映し出され、泣きながら釈明に追われる母親の姿が幻視される。
 あれ? 何かデジャヴ? 前にもこんな事が……? おや?

 だが、俺が不思議がる横で、そんな言葉を受けた揚羽は、自分の言っている事がどういう意味を持つか、漸く、思い至ったのだろう。
 数秒後、一瞬にして顔を真っ赤にすると、「あ、ち、ちょっと、え。あああ、そ、うぅう……。」と、意味不明な叫び声をあげて、俯いてしまった。

 とりあえず、オーバーヒート完了。
 よし、これで少しは落ち着くだろう。しかし、本当にどうしたと言うのだろうか?

 俺はコンロで火をかけているヤカンの様に、沸騰音を響かせていそうな程、真っ赤になった揚羽を眺めつつ、心の中での首を傾げる。
 心当たりは、先程のゲーセンでの出来事だ。あれの中で、何かが彼女のスイッチを押したのだろう。
 うーん、まぁ、ある意味共同作業のような物だったし、そう言うのに慣れてなかったら、興奮してしまうのも分からないではないが。
 しかし、その事から『ずっと一緒にいる』と言う選択肢に辿り着いた経緯が全く見通せない。
 ゲーセンで音ゲーを一緒にやって、恋愛できるなら、今頃、世の中はカップルだらけだろうし。

 彼女から向けられる好意は感じている物の、それは、どちらかと言うと、依存に近い物だと思っている。
 必死な者は、わらをも掴むからな。

 そもそも、俺には収入も無いんだぞ?
 見かけも十人並み。いや、それ以下。
 運動神経が良い訳でも無い。
 頭も別段、良くは無い。
 まぁ、そうは言っても、人を好きになるには理由なんて無いと聞くが、恋愛音痴の俺は、その辺りの機微が致命的に無いからなぁ。

 本当に心から好きになった人っていないしなぁ。

 そう思った瞬間、また、何かの違和感が俺の心を撫でる。脳裏に誰がチラつく。
 またか。何だか、落ち着かない。最近は、特にこの違和感が強く出るようになって来た。
 俺は、もしかしたら、本当は、何かを知っているのか?

「そうよ……ここだから、ノーカンよ、ノーカン。じ…………じゃあ、良いですよ。け、けけけ、けこ、ん。……しましょ。」

「ん? ケコン?」

 深く思考していた俺は、突然、口を開き彼女が放った言葉が聞き取れず、聞き返してしまう。
 見ると、目に涙を浮べ、顔を真っ赤にしながら、それでも何故か俺を睨む様子を見て、俺は、一瞬、軽くたじろいだ。
 それを見て、彼女の中に余裕が生まれたのか、はたまた、開き直ったのか、しっかりと背を伸ばすと、俺を見据えてきた。
 何となく俺も、彼女に倣い、姿勢を正す。そうして、一瞬見つめ合った後、彼女の口から飛び出したのは、意味不明の言語だった。

「結婚。」

「はぁ。」

「しましょう。」

「はぁ……。」

 たっぷり数秒。俺はその言葉の意味を反芻し、どうやっても、聞き間違いには出来ないと判断する。

「いや、ちょっと待て。無理だから。」

「何でですか! ここまで可愛い女の子に言われて、断るとかないでしょ!? 何が不満なんですか!?」

 逆切れされた。意味わからん。
 そして、どうやら、一応、求婚されたらしいが、そういう甘い雰囲気は微塵も無い訳で。
 何だこれ? どうしてこうなった?
 俺は心の中で、そっと溜息を吐く。

 まずは、冷静に考えよう。

 仮に、甘い話だったとしても……だ。そもそも、社会不適合者の俺に、人を養えるだけの稼ぎはない。
 愛があれば大丈夫? ははは、無理無理。気持ちがあっても、現実は非常に厳しいものだ。自分一人養えない奴が、所帯を持つなど、夢のまた夢だと思う。誰かの援助なしに、そんな事は不可能だ。

 せめて付き合うか? いや、金のない奴に恋愛しろとか、無茶も良い所だ。
 デートにすらいけないんだぞ? 短い間なら良いかもしれんが、長期になれば、瓦解する。
 それは、かつて同じような事で、あっさり振られた俺が一番良く分かっている。何をするにも、楽しい事をしたいなら、絶対的に、お金は必要なんだよ。

 と言うかそれ以前に、致命的かつ、根本的な問題があるじゃないの。

「いや、君、未成年じゃないの。しかも中学生。」

 そう。そもそも、15歳が上限の中学生が結婚とか出来ませんから。いや、出来てもしないけど。

 そんな俺の言葉に、一瞬にして顔を真っ赤にしたが、それでも何故か顔を振ると、まるで食らい付くように声を上げる。

「じゃあ、それでも良いです! 私が何とかします。だから、一緒にいましょう? ずっとここで暮らしましょう? ね?」

「いや、何とかって……。」

 じゃあって何よ? この子は、政治家にでもなって法律を変える気か?
 それとも、何か途方もない権力を持っていると言うのだろうか?
 苦笑して濁そうとした。だが、彼女の瞳に宿る光を見て、俺は息をのむ。
 彼女のその表情は、決して冗談を言っているようには見えず、むしろ、鬼気迫る物を感じさせた。

 だが、俺から言わせれば、彼女の主張は無茶苦茶だ。

 うむぅ。なんだかわからんが、このままだと、女子中学生のヒモですか。
 字面だけ見れば、惹かれる提案ではあるが、人としてどうかと思う。

 そして同時に、なんでそんなに、俺に拘り、必死になっているのか、理解できない。
 先程のゲーセンでの一件での体験が、そんなにまで彼女の何かを刺激したのだろうか?
 だとしても、この彼女の必死さが、俺にはいまいち、腑に落ちないのだ。

「落ち着きなさいな、揚羽。そもそも、どうしたんだ? 何が君を、そんなに駆り立てている? 俺はここにいるじゃないか。」

 そう。彼女は何かを焦っているように感じられた。悪い癖が出ている形だ。どうにも、猪突猛進な所があるから、見ていて不安になる。
 そんな俺の言葉に対して、彼女が反論しようとしたのだろう。

 口を開きかけて、そのまま凍り付いた様に、動きを止める。
 その視線は俺の後方へと向けられたまま、彼女の口から洩れ出た「なん……で。」という一言が、周りの喧騒にかき消される様に弱々しく響く。

 何だ? そう思い、振り向こうとした瞬間、俺の横合いから、音も無く誰かが現れた。

「失礼いたします。お客様、ただ今、試供品をお配りしております。宜しければお一つ如何ですか?」

 ふわりと何とも言えない、甘い香りが漂う。
 声をかけて来たその子は、メイド服の様なエプロンドレスを身に纏った少女だった。
 彼女の持つお盆には、新商品と思われる、色とりどりのケーキが乗っている。

 だが、注目すべきはそこでは無く、彼女のいで立ちにあった。
 まず、その髪。透き通るような金髪が、店内の落ち着いた照明を受け、眩しく輝いている。
 日本ではまず、お目にかかる事のできないだろう。それ程に見事なものだ。

 それだけでも目を引くのに、その頭に鎮座するのは、肉感あふれる、獣耳だった。
 その精巧さは、本物と見間違わんばかりである。
 そして、俺の顔の横には、彼女の腰がある訳だが、スカートの下から伸びるふさふさの毛並みを持つ至高の尻尾。
 これがまた凄い。毛並みもさることながら、その動きが、本物としか思えないのだ。
 血が通っているんじゃないかとすら思える程、その存在感が半端ない。何となく生き物が持つ特有のみずみずしさを、その尻尾から感じた。

 す、すげぇ。完璧な獣っ子のコスプレだ。遂に、日本の技術はここまで来たのか。しかし……うおおおぉ、触りたい……。もふもふ、撫で撫でしたら、きっと幸せになれる。

 俺はフラフラと夢遊病者の様に、無意識に手を伸ばしかけるも、横合いから発せられた揚羽の言葉で、一気に思考が冷えた。

「なんで……出てくるのよ……。なんで……!」

 彼女の言葉は、隠しようも無い怒りと悲しみに満ちていた。見ると、揚羽は肩を震わせて、俯いている。
 その姿は先程の、暴走しながらも何かを押し通そうとした彼女とは反対……正に、敗者のそれに見えた。
 そんな彼女の様子を見て、メイドさんは申し訳なさそうな顔をすると、優雅に礼をする。

「失礼いたしました。」

 そう、頭を下げ、立ち去ろうとした彼女だったが、ふと俺の方を見ると、微笑んだ。

 その笑顔を見た瞬間……心臓が跳ねた。

 可愛い子に微笑まれれば、そりゃときめきもするだろうが、そうでは無い。
 何故だろうか? 彼女の笑みを見た瞬間、何故か優しい気持ちがじんわりと湧き上がって来た。
 そんな自分の思いに戸惑いつつも、俺は軽く目礼をするに留める。

 今は揚羽が心配だ。明らかに様子がおかしい。
 だが、そんな風に意識を逸らした時、メイドさんが、すれ違い様に、まるで狙ったかのように静かに呟く。

「ツバサ様、お帰り、お待ちしております。」

「は、い?」

 驚いて振り向く……しかし、視界には一瞬前までそこにいた、メイドさんの姿を収める事は叶わなかった。

 あ、あれ? いや、今、ここに居たよな? え? 何? 幽霊? 嘘でしょ? 

「なんで……何でよ……。姉さん、ずるいよ……。」

 そんな風になげく、揚羽の声が、俺の心を静かにえぐる。
 残された俺と、泣きながら俯いた揚羽の間には、拭う事のできない重い空気が、只々、横たわっていたのだった。

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