比翼の鳥
第19話 湯煙の中で
とりあえず、カスードさんへのお仕置きも終えて、気分もスッキリした俺は、温泉へ行く事にする。
ちなみに、カスードさんは体中に霜を張り付かせながら、床でピクピクと震えていた。
流石にちょっとやりすぎた……。
このまま放っておくと死んでしまいそうだな……。
そんな事を考えていた俺に、畏怖の視線を向ける長老達ではあったが、それを背中で受け止めると、カスードさんを拾い上げ、温泉へと向かう。
外へ出ると、ルナ、リリーと宇迦之さんに伴われて、シャハルさんがこちらに歩いてくるのが見えた。
そして、4人とも、俺が肩で抱える物体に視線を向け、そして、興味を失ったかのように俺へと視線を戻す。
女性陣は、「ああ、カスードさんだ。またか……。」と言う反応。
シャハルさんは、眉こそ若干、訝しげに動かしたものの、それ以外の反応を見る事はできなかった。
「ツバサさん。どこに行かれるのですか?」
リリーが、そんな風に聞いて来たので、
「ああ、これを解凍するついでに、俺もちょっと温泉に浸かろうかなーと思ってね。」
担いだ霜着きカスードさんを見せつつ、そんな風に答えるも、4人とも更に訝しげな顔を見せる。
ああ、そうか、温泉の事は、まだ話していなかったな。
俺が簡単に説明すると、皆、興味津々のご様子なので、全員で向かう事となった。
ルナは、
《 どうせなら、皆も誘うね! 》
と、虚空に文字を書くと同時に、ビビを顕現して、飛び去った。
あの様子だと、ティガ親子やレイリさんと此花、咲耶を呼びに言ったのだろう。
念のために、俺は、全員に通信を送り、ルナがこれから迎えに行く事を伝えておく。
皆、一様に驚いていたようだが、拒否するものはいなかった。
うーむ、これは、本格的に整備しておかないと、色々面倒な事が起こりそうだな。
俺は、着いたらとりあえず、脱衣所だけでも作ろうと、心に決めるのだった。
そういえば……シャハルさんは翼があるけど、良いんだろうか?
鳥が水浴びをする事はあっても、温泉に浸かると言う話を聞いた事が無いのだが……。
翼が濡れるのが嫌だとか、そういうことは無いのだろうか?そう思い聞いてみる。
「いえ、特に問題はありません。むしろ、翼を洗う機会が少ないので、これを機に綺麗にしておきたいですね。」
と、笑顔で答えるシャハルさん。
どうやら、聞くと、雨が降ったときくらいしか、体を清める機会が無かったとのこと。
それでその清潔さって……。
俺は煮え切らない思いを胸に、温泉へと歩を進めるのだった。
丁度、温泉に到着したと同時に、皆を乗せたビビが、音も無く空から降りてきた。垂直に……。
飛んだら飛んだで、非常識な存在に俺はモヤっとするも、あえて口には出さず、皆に声をかける。
「皆、いきなりごめんな。けど、きっと気に入ると思うから。」
そんな俺の言葉に、レイリさんは、
「いえ、少し休もうと思っていたので、丁度よろしゅう御座いました。」
と、微笑んだ後、俺の抱えているカスードさんに目をやり、先程から、俺の後ろを何故かついて回るシャハルさんに目を向けた。
そんな視線を受けて、シャハルさんは一瞬目を見張るも、直ぐにいつもの通りの冷たい眼差しに戻る。
ん? なんか一瞬驚いたようだったが……なんだろうか?
そんな俺の疑問を挟む余地も無く、レイリさんが少し軽快したように、俺に問う。
「そちらは……翼族の長老様ですか?」
「ああ、そうだね。翼族長老のシャハルさんだよ。」
俺のそんな説明に、シャハルさんは、スッと一歩前に出ると、レイリさんの前に立ち、
「王よりご紹介いただきました、翼族長老 シャハルと申します。これから暫くの間、この村にご厄介になることになりました。翼族共々、よろしくお願いいたします。」
そう、丁寧に頭を下げる。
俺の時とは、偉い違いではないか……。
心ではそう思うものも、顔には出さない。つもり……だが、自信が無い。
そんな俺の葛藤を尻目に、2人の挨拶は続いていた。
「丁寧なご挨拶、ありがとうございます。ツバサ様の第三夫人、レイリです。長老様でしたら、これからお話しする事もあるでしょう。今後とも、よろしくお願いいたします。」
と、優雅に、一礼するレイリさん。
そこは、犬狼族の巫女ではないのか? それともけん制だろうか?
少しその挨拶を不思議に思いながら、やり取りを見守る。
いつも思うけど、この人の所作は、いちいち綺麗だ。
特に、着物と言う事もあるのだろう。
そのちょっとした仕草に、目が行くのである。
そして、それはシャハルさんも例外ではなく、少しの間ではあったが、見入っているのが俺でも分かった。
ちなみに、着物で思い出したが……シャハルさんは、こちらに来る前は背中が大きく開いた、服と呼んでも良いのか分からない布を巻いていたのだが……流石に、こちらに来て直ぐに着替えたらしく、今は、俺と同じような着物に身を包んでいる。
背中には切れ込みが入っているので、そこから翼を通して、外に出しているようだ。
シャハルさんは、少し固まっていたが、「ええ、こちらこそ宜しくお願いします。」と、短く挨拶を終えると、俺の後ろへとまた下がる。
だから、何故俺の背後につく……。
そして、後ろから隠れていたディガの親子が現れると、シャハルさんは、音を鳴らし、凄い勢いで後ずさる。
ああ、なんだか、懐かしい反応だな。
皆の目も、シャハルさんを見る目が、何か生暖かいのが分かった。
「やぁ、ヒビキ、クウガ、アギト。君らもお湯は大丈夫かな?」
俺のそんな問いに、それぞれ元気に声を返すティガ親子。
うん。可愛いなぁ。こいつめ。
俺は、思わず、3頭まとめて撫で回す。
そして、そんなティガ達を羨ましそうに見ていた娘達に、声をかけた。
「此花、咲耶、君らも大丈夫かな? この前は演奏、凄かったぞ。」
「お父様! 私達、お湯に入るのは初めてですから、楽しみですわ!」
「父上! あれはルナ姉上の力もありまして、我々はその力を受け入れただけなのです。」
俺は、2人の頭をそれぞれ撫でつつ、少し会話をした後、ルナとリリーに2人を任せる事にした。
まだ小さいから、男湯で俺が見ても良いんだが、今日はお客様もいる事だし、念のために女湯に入ってもらう事にしたのだ。
そして、そんな風に軽く皆と話した後に、漸く温泉へと入る事になったのだが……流石に、服も野ざらしのままでは、色々と問題なので、さくっと設備を造ることにした。
まず、脱衣所が無かったので、さっくりと作った。
狐族の村に行ったときに建てた、ロッジの簡易版だ。
前に作った事のあったものを流用したので、5分もかからず出来上がる。
その光景を見て、シャハルさんだけが、完全に声を失っていた。
逆に、他の人たちは慣れたもので、中を見てきた皆は、遠慮なく、要望を出して来る。
ティガはスロープを浴場と湯船に接続して欲しいとか、ルナはもっと浴槽を広くして欲しいとか……少しは遠慮して欲しい。
ちなみに、いつの間にか追いかけてきていた桜花さんにも、湯船を増やして欲しいと、当たり前のように言われたので、半ばやけっぱちに、まとめて作業する。
その間に、長老達には、温泉への入り方や、ルールについて説明してもらった。
ちなみに、捕捉として、もし、肌を晒すのがいやなら、薄い肌着があるので、それを巻いておくように言ったのだが、欲しがったのはリリーだけだった。
「皆さん……良いですよね……。見られて困る事、無いですもんね……。」
地面をイジイジとほじくり返しながら、リリーは涙を流しながらそう呟いていた。
いや、リリーはリリーで、綺麗なんだがな……と、俺は変身シーンを思い出しながら、心の中で呟くも、それを言うと、泥沼なので黙殺する。
それよりも……俺はある危惧を抱いていた。
そのため、俺は、ばれないように、男湯と女湯の仕切りを頑丈に岩で組み、障壁を張り巡らせておく。
また、ファミリアを壁に組み込み、いざと言うときの為の保険としておいた。
過剰な防備かもしれないが……何かやらかす気がするのだ。
特に、この仕切りは最終防衛線になる可能性が高いので、念入りに強化しておく。
同じように、外の柵にも魔力を通し、結界で補強する。
よし、これならば……多分大丈夫だろう……。
そんな事がありつつも、作業は順調に進み、結局15分もかからずに完成した。
その結果、ファミリアが飛び回る光景になったわけだが……まぁ、それは良いだろう。
シャハルさんは完全に置物と化していたが、俺の声でこちらに帰ってきた。
そして、何事も無かったかのように俺の斜め後ろに立つ。
いや……まぁいいや……何も言うまい。
「じゃあ、皆、適当に楽しんでくれ。何かあったら、声かけてくれれば分かるから。」
そんな俺の言葉に、それぞれが返事をすると、脱衣所へと消えて言ったのだった。
「これは……凄いですね……。」
シャハルさんは、浴場を見て、そう呟いた。
更に広くなった湯船より、常に上がる湯煙で奥が見えにくいものの、それが逆に風情を増し、湯船をより広く見せている。
綺麗に敷かれた石畳を踏みしめ、まずはかけ湯をする。
そして、担いできたカスードさんにお湯をぶっ掛けて、漸くカスードさんは目を覚ました。
「うお!? 熱ッ!? って……ツバサじゃねぇか……俺ぁ何を……。」
周りを見て、そして、俺の顔を見て何かを思い出したのか、ポンと手を叩く。
そんなカスードさんを見て、俺は安心すると、声をかけた。
「すいません。ちょっとやりすぎました。まぁ、けど後悔はしていませんが。」
「いや、少しはしてくれ……。あれは、もう2度と体験したくねぇぞ……。」
恐怖が蘇って来たのか、カスードさんはガタガタと震えだした。
「いや、そもそも……情報隠蔽とかするから、こんな事になるんでしょうに。流石に、俺に関わる事はちゃんと相談してくださいよ。」
そんな俺の言葉に、カスードさんは少しばつの悪い表情をしつつ、
「まぁ、そりゃ嘘付かれるのは嫌だよなぁ。次は、気をつけるよ。」
と、俺の心情を理解してくれたようなので、俺はこの件を水に流す事にした。
まぁ、場所的にはお湯だが。
そして、そんな俺達を横目で見つつ、シャハルさんもそれに倣って、恐る恐る湯をかぶっていた。
シャハルさんの裸を見て思ったが、やはり少し痩せこけているようだ。
まぁ、ルカール村にいれば、直ぐに栄養状態も回復するだろう。
ともかく、間に合ってよかったなぁ。
俺はそんな事を思いつつ、体を洗い始めると、女湯の方より声が聞こえてくる。
ルナもリリーも、そして此花と咲耶もはしゃいでいるようで、女性特有のキャーキャーと言う楽しそうで、姦しい声が、湯船に響き渡る。
俺はそんな声を聞きながら、スポンジ状になった謎な植物の実で、体を洗い始めた。
これは、最初は固い実なのだが、水やお湯につけると、それを吸って柔らかいスポンジ状の物体に解ける。
しかも、初めから石鹸に似たものが添加されているようで、少し揉むと泡立ち、これで体も食器も洗えるとあって、爆発的にルカール村に普及しているのだ。
ちなみに、例の如く、これも黒い植物から発見されていたので、恐らく俺の願望の結果だろう。
今のところ、目立った問題も起きていないので、俺も使っているわけだ。
シャハルさんも、真似するように体を洗い始め……そして、翼を洗い始めた。
髪を洗うときのように、撫で付けて優しく梳いていた。
しかし、どうやら手が届かない場所があるようで、苦労していたので、俺は思わず声をかける。
「シャハルさん。俺、洗いましょうか?」
そんな言葉に、驚いたように目を開き、俺の顔をマジマジと見つめてくる。
あれ? 俺、また何かやらかした?
そう思うも、直ぐにいつもの顔に戻り、
「では、お願いできますか?」
と、泡だらけのスポンジっぽい何かを渡してくる。
「え、ええ。何か問題があったら言ってくださいね?」
俺は、そう声をかけると、スポンジから泡を出しつつ、ゆっくりとシャハルさんの翼を洗う。
うーむ。これはこれで……なんという手触り。
今はお湯に触れて、艶やかな髪の毛のような状態になっているが、それでも手に吸い付くような手触りは絶品である。
これが乾いて、ふわふわのもこもこになったら、更に素晴らしい事になるのは、明らかだった。
っと、いかんいかん。
ちゃんと洗わないとな。
そうして、程なく洗い終え、泡も流した俺は、先程から反応の無いシャハルさんに声をかける。
「シャハルさん、こんなもんで大丈夫ですか?」
そんな俺の言葉に、ビクッと体を震わせると、
「はっ!? ああ、だ、大丈夫です。あ、ありがとうございました!」
と、何故か凄い勢いで立ち上がり、湯船へとダイブしていった。
いや、そんな急に立ち上がって湯船に入ったら……。
湯船に湯柱をあげた後、プカリとうつ伏せに浮かんできたシャハルさんを、慌てて介抱する長老達を見て、俺は首を傾げるのだった。
そんな騒動があり、シャハルさんがリタイアした後、俺はゆっくりと温泉に浸かっていた。
ちなみに、シャハルさんの面倒は、桜花さんが見てくれているので、男湯は俺とカスードさん、それにヨーゼフさんだけとなってしまった。
ちなみに、体を洗っている時に見えてしまったが……シャハルさんは、普通だった。
先程の妙な行動が気になる所ではあったが、俺は、少しこのイケメンを身近に感じたのだった。
「ツバサ殿、先程何か大きな音がしたが……大丈夫かの?」
宇迦之さんの声が響いてきたので、俺は少し大きな声で返事を返す。
「ああ、なんだかシャハルさんが調子が悪くなったらしくて、先に上がられました。今は、桜花さんが着いているから大丈夫ですよ。」
「そうか。難儀じゃの。まぁ、もう少しゆっくりしたら、わらわ達も上がるのでな。その時にまた声をかけるわい。」
「わかりました。」
しかし、それで終わらず、今度はルナとリリーに、何故かヒビキ達や此花と咲耶達まで会話に加わってきて、混乱の様相を呈してくる。
「ツバサ様、いらっしゃいますか? この温泉と言うのは、素晴らしいですわ。」
そんなレイリさんの声に、ヒビキの鳴き声と、リリーの賛同の声が重なる。
「お父様、温泉って気持ちが良いですわ!」「父上! 浴槽と言うのは、鍛錬に良いですな!」
笑い声と共に、湯を掻き分ける音が響く。
「こらー! 此花、咲耶! 湯船で泳いだら駄目だからな! 他の人がゆっくりしているのを邪魔するのは、お行儀が悪いぞ!」
そんな俺の言葉を聞いて、途端に静かになると、「「はい。ごめんなさい。」」と、2人揃って謝ってきた。
まぁ、なんだかんだ言っても、彼女らは子供だから、遊びたい気持ちも分かるし、遊ばせてあげたいけど、こういう事はきっちりしないとね。
そんな俺達の会話を聞いて、カスードさんがニヤニヤしながら声をかけてくる。
「こうやってよぉ、壁一枚の向こうに、裸の女性達……いいじゃねぇか。」
そう小声で言いながら、肩を組んでくる。
カスードさん、あんた、あんな目に合ったのに、まだ懲りないんだなぁ。
普通なら少しは、俺から距離を置くだろうに。
まぁ、そういう無頓着なところが、俺も好きだけどね。
「えーっと……俺の嫁や子供達に欲情するなら、今度は埋めますよ?」
そんな俺の冷ややかな言葉に、カスードさんは慌てて弁解する。
「いや、ちげぇよ! ただ、こういう見えないって言うのが、なんとも言えず興奮するじゃねぇか!」
そんな事を力説するカスードさん。
「それは良く分かるんですが……興奮している対象が、俺の家族と言う時点で、殺意しか沸きません。」
俺が冷笑しながら、冷ややかにそう告げると、カスードさんは笑って、
「そんな小せぇ事言うなよ。別に本当に、見るわけじゃねぇんだ。なぁ? ヨーゼフ。」
そんな良く分からない理屈をこねるカスードさんは、ヨーゼフさんにそう言葉を投げる。
「そうですね……あれだけの綺麗な方々が、向こうにいらっしゃる。その光景は……さながら桃源郷……。」
「だよな! ほら見ろ、ツバサ。ヨーゼフだって分かってるじゃねぇか。」
まさかヨーゼフさんまで……何、ぶっ壊れてるの!? この人たち!?
俺が言葉を失っていると、更にヒートアップしたカスードさんが、ヨーゼフさんの肩にも腕を回し、円陣を組むように顔を突き合わせて言う。
「今、丁度、うるせぇ桜花の爺さんはいねぇ。こんなチャンス、滅多に無いんだぞ? その薄い壁の向こうに、俺らの楽園が待っているんだ。それがわかっていながら、みすみすこのチャンスを不意にするのか? そんなこたぁ、できねぇだろ。」
真剣な眼差しで、俺とヨーゼフさんを交互に見る。
その顔は、いつに無く精悍であり、恐らく、これ程までに真面目で必死な顔のカスードさんを見たのは、初めてである。
そして、そんな気迫に押されるように、ヨーゼフさんも、目に力を灯すと、大きく頷く。
駄目だ……この人達……早く何とかしないと……。
そう思う俺に、ふと、場違いな疑問が浮かぶ。
あれ? そういや、この世界って、子供作るのに、その行為は必要ないはずだよな……?
じゃあ、何でこの人達、こんなに昂っているんだ?
急に気になってしまった俺は、聞いて見る事にする。
「あのー、盛り上がっている所、悪いんですけどね……。そもそも、裸の女性に興奮するのって何でです? 子供作るのに、女性を抱く必要は無いでしょ?」
そんな俺の言葉に、2人とも良くわからないと言う表情をすると、ヨーゼフさんが答える。
「ツバサ殿が言う事は良く分かりませんが……我々は、綺麗な方を抱きたいと言う欲求があるのは普通の事です。基本的には異性に対して、その衝動が起こりますが、同性であっても、その衝動が起こる事はありますね。」
「ついでに言うなら、何で抱くかって言えば、気持ち良いからだなぁ。俺らにも、何でかは良くわかんねぇけど、興奮するだろ? ツバサもそうじゃねぇのか?」
獣人族、はっちゃけてるなぁ……。
性に関しては、かなり垣根が低いという事が、今の会話から読み取る事ができた。
つまり、本能は、そこに残ったままなのか……。
それが、子供を成すためのものではなく、快楽を得るための手段になっていると。
ますます、この異世界の事が分からなくなってきた。
だって、こんなの……都合が良すぎる。
俺が、難しい顔をしていると、カスードさんが心配そうに見つめてきた。
「そうですか。とりあえず、理解は出来ました。俺も、綺麗な女性に対して興奮しますし、そういう欲求もありますよ。」
その言葉を聞いて、カスードさんは笑顔を浮かべると、「そうか! そうだよな!」と、嬉しそうに、俺の肩をバシバシと叩く。
そして、目を壁の向こうへと向ける2人。
その顔は、何かに挑む挑戦者のものであり、未知の世界を求める、探求者のようでもあった。
壁の向こうからは、楽しそうな女性達の声が聞こえてくる。
どうやら、リリーと宇迦之さん、そして、此花と咲耶が、お湯の掛け合いでもしているのだろう。
「やったのぉ!? これでどうじゃ!」
「きゃ!? 宇迦之さん、ずるいです!」
「ふはははは! わらわに勝つなど……うにゃ!? こら、此花殿、何故わらわの胸を揉む!?」
「むぅー。これは、凄い質量ですわ……。同じくらいの背丈なのに、このボリューム……反則ですわ!」
「ええ、姉上。何とか、この物体を我らにも……。」
「うう……わ、私にも……欲しいです。宇迦之さん、ください!」
「ちょ!? こりゃ! 待つのじゃ! 揉むな! うにゃぁ!?」
そんなある意味、凄く羨ましい会話と、水音と、乙女達の走る音が、響く。
俺らは3人で、その光景を妄想してしまい、誰とも無く唾を飲み込む……。
け、けしからん……なんてけしからん。
そして、カスードさんは、効果音が鳴りそうなほど、目に光を灯すと、男湯と女湯の境界である壁へと、歩み始める。
ヨーゼフさんも、フッと、爽やかな笑みを浮かべると、その後へと続く。
そして、俺はそんな2人の背を追い、2人の肩を掴むと、
「させるわけ無いでしょう? 俺、結構小さい男なんで。嫁さんの裸とか……他人に、見せられるわけ……ないじゃないですか。」
そう、笑顔で話しかける。
2人の表情が、絶望に染まるのを見届けた俺は、何の躊躇も無く、2人を男湯の湯船に投げ入れた。
そうして、本日2度目の湯柱が2本同時に立った後、俺は失神した2人を脱衣所にいる桜花さんに預けたのだった。
結局、一人で俺は温泉に浸かっていると、女湯から声が届く。
「あのー……ツバサさん。なんかまた、大きな音と何かお湯の柱が上がったんですけど……。」
リリーの声を聞いて、俺は笑いながら答える。
「いや、ちょっとカスードさんとヨーゼフさんが、足を滑らせてね。今は脱衣所で桜花さんが見てるから、大丈夫だよ。」
「はぁ……そうなんですか……?」
と、不思議そうなリリーの声を追うように、レイリさんの声が響く。
「ツバサ様。 と言うことは、今はそちらには、ツバサ様お一人ですか?」
「ええ、俺一人ですね。」
「そうですか。お一人ですか……。」
と言う、呟きとも取れるレイリさんの声を聞いて、俺は一瞬にして、何が起こるか理解した。
「あ、レイリさん?」
そう俺が口を開いたその瞬間、すごーく痛そうで、硬質な音が温泉中に響き渡る。
例えるなら、鐘に思いっきり何かをぶつけた時のような……。
そして、大音量と共に、女湯の方に湯柱が上がったのが見えた。
「お母さん!?」「レイリ殿!?」
という、リリーと宇迦之さんの声が響く。
あー……やっちまったよ。予想通りだけど。
「あー、女湯の諸君、一応言っておくが……女湯と男湯の壁の高さに、特殊な結界が張ってあってね……今みたいに、飛び上がって、覗こうとしたり、壁を乗り越えて来ようとすると、頭ぶつけるから、やらないでね?」
そういうわけで、覗き防止対策として、透明な結界を天井のように張り巡らせてある。
これは、空気も水も通すが、生物だけは通さない特殊な物だ。
だから、今のように、レイリさんが跳躍してこちらに来ようとすると、頭をぶつけて湯船へとダイブすることになる。
「ツバサさん……そういう事は……早めに言った方が……。」
リリーの微妙な声が響くも、俺は笑いながら、
「いやー……まさか、女性側からこちらに来ようとするとは、思って無くてねー。」
と、大嘘をかます。
いえ、実際は、対レイリさん用の備えです。
まぁ、さっきのカスードさんみたいな人に対しての、備えでもあるが。
とりあえず、レイリさんは、皆で脱衣所に運ばれて、マールさんに介抱されているようだ。
っていうか、いたのか……マールさん。
そして、また、ゆっくりとした時間が流れ始めた……かに見えたのだが。
そんな平和は、突如として破られる事になった。
「あれ? ヒビキ? それにクウガとアギトも。こっちに来たのか?」
俺の問いかけに、3頭揃って、嬉しそうに答える。
脱衣所から当たり前のように引き戸を開け、中に入ってきたのは、ティガ親子だった。
つか、どうやって引き戸開けたんだよ……。
そんな俺の声を聞きつけたのか、此花と咲耶が、
「あ、ずるいですわ!」「む、それならば、我々も!」
と、脱衣所を抜けて、鳥の姿でこちらにやってきた。
裸で外に出たなら怒ろうかと思ったが、ちゃんとその辺りは分かっているようで、一回鳥の姿になってから、男湯に入って再度人の姿に戻ったので、俺は何も言えなかった。
そうして、一気に、男湯がにぎやかになった。
湯船に浸かりながら、縁に体を預け、弛緩している俺の元に、此花と咲耶が近づいてきた。
そして、俺の両腕を枕にすると、どういう原理か、湯船に浮きながら気持ち良さそうにしている。
うーむ、流石、水の精霊の子。この程度、造作も無いか。
ティガ達も、一回外に出た為、足をしっかりと洗った後、湯船に浸かる俺にゆっくりと犬かきならぬ、ティガかきで泳いでくる。
そのまま、湯船の縁に捕まり、半分浮いた状態で気持ち良さそうにしていた。
「こういう風に、お湯に浸かってゆっくりとするのも良いものですな。父上。」
「本当に、時の流れが緩やかに感じますわ。お父様もそう思いませんか?」
「そうだなぁ。こうやって、たまには、ゆっくりとした時間に身を任せるのも良いね。」
咲耶と此花の言葉に、俺は答えると、それに賛同するように、ティガ達が鳴き声をゆるーくあげる。
そんな俺達の様子が、会話から想像できるのか、リリーが少し不満げに声を上げる。
「ううー。なんか、ずるいです!」
「けど、流石に、君達はこっちに来ちゃ駄目だぞー。」
俺がそう返すと、リリーは焦ったように、
「はぅ!? い、行きませんよ!」
と、叫んできた。
しかし、その直ぐ後、再度リリーの声が響き渡る。
「ルナちゃん? 何やって……って、駄目だよ!?」
その後、爆音と閃光が、女湯から響き渡った。
あちゃー……やらかしたか……ルナよ。
俺は天を仰ぎながら、その惨状を想像する。
「あー……ちなみにな、この仕切りの壁には、魔法を反射する結界と、俺が考え得うる最強の魔法障壁が施されているから。多分、ルナの魔法でも破れないぞ。」
というわけで、この壁には魔法を跳ね返す結界が張られている。
これは、魔法である以上、どうやっても破る事は不可能だ。
では、物理的に行けば良いのかと言うと、そこは魔法障壁によって、完全に守られている。
それが階層構造になっているため、俺が例え、全力で攻撃しても破る事は不可能だ。
正に、鉄壁であり、要塞である。
ルナは恐らく、魔法でぶち破ろうとしただろうが、それはルナに跳ね返っているだろう。
まぁ、彼女の事だから、とっさに防御もしているだろうし、探知の様子から見て、怪我をしているようにも見えない。
「る、ルナちゃん落ち着いて。女の子は男湯にいっちゃ駄目なんだよ!……え? 此花ちゃんと咲耶ちゃんは、子供だから良いの! え? ヒビキさんは人じゃないから良いんだよ。」
リリーがあたふたしながら、そんな風に説明する声が耳に入る。
あー、どうやら、自分達だけこちらに来れないのが、納得できないようだ。
だが、駄目なもんは駄目なのだ。
そりゃ、俺だって皆の裸を拝みたいという欲求はある。
一応、男だし。
けど、それ以上に恥ずかしいし、そんな度胸もまだ無い。
前と比べれば、随分皆に、心を許せるし、信頼も出来るようになったが、流石に、裸のお付き合いを出来るほど俺も強くなってないのだ。
うん、無理だなぁ。情けないことこの上ないが……。
そんな事を考えていると、更に会話は変な方向に進んでいるようで、
「……え? わ、私!? わ、わわわた、私は駄目だよぉ。う、宇迦之さんだって駄目だよ! いや、宇迦之さんは見かけは子供かもしれないけど……その、り、立派な物が……ごにょごにょ……。」
と、リリーが恥ずかしそうに、説明している。
ルナよ……諦めろ。
そう心で、呟いた瞬間、女湯から、宇迦之さんの声が聞こえてくる。
「ん? わらわか? そうじゃのぉ。まぁ、そこまでして、行きたいとは……。なんじゃ? 力を貸すのは良いのじゃが……どうすれば良いのじゃ?」
あれ? なんか会話がおかしな方向に流れていく。
宇迦之さんの、その言葉……ルナとの文字による会話だろうが……それを聞いているうちに、嫌な予感が湧き上がってくる。
これは、この感覚は、久々のルナの暴走? 心の中から警鐘が鳴り響くのを感じる。
しかし、幾らルナといえども、この障壁を破るには、それこそ……。
そこまで考えて、ルナが何をしようとしているか、分かってしまった。
「ちょっと、待った! ルナ! ストーップ!!」
俺は、壁の向こうに大声で叫ぶも、次の瞬間……
『比翼システム、スタンバイ。』
無常にも、恐れていた言葉が空から降ってくる。
ルナの馬鹿ぁぁあ!? そんな事のために、比翼システム使うんじゃないよ!?
コティさんも、コティさんだよ! こんな馬鹿げた事に、いちいち手を貸すんじゃないよ!?
『……解答いたします。ルナ様の願いを叶えるのが、私の存在意義です。ルナ様が望む以上、私にそれを断るという選択肢はありえません。』
あのね……コティさん。これは駄目だって。ルナのためにならないよ。
ちゃんと、考えて手を貸してあげてよ。
しかし、俺のそんな心の叫びを無視するかのように、アナウンスが響く。
『比翼システム……稼動完了――――臨界点へのカウントダウンを開始します。』
毎度のタイマーが出るも、その数値に驚く。
ぬぉ……35って、少なっ!?
俺がその数値のあまりの少なさに驚愕していると、更に、アナウンスが響く。
『……解答いたします。ルナ様と宇迦之(=&%』#“*)とのシンクロ率が低い為、限定開放となります。』
限定開放? それより、宇迦之さんの名前、なんか違ってなかったか?
何か続けて聞こえたような気がしたが、よく聞き取れなかったんだが?
『粒子圧縮を開始。粒子を全て使い、嘆きの一撃を発動します。』
ちょ!? 何その、物騒な名前は!?
かなりやばそうな物を繰り出そうとしているのを感じた俺は、思わず叫ぶ。
「こらぁあ!!! ルナ、やめなさい! それはなんかマズイ! 駄目だって!!」
そんな俺の様子を、此花と咲耶、ティガ親子は不思議そうに見ている。
対して、女湯からは、リリーの声が聞こえるものの……次の瞬間、その声を掻き消すほどの轟音と、閃光が響く。
その音は、正に叫び声のようであり、聞く物に不安と不快感を与える物だった。
そして、放たれたその光は血のように赤く、そして何より底が見えないほど、黒かった。
壁に放射されているだろうその光は、一瞬、壁に受け止められその光を撒き散らすも、次の瞬間、易々と男湯と女湯の境を切り裂き、その直線状全ての物体を等しくなぎ払って、地平線の彼方へと消えていった。
呆然と俺はその光景を見ていたが、
『むふー!』
と、満足そうに、切り裂いた壁を通り抜けて、堂々と男湯へと入ってきたルナの一糸纏わぬ姿を見て、硬直した。
白い髪から、お湯を滴らせ、頬を上気させ、背中から小さな翼を生やし、まるで後光でも背負っているかのように見える、ルナに、俺は、ただただ、目を奪われていた。
そして、そんな俺の視線に気がついた瞬間、ルナは
『あれ? あれれ?』
と、戸惑ったように、顔から火が出るんじゃないかと言うほど、真っ赤にすると、胸と前を、とっさに手で隠す。
しかし、それは意識したのではなく、自然と体がそのように動いたように見えた。
そんな恥ずかしそうにするルナが可愛くて、更に目を離せなくなる俺。
『比翼システム。強制終了。』
と言うコティさんのアナウンスと共に、ルナの背の小さな翼が消え去る。
そして、それで我に返ったかのように、ルナは真っ赤な顔のまま、女湯へと逃げ帰った。
あー……あれか? ここに来て、漸く、羞恥心が完全に芽生えたか?
なんだか、初めての感覚で完全に戸惑っていたようだし。
……しかし……綺麗だったなぁ……。
俺は、羞恥心以上に、ルナの生まれたままの姿と言う、あまりにも衝撃的な光景をマジマジと見てしまい、ちょっとラッキーと言う気持ちしか、沸きあがらなかった。
俺、案外、図太く生きれるんだなぁと、どこか他人事の様に、考えていると、何故か、宇迦之さんが裂けた壁からこちらに入ってくる。
勿論、すっぽんぽんです。透けそうなほど真っ白な肌が眩しいです。
そして、衝撃的だったのが、色んな意味で綺麗です。どこもかしこもツルツルで……。
更には、その暴力的なまでの胸が、宇迦之さんが歩くたびにたわんでいた。
けしからん……本当にけしからん!!
俺が、呆然とその姿を目の奥に焼き付けていると、宇迦之さんが感慨深そうに、
「あれが勇者を撃退したという力じゃな。凄い物じゃのぉ。のぉ? ツバサ殿。……ん? ツバサ殿、わらわの胸に何かついておるかの?」
ついてますね。その巨大な果実が……げふんげふん!!
俺は、視線を外し、わざと咳払いをすると、
「あ、ああ。そうですね。凄い物ですよね。本当に。」
と、全く別の物を思い浮かべながら、そう答えた。
っていうか、何この人までこちら側に来ちゃうかな!!
と思っていたら、リリーがそっと、裂け目から出てきた。
一応、リリーは薄い絹のような布を体に巻いているので、直接その肌を見る事はできないのだが、それがお湯で張り付いて透けているので、かえって艶かしい。
良い。これはこれで有りだな。
そんな風に思っていると、リリーは胸を隠しながらも、しっかりとした足取りで、こちらに歩いてくる。
そこまで恥ずかしいなら来なければ良いのに……と思うも、やはりそこら辺は羞恥心より、勝る物があるのだろう。
リリーは俺達の前まで来ると、俺の体にチラチラと恥ずかしそうに視線を向けつつ、上ずった声で、
「つ、ツバサさん。ルナさん……止められませんでした……す、すいません。」
と、謝ってきた。
「いや、あれは……俺でもどうにもならないよ……。暴走モードのルナは誰にも止められないからね。」
そんな言葉に、シュンと耳を垂れ下げるも、リリーは、お湯を見て、驚いたように声を上げた。
「あ、男湯はお湯に色がついているんですね。」
そう。俺が、恥ずかしがらないで済んでいる最大の理由。
それは、お湯にわざと色をつけて濁らせている事だった。
一応、万が一を考えて、俺はあらかじめ、男湯だけ魔法で色をつけておいたのだ。
これならば、お湯に浸かっていれば下半身は見えないので、自分的にはぎりぎりセーフである。
小心者と笑いたければ笑え! そうでもしないと、こんなにノンビリ話せるものか!
丸見えの状態だったら、とっくに脱衣所に逃げている。
アドバンテージが常にこちらにあるからこその、この余裕である。
……相変わらず、小物な俺をどうか許して欲しい。マジで。
そんな俺の胸中等知らない、宇迦之さんとリリーを伴い、俺達はゆっくりと温泉を楽しんだのだった。
ちなみに、カスードさんは体中に霜を張り付かせながら、床でピクピクと震えていた。
流石にちょっとやりすぎた……。
このまま放っておくと死んでしまいそうだな……。
そんな事を考えていた俺に、畏怖の視線を向ける長老達ではあったが、それを背中で受け止めると、カスードさんを拾い上げ、温泉へと向かう。
外へ出ると、ルナ、リリーと宇迦之さんに伴われて、シャハルさんがこちらに歩いてくるのが見えた。
そして、4人とも、俺が肩で抱える物体に視線を向け、そして、興味を失ったかのように俺へと視線を戻す。
女性陣は、「ああ、カスードさんだ。またか……。」と言う反応。
シャハルさんは、眉こそ若干、訝しげに動かしたものの、それ以外の反応を見る事はできなかった。
「ツバサさん。どこに行かれるのですか?」
リリーが、そんな風に聞いて来たので、
「ああ、これを解凍するついでに、俺もちょっと温泉に浸かろうかなーと思ってね。」
担いだ霜着きカスードさんを見せつつ、そんな風に答えるも、4人とも更に訝しげな顔を見せる。
ああ、そうか、温泉の事は、まだ話していなかったな。
俺が簡単に説明すると、皆、興味津々のご様子なので、全員で向かう事となった。
ルナは、
《 どうせなら、皆も誘うね! 》
と、虚空に文字を書くと同時に、ビビを顕現して、飛び去った。
あの様子だと、ティガ親子やレイリさんと此花、咲耶を呼びに言ったのだろう。
念のために、俺は、全員に通信を送り、ルナがこれから迎えに行く事を伝えておく。
皆、一様に驚いていたようだが、拒否するものはいなかった。
うーむ、これは、本格的に整備しておかないと、色々面倒な事が起こりそうだな。
俺は、着いたらとりあえず、脱衣所だけでも作ろうと、心に決めるのだった。
そういえば……シャハルさんは翼があるけど、良いんだろうか?
鳥が水浴びをする事はあっても、温泉に浸かると言う話を聞いた事が無いのだが……。
翼が濡れるのが嫌だとか、そういうことは無いのだろうか?そう思い聞いてみる。
「いえ、特に問題はありません。むしろ、翼を洗う機会が少ないので、これを機に綺麗にしておきたいですね。」
と、笑顔で答えるシャハルさん。
どうやら、聞くと、雨が降ったときくらいしか、体を清める機会が無かったとのこと。
それでその清潔さって……。
俺は煮え切らない思いを胸に、温泉へと歩を進めるのだった。
丁度、温泉に到着したと同時に、皆を乗せたビビが、音も無く空から降りてきた。垂直に……。
飛んだら飛んだで、非常識な存在に俺はモヤっとするも、あえて口には出さず、皆に声をかける。
「皆、いきなりごめんな。けど、きっと気に入ると思うから。」
そんな俺の言葉に、レイリさんは、
「いえ、少し休もうと思っていたので、丁度よろしゅう御座いました。」
と、微笑んだ後、俺の抱えているカスードさんに目をやり、先程から、俺の後ろを何故かついて回るシャハルさんに目を向けた。
そんな視線を受けて、シャハルさんは一瞬目を見張るも、直ぐにいつもの通りの冷たい眼差しに戻る。
ん? なんか一瞬驚いたようだったが……なんだろうか?
そんな俺の疑問を挟む余地も無く、レイリさんが少し軽快したように、俺に問う。
「そちらは……翼族の長老様ですか?」
「ああ、そうだね。翼族長老のシャハルさんだよ。」
俺のそんな説明に、シャハルさんは、スッと一歩前に出ると、レイリさんの前に立ち、
「王よりご紹介いただきました、翼族長老 シャハルと申します。これから暫くの間、この村にご厄介になることになりました。翼族共々、よろしくお願いいたします。」
そう、丁寧に頭を下げる。
俺の時とは、偉い違いではないか……。
心ではそう思うものも、顔には出さない。つもり……だが、自信が無い。
そんな俺の葛藤を尻目に、2人の挨拶は続いていた。
「丁寧なご挨拶、ありがとうございます。ツバサ様の第三夫人、レイリです。長老様でしたら、これからお話しする事もあるでしょう。今後とも、よろしくお願いいたします。」
と、優雅に、一礼するレイリさん。
そこは、犬狼族の巫女ではないのか? それともけん制だろうか?
少しその挨拶を不思議に思いながら、やり取りを見守る。
いつも思うけど、この人の所作は、いちいち綺麗だ。
特に、着物と言う事もあるのだろう。
そのちょっとした仕草に、目が行くのである。
そして、それはシャハルさんも例外ではなく、少しの間ではあったが、見入っているのが俺でも分かった。
ちなみに、着物で思い出したが……シャハルさんは、こちらに来る前は背中が大きく開いた、服と呼んでも良いのか分からない布を巻いていたのだが……流石に、こちらに来て直ぐに着替えたらしく、今は、俺と同じような着物に身を包んでいる。
背中には切れ込みが入っているので、そこから翼を通して、外に出しているようだ。
シャハルさんは、少し固まっていたが、「ええ、こちらこそ宜しくお願いします。」と、短く挨拶を終えると、俺の後ろへとまた下がる。
だから、何故俺の背後につく……。
そして、後ろから隠れていたディガの親子が現れると、シャハルさんは、音を鳴らし、凄い勢いで後ずさる。
ああ、なんだか、懐かしい反応だな。
皆の目も、シャハルさんを見る目が、何か生暖かいのが分かった。
「やぁ、ヒビキ、クウガ、アギト。君らもお湯は大丈夫かな?」
俺のそんな問いに、それぞれ元気に声を返すティガ親子。
うん。可愛いなぁ。こいつめ。
俺は、思わず、3頭まとめて撫で回す。
そして、そんなティガ達を羨ましそうに見ていた娘達に、声をかけた。
「此花、咲耶、君らも大丈夫かな? この前は演奏、凄かったぞ。」
「お父様! 私達、お湯に入るのは初めてですから、楽しみですわ!」
「父上! あれはルナ姉上の力もありまして、我々はその力を受け入れただけなのです。」
俺は、2人の頭をそれぞれ撫でつつ、少し会話をした後、ルナとリリーに2人を任せる事にした。
まだ小さいから、男湯で俺が見ても良いんだが、今日はお客様もいる事だし、念のために女湯に入ってもらう事にしたのだ。
そして、そんな風に軽く皆と話した後に、漸く温泉へと入る事になったのだが……流石に、服も野ざらしのままでは、色々と問題なので、さくっと設備を造ることにした。
まず、脱衣所が無かったので、さっくりと作った。
狐族の村に行ったときに建てた、ロッジの簡易版だ。
前に作った事のあったものを流用したので、5分もかからず出来上がる。
その光景を見て、シャハルさんだけが、完全に声を失っていた。
逆に、他の人たちは慣れたもので、中を見てきた皆は、遠慮なく、要望を出して来る。
ティガはスロープを浴場と湯船に接続して欲しいとか、ルナはもっと浴槽を広くして欲しいとか……少しは遠慮して欲しい。
ちなみに、いつの間にか追いかけてきていた桜花さんにも、湯船を増やして欲しいと、当たり前のように言われたので、半ばやけっぱちに、まとめて作業する。
その間に、長老達には、温泉への入り方や、ルールについて説明してもらった。
ちなみに、捕捉として、もし、肌を晒すのがいやなら、薄い肌着があるので、それを巻いておくように言ったのだが、欲しがったのはリリーだけだった。
「皆さん……良いですよね……。見られて困る事、無いですもんね……。」
地面をイジイジとほじくり返しながら、リリーは涙を流しながらそう呟いていた。
いや、リリーはリリーで、綺麗なんだがな……と、俺は変身シーンを思い出しながら、心の中で呟くも、それを言うと、泥沼なので黙殺する。
それよりも……俺はある危惧を抱いていた。
そのため、俺は、ばれないように、男湯と女湯の仕切りを頑丈に岩で組み、障壁を張り巡らせておく。
また、ファミリアを壁に組み込み、いざと言うときの為の保険としておいた。
過剰な防備かもしれないが……何かやらかす気がするのだ。
特に、この仕切りは最終防衛線になる可能性が高いので、念入りに強化しておく。
同じように、外の柵にも魔力を通し、結界で補強する。
よし、これならば……多分大丈夫だろう……。
そんな事がありつつも、作業は順調に進み、結局15分もかからずに完成した。
その結果、ファミリアが飛び回る光景になったわけだが……まぁ、それは良いだろう。
シャハルさんは完全に置物と化していたが、俺の声でこちらに帰ってきた。
そして、何事も無かったかのように俺の斜め後ろに立つ。
いや……まぁいいや……何も言うまい。
「じゃあ、皆、適当に楽しんでくれ。何かあったら、声かけてくれれば分かるから。」
そんな俺の言葉に、それぞれが返事をすると、脱衣所へと消えて言ったのだった。
「これは……凄いですね……。」
シャハルさんは、浴場を見て、そう呟いた。
更に広くなった湯船より、常に上がる湯煙で奥が見えにくいものの、それが逆に風情を増し、湯船をより広く見せている。
綺麗に敷かれた石畳を踏みしめ、まずはかけ湯をする。
そして、担いできたカスードさんにお湯をぶっ掛けて、漸くカスードさんは目を覚ました。
「うお!? 熱ッ!? って……ツバサじゃねぇか……俺ぁ何を……。」
周りを見て、そして、俺の顔を見て何かを思い出したのか、ポンと手を叩く。
そんなカスードさんを見て、俺は安心すると、声をかけた。
「すいません。ちょっとやりすぎました。まぁ、けど後悔はしていませんが。」
「いや、少しはしてくれ……。あれは、もう2度と体験したくねぇぞ……。」
恐怖が蘇って来たのか、カスードさんはガタガタと震えだした。
「いや、そもそも……情報隠蔽とかするから、こんな事になるんでしょうに。流石に、俺に関わる事はちゃんと相談してくださいよ。」
そんな俺の言葉に、カスードさんは少しばつの悪い表情をしつつ、
「まぁ、そりゃ嘘付かれるのは嫌だよなぁ。次は、気をつけるよ。」
と、俺の心情を理解してくれたようなので、俺はこの件を水に流す事にした。
まぁ、場所的にはお湯だが。
そして、そんな俺達を横目で見つつ、シャハルさんもそれに倣って、恐る恐る湯をかぶっていた。
シャハルさんの裸を見て思ったが、やはり少し痩せこけているようだ。
まぁ、ルカール村にいれば、直ぐに栄養状態も回復するだろう。
ともかく、間に合ってよかったなぁ。
俺はそんな事を思いつつ、体を洗い始めると、女湯の方より声が聞こえてくる。
ルナもリリーも、そして此花と咲耶もはしゃいでいるようで、女性特有のキャーキャーと言う楽しそうで、姦しい声が、湯船に響き渡る。
俺はそんな声を聞きながら、スポンジ状になった謎な植物の実で、体を洗い始めた。
これは、最初は固い実なのだが、水やお湯につけると、それを吸って柔らかいスポンジ状の物体に解ける。
しかも、初めから石鹸に似たものが添加されているようで、少し揉むと泡立ち、これで体も食器も洗えるとあって、爆発的にルカール村に普及しているのだ。
ちなみに、例の如く、これも黒い植物から発見されていたので、恐らく俺の願望の結果だろう。
今のところ、目立った問題も起きていないので、俺も使っているわけだ。
シャハルさんも、真似するように体を洗い始め……そして、翼を洗い始めた。
髪を洗うときのように、撫で付けて優しく梳いていた。
しかし、どうやら手が届かない場所があるようで、苦労していたので、俺は思わず声をかける。
「シャハルさん。俺、洗いましょうか?」
そんな言葉に、驚いたように目を開き、俺の顔をマジマジと見つめてくる。
あれ? 俺、また何かやらかした?
そう思うも、直ぐにいつもの顔に戻り、
「では、お願いできますか?」
と、泡だらけのスポンジっぽい何かを渡してくる。
「え、ええ。何か問題があったら言ってくださいね?」
俺は、そう声をかけると、スポンジから泡を出しつつ、ゆっくりとシャハルさんの翼を洗う。
うーむ。これはこれで……なんという手触り。
今はお湯に触れて、艶やかな髪の毛のような状態になっているが、それでも手に吸い付くような手触りは絶品である。
これが乾いて、ふわふわのもこもこになったら、更に素晴らしい事になるのは、明らかだった。
っと、いかんいかん。
ちゃんと洗わないとな。
そうして、程なく洗い終え、泡も流した俺は、先程から反応の無いシャハルさんに声をかける。
「シャハルさん、こんなもんで大丈夫ですか?」
そんな俺の言葉に、ビクッと体を震わせると、
「はっ!? ああ、だ、大丈夫です。あ、ありがとうございました!」
と、何故か凄い勢いで立ち上がり、湯船へとダイブしていった。
いや、そんな急に立ち上がって湯船に入ったら……。
湯船に湯柱をあげた後、プカリとうつ伏せに浮かんできたシャハルさんを、慌てて介抱する長老達を見て、俺は首を傾げるのだった。
そんな騒動があり、シャハルさんがリタイアした後、俺はゆっくりと温泉に浸かっていた。
ちなみに、シャハルさんの面倒は、桜花さんが見てくれているので、男湯は俺とカスードさん、それにヨーゼフさんだけとなってしまった。
ちなみに、体を洗っている時に見えてしまったが……シャハルさんは、普通だった。
先程の妙な行動が気になる所ではあったが、俺は、少しこのイケメンを身近に感じたのだった。
「ツバサ殿、先程何か大きな音がしたが……大丈夫かの?」
宇迦之さんの声が響いてきたので、俺は少し大きな声で返事を返す。
「ああ、なんだかシャハルさんが調子が悪くなったらしくて、先に上がられました。今は、桜花さんが着いているから大丈夫ですよ。」
「そうか。難儀じゃの。まぁ、もう少しゆっくりしたら、わらわ達も上がるのでな。その時にまた声をかけるわい。」
「わかりました。」
しかし、それで終わらず、今度はルナとリリーに、何故かヒビキ達や此花と咲耶達まで会話に加わってきて、混乱の様相を呈してくる。
「ツバサ様、いらっしゃいますか? この温泉と言うのは、素晴らしいですわ。」
そんなレイリさんの声に、ヒビキの鳴き声と、リリーの賛同の声が重なる。
「お父様、温泉って気持ちが良いですわ!」「父上! 浴槽と言うのは、鍛錬に良いですな!」
笑い声と共に、湯を掻き分ける音が響く。
「こらー! 此花、咲耶! 湯船で泳いだら駄目だからな! 他の人がゆっくりしているのを邪魔するのは、お行儀が悪いぞ!」
そんな俺の言葉を聞いて、途端に静かになると、「「はい。ごめんなさい。」」と、2人揃って謝ってきた。
まぁ、なんだかんだ言っても、彼女らは子供だから、遊びたい気持ちも分かるし、遊ばせてあげたいけど、こういう事はきっちりしないとね。
そんな俺達の会話を聞いて、カスードさんがニヤニヤしながら声をかけてくる。
「こうやってよぉ、壁一枚の向こうに、裸の女性達……いいじゃねぇか。」
そう小声で言いながら、肩を組んでくる。
カスードさん、あんた、あんな目に合ったのに、まだ懲りないんだなぁ。
普通なら少しは、俺から距離を置くだろうに。
まぁ、そういう無頓着なところが、俺も好きだけどね。
「えーっと……俺の嫁や子供達に欲情するなら、今度は埋めますよ?」
そんな俺の冷ややかな言葉に、カスードさんは慌てて弁解する。
「いや、ちげぇよ! ただ、こういう見えないって言うのが、なんとも言えず興奮するじゃねぇか!」
そんな事を力説するカスードさん。
「それは良く分かるんですが……興奮している対象が、俺の家族と言う時点で、殺意しか沸きません。」
俺が冷笑しながら、冷ややかにそう告げると、カスードさんは笑って、
「そんな小せぇ事言うなよ。別に本当に、見るわけじゃねぇんだ。なぁ? ヨーゼフ。」
そんな良く分からない理屈をこねるカスードさんは、ヨーゼフさんにそう言葉を投げる。
「そうですね……あれだけの綺麗な方々が、向こうにいらっしゃる。その光景は……さながら桃源郷……。」
「だよな! ほら見ろ、ツバサ。ヨーゼフだって分かってるじゃねぇか。」
まさかヨーゼフさんまで……何、ぶっ壊れてるの!? この人たち!?
俺が言葉を失っていると、更にヒートアップしたカスードさんが、ヨーゼフさんの肩にも腕を回し、円陣を組むように顔を突き合わせて言う。
「今、丁度、うるせぇ桜花の爺さんはいねぇ。こんなチャンス、滅多に無いんだぞ? その薄い壁の向こうに、俺らの楽園が待っているんだ。それがわかっていながら、みすみすこのチャンスを不意にするのか? そんなこたぁ、できねぇだろ。」
真剣な眼差しで、俺とヨーゼフさんを交互に見る。
その顔は、いつに無く精悍であり、恐らく、これ程までに真面目で必死な顔のカスードさんを見たのは、初めてである。
そして、そんな気迫に押されるように、ヨーゼフさんも、目に力を灯すと、大きく頷く。
駄目だ……この人達……早く何とかしないと……。
そう思う俺に、ふと、場違いな疑問が浮かぶ。
あれ? そういや、この世界って、子供作るのに、その行為は必要ないはずだよな……?
じゃあ、何でこの人達、こんなに昂っているんだ?
急に気になってしまった俺は、聞いて見る事にする。
「あのー、盛り上がっている所、悪いんですけどね……。そもそも、裸の女性に興奮するのって何でです? 子供作るのに、女性を抱く必要は無いでしょ?」
そんな俺の言葉に、2人とも良くわからないと言う表情をすると、ヨーゼフさんが答える。
「ツバサ殿が言う事は良く分かりませんが……我々は、綺麗な方を抱きたいと言う欲求があるのは普通の事です。基本的には異性に対して、その衝動が起こりますが、同性であっても、その衝動が起こる事はありますね。」
「ついでに言うなら、何で抱くかって言えば、気持ち良いからだなぁ。俺らにも、何でかは良くわかんねぇけど、興奮するだろ? ツバサもそうじゃねぇのか?」
獣人族、はっちゃけてるなぁ……。
性に関しては、かなり垣根が低いという事が、今の会話から読み取る事ができた。
つまり、本能は、そこに残ったままなのか……。
それが、子供を成すためのものではなく、快楽を得るための手段になっていると。
ますます、この異世界の事が分からなくなってきた。
だって、こんなの……都合が良すぎる。
俺が、難しい顔をしていると、カスードさんが心配そうに見つめてきた。
「そうですか。とりあえず、理解は出来ました。俺も、綺麗な女性に対して興奮しますし、そういう欲求もありますよ。」
その言葉を聞いて、カスードさんは笑顔を浮かべると、「そうか! そうだよな!」と、嬉しそうに、俺の肩をバシバシと叩く。
そして、目を壁の向こうへと向ける2人。
その顔は、何かに挑む挑戦者のものであり、未知の世界を求める、探求者のようでもあった。
壁の向こうからは、楽しそうな女性達の声が聞こえてくる。
どうやら、リリーと宇迦之さん、そして、此花と咲耶が、お湯の掛け合いでもしているのだろう。
「やったのぉ!? これでどうじゃ!」
「きゃ!? 宇迦之さん、ずるいです!」
「ふはははは! わらわに勝つなど……うにゃ!? こら、此花殿、何故わらわの胸を揉む!?」
「むぅー。これは、凄い質量ですわ……。同じくらいの背丈なのに、このボリューム……反則ですわ!」
「ええ、姉上。何とか、この物体を我らにも……。」
「うう……わ、私にも……欲しいです。宇迦之さん、ください!」
「ちょ!? こりゃ! 待つのじゃ! 揉むな! うにゃぁ!?」
そんなある意味、凄く羨ましい会話と、水音と、乙女達の走る音が、響く。
俺らは3人で、その光景を妄想してしまい、誰とも無く唾を飲み込む……。
け、けしからん……なんてけしからん。
そして、カスードさんは、効果音が鳴りそうなほど、目に光を灯すと、男湯と女湯の境界である壁へと、歩み始める。
ヨーゼフさんも、フッと、爽やかな笑みを浮かべると、その後へと続く。
そして、俺はそんな2人の背を追い、2人の肩を掴むと、
「させるわけ無いでしょう? 俺、結構小さい男なんで。嫁さんの裸とか……他人に、見せられるわけ……ないじゃないですか。」
そう、笑顔で話しかける。
2人の表情が、絶望に染まるのを見届けた俺は、何の躊躇も無く、2人を男湯の湯船に投げ入れた。
そうして、本日2度目の湯柱が2本同時に立った後、俺は失神した2人を脱衣所にいる桜花さんに預けたのだった。
結局、一人で俺は温泉に浸かっていると、女湯から声が届く。
「あのー……ツバサさん。なんかまた、大きな音と何かお湯の柱が上がったんですけど……。」
リリーの声を聞いて、俺は笑いながら答える。
「いや、ちょっとカスードさんとヨーゼフさんが、足を滑らせてね。今は脱衣所で桜花さんが見てるから、大丈夫だよ。」
「はぁ……そうなんですか……?」
と、不思議そうなリリーの声を追うように、レイリさんの声が響く。
「ツバサ様。 と言うことは、今はそちらには、ツバサ様お一人ですか?」
「ええ、俺一人ですね。」
「そうですか。お一人ですか……。」
と言う、呟きとも取れるレイリさんの声を聞いて、俺は一瞬にして、何が起こるか理解した。
「あ、レイリさん?」
そう俺が口を開いたその瞬間、すごーく痛そうで、硬質な音が温泉中に響き渡る。
例えるなら、鐘に思いっきり何かをぶつけた時のような……。
そして、大音量と共に、女湯の方に湯柱が上がったのが見えた。
「お母さん!?」「レイリ殿!?」
という、リリーと宇迦之さんの声が響く。
あー……やっちまったよ。予想通りだけど。
「あー、女湯の諸君、一応言っておくが……女湯と男湯の壁の高さに、特殊な結界が張ってあってね……今みたいに、飛び上がって、覗こうとしたり、壁を乗り越えて来ようとすると、頭ぶつけるから、やらないでね?」
そういうわけで、覗き防止対策として、透明な結界を天井のように張り巡らせてある。
これは、空気も水も通すが、生物だけは通さない特殊な物だ。
だから、今のように、レイリさんが跳躍してこちらに来ようとすると、頭をぶつけて湯船へとダイブすることになる。
「ツバサさん……そういう事は……早めに言った方が……。」
リリーの微妙な声が響くも、俺は笑いながら、
「いやー……まさか、女性側からこちらに来ようとするとは、思って無くてねー。」
と、大嘘をかます。
いえ、実際は、対レイリさん用の備えです。
まぁ、さっきのカスードさんみたいな人に対しての、備えでもあるが。
とりあえず、レイリさんは、皆で脱衣所に運ばれて、マールさんに介抱されているようだ。
っていうか、いたのか……マールさん。
そして、また、ゆっくりとした時間が流れ始めた……かに見えたのだが。
そんな平和は、突如として破られる事になった。
「あれ? ヒビキ? それにクウガとアギトも。こっちに来たのか?」
俺の問いかけに、3頭揃って、嬉しそうに答える。
脱衣所から当たり前のように引き戸を開け、中に入ってきたのは、ティガ親子だった。
つか、どうやって引き戸開けたんだよ……。
そんな俺の声を聞きつけたのか、此花と咲耶が、
「あ、ずるいですわ!」「む、それならば、我々も!」
と、脱衣所を抜けて、鳥の姿でこちらにやってきた。
裸で外に出たなら怒ろうかと思ったが、ちゃんとその辺りは分かっているようで、一回鳥の姿になってから、男湯に入って再度人の姿に戻ったので、俺は何も言えなかった。
そうして、一気に、男湯がにぎやかになった。
湯船に浸かりながら、縁に体を預け、弛緩している俺の元に、此花と咲耶が近づいてきた。
そして、俺の両腕を枕にすると、どういう原理か、湯船に浮きながら気持ち良さそうにしている。
うーむ、流石、水の精霊の子。この程度、造作も無いか。
ティガ達も、一回外に出た為、足をしっかりと洗った後、湯船に浸かる俺にゆっくりと犬かきならぬ、ティガかきで泳いでくる。
そのまま、湯船の縁に捕まり、半分浮いた状態で気持ち良さそうにしていた。
「こういう風に、お湯に浸かってゆっくりとするのも良いものですな。父上。」
「本当に、時の流れが緩やかに感じますわ。お父様もそう思いませんか?」
「そうだなぁ。こうやって、たまには、ゆっくりとした時間に身を任せるのも良いね。」
咲耶と此花の言葉に、俺は答えると、それに賛同するように、ティガ達が鳴き声をゆるーくあげる。
そんな俺達の様子が、会話から想像できるのか、リリーが少し不満げに声を上げる。
「ううー。なんか、ずるいです!」
「けど、流石に、君達はこっちに来ちゃ駄目だぞー。」
俺がそう返すと、リリーは焦ったように、
「はぅ!? い、行きませんよ!」
と、叫んできた。
しかし、その直ぐ後、再度リリーの声が響き渡る。
「ルナちゃん? 何やって……って、駄目だよ!?」
その後、爆音と閃光が、女湯から響き渡った。
あちゃー……やらかしたか……ルナよ。
俺は天を仰ぎながら、その惨状を想像する。
「あー……ちなみにな、この仕切りの壁には、魔法を反射する結界と、俺が考え得うる最強の魔法障壁が施されているから。多分、ルナの魔法でも破れないぞ。」
というわけで、この壁には魔法を跳ね返す結界が張られている。
これは、魔法である以上、どうやっても破る事は不可能だ。
では、物理的に行けば良いのかと言うと、そこは魔法障壁によって、完全に守られている。
それが階層構造になっているため、俺が例え、全力で攻撃しても破る事は不可能だ。
正に、鉄壁であり、要塞である。
ルナは恐らく、魔法でぶち破ろうとしただろうが、それはルナに跳ね返っているだろう。
まぁ、彼女の事だから、とっさに防御もしているだろうし、探知の様子から見て、怪我をしているようにも見えない。
「る、ルナちゃん落ち着いて。女の子は男湯にいっちゃ駄目なんだよ!……え? 此花ちゃんと咲耶ちゃんは、子供だから良いの! え? ヒビキさんは人じゃないから良いんだよ。」
リリーがあたふたしながら、そんな風に説明する声が耳に入る。
あー、どうやら、自分達だけこちらに来れないのが、納得できないようだ。
だが、駄目なもんは駄目なのだ。
そりゃ、俺だって皆の裸を拝みたいという欲求はある。
一応、男だし。
けど、それ以上に恥ずかしいし、そんな度胸もまだ無い。
前と比べれば、随分皆に、心を許せるし、信頼も出来るようになったが、流石に、裸のお付き合いを出来るほど俺も強くなってないのだ。
うん、無理だなぁ。情けないことこの上ないが……。
そんな事を考えていると、更に会話は変な方向に進んでいるようで、
「……え? わ、私!? わ、わわわた、私は駄目だよぉ。う、宇迦之さんだって駄目だよ! いや、宇迦之さんは見かけは子供かもしれないけど……その、り、立派な物が……ごにょごにょ……。」
と、リリーが恥ずかしそうに、説明している。
ルナよ……諦めろ。
そう心で、呟いた瞬間、女湯から、宇迦之さんの声が聞こえてくる。
「ん? わらわか? そうじゃのぉ。まぁ、そこまでして、行きたいとは……。なんじゃ? 力を貸すのは良いのじゃが……どうすれば良いのじゃ?」
あれ? なんか会話がおかしな方向に流れていく。
宇迦之さんの、その言葉……ルナとの文字による会話だろうが……それを聞いているうちに、嫌な予感が湧き上がってくる。
これは、この感覚は、久々のルナの暴走? 心の中から警鐘が鳴り響くのを感じる。
しかし、幾らルナといえども、この障壁を破るには、それこそ……。
そこまで考えて、ルナが何をしようとしているか、分かってしまった。
「ちょっと、待った! ルナ! ストーップ!!」
俺は、壁の向こうに大声で叫ぶも、次の瞬間……
『比翼システム、スタンバイ。』
無常にも、恐れていた言葉が空から降ってくる。
ルナの馬鹿ぁぁあ!? そんな事のために、比翼システム使うんじゃないよ!?
コティさんも、コティさんだよ! こんな馬鹿げた事に、いちいち手を貸すんじゃないよ!?
『……解答いたします。ルナ様の願いを叶えるのが、私の存在意義です。ルナ様が望む以上、私にそれを断るという選択肢はありえません。』
あのね……コティさん。これは駄目だって。ルナのためにならないよ。
ちゃんと、考えて手を貸してあげてよ。
しかし、俺のそんな心の叫びを無視するかのように、アナウンスが響く。
『比翼システム……稼動完了――――臨界点へのカウントダウンを開始します。』
毎度のタイマーが出るも、その数値に驚く。
ぬぉ……35って、少なっ!?
俺がその数値のあまりの少なさに驚愕していると、更に、アナウンスが響く。
『……解答いたします。ルナ様と宇迦之(=&%』#“*)とのシンクロ率が低い為、限定開放となります。』
限定開放? それより、宇迦之さんの名前、なんか違ってなかったか?
何か続けて聞こえたような気がしたが、よく聞き取れなかったんだが?
『粒子圧縮を開始。粒子を全て使い、嘆きの一撃を発動します。』
ちょ!? 何その、物騒な名前は!?
かなりやばそうな物を繰り出そうとしているのを感じた俺は、思わず叫ぶ。
「こらぁあ!!! ルナ、やめなさい! それはなんかマズイ! 駄目だって!!」
そんな俺の様子を、此花と咲耶、ティガ親子は不思議そうに見ている。
対して、女湯からは、リリーの声が聞こえるものの……次の瞬間、その声を掻き消すほどの轟音と、閃光が響く。
その音は、正に叫び声のようであり、聞く物に不安と不快感を与える物だった。
そして、放たれたその光は血のように赤く、そして何より底が見えないほど、黒かった。
壁に放射されているだろうその光は、一瞬、壁に受け止められその光を撒き散らすも、次の瞬間、易々と男湯と女湯の境を切り裂き、その直線状全ての物体を等しくなぎ払って、地平線の彼方へと消えていった。
呆然と俺はその光景を見ていたが、
『むふー!』
と、満足そうに、切り裂いた壁を通り抜けて、堂々と男湯へと入ってきたルナの一糸纏わぬ姿を見て、硬直した。
白い髪から、お湯を滴らせ、頬を上気させ、背中から小さな翼を生やし、まるで後光でも背負っているかのように見える、ルナに、俺は、ただただ、目を奪われていた。
そして、そんな俺の視線に気がついた瞬間、ルナは
『あれ? あれれ?』
と、戸惑ったように、顔から火が出るんじゃないかと言うほど、真っ赤にすると、胸と前を、とっさに手で隠す。
しかし、それは意識したのではなく、自然と体がそのように動いたように見えた。
そんな恥ずかしそうにするルナが可愛くて、更に目を離せなくなる俺。
『比翼システム。強制終了。』
と言うコティさんのアナウンスと共に、ルナの背の小さな翼が消え去る。
そして、それで我に返ったかのように、ルナは真っ赤な顔のまま、女湯へと逃げ帰った。
あー……あれか? ここに来て、漸く、羞恥心が完全に芽生えたか?
なんだか、初めての感覚で完全に戸惑っていたようだし。
……しかし……綺麗だったなぁ……。
俺は、羞恥心以上に、ルナの生まれたままの姿と言う、あまりにも衝撃的な光景をマジマジと見てしまい、ちょっとラッキーと言う気持ちしか、沸きあがらなかった。
俺、案外、図太く生きれるんだなぁと、どこか他人事の様に、考えていると、何故か、宇迦之さんが裂けた壁からこちらに入ってくる。
勿論、すっぽんぽんです。透けそうなほど真っ白な肌が眩しいです。
そして、衝撃的だったのが、色んな意味で綺麗です。どこもかしこもツルツルで……。
更には、その暴力的なまでの胸が、宇迦之さんが歩くたびにたわんでいた。
けしからん……本当にけしからん!!
俺が、呆然とその姿を目の奥に焼き付けていると、宇迦之さんが感慨深そうに、
「あれが勇者を撃退したという力じゃな。凄い物じゃのぉ。のぉ? ツバサ殿。……ん? ツバサ殿、わらわの胸に何かついておるかの?」
ついてますね。その巨大な果実が……げふんげふん!!
俺は、視線を外し、わざと咳払いをすると、
「あ、ああ。そうですね。凄い物ですよね。本当に。」
と、全く別の物を思い浮かべながら、そう答えた。
っていうか、何この人までこちら側に来ちゃうかな!!
と思っていたら、リリーがそっと、裂け目から出てきた。
一応、リリーは薄い絹のような布を体に巻いているので、直接その肌を見る事はできないのだが、それがお湯で張り付いて透けているので、かえって艶かしい。
良い。これはこれで有りだな。
そんな風に思っていると、リリーは胸を隠しながらも、しっかりとした足取りで、こちらに歩いてくる。
そこまで恥ずかしいなら来なければ良いのに……と思うも、やはりそこら辺は羞恥心より、勝る物があるのだろう。
リリーは俺達の前まで来ると、俺の体にチラチラと恥ずかしそうに視線を向けつつ、上ずった声で、
「つ、ツバサさん。ルナさん……止められませんでした……す、すいません。」
と、謝ってきた。
「いや、あれは……俺でもどうにもならないよ……。暴走モードのルナは誰にも止められないからね。」
そんな言葉に、シュンと耳を垂れ下げるも、リリーは、お湯を見て、驚いたように声を上げた。
「あ、男湯はお湯に色がついているんですね。」
そう。俺が、恥ずかしがらないで済んでいる最大の理由。
それは、お湯にわざと色をつけて濁らせている事だった。
一応、万が一を考えて、俺はあらかじめ、男湯だけ魔法で色をつけておいたのだ。
これならば、お湯に浸かっていれば下半身は見えないので、自分的にはぎりぎりセーフである。
小心者と笑いたければ笑え! そうでもしないと、こんなにノンビリ話せるものか!
丸見えの状態だったら、とっくに脱衣所に逃げている。
アドバンテージが常にこちらにあるからこその、この余裕である。
……相変わらず、小物な俺をどうか許して欲しい。マジで。
そんな俺の胸中等知らない、宇迦之さんとリリーを伴い、俺達はゆっくりと温泉を楽しんだのだった。
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