比翼の鳥

風慎

第17話 蜃気楼(17)

 世界が滅ぶ。

 その言葉は、俺が予想もしていない角度から思いがけない衝撃となって届いた。

 一体、何がどうなっているのか?
 彼女の今までの言葉から、断片的な情報を集め、整理し、統合する。
 そして、導かれる一つの答え。

 まさか、そういう事なの、か?
 だとすれば、原因の一端は、俺にもあるということになる。

 その推測は、更に俺の心を軋ませるのには、十分な衝撃だった。
 とは言え、あくまで、推測は推測でしか無い。
 それを具体的な情報にするには、未だ俺の前で得意げな顔をしている、揚羽に確認するしか無いだろう。
 俺は、何度目かの覚悟を決める。

 此処から先は、恐らく、俺が知りたくない事のオンパレードだ。
 だが、俺は行くしかない。それが、俺の望む所に繋がっていると、そう信じる。
 だから俺は、口火を切った。

「揚羽、聞いていいか?」

「良いわよ? 何、お兄さん」

 俺の言葉に反応した彼女の態度には、余裕があった。
 先程までの狼狽えたその様子は、鳴りを潜めている。
 それは偏に、世界が滅ぶという事実が、俺を思いとどまらせ、その結果として、ここで一緒に過ごす日々を迎えることが出来ると、彼女に信じさせているからだろう。
 だから俺は問う。その先を切り開くために。

「世界が滅ぶと君は言うが、具体的に何が原因なんだ?」

「それは……良いじゃない。そんな事。兎に角、もう世界は遠くない未来に滅ぶわ。これは確定」

 しかし、そう言った彼女は、またも視線を逸らす。
 彼女は、こうやって何度もはぐらかして来た。今までの行動で、俺はその理由を理解している。
 こんな風に、彼女がはぐらかそうとする時、それは、決まってある感情を隠したいからなのだ。
 だが、俺は暴かせて貰うよ。その隠したがっている物に、俺が本当に知りたい事が混ざっているんだろうからね。

「揚羽、こんな事は言いたくないけれどね」

 敢えて、俺はそう言いながら、ため息を付くと、言葉を続ける。

「そんな事言うのは、単に俺を、ここにとどめる為で、実は、全部嘘なんじゃないのか?」

「え、違う、そうじゃないわよ。本当に、世界は……」

 そうだろうな。俺もそう思うよ。彼女はそんな風に、嘘をついて騙したりは出来ないだろう。
 それは、彼女の余りにもお粗末で、どこか憎めない失敗の数々を間近に見てきたから言える事だ。だけど、ここは攻めさせてもらう。じゃないと、本当の事は出てきそうにないからね。

「そう言う割には、理由を説明できないじゃないか。それは、つまり、そういう事なんだろう?」

 わざと強めに、しかも曖昧に示唆することで、彼女の混乱を誘う。
 それは、余りにも効果的で、俺が思う以上に、彼女を追い詰める材料となったらしい。

「違う、違うの。だって、そんな事言ったら、お兄さん、また苦しむもの」

「そっか。つまり、俺のせいなんだ?」

「え、それは……」

 そこで言葉に詰まってしまうことが、全てを物語っていた。
 やっぱりか。

 彼女は先程、こう言った。

『お兄さん……あれを、抑えたの? 世界を滅ぼしかけている、あんなものを?』

 彼女の指している、って何だ?
 話の流れから考えるに、それは、恐らくだが、俺の中に渦巻く、このどす黒い感情のことだろう。

 こいつは、中々に暴れん坊だ。
 俺だって未だに振り回される。
 こいつが表に出てくれば、俺の心はささくれ立ち、胸をかきむしり、意味もなく叫びたくなる。
 だが、この気持だって、俺の物だ。そして、俺の中にいるからこそ、ちゃんと向き合える。

 誰だって、そんなどうしようもなく、自分の意志と関係なく暴れてしまう感情ってあるだろう?
 俺はそれが、人よりちょっと強力な上に付き合いも長く、その分、他の人よりも、あしらい方を知っているだけだ。

 だが、先程の言を元にすれば、どうやら、こいつが外に出ているらしい。
 俺の感情の深いところの一部分が、外で独立し、存在しているっていうのも意味がわからない。
 しかも、それは、大暴れして、世界を滅ぼす要因になっている。そういう事なんだろう。

 何でまたそんな事になっているのかは、流石にわからない。
 だが、それがもし、俺の知り合いや家族達を、窮地に追い込んでいるのなら、何とかしたい。
 その気持ちは、本物だ。だから、それを欲し、尊重しよう。
 俺自身のためにも、な。

 そんな考え込んだ俺を見て、彼女は焦ったようで、何とか挽回しようと、口を開いたが、それが俺に新たな情報をもたらすことになる。

「違う、違うの。確かに、大本はお兄さんの力だけど、そもそも、それを利用しようとしたあいつが悪いの」

「あいつ?」

「あう、え、えーっと、ほ、ほら、まぁ……ううぅ、なんでも良いじゃないの!」

 だから、その逆ギレは、駄目だから。何かありますって言っているようなものだからね?
 俺はジト目のまま、内心、ため息をつきつつ、揚羽を見つめる。そんな俺の視線から逃げるように顔をそむける彼女。
 とりあえず、ちょっとした我慢比べかな。そうやってジト目で、彼女を追い詰めつつ、おおよその検討はつける。
 まぁ、十中八九、最後に彼女と退治した時にいた、あの野郎の事だろう。

 時間にして、およそ30秒程だろうか?
 早くも、揚羽は、いたたまれないように、チラチラとこちらに視線を向け、落ち着かない様子を見せ始めていた。
 いやいや、早い。早すぎるよ、揚羽さん。どんだけ、精神力弱いんだよ。

 下手すりゃ、小学生の忍耐力にも負けるのでは……と、内心、かなり心配になる俺だったが、とりあえず、好都合なので、そのまま我慢比べを続ける。
 そして、1分後。半分涙を浮かべながら、こちらを落ち着き無くチラチラと見る揚羽を見て、頃合いだと口を開く。

「で? あいつって?」

 一瞬、俺の再度の問いに、グッと言葉を詰まらせるも、彼女は観念したように、口を開く。

「教団の、教皇」

「あの、タカちゃんとか言ってた、ふざけた奴?」

 俺の言葉に、涙目のまま、素直に頷く揚羽。
 ふざけた奴と言う評価は、否定しないのか。
 とりあえず、俺の偏った第一印象だけではなく、彼女も無意識にそう思っているということは、そんな奴なのだろうことは、間違いなさそうだ。
 まぁ、じゃなければ、世界をあんな風に、気持ち悪い形に改変したりはしないだろう。
 そんな風に、俺が考え込んでいると、彼女は居たたまれなくなったように、口を開いた。

「……けど、お兄さんだって、悪いんだよ?」

「ん? 俺?」

「そうよ。せっかく世界を安定的に運営していたのに、壊しちゃうから。」

 おずおずと言った感じに、揚羽がそう続ける。
 その言葉に、俺は思わず、眉をしかめるも、すぐに平静を装う。

 あれが、安定的だったと言うのか?
 一瞬、激昂しそうになる心を、俺は必死で抑える。
 いや、感情だけで捉えるな。それは、自分に都合の良いだけの一方的な見方に繋がる。
 俺は大きく息を吸い、ゆっくりと吐きながら、心を落ち着かせた。

 うん、まぁ、冷静に考えてみると、見方を変えれば、そう言える。
 確かに、非常に都合の良い世界だった。人族にとって……だが。

 だが、そこに他の種族の居場所は無い。獣人族は? 精霊は? 彼らは何処へ行けば良い?

 同じ人として対話できる存在を犠牲にして、繁栄を謳歌する。確かに、それは人の歴史であり、ある意味では間違っていないのかもしれない。
 だが、やはり人の歴史は語っているではないか。
 そうやって、頭を押さえつけ、隷属させてきた存在が、最後は長年溜め込んだ怒りと憎しみを爆発させる。
 それは、消えること無く、延々と燃え続ける炎となって、対立を産み続けるのだ。
 そんな物を、未来へと繋げていきたいのだろうか? 俺は御免こうむる。自分の子供達が、誰かを憎み侮蔑する言葉を平気で吐くような世界にしたくない。

 そこまで考えてふと、俺は、根源的な疑問へと行き当たる。
 何も語らない俺を不思議に思ったのか、少し首を傾げつつ、俺の様子を伺う揚羽は、可愛い。
 俺は彼女の事を、基本的に、無邪気で優しいと感じた。
 そんな彼女が、平然とあの狂った世界を語り、許容する姿に、違和感を覚える。

 俺と過ごし日々で、彼女はそんな歪んだ一面を見せることは無かった。
 いや、まぁ、多少、調子に乗っていた部分はあったが。

 そして、そんな事実が、俺が漠然と抱いていた嫌な予感を、現実のものへと押し上げるきっかけとなった。

 まさか……いや、やはり、と言うべきか?

 人族に都合の良い世界。
 勇者達の、一見すると異常な行動。
 揚羽の世界に対する、一見、冷徹とも思える態度と、俺への態度のギャップ。
 揚羽と過ごした、あの世界の意味。
 そして、彼女にとって、俺がここに留まると、信じて疑わないその根拠。
 何より、先程、俺の心象世界で会った、桜花さんの言葉。

 どれもが、一つの可能性へと収束する。
 それは、俺が一番、望んでいなかった結末でもある。

 しかし、そうなのだろうな。
 はぁ。鬱だ。
 もしかしたらとは思っていた。
 そうであって欲しくは無かったが、どうやら、ほぼ間違い無いのだろうと、理解できてしまった。

 ……うん、それであっても、行くしか無いかな。
 どうであっても、俺は、の世界に戻らなければならない。
 全ては自分自身の為。ただそれだけの為に、俺は、自分の道を目指す。
 だから、今は、疑問点をある程度、潰しておこう。
 恐らく、彼女と話す機会は、この先あまり無いだろうからな。

「揚羽、俺は先程から、疑問に思っている事があるんだ」

 俺のそんな言葉を、彼女は鳩が豆鉄砲を食らったかのような表情で受け止めた。
 一瞬、そんな彼女の表情を見て、薄く笑みが浮かぶも、すぐに表情を引き締める。

 いかんいかん。和んでいる場合ではない。

「何で、君は、世界にしようと思ったんだい?」

「え? そ、それは、たか……じゃなくて、教皇、が臨んだから」

 俺の言葉に、彼女は戸惑ったようだったが、それでも素直に、そう答える。
 惜しい。もう少しで本名が分かったような気がするが、今は捨て置く。

「そうか、じゃあ、君はあの世界を望んだわけではないのかい?」

 俺の言葉に、揚羽は、「う~ん」と首を捻りながら、考え込むも、すぐに口を開いた。

「私は、自分の居場所が欲しかっただけだから。たか……えっと、教皇が望む世界を作る事が、その条件だったの」

 そんな風に、どこか投げやりに告げる彼女の表情は暗い。
 そして、そのまま小さく、「もう壊れちゃったけどね。」と、寂しそうに呟くが、俺は聞かなかった事にする。

「そうか。君みたいな優しい子が、どうしてあんな世界にしようとしたのか、不思議だったんだ。ありがとう。スッキリしたよ」

「私、優しくなんかないよ……」

「そんな事はないよ。君は、本当は、とても優しい心を持つ子だ」

 俺は迷いなく、そう告げる。
 そうだ。彼女は、やっぱり優しい子だった。
 じゃなければ、ここにはいない。
 だが、その言葉を彼女は受け入れられなかったようだ。

「そんなこと無い! 私は、一杯、沢山の人を……」

 叫ぶように言葉を発したが、その勢いも、すぐに尻すぼみになって行く。
 だから、俺はその続きを敢えて、突きつける。

「あの世界に閉じ込めた?」

 驚愕。

 その二文字が、彼女の表情が語る全てだった。
 今までの彼女の言動から、負い目を抱えていることは分かっていた。
 だが、それが何なのかは、良く分からなかった。

 しかし、ここで彼女と話す中で、ヒントは次から次へと得られたのだ。

 まず、勇者という存在が、俺の元の世界の住人だったという事。勿論、勇者だけでなく、今井さんやライトさんの様な人も含め、元の世界の人は、複数存在し、その人達がこの世界に連れてこられていたという事実がある。
 その上で、連れてこられた人達は教団によって統制され、あの世界に定着していたこと。
 教団とは、あのタカなんちゃらが率いる集団で、その神に相当するのが、揚羽ということで間違いはないだろう。

 あの上空に浮かんでいた目が、揚羽だ。これは確信出来る。あの目から感じた雰囲気が、彼女と同じなのだ。
 そんな目が、精霊をなぶっていた事実もあるが、その大きな理由も何となくだが、想像がつく。が、今は、それは良い。

 そんな彼女が、精霊や人族を強制的に従えさせる力。あれは、既に神と言っても差し支えのない領域だと思う。その力を振るう教皇は、しきりに彼女の名前を呼んでいた。
 つまり、彼女こそが、力の源であり、神と呼ばれる存在で間違いないだろう。

「しかし、このちんまいのが、この世界の神か……」

 思わず俺は苦笑しながら、揚羽の頭を軽く叩くように撫でる。
 呆然としていた彼女だったが、撫でられるのは好きなようで、突然の事にも関わらず、嬉しそうに頬を緩ませながら、されるがままになっていた。
 尻尾でもあれば、良い感じに振られているだろう事は、間違いない。うーむ、リリーの頭が撫でたい。
 暫くの間、そうして俺は彼女を撫で続けたが、俺の言葉の重要性にやっと気が付いたようだ。

「え? ちょっと! 何で私が、お兄さん達を、あの世界に呼んで閉じ込めたって、分かったのよ!? それに、教団の神様にされているなんて、私、教えてないわよね!?」

 うん、ありがとう。色々と、言質げんちが取れました。
 心の中で、そうお礼を言いつつも、俺は微笑みを返すに留める。

「あああ、もう! 何なの! お兄さん、何なのよ!?」

 何かブチ切れている揚羽を眺めつつ、俺は考えをまとめる。

 さて、彼女、もしくは、教皇が皆を呼んだ。
 そんな、大前提がある中で、先程の彼女の言葉が、俺の中に、ある憶測を呼び起こしたのだ。

『しょうがないじゃない。他の人の場合、今までこれでうまく行っていたんだもの。』

 これは致命的な失言だったな。
 この言葉は、彼女が誰かを、俺にしたように、本人の世界へと閉じ込めていったのだろう事を推測させる。
 本人の望む夢のような世界で、延々と楽しく過ごす。
 そんな世界なら、皆、喜んで留まってくれる筈だ。

 だが、ここで、一つ、新たな疑問が浮かぶ。

 なんで、そんな事を彼女がしているのか? という事だ。
 何の為になのかは分からないまでも、せっかく呼んだ人達を、揚羽がせっせと閉じ込めている。
 矛盾しているようにみえる。

 先程から、ずっとそれが引っかかっていたのだ。
 だが、行動には必ずその理由がある。

 彼女が、そうせざるを得ない状況。

 あの世界が崩壊しかかっている。
 それに対して、呼び込まれた人々を、せっせと隔離する。

 そう。まるで、それは……。

「皆の事……守ろうとしてくれているんだろ?」

 やり処の無い怒りをぶち撒けていた揚羽だったが、俺のそんな言葉に、動きを止め、こちらを見つめる。
 その目は、真っ直ぐと俺に向けられていたが、口は震えて言葉が出ないようだった。

「君は、俺達を、あの世界へと呼んだ」

 ビクリと肩を震わせるも、彼女は目を逸らさず、頷く。

「だけど、今、君は、必死に呼んだ人々を隔離している。それは、あの世界が危険な状態だから。そうでしょ?」

 俺の言葉に、俯いてしまうが、それでも、おずおずと、彼女は頷いた。

「だったら、やっぱり君は優しい子だ。ありがとう、皆を助けてくれて。」

 そんな俺の言葉に、彼女は、弾かれた様に顔を上げ、首を振る。
 その目には、涙が溢れていた。

「ちが、違うもん。わた、わた……し、タカシがそうしろって、言うから呼んだのに」

「うん」

「み、みんな、凄く、大変で、こ、怖くなっちゃって。そ、それでも、わた、し、い、居場所が欲しかった……から」

「うん」

「じ、自分勝手に、皆、巻き込んで、私、いつでも、元の世界に戻れて、ひぐ。」

「う……ん?」

「そ、それでも、居場所、失いたくなかった、から。けど、お兄さん、色々やって、状況が、変わって。」

「あー……うん。」

「み、みんな、殺されて、く、くろいげもの、とか、ぜいれい、どか、うぅうううーーー!」

「う、うん、ほら、まずは落ち着こう、大丈夫だから。」

「だべど! よんだお、わだじだぼんー! わだじが、よんだがら、びんな! だから、だがらぁ!!」

「うん、うん。良いんだ。良いんだよ。」

 徐々に、涙と鼻水で崩壊していく美少女をなだめつつ、俺はそっと、彼女を抱き寄せて、頭を抑えてやる。
 本来なら、こんな事、絶対に出来ないんだが、ルナで慣れたのか、はたまた、揚羽が余りにも、色んな意味で無残だったからなのか、あるいはその両方か……自然と体が動いた。

「揚羽、少なくとも俺は怒ってない。色々あったけど、楽しい事も沢山あったから。……だから、良いよ。俺は、君の事を許す。」

 小さく嗚咽を漏らし、俺の胸の中に収まった彼女だったが、その言葉が引き金になったのだろう。

「うぅうーーー!! ごめんだざい! ごべん、ださい!!」

「ああ、良いよ。大丈夫だから。」

 そうして、長い間、彼女の叫び声のような泣き声が、この部屋に響いたのだった。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品