比翼の鳥

風慎

第34話 シンカ?

 俺は息をゆっくりと吸い、そして、それ以上の時間を掛けて吐き出す。

 その間に、ルナは氷の盾……いや、氷床とでも行って良いほどの規模で、森の直上を守護していた。
 俺の足元に広がる氷の台地。だが、透明度は高く、皆の不安そうな表情が見て取れる。
 先程まで余裕のあった宇迦之さんですら、俺とルナの雰囲気を察してか、硬い表情をしていた。

 では、行くか。
 俺は戸惑いながら、興味深そうに俺の動向を見守る、若い龍達にその視線を合わせ、呟く。

「リミット:【ストア】 20%」

 俺の言葉に従い、今まで俺の魔力を拘束していた魔法陣が浮かび上がり……隠蔽されていたその姿を露にした。
 肌の上を沿うように、複雑な刻印が現われる。それは、俺の全身に及んでいた。
 これは、魔力の余剰分が外に出るのを防ぎ、吸収した分をファミリアへと貯蔵する為のものだ。
 それがすぐに一部分薄くなり、消える。吸収効率を20%まで落としたのだ。

 その瞬間、今まで抑えられていた余剰魔力が噴出する。
 それを俺は制御し、波のようにゆっくりと俺を中心に、全方位に広がっていくように調整した。
 それは速さこそ無いものの、大きな津波のように球状に、そして波が打ち寄せるように、一定周期で広がっていく。
 俺の魔力に2頭の龍が触れた瞬間、その身を反射的に仰け反らせ、ついで俺の顔を化け物でも見るかのような目で睨んできた。
 見ると、他の龍も苦笑しながら、首を振っていた。

「まだ全力ではないと思うが……それでこれか。恐ろしいのぉ。」
「もう、我らの域ではどうにもならんな。」
「ほほほ。さて、あの馬鹿者共はどうするかのぉ。」

 完全に見世物である。いや、まぁ、もう言うことはあるまい。
 俺は、改めて2頭の若龍に視線を向ける。
 一瞬、体を強張らせた2頭も、

「そ、それでも、我は負けぬ! 負けられぬのだ!!」

「惑わされぬぞ……。そのような魔力。制御できるわけが無い!」

 と、果敢にも攻撃を開始するが、先程のような勢いが無かった。
 結構、動揺している?
 では、もう一押しか。俺は、もう一つの、本命である封印解除に着手した。

「パージ:【リストリクション】 No.5 、No.7」


 俺の力ある言葉へと答えるように、今度は円形の魔法陣が、その姿を現す。
 首、肩、肘、手首、腰、膝、足首を輪切りにするように魔法陣が何層にも重なっている。
 複雑に絡まった魔法陣は全部で12。
 それぞれの魔法陣は、魔素の循環を自動で行い、隠蔽を完璧な物にしてきた。

 しかし、今、俺はその封印を解こうとしている。

 と言っても、全てではない。流石に、何が起こるか判らない以上、一部分に留め、様子を見るのが良いと俺は思っていた。
 左肘から先だけ……それだけ封印を解く。
 たったそれだけだ。それだけなのだが……何故だか、俺は先程から、心の底から湧き上がって来る不安と興奮と言う、対極の感情を持て余していた。
 もしかすると、俺の心以上に、体は知っているのかもしれない。その帰結する所を。

『No.5、No.7の封印を本当に解きますか? 《はい》 《いいえ》 』

 俺の目の前に、そんな光る文字が浮かぶ。
 これは、誤動作防止の為に、俺が設置した確認画面だ。ルナの使う文字魔法を応用して仕込んでおいた。
 ちょっとミスって封印解けちゃいました……と言うことが無いように、そういう術式を組み込んだ訳だ。
 ミスって村が壊滅とか、絶対やりたくないし……。
 俺は、それを見ながら、空中に現われた2択のうち、『はい』の文字に指で触れる。
 しかし、それで終わらず、更にしつこく、選択画面が現われる。

『これが最後です。本当に宜しいですか? 《はい》 《いいえ》 』

 それを見て、俺は思わず口角を上げる。
 自分の設定した事ながら、その確認の念入りさに、臆病さと不安な気持ちが透けて見える。
 これを設定した当時の自分……と言っても、ほんの少し前だが……の真剣さが伺えた。
 だが、それで良い。それでこそ、俺だ。

 俺は、過去の自分と一瞬邂逅し……そして、それを振り切るように、『はい』を押した。

 その瞬間、俺の左肘と、左手首に巻きついていた魔法陣が硬質の音を伴い、割れて消し飛んだ。
 慣れ親しんだ循環の感覚が左肘から先で途絶え、魔素の対流が弱まり……そして、左手に留まるのを感じる。

「あっ……。」と言うリリーと、レイリさんの声が聞こえた気がする。
 そういや、彼女達には、今の俺の姿はどう見えているのだろうか?
 絶対的な力を振りかざす、暴君のようだろうか?
 死と破壊を司る、死神のようであろうか?
 それとも……。

 少し意識がそれただけだった……。しかし、そんな刹那の間に、俺の左手に異変が起こる。
 正に劇的に、俺が意識する間も無く……。

 左手が爆発した。

 ……は?
 俺は感覚の消し飛んだ左手を見て、そして、一瞬にして理解した。魔力が暴発したのだと。
 良く見れば、感覚は消失しているが、実際には左手はある。あるのだが、その左手が黒い炎に包まれたように、勢いよく燃えていたのだ。
 久々に見る、余りにも非現実的な、ぶっ飛んだ光景だった。
 良く見ると、それは炎ではなく、左手より発せられる魔力で、しかも、一瞬毎にその密度を濃くしてゆく。

 あ、これは……ヤバイ。
 本能で悟った俺は、取りあえず燃えたまま……のように見える左手を、空へ掲げる。
 その瞬間、俺の左手から、まるで火柱のように……魔力が天に向かって突き立った。
 轟音。ついで、衝撃波が森を駆け巡る。
 ルナの張った氷の障壁は、甲高い音を響かせ、一部破損しながらも、その衝撃波を全て受けきった。
 焦って下を見ると、抱き合ったレイリさんとリリーを庇う様に、宇迦之さんが傍らに鎮座し、更にその横にルナが目を瞑って正座していた。
 俺の視線を感じたのだろうか。ルナはふと俺を見上げ、微笑むと大丈夫!とでも言うようにまたも腕をまくる。
 とりあえず、皆が無事な事にほっとするも、全く持って現状は息をつける状態では無いと気がつく。
 そして、ふと見ると、2頭の龍は……またも消し飛んでいた。
 ……おいおい、余波だけでそれか。

 不安になって後ろを振り返ると、他の龍さん達は一箇所に集まり、全力で防壁を張って凌いでいた。
 岩を貼り付けたノンビリとしていた龍さんと、金色の龍さんが前面で、衝撃波の殆どを受け止めたらしい。
 良く見ると鱗のあちこちが剥げ、その表情に余裕は伺えなかった。
 俺は軽く龍の皆さんに謝罪の意を込めて会釈すると、ため息をついて、天にかざされたままの左手を眺める。

 何とかこれを、制御しないと……。

 膨大な魔力は取りあえず、生じた端から天へ向かって放出され続けていた。
 いや、これどうすんのよ?
 ただの魔力でこれだよ? イメージ通した瞬間、何が起こるかわかったもんじゃない。
 と、悠長に構えてたのもつかの間。更なる問題が生まれつつあった。

 更に、放出される魔力が増えていくのを感じたのである。
 そして、俺の左手は今、狂乱の状態にあるのが何となくであるが、判った。判ってしまった。
 変な話だが、左手から歓喜にた感情すら感じられるのだ。俺の体の一部でありながらまるで、別の生き物のように……である。
 しかし、考えてみれば当然である。
 俺の体は、今まで耐えに耐え、偲びに偲び……魔素を求め、いじらしく生き延びてきたのだ。
 そして、ついに、待ち望んだその瞬間がやってきた。
 飢え乾いた旅人がオアシスに飛び込んだかのように、俺の左手はその能力を思う存分に発揮しているのだろう。
 俺は、それを制御できず……結果、どうなるかと言うと……左手から放出される魔力は、天上知らずに増し続ける訳で。
 そして、何かがひび割れる音に、俺は背筋を凍らせる。
 見ると俺を防護している防護壁にひびが入っていた。

 え? ちょい待って!? 自分の魔力なのに?

 どうやら、自分の魔力にも関わらず、その負荷に耐えられず、防護壁が悲鳴を上げているようだった。
 そして、瞬時に防護壁が割れた場合の状況を想像する。
 守りが失われる? そんな事、今の状況では、大したことではない。
 最悪、あの龍の攻撃程度であれば、強化した肉体で何とかなる。
 そうではなく問題は……俺の今の位置である。

 ただ今の位置は? 空中です。

 どうやって今の位置を保っているか? 飛行魔法です。

 一応、便宜上【フライ】と言う名称を付けているのだが、それはさておき……この魔法、どういう魔法だったか……覚えているだろうか?
 防御壁で空力制御を行い、魔法陣で姿勢制御を行う事で飛翔するのだ。
 イメージ的には、透明なボールの中に術者が入り、そのボールに摩訶不思議な推進器がついているイメージだと思ってくれて良い。

 さて、問題です。 そのボールが今、正に割れようとしています。どうなるでしょうか?

 答え……勿論……。俺が現実逃避している間に、無常にも防護壁が限界に達し、甲高い音と共に割れ、消し飛んだ。
 その瞬間、運命を共にするように、飛翔を支えていた魔法陣が割れて消し飛ぶ。
 そして、俺は、左手から噴射された魔力を推進力として……。

「ちょ、ちょっとぉおおお!?」

 地面に向かい猛スピードで直進していた。

 ぐんぐんと迫る、獣人親子と宇迦之さんの驚いた顔。
 と、ととと、兎に角、着地!
 そして、魔力が増大した俺の身体能力は、おかしい状態になっていた。
 俺は、ルナの作った氷の壁に、そのままの勢いで、両足をついて着地できてしまったのである。
 鈍い音が反響するも、俺の突進をやすやすと受け止めるルナの氷壁。流石だ。
 軽く高層ビルから、ジェット噴射で地面に突っ込んだ位の衝撃があったはずだが……なんとも無い。
 最悪、両足骨折くらいは覚悟したのだが……。

 俺は天に向かって魔力を噴射しつつ、改めて異世界の不思議に首を傾げる。
 これだけの推進力を相殺しつつ、俺の体勢も維持できているので、力もかなり物になっているのだろう。
 完全に循環を開放したのは左手だけだが、身体能力は格段に強化されているようである。

 そんな推察をしていると、2頭の龍達が咆哮と共に復活した。
 そして、俺の姿を認めると、よくもやったな! とばかりに、一つ覚えの様に火弾と雷弾を吐き出してきた。
 しかし、今の俺には防護壁も無く、避けるにしても、俺の下にいる皆の事を思うと、それもはばかられる。
 そういった理由から、瞬時に俺は迎撃を選択。ついで、左手から伸びる魔力の柱に目を移す。
 これ、そのままぶつけたら攻撃にならないだろうか?
 イメージも通さないただの魔力だが、推進力を得られるほどの密度と質量のある物だ。
 結構良い感じに攻撃に生かせるのではないだろうか?
 ふと、何か大事な事を忘れている気がしたが、迫る火弾と雷弾を目にして、俺は深く考えず、真紅の龍に向けて左手を振り下ろした。

 その狙い通り、俺の左手から伸びる魔力の柱は、火弾を軽々と飲み込み、そのまま真紅の龍を飲み込み……俺の体を真横に吹き飛ばした時点で、過ちに気がついたが遅かった。

「そうだったぁああああ!」

 左手から得られる推進力を糧に、ルナの氷の床の上を、猛スピードで横滑りする俺。
 何とか踏ん張ろうとしたが……氷の上でそれは無駄であった。
 そして、向きを変えようとした弾みで、左手が横にぶれ、直進運動から回転運動に変わり、俺の体は独楽こまのように回転し始める。

「ちょ、待って! タイム! だ、誰か止めてぇえぇ!!」

 思わず魂の叫びがほとばしるも、勿論、助けは無い。俺は、視界を猛回転させながら、変なスピードでどこかに向かって突き進んでいた。
 幾ら強化された視覚をもってしても、平衡感覚までは鍛えられなかったらしく、徐々に胸から気持ち悪さが……。

 そ、そうだ、さっきの様に上に、放出すれば……!
 俺は、天命を得たように、閃いた名案を即座に実行し……後悔した。
 回転運動をしていた状況で、しかも平衡感覚が完全に狂った状況で、真っ直ぐ真上の方向に力を逃がすとか、どうやっても無理なのだ。
 突き出した俺の左手は真上には行かず、変な角度で突き出された結果……。

 俺は顔で氷の床を削りつつ、猛スピードで滑っていた。

「あだだだだだだ!? 削れる!? 顔が削れ……うごごご。」

 シャリシャリザリザリと、変な音をさせながら、氷上を滑る俺。
 しかも、変な回転運動が加わって、俺は何処に進んでいるのか、全くわからなかった。

 こ、このままではまずい……。死ぬ、死んでしまうぅう! と、とりあえず、魔力放出を止めないと。
 俺はメリーゴーランドのように、狂ったスピードで回る視界に焦りを覚えつつ、魔法陣を呼び出す。

「ロックぅううー:【リ、リストリクションーー!】 あだ!? な、なん、ナンバー5ぅうう! あ、あと、ナンバー7、うう……きぼぢわるぅうう!」

 俺のかなり適当な詠唱でも認識してくれたようで、俺の左手に巻きつく魔法陣を感じる事ができた。
 そして、思い出したように、突然魔力放出が止まり、俺は目を回しながら、顔で氷を削り減速していく。
 完全にその動きが止まったのを確認すると、俺は、その場にあお向けに倒れこんだ。

 な、何と言う罠……恐るべし……。生身のジェットコースターとか、誰得だよ……うー、ぎもぢわる……。
 未だに回転する空を見上げながら、俺は胸からこみあげる吐き気を耐える。
 ふと、左手から放出されていた魔力が気になったが、どうやらロックがちゃんと効いているようだ。いつもより多くの魔力は出ているものの、先程のようにでたらめな規模で放出されている様子も無い。
 俺は安心して、暫くそのまま回る空を見つめ続けていたのだった。

 俺の眩暈めまいが収まってきた頃、

「ツバサ殿ー。生きておるかー。」

 と、宇迦之さんの声が聞こえてきた。見ると、俺の真上で、手を振る宇迦之さんの姿。
 金の龍さんに乗っての登場である。
 感知すると、どうやらルナ達もこちらに向かっているようだ。おや、ティガ親子と此花、咲耶達もどうやら一緒のようである。
 俺は頭を振ると、ふらつきながらも、氷の上に立ち、声を返す。

「ええ、何とか。酷い目に遭いました……。」

 そんな俺の声を聞いて、安心したように頷くと、

「しかし……凄い勢いで、すっ飛んでいったの。あれはいっそ見事じゃった。くっくっく。」

 と、楽しそうに笑い始めた。
 俺はそんな宇迦之さんに、苦笑いを返すしかない。
 そんな風に、ひとしきり笑っていた宇迦之さんであったが、

「まぁ、とは言っても……お主の力はやはり本物じゃよ。」

 と突然、真面目な顔で声を掛けてきた。「ま、少々、抜けているがの。」と、意地悪な笑みつきで、ではあるが。
 そして、その言葉で、俺は本来の目的を思い出し、声を返す。

「ああ、そうだ。まだ、闘わないと駄目ですかね?」

「いいや、もう良いじゃろ。奴らもほれ、動く事すらできんよ。」

 そう宇迦之さんが指し示した先には、真っ黒に変色し、痙攣する2頭の龍の姿があった。
 そして、それより尚、衝撃的な光景が待っていたのである。

「気のせいでしょうか……何か見通しが良くなったような?」

 俺が現実逃避しようと、ポツリと呟くも、宇迦之さんは笑いながら、きっぱりと現実を突きつけてきた。

「ああ、山脈が全て吹き飛んだからのぉ。お主も大胆な事をするのぉ。」

 俺は高さが半分ほどになった山脈と、にやけ顔の宇迦之さんを交互に見るが、現実は変わらなかった。

「嘘でしょおぉおおおー!?」

 俺の叫びが森中に響き渡ったが、その光景は変わることは無かったのだった。

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