比翼の鳥
第26話 起床、そして穏やかな日々(8)
結局、目的の物を手に入れた俺達は、あれからすぐにリリーの部屋に戻った。
そうして、俺は、定位置である籠に納まり、彼女はかつて使っていた袋を作り直す作業に没頭している。
彼女が繕い物をする姿は初めて見たが、淀みなく進む手を見て、感動すら覚えていた。
自分も取れたボタンの縫い付けや、裾上げ位はしたことがあったが……そんな物とは、比べ物にするのも申し訳ないと思えるほど、何か別次元の作業をしている様に思えてしまうな。
俺はあまりそういう事が得意ではないから、素直に尊敬するな。
しかし、今にして思えば、リリーの着ていた服もそうだし、用意して貰った浴衣もそうだったが、作り込まれており完成度が高かった。
レイリさんのお陰なのかと思っていたが、リリーもちゃんと手伝って、その技術を習得していたんだなと、今更ながらに納得する。
「よし……できましたー!」
そんな風に、感心しながら見ていたが、どうやら縫い終わったらしく、誇らしげにその袋を掲げる。
「どうですか、ツバサ様? こんな感じで、ここに足と手を通して使おうと思うんですけど」
そうやって彼女が見せてくれたのは、先程までただの袋状だった所に、手と足を通す穴を開け、俺がすっぽりと収まる様にした物だった。
しかも、俺のお尻と背中が当たる部分は、何かを詰めたらしく、柔らかいながらもしっかりと体重を預けられるような形にしたらしい。
凄いな、この短時間で形を保ちながら、更に改修するとは。リリーやりおるわい。
しかし、これはあれだなぁ。ちょっと使い勝手が悪そうだ。主にリリー側の。
袋のままだから、結局これを更に、何かで……例えば紐とか帯のようなもので、身体に固定する必要が出ちゃうよな。
どうせなら、抱っこ紐とかおんぶ紐とか、そういう形に近付けた方が良いんじゃないだろうか? その方が、リリーの負担も減るだろうし、俺も楽になるだろうから。
そう思い、彼女の腕を2回叩く。時間はかかった物の、何とかその意図を伝えると、彼女は感動した様に俺の方を見て、
「そんな形があったとは……流石、ツバサ様です。 分かりました! すぐに作業に取り掛かりますね! そうすると、布が足りませんね。あ、補強のための革も必要ですね。後は……」
目を輝かせ手を打つと、すぐさま、必要な物を確認しだし、自分の世界へと没頭していくリリー。
そう言えば、彼女がここまで張り切って何かを作っている所って、見た事無かったな。
食事とかはお世話になっていたけど、まぁ、何か生活の一部と言うか延長だったせいもあって、どこか当たり前な感じもあったし。
今の彼女は、何と言うか、今迄見た中でも、群を抜いて、生き生きとしているように見える。
そう、例えるなら、趣味を楽しむ、可愛い女の子のそのものだ。
元々そうだったのか、はたまた、何かが開花したのかはわからないが、彼女のこういう姿は新鮮に映る。
うん、起きてから、どうも心配した顔だったり、妙に張り切った顔だったりしか見ていなかったから、素のままのリリーとやっと会えたような気がする。
時計も無いので時間は分からないが、部屋を照らすランプの炎が揺れ、彼女が針を黙々と通す音と、衣擦れの音が、申し訳無さげに部屋に響く。
ただ、それだけしか存在しないかのように、この部屋の時間はゆっくりと流れているように感じた。
こういう時間も良いな。
ただそのままに、時間の流れに身を委ねられる雰囲気と環境というのは、何物にも代えがたい。
この世界に来てから、本当にそれを実感する。
元来、俺は、あまり急いで何かをやるのは得意では無い。
だが、実際の所、元の世界では、時間と事象に追われるように、生きていた気がする。
働かなくてはいけない。しっかりしなければいけない。
男性はかくあるべし。女性は云々かんぬん。
◯◯でなければ……そう言った幻想に、囚われすぎていた様に、思えた。
勿論、人様に迷惑をかけるのは、俺としても本意では無いから、人前ではある程度、その流れに従う部分もある。
と言うか、意識的にせよ、無意識にせよ、そうでなければ、日常と言う名の社会生活を送ることは難しい。
しかし、そんな生き方をしていると、徐々に息が詰まって来ると、感じた事は無いだろうか?
楽しかったことが、何時の間にか、義務に変わり、追い立てられる。
人と合わせないと自分の居場所がなくなる気がする。
そうして、形容しようも無い無味無臭の強迫観念に似た何かに、俺達は何時の間にか囲まれ、喘いでいたのかなと、今にして思う。
だから、時々、人の目を気にせず、心を開放する時間って必要だなと、何ともなしには思っていたし、皆、そういう時間を持っていたんだよな。
それは、人によって形は違っていただろうが、必要だった。
俺も、勿論、そういう時間はあった。
だが、その時間で俺はやはり、何かを追う様に、貪るように過ごしていたなと、今にしてみれば思う。
それは、ゲームだった。読書だった。音楽だった。アニメだった。散歩だった。スポーツだった。友と過ごす時間だった。
だが、寝る、以外の事で何もしない時間と言う物を、積極的に取ったことは無かったと、記憶をさらいながら実感する。
今、こうして、俺はただ、彼女が袋を繕う様子だけを見て、無為に時間を過ごしている。
元の世界にいた俺にとっては、無駄と言っても良い位、意味の薄い時間だ。
この時間を使って、これからの事を考えることも出来る。新しい魔法の開発も出来るかもしれない。
そんな風に、思ってしまうと同時に、本能に刷り込まれたかのような、焦りにも似た衝動が、湧き上がる。
心の奥底から、『その時間を何かに当てろ』と声がする。
だが、俺はそれをただ、漫然と受け流した。
今なら、何となく分かるんだ。
こんな無為な時間が、結構、大切なんだって事。
そうだな。落ち着いたら、リリーを連れて……いや、連れて行ってもらうかもしれないが、またこんな時間を過ごそう。
今は手を動かす彼女にも、こんな穏やかな時間を、体験させてあげたいな。
願わくば、同じ気持ちを共有できたなら、それは最高の時間になるのではないだろうか?
真剣な顔付きながらも、どこか穏やかな雰囲気を纏った彼女の姿を見て、俺はそんな事を、ただ漠然と考えていたが、その思考も止め、ただ、この空間でのんびりとすることにしたのだった。
「……だから、それは難しい」
「いつも、そうじゃねぇか!?」
いつの間にか寝てしまった俺は、そんな怒気を孕んだ声で目を覚ます。
おや、ここは、どこだ?
寝ぼけた頭をフル回転しながら周りの様子を伺うと、どうやら、少し広めの部屋の中だった。
そして、俺の目の前にある温かくも柔らかい丘は、どうやらリリーの背中のようだ。おんぶ紐モドキは、無事に完成して、既に使用中のようである。
その強度を試すため、わざと身体を離すように、下向きに体重をかけてみたが、お尻と背中はしっかりと支えられており、安定感がある。柔らかいソファーのようで、目の前もリリーの背中なので、何というか、安心感すらあるかな。
そんな風に俺が身じろぎした事で、彼女も俺が目を覚ましたことに気がついたようだが、俺に優しく手を添えるとすぐに視線を前方へと戻した。
ふむ、どうやら、お取り込み中かね?
少し力を入れて体勢を変え、リリーの肩越しに様子を伺うと、多種多様な獣人達が、長方形の机を囲むように、席についている様子が見える。
そんな視線の先には、頭に生える小さく丸い獣耳を逆立てるように怒鳴っている、獣人族の若者が一人。
その対面には、腕組みしたままその声を涼しい顔で受け流している、毛深い大柄の男が一人。
ふむ、何かいきなりの状況で訳わからんが……ここは、会議室かな?
視界に映る部屋の様子もそうだし、その独特の雰囲気は、正に、会議の真っ最中と言った感がある。
そんな中、その二人の獣人が、何事かを言い争っているらしく、それをリリーは注意深く見つめているようだった。
他の獣人達も、その動向を見守りつつ、視線を向けているように見える。
「毎回毎回、それだ! そんなことはないさ! 俺達だって、立派に戦える!! なぁ、皆!」
そんな風に若者が声を上げれば、同調するように、「そうだ!」「俺達だって、役に立ちてぇよ!」と言った、荒々しい声が響く。
しかし、その様子に全く動じない大柄の男は、首をゆっくり振ると、はっきりとした口調で否定の言葉を口にした。
「いや、駄目だな。まだ早い」
短くもあったが完全なる拒絶に、若者は一瞬、言葉を失ったが、次の瞬間、まるで燻った火が勢いを取り戻すかのように、激しく捲し立てた。
「そうは言うけどよ! 俺達だって、もう半年以上、訓練受けてんだよ! そろそろ実戦だってこなせるだろうよ!?」
「いや、無理だな」
またも全く言葉を挟む余地もない程、完全なる否定が、若者達へと投げつけられる。
それを聞いて、悔しそうに、身体を震わせる若者の獣人達。
そんな若い彼に同調している他の獣人達は、ここから見るだけでも結構多いようで、数で言えばこの会議に出席している半分に近いと思われる。
よく見れば、その若者の獣人達は俺から見て向かって左側に座り、そちらの方は、血気盛んな感じを隠そうともせず、対面へとその苛立ちの篭った視線を向けていた。
対して、俺の右手側には、物静かな獣人達が座っており、その誰もが、達観した雰囲気を纏っている。中には呆れたような表情を浮かべたり、仕方ないなと言うように苦笑している者もいたが、総じて特に怒りを抱いているものはいないようだ。
何というか、旧派閥と新派閥のぶつかり合いと言った様相が見て取れるな。
しかも、世代がまるで違う感じすらするし。ふむ、大丈夫なのかね? これは。
どうやら、実戦への参加を希望する若い世代と、それを時期尚早と判断する実働部隊の話し合いだと思うのだが。
何というか、こう、血気盛んな若者達を諭すにしても、言葉が少なすぎる感じがするなぁ。
せめて、何で駄目か位は……って、弱いからなんだろうなぁ。そりゃ面と向かっては、言えないか。
事実は事実なんだろうし、そう判断するに足る根拠もあるんだろうな。
「けどよぉ……俺達だって、このままじゃ、いてもたってもいられねぇんだよ。最近は、出動も多いじゃねぇか! 人手も足りてねぇんだろ!?」
ふと、そんな言葉が若者からポツリと漏れた。
その言葉に、瞑目したまま答えない大柄の男。その様子が、その言葉を事実だと告げているように、俺には感じられた。
「このままじゃ、いつか死人が出ちまうだろうよ!? だったら、俺達だって少しでも役に立ちたいって思うのは間違ってんのかよ!?」
血を吐くように叫ぶ若者の言葉に、場は静まり返る。
別に若者の方も、ただ自分の力を過信して戦いたいと志願している訳でもないようだな。
「だがな、今のお前達では、影の相手は無理だ」
ドクリと、心臓が大きく拍動したように感じた。
ああ、そうか。それが原因か。
困ったな。状況は不明だが、半分は俺のせいみたいなものじゃないか。
いや、まぁ、正確には俺のせいじゃないんだけどさ……やっぱ、寝覚めが悪いよなぁ。
そんな風に、ちょっとした罪悪感にかられている俺を置いて、更に事態は進む。
「それにな……お前達がそこまで必死になる本当の理由は……違うだろう?」
そんな大柄の男の一言で、若者達が一気にざわついた。
「そ、そんな事、ない。お、俺達は、この団の未来を憂いて……」
若者を代表して喋っていた彼も、いきなりしどろもどろになって反論しているが……どうやら、その様子を見るに指摘は的を射ているようだ。
ん? なんだ? 潮目が変わったというか……あれ?
「お前ら……あれだろ? お嬢と一緒に、戦いたいだけだろ?」
大柄の男がニヤつきながら、そんな言葉を発すると、そちら側に座る落ち着いた者達も、「若いねぇ」とか「尻の青い若造には早いな」と、笑顔で囃し立てる。
「ば、ちげぇーよ!? ……ま、まぁ、そりゃ、姉御と戦えたら、嬉しいけどよ」
対して若者達は、何故か照れたようにチラチラと視線をこちら……と言うか、リリーに送りつつ、そう述べるに留まる。つか、本心ダダ漏れじゃないですか。
一気に何というか、シリアスな空気が何処かに飛んでいった。
つうか、俺の深刻な気分を返せ。罪悪感を返せ。
そんな一気に緩んだ場の雰囲気を見て、ここが好機と見たのだろう。
リリーは息を吐くと、ゆっくりと若者達に語りかける。
「マイスさん。お気持ちは嬉しいですが、私もまだ訓練が必要だと思います。それに、貴方達に万が一のことがあれば、皆、哀しみますよ? 」
そんなマイスと呼ばれた若者の獣人は、リリーの言葉を受けて、一瞬、呆然としたが、途端に顔を真っ赤にすると、一気に挙動不審になる。
「あ、姉御!? あ、あの、それは、姉御もそうなのでしょうか……」
「私も、とは?」
リリーが小首を傾げ、その意味を問うと、何故か一瞬、部屋がざわついた。
あー……なんか、この感じ、凄く既視感が……。
「い、いえ、その、姉御も、俺ら如きの事でも、その、哀しんで下さるの、かなぁと」
「ええ、勿論、皆さんが傷つくのは哀しいですし、嫌です。だから、私も頑張りますし、皆さんも、怪我をしないように、訓練を頑張ってくださいね?」
そんなリリーの言葉を受けてだろう。若者達のどよめきが、部屋を揺らす。
「わ、わっかりやした! 早く姉御の隣に立てるよう、鍛えます! おい、お前ら、姉御のためにも、早く一人前になるぞぉ!」
続くように、うおおおおお!と言う野郎共の雄叫びが、部屋に響き、先程の比ではない勢いで、部屋が振動した。
大柄の男達をはじめ、リリーもその光景を、いつもの事のように微笑ましそうに見つめていた。
うん、コレってアレだわ。森でのリリー親衛隊のあの雰囲気と瓜二つだわ。
つまり、ここでもリリーはそう言う状況なのな。
リリー、恐ろしい子!?
待てよ……? と言う事は、この先待ち構えているのって、俺絡みの騒動なんじゃないかね?
前に経験した状況と、多くが合致することを踏まえると、次のターゲットは俺になる。しかも、近い内に、ほぼ確実にそうなるだろう。
あー……これは、早急に対策が必要だろうなぁ。場合によっては洒落にならん事になりかねないぞ?
俺は、そんな若者達の雄叫びを聞き流しながら、この先に起こるであろう、騒動を幻視して一人震えるのであった。
そうして、俺は、定位置である籠に納まり、彼女はかつて使っていた袋を作り直す作業に没頭している。
彼女が繕い物をする姿は初めて見たが、淀みなく進む手を見て、感動すら覚えていた。
自分も取れたボタンの縫い付けや、裾上げ位はしたことがあったが……そんな物とは、比べ物にするのも申し訳ないと思えるほど、何か別次元の作業をしている様に思えてしまうな。
俺はあまりそういう事が得意ではないから、素直に尊敬するな。
しかし、今にして思えば、リリーの着ていた服もそうだし、用意して貰った浴衣もそうだったが、作り込まれており完成度が高かった。
レイリさんのお陰なのかと思っていたが、リリーもちゃんと手伝って、その技術を習得していたんだなと、今更ながらに納得する。
「よし……できましたー!」
そんな風に、感心しながら見ていたが、どうやら縫い終わったらしく、誇らしげにその袋を掲げる。
「どうですか、ツバサ様? こんな感じで、ここに足と手を通して使おうと思うんですけど」
そうやって彼女が見せてくれたのは、先程までただの袋状だった所に、手と足を通す穴を開け、俺がすっぽりと収まる様にした物だった。
しかも、俺のお尻と背中が当たる部分は、何かを詰めたらしく、柔らかいながらもしっかりと体重を預けられるような形にしたらしい。
凄いな、この短時間で形を保ちながら、更に改修するとは。リリーやりおるわい。
しかし、これはあれだなぁ。ちょっと使い勝手が悪そうだ。主にリリー側の。
袋のままだから、結局これを更に、何かで……例えば紐とか帯のようなもので、身体に固定する必要が出ちゃうよな。
どうせなら、抱っこ紐とかおんぶ紐とか、そういう形に近付けた方が良いんじゃないだろうか? その方が、リリーの負担も減るだろうし、俺も楽になるだろうから。
そう思い、彼女の腕を2回叩く。時間はかかった物の、何とかその意図を伝えると、彼女は感動した様に俺の方を見て、
「そんな形があったとは……流石、ツバサ様です。 分かりました! すぐに作業に取り掛かりますね! そうすると、布が足りませんね。あ、補強のための革も必要ですね。後は……」
目を輝かせ手を打つと、すぐさま、必要な物を確認しだし、自分の世界へと没頭していくリリー。
そう言えば、彼女がここまで張り切って何かを作っている所って、見た事無かったな。
食事とかはお世話になっていたけど、まぁ、何か生活の一部と言うか延長だったせいもあって、どこか当たり前な感じもあったし。
今の彼女は、何と言うか、今迄見た中でも、群を抜いて、生き生きとしているように見える。
そう、例えるなら、趣味を楽しむ、可愛い女の子のそのものだ。
元々そうだったのか、はたまた、何かが開花したのかはわからないが、彼女のこういう姿は新鮮に映る。
うん、起きてから、どうも心配した顔だったり、妙に張り切った顔だったりしか見ていなかったから、素のままのリリーとやっと会えたような気がする。
時計も無いので時間は分からないが、部屋を照らすランプの炎が揺れ、彼女が針を黙々と通す音と、衣擦れの音が、申し訳無さげに部屋に響く。
ただ、それだけしか存在しないかのように、この部屋の時間はゆっくりと流れているように感じた。
こういう時間も良いな。
ただそのままに、時間の流れに身を委ねられる雰囲気と環境というのは、何物にも代えがたい。
この世界に来てから、本当にそれを実感する。
元来、俺は、あまり急いで何かをやるのは得意では無い。
だが、実際の所、元の世界では、時間と事象に追われるように、生きていた気がする。
働かなくてはいけない。しっかりしなければいけない。
男性はかくあるべし。女性は云々かんぬん。
◯◯でなければ……そう言った幻想に、囚われすぎていた様に、思えた。
勿論、人様に迷惑をかけるのは、俺としても本意では無いから、人前ではある程度、その流れに従う部分もある。
と言うか、意識的にせよ、無意識にせよ、そうでなければ、日常と言う名の社会生活を送ることは難しい。
しかし、そんな生き方をしていると、徐々に息が詰まって来ると、感じた事は無いだろうか?
楽しかったことが、何時の間にか、義務に変わり、追い立てられる。
人と合わせないと自分の居場所がなくなる気がする。
そうして、形容しようも無い無味無臭の強迫観念に似た何かに、俺達は何時の間にか囲まれ、喘いでいたのかなと、今にして思う。
だから、時々、人の目を気にせず、心を開放する時間って必要だなと、何ともなしには思っていたし、皆、そういう時間を持っていたんだよな。
それは、人によって形は違っていただろうが、必要だった。
俺も、勿論、そういう時間はあった。
だが、その時間で俺はやはり、何かを追う様に、貪るように過ごしていたなと、今にしてみれば思う。
それは、ゲームだった。読書だった。音楽だった。アニメだった。散歩だった。スポーツだった。友と過ごす時間だった。
だが、寝る、以外の事で何もしない時間と言う物を、積極的に取ったことは無かったと、記憶をさらいながら実感する。
今、こうして、俺はただ、彼女が袋を繕う様子だけを見て、無為に時間を過ごしている。
元の世界にいた俺にとっては、無駄と言っても良い位、意味の薄い時間だ。
この時間を使って、これからの事を考えることも出来る。新しい魔法の開発も出来るかもしれない。
そんな風に、思ってしまうと同時に、本能に刷り込まれたかのような、焦りにも似た衝動が、湧き上がる。
心の奥底から、『その時間を何かに当てろ』と声がする。
だが、俺はそれをただ、漫然と受け流した。
今なら、何となく分かるんだ。
こんな無為な時間が、結構、大切なんだって事。
そうだな。落ち着いたら、リリーを連れて……いや、連れて行ってもらうかもしれないが、またこんな時間を過ごそう。
今は手を動かす彼女にも、こんな穏やかな時間を、体験させてあげたいな。
願わくば、同じ気持ちを共有できたなら、それは最高の時間になるのではないだろうか?
真剣な顔付きながらも、どこか穏やかな雰囲気を纏った彼女の姿を見て、俺はそんな事を、ただ漠然と考えていたが、その思考も止め、ただ、この空間でのんびりとすることにしたのだった。
「……だから、それは難しい」
「いつも、そうじゃねぇか!?」
いつの間にか寝てしまった俺は、そんな怒気を孕んだ声で目を覚ます。
おや、ここは、どこだ?
寝ぼけた頭をフル回転しながら周りの様子を伺うと、どうやら、少し広めの部屋の中だった。
そして、俺の目の前にある温かくも柔らかい丘は、どうやらリリーの背中のようだ。おんぶ紐モドキは、無事に完成して、既に使用中のようである。
その強度を試すため、わざと身体を離すように、下向きに体重をかけてみたが、お尻と背中はしっかりと支えられており、安定感がある。柔らかいソファーのようで、目の前もリリーの背中なので、何というか、安心感すらあるかな。
そんな風に俺が身じろぎした事で、彼女も俺が目を覚ましたことに気がついたようだが、俺に優しく手を添えるとすぐに視線を前方へと戻した。
ふむ、どうやら、お取り込み中かね?
少し力を入れて体勢を変え、リリーの肩越しに様子を伺うと、多種多様な獣人達が、長方形の机を囲むように、席についている様子が見える。
そんな視線の先には、頭に生える小さく丸い獣耳を逆立てるように怒鳴っている、獣人族の若者が一人。
その対面には、腕組みしたままその声を涼しい顔で受け流している、毛深い大柄の男が一人。
ふむ、何かいきなりの状況で訳わからんが……ここは、会議室かな?
視界に映る部屋の様子もそうだし、その独特の雰囲気は、正に、会議の真っ最中と言った感がある。
そんな中、その二人の獣人が、何事かを言い争っているらしく、それをリリーは注意深く見つめているようだった。
他の獣人達も、その動向を見守りつつ、視線を向けているように見える。
「毎回毎回、それだ! そんなことはないさ! 俺達だって、立派に戦える!! なぁ、皆!」
そんな風に若者が声を上げれば、同調するように、「そうだ!」「俺達だって、役に立ちてぇよ!」と言った、荒々しい声が響く。
しかし、その様子に全く動じない大柄の男は、首をゆっくり振ると、はっきりとした口調で否定の言葉を口にした。
「いや、駄目だな。まだ早い」
短くもあったが完全なる拒絶に、若者は一瞬、言葉を失ったが、次の瞬間、まるで燻った火が勢いを取り戻すかのように、激しく捲し立てた。
「そうは言うけどよ! 俺達だって、もう半年以上、訓練受けてんだよ! そろそろ実戦だってこなせるだろうよ!?」
「いや、無理だな」
またも全く言葉を挟む余地もない程、完全なる否定が、若者達へと投げつけられる。
それを聞いて、悔しそうに、身体を震わせる若者の獣人達。
そんな若い彼に同調している他の獣人達は、ここから見るだけでも結構多いようで、数で言えばこの会議に出席している半分に近いと思われる。
よく見れば、その若者の獣人達は俺から見て向かって左側に座り、そちらの方は、血気盛んな感じを隠そうともせず、対面へとその苛立ちの篭った視線を向けていた。
対して、俺の右手側には、物静かな獣人達が座っており、その誰もが、達観した雰囲気を纏っている。中には呆れたような表情を浮かべたり、仕方ないなと言うように苦笑している者もいたが、総じて特に怒りを抱いているものはいないようだ。
何というか、旧派閥と新派閥のぶつかり合いと言った様相が見て取れるな。
しかも、世代がまるで違う感じすらするし。ふむ、大丈夫なのかね? これは。
どうやら、実戦への参加を希望する若い世代と、それを時期尚早と判断する実働部隊の話し合いだと思うのだが。
何というか、こう、血気盛んな若者達を諭すにしても、言葉が少なすぎる感じがするなぁ。
せめて、何で駄目か位は……って、弱いからなんだろうなぁ。そりゃ面と向かっては、言えないか。
事実は事実なんだろうし、そう判断するに足る根拠もあるんだろうな。
「けどよぉ……俺達だって、このままじゃ、いてもたってもいられねぇんだよ。最近は、出動も多いじゃねぇか! 人手も足りてねぇんだろ!?」
ふと、そんな言葉が若者からポツリと漏れた。
その言葉に、瞑目したまま答えない大柄の男。その様子が、その言葉を事実だと告げているように、俺には感じられた。
「このままじゃ、いつか死人が出ちまうだろうよ!? だったら、俺達だって少しでも役に立ちたいって思うのは間違ってんのかよ!?」
血を吐くように叫ぶ若者の言葉に、場は静まり返る。
別に若者の方も、ただ自分の力を過信して戦いたいと志願している訳でもないようだな。
「だがな、今のお前達では、影の相手は無理だ」
ドクリと、心臓が大きく拍動したように感じた。
ああ、そうか。それが原因か。
困ったな。状況は不明だが、半分は俺のせいみたいなものじゃないか。
いや、まぁ、正確には俺のせいじゃないんだけどさ……やっぱ、寝覚めが悪いよなぁ。
そんな風に、ちょっとした罪悪感にかられている俺を置いて、更に事態は進む。
「それにな……お前達がそこまで必死になる本当の理由は……違うだろう?」
そんな大柄の男の一言で、若者達が一気にざわついた。
「そ、そんな事、ない。お、俺達は、この団の未来を憂いて……」
若者を代表して喋っていた彼も、いきなりしどろもどろになって反論しているが……どうやら、その様子を見るに指摘は的を射ているようだ。
ん? なんだ? 潮目が変わったというか……あれ?
「お前ら……あれだろ? お嬢と一緒に、戦いたいだけだろ?」
大柄の男がニヤつきながら、そんな言葉を発すると、そちら側に座る落ち着いた者達も、「若いねぇ」とか「尻の青い若造には早いな」と、笑顔で囃し立てる。
「ば、ちげぇーよ!? ……ま、まぁ、そりゃ、姉御と戦えたら、嬉しいけどよ」
対して若者達は、何故か照れたようにチラチラと視線をこちら……と言うか、リリーに送りつつ、そう述べるに留まる。つか、本心ダダ漏れじゃないですか。
一気に何というか、シリアスな空気が何処かに飛んでいった。
つうか、俺の深刻な気分を返せ。罪悪感を返せ。
そんな一気に緩んだ場の雰囲気を見て、ここが好機と見たのだろう。
リリーは息を吐くと、ゆっくりと若者達に語りかける。
「マイスさん。お気持ちは嬉しいですが、私もまだ訓練が必要だと思います。それに、貴方達に万が一のことがあれば、皆、哀しみますよ? 」
そんなマイスと呼ばれた若者の獣人は、リリーの言葉を受けて、一瞬、呆然としたが、途端に顔を真っ赤にすると、一気に挙動不審になる。
「あ、姉御!? あ、あの、それは、姉御もそうなのでしょうか……」
「私も、とは?」
リリーが小首を傾げ、その意味を問うと、何故か一瞬、部屋がざわついた。
あー……なんか、この感じ、凄く既視感が……。
「い、いえ、その、姉御も、俺ら如きの事でも、その、哀しんで下さるの、かなぁと」
「ええ、勿論、皆さんが傷つくのは哀しいですし、嫌です。だから、私も頑張りますし、皆さんも、怪我をしないように、訓練を頑張ってくださいね?」
そんなリリーの言葉を受けてだろう。若者達のどよめきが、部屋を揺らす。
「わ、わっかりやした! 早く姉御の隣に立てるよう、鍛えます! おい、お前ら、姉御のためにも、早く一人前になるぞぉ!」
続くように、うおおおおお!と言う野郎共の雄叫びが、部屋に響き、先程の比ではない勢いで、部屋が振動した。
大柄の男達をはじめ、リリーもその光景を、いつもの事のように微笑ましそうに見つめていた。
うん、コレってアレだわ。森でのリリー親衛隊のあの雰囲気と瓜二つだわ。
つまり、ここでもリリーはそう言う状況なのな。
リリー、恐ろしい子!?
待てよ……? と言う事は、この先待ち構えているのって、俺絡みの騒動なんじゃないかね?
前に経験した状況と、多くが合致することを踏まえると、次のターゲットは俺になる。しかも、近い内に、ほぼ確実にそうなるだろう。
あー……これは、早急に対策が必要だろうなぁ。場合によっては洒落にならん事になりかねないぞ?
俺は、そんな若者達の雄叫びを聞き流しながら、この先に起こるであろう、騒動を幻視して一人震えるのであった。
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