比翼の鳥

風慎

第37話 思いの欠片……そして別れ

 絶妙に回転の掛かったまま、すっ飛ばされた俺は……やがて急速に落下して行き……激しい衝撃と視界の回転が何度か襲った後、停止した。

 ぬおぉおぉ……う、宇迦之さんめ……思いっきり投げおって……。

 視界が回り、激しい嘔吐感がこみ上げる中、俺はピクリとも動く事ができず、その場に沈むように突っ伏していた。
 この平衡感覚への攻撃は、何としても克服しないと……一日に二度もこの気持ち悪さ……き、きつい……うっぷ。

 改めて決意する俺を尻目に、歪み回る視点を多い尽くすのは、砂。
 障壁は未だに展開されたままで、周りの砂を押しのけ、俺が埋もれるのを防いでいるようだったが、こちらはそれ所では無い。
 そんな死に体の俺を包むように、砂の流れる音と、砂が障壁を叩きつける音だけが、暫くの間響く。

 そうして、砂の囁きが飽きるほど続いた後、ようやく回転していた視界が安定し始めた俺は、思考を復活させる。
 まだふらつく体を無理やり起こし、周りを見渡すと、そこは一面の砂、砂、砂であった。

 ここは……砂漠か?

 俺は、そのまま崩れ落ちるように、仰向けのまま大の字に寝転び、何ともなしに空を見ていた。
 障壁はその形を変え、俺の背と砂の間をクッションのように埋める。
 俺が大の字寝転んだ事で、障壁に押しやられた砂が、勢い良く、そして、波打つように宙に舞い……あっという間に風に囚われ、散っていった。
 森の中のそれとは違い、日差しが容赦なく体を焼こうとしているのが俺の肌を通して感じられる。
 俺は、障壁に遮光モードを追加して赤外線と紫外線をカットし、日差しからのダメージを軽減してみた。
 次に、念のために、風と水を操り、即席エアコンを作って、障壁内の温度を一定に保つようにする。
 そうしてようやく、快適な空間を手に入れた俺は、先程の一連の流れを、何とも無しに反芻はんすうし始めた。

 宇迦之さんとレイリさんは、俺を外の世界に誘う為に、俺を強制的に外へと放り出した。
 正直に言えば、二人共、少し大げさに考えすぎではと思う俺が、未だにいる。
 今まで一緒にやってきた皆なのだ。話せばちゃんとわかって貰えるはずだ……と言う思いが、俺の中には根強くある。
 しかし、同時にそれは時間を要し、現状では選択できない手であると言うのも、頭では理解は出来た。

 結界を張り直すのは、早いほうが良い。

 それは、俺の魔力が浸透した状態の森が、外の世界に晒される事で、魔力密度の急速な変化を生むと思われるからだ。
 魔力は拡散する。そして、密度が濃い所から、薄いところへと拡散していくその性質も、感覚的に理解できるだろう。
 空気や水と同じように、常に均一になろうとする力が働くわけだ。
 だからこそ、魔力に満たされていた森を、外気に晒しておく事は、安定していた森の生態系を壊す事に繋がりかねない。

 結界の無い時間が長いほど、森にどんな悪影響がおよぶか判らない……。

 だからこそ、彼女達は、性急に俺を外へと誘った。
 俺が迷っているうちに、その機会を逸してしまわぬよう。
 そして、俺がなるべく、気にせず、外の世界を楽しめるよう……彼女らが責を追う形でだ。
 これから、彼女たちは、俺を外に放り出した事を説明した上で、森を導いていかなければならない。
 それは、新しい出発としては、かなり厳しい物になるだろう。
 何せ、勝手に王と呼ばれる俺を、外へと放り出したわけだし。
 最悪、責を追う羽目になるかもしれない。

 ……良いのか? こんな形で?
 いや、良くない。彼女達が背負わなければならない事は、何も無い。

 ……では戻るのか?
 それは出来ない。彼女達の言うように、俺が森の長老達を短時間で説得できるとは思わない。
 森を離れる機会を逸してしまえば、それこそ、彼女らの意思を無駄にする事になる。

 俺は目を閉じ、思考する。

 今できる最善とは何か?
 俺が、彼女達に出来る事は何か?

 俺は、暫し考え、そして、ゆっくりと目を開けた。
 容赦なく降り注ぐ日差しは、遮光が聞いている為だろうか? 先程に比べれば、その棘を引っ込め、優しく俺を包む。
 遠くの景色は陽炎のように揺らめき、砂がひっきりなしに俺の障壁を叩く。
 こんな苛酷な光景を……俺は、それでも興奮を持って見つめている自分に気付いていた。
 森ではない場所。これから広がるであろう、未知の景色。
 俺は、確かに、それを望み、どこまでも自分の足で進んでいける事を、喜んでいた。

 そう、彼女達は、正確に俺の望みを見抜いていた。

「……やっぱり、まだまだ駄目な奴だな。俺は。」

 空を見上げ、そして、一人、ため息を吐く。
 盛大に背中を押され、それで漸く、俺は、ここにいる。
 密かに憧れていた、外の世界にいるのだ。

 ならば、行こう。俺の心の赴くままに。

 レイリさんと宇迦之さんの厚意を、無駄にしたくないと言う思いも、それを後押ししている。
 しかし、そのまま行くのもまた、俺の意思にも反するのだ。
 だから、俺はそのまま浮かび上がる。

 障壁を叩く砂の音すら心地よい。
 100mほど上昇すると、地平線の彼方に森の切れ端が見えた。

 俺は集中し、森に配置しているファミリアにリンクする。
 ……村の直上にあるファミリアと、要人達に張り付かせているファミリアに対し、感応開始。
 よし、リンク確立。脳裏に次々と流れてくる情報をカットしつつ、必要な情報だけを選別し、再構築する。
『リンク:ボイス:ALL』確立。『リンク:ビジョン:桜花』確立。
 その瞬間、俺の視界が切り変わる。
 そこは、桜花さんの家だった。周りには深刻そうな顔をした他の族長達が車座に集っている。
 いつもは自分のペースを崩さないカスードさんも、珍しく渋い顔だ。
 ま、そりゃそうだよね。あんだけ派手にやらかせば……ね。
 色々と問題はあるだろうが……とりあえずは、説明だな。いつ、大結界が張られるか判らないしな。
 俺は皆にかける言葉を思い浮かべながら、第一声を発した。

「あー、テステス。こちら、翼です。森の皆、聞こえているでしょうか?」

 視界を共有したファミリアからは、ふと顔を上げる桜花さんや他の族長達の驚いた顔が確認できた。
 よし、ここは聞こえているな? 他はどうだろうか?
 俺は、次々と視界を切り替え、主だったメンバーに声が届いている事を確認していく。
 うん、大丈夫そうだな。では、続けよう。

「大丈夫そうですね。……まず、既に森の皆には盛大に見られていたと思うけど……先程、俺は、竜神ナーガラーシャと対話をし、勝負の後、契約を交わしました。また、その影響で、大結界が消滅しておりますが、直ぐに張りなおしますのでご安心下さい。」

 族長達はその報告を聞いた瞬間、皆、弾かれたように立ち上がった。
 ちなみに、音はあえて拾っていない。制御の関係で面倒だと言うのもあるが、皆の声を聞くと決心が鈍りそうだからと言うのが、主な理由である。
 だが、動きを見れば判る。声こそ聞こえないが、皆一様に、「馬鹿な……。」と、呟くように口が動くのも確認できていた。

「独断で申し訳ありませんが、良い事もありましたので、ご安心を。まず、契約者が私になったことで、巫女様達の契約が破棄されています。巫女の皆さん、今まで本当にありがとうございました。皆さんの責務は、全て私が引き受けますのでご安心下さい。」

 そんな突然の言葉を聞いた巫女の方々の様子を見るために、俺は視界を切り替えていく。

 ああ、猫族の巫女のミールさんは、肩の荷が下りたと言う顔だ。安心したように背伸びをしてる。
 逆に、子族のイルイちゃん……いや、イルイさんは、複雑な表情だった。自分の地位が不確実な物になってしまった事で素直に喜べずにいるのだろうか?
 ちなみに、卯族の巫女である皐月さんは、何故か、卯族の族長さん……つまり父親とバトルを繰り広げていた。
 相変わらず武闘派だな……この親子……。何があったかは考えるのを止そう。疲れそうだ。
 狸族の巫女である佳代ちゃんは、俺が視界を移した瞬間に、こちら……つまり直上にいるファミリアに視線を向けた。
 うお!? と俺が驚く間に、佳代ちゃんは、はにかむ様に……本当に少しだけ笑顔を見せたのだ。
 そうして、恥ずかしそうに顔を真っ赤にすると、うつむいて彫りの何かをぎゅっと抱きしめる。
 そんな彼女の様子に、俺は頬を緩めてしまう。何だか本当に謎な子だが、良い子だな。

 まぁ、翼族の巫女様はお休み中だった。
 うん、寝る子は育つ。と言うか、今気がついちゃったんだけど、この子の名前を聞いた記憶がないのだが……。
 忙しさにかまけて、大事な事を聞いていなかった事に、今更ながら後悔する。

 そして、レイリさんは……何故かまだ、シャハルさんとバトルを繰り広げていた。
 しかも、何やら、口論しながらである。
 とりあえず二人とも、互いを傷つける為ではなく、自分の思いをぶつけ合うように闘っているのが、視界越しに感じられたので、俺は放っておく事にした。

 宇迦之さんは、座って集中していた。
 魔力が一箇所に練られている所を見ると、大結界を張る準備をしていると伺える。
 恐らく、結界が張られてしまったら、もう、皆と会話することは出来ないだろう。
 その様子を確認した俺は、急ぎ、次の言葉を発した。

「また、本当に突然ではありますが、私、佐藤翼は、この程、外界へと旅に出る事にしました。色々と理由はありますが、一番は……やはり、私自身の目で、外の世界を見てみたいと言う欲求が、抑えられなくなったからです。」

 視界を族長達に戻すと、皆、呆けた顔で固まっていた。
 いや、そりゃそうだよね。
 正直、ずるいとは思うが、多分、皆の泣き落としに、俺は勝てない。

「幸い、開発も軌道に乗り始め、新生代の協力もあるので、大きな問題は無いと判断しました。そして、何より……これは、私の勝手な思いなのですが……この森は、貴方達、獣人族の手で豊かにして欲しいと、私が願っているという事もあるのです。」

 そう、これは俺の勝手な思い。そして、これは勝手な押し付け。
 だが、俺は兼ねてより、独裁をしたい訳ではなかったのだ。
 俺は、俺の思うように、生きたい。それは、獣人達が俺に依存してしまったら叶わないのである。
 同時に、獣人族には、俺の良き隣人……いや、友人達として、共に生きたいと願っている。
 支配と従属では駄目なのだ。それには、いつかは手を離すときが来なくてはいけない。
 俺が、獣人族の未来を背負うのは、余りに重すぎるという思いもあるし、何より、それでは、獣人族の成長が止まってしまうと危惧している事も大きい。
 このまま俺が森で、指示を出し続け、獣人族の皆が依存し続ければ、遠からず、種としての成長は止まるだろう。
 後は、俺の言う事をただ忠実に実行する、便利な種族が育ちあがるだけだ。
 勿論、本人たちは、自分で考えて行動しているつもりでいるだろうが、最後に俺という存在に頼る事を、当たり前にする事になるだろう。

「今、私がいなくなったら、何も出来なくなると不安に思っている方も多いでしょう。しかし、それは違います。」

 俺は、一呼吸置くと、思いを言葉にする。

「貴方達、獣人族は、もう大丈夫。立派に自分達だけでやって行けます。だから、私は安心して旅立つ事ができるのですよ。勿論、大変な事もあるでしょう。ですが、皆の力を合わせれば乗り越えられると、私は、信じています。それに、用がすめば必ず戻ってきます。だから、余り心配しないで下さい。」

 半分は嘘だ。本音では、結構……いや、かなり心配である。
 しかし、それでも、俺は信じる道を選ぶ事にした。
 まぁ、決意が出来たのは、素敵な狐さんと狼さんの、熱烈な後押しのお陰なのだが。

 俺が改めて彼女達の思いに、行動に感謝した瞬間、魔力の爆発的な高まりを感知した。
 次いで、森の周囲の景色が、歪み始める。
 それを見て、宇迦之さんが大結界を発動したのだなと、即座に理解した。
 俺は視界越しに、黙って俺の言葉を聞く桜花さんを見ると、言葉を発する。

「桜花さん。本当に、今までありがとう。貴方は、柔軟性と固い意志を兼ね備えた、正に獣人の中の獣人ですよ。貴方がいれば、ルカールは安泰です。ちょっと留守にしますが、その間、宜しくお願いしますよ。お義父さん。」

 視界越しに、何か叫びながら宝刀を抜き放つ姿が見える。
 きっと、「誰がお義父さんじゃ!」と、ぶちきれているのだろうが、その肩が震えているのを俺は見なかった事にした。

「カスードさん。いつも馬鹿やって、私の気持ちを解きほぐしてくれて、本当にありがとう。適当そうなのに、根は真面目な貴方が、私はとても好きでしたよ。暫くの間留守にしますが、マールさんを泣かさないようにして下さいね? マールさん、こんなんですが、しっかりと尻に敷いておいて下さい。ああ、獣人族の皆で、是非、カスードさんが悪さしないように、暖かく見守ってあげて下さいね。」

 俺のその容赦ない言葉に、頭を抱えて悶え、絶望するカスードさん。
 対照的に、握りこぶしを作って、ヤル気満々のマールさん。
 ちなみに声は森中に届いている訳で、これで、彼の行動は逐一、監視される事になるだろう。
 まぁ、お幸せに。ククク。

「ヨーゼフさん。貴方の冷静な対応に、私も何度助けられた事か。本当にありがとうございます。できれば、スルホとラーニャの事、よろしくお願いします。二人とも、彼の言うことを良く聞いて勉強するんだよ?」

 ヨーゼフさんは、やれやれと言う顔をすると、大きく頷いていた。
 視界をスルホとラーニャに移すと、二人とも泣くのを我慢していた。
 それを見て俺は少しだけ、感傷的になるも、時間はあまり残されていなかった。

 結界はまるで地面から湧き出すように、徐々にその壁を天へと延ばしていく。
 その速度はゆっくりではあったが、確実に、森を覆い始めていた。

「ゴウラさん。貴方のその真っ直ぐで強い心、私も見習いたいと思います。帰ったら、また手合わせしましょう。それまでにもっと強くなっておいてくださいね。そして、申し訳ありませんが、ガーディアンズを……この森の治安を……お願いします。」

 視界を移すと、ゴウラさんは口元に凶悪な笑みを張り付かせながら、黙って仁王立ちしていた。
 ……何故か完全変化した、兎人の状態でだが。久々に見たけど、なんでその格好? もしかして、常時その格好なのか?
 そして、その横には、悠然と佇むベイルさんの姿があった。

「ベイルさん。同じく、ガーディアンズの事頼みます。ああ、そうそう……私が帰るまでに、ゴウラさんから1本取れるようになって置いて下さいね。」

 そんな俺の言葉を聞いて、ベイルさんは途端に青い顔になる。
 対照的に、ゴウラさんの笑みはその凶悪さを増した。
 まぁ、ゴウラさんと並び立つような猛者になってくれれば、この森も安泰だろう。
 ……死ななければ……だが。

「ラッテさん。一見臆病だけど、その心の奥に、大きな勇気と好奇心を持つ貴方を、私は尊敬します。今まで得た知識を生かして、皆の胃袋を守ってください。この森の経済の事を任せます。」

 視界を移すと、ラッテさんは驚いて、誰もいない明後日の方向に、しきりにお辞儀を繰り返していた。
 うん、和むな。流石はラッテさん。その、謙虚さも見習わないとな。

 最低でも声をかけたいのは、残り三人。
 しかし、大結界は既に上ではなく、球状にその姿を変えながら、斜めに延び始めていた。
 俺は、急いで視界をシャハルさんへと移す。
 その彼は墜落し、突っ伏して痙攣していた。
 見ると、レイリさんも、狼姿のままだが、息を乱しながら仰向けに倒れていた。

「シャハルさん、聞こえていますか? シャハルさん。」

 俺のその声を聴いた瞬間、シャハルさんは、ガバリと勢い良く顔を上げ……ようとして、ベシャリと音がしそうな勢いで、力尽きたように突っ伏す。
 ……彼と彼女をここまで追い詰めたのは、一体、どう言う思いだったのだろうか?
 ちょっと不思議に思うも、今は時間もない。
 取り合えず、反応はしたので、聞こえているだろうと判断した俺は、そのまま声をかける。

「シャハルさん。貴方の信条、そして、その真っ直ぐな思いに、私も多くの事を学ばせて頂きました。私を王と慕って下さった事も、本当に嬉しく思っています。しかし、森の事を押し付ける形で、出て行く事になってしまって、申し訳ないです。ただ、都合の良いお願いですが、もし、シャハルさんが許してくださるなら、これからも、森のことをお願いします。私の片腕と見込んで、私の代わりに、レイリさんや、他の皆さんと一緒に、森を導いて欲しいのです。帰ったら、幾らでも叱責も、お願いも聞きましょう。それまで、どうか、お願いします。」

 途中まで翼をしおれさせて、俺の言葉を聞いていたと思われるシャハルさんだったが、後半の方で、何故か翼を天へとそそり立たせ、震わせていた。あの反応は……まるで歓喜しているようだったが……はて?

 俺は首を傾げながらも、離れた所でぶっ倒れてるレイリさんに声をかける。

「レイリさん。」

 そう声をかけると、レイリさんは、仰向けからゆっくりとした動作で横向きになった。その耳は、一言も聞き逃さないと言う意思を表しているように、しっかりとそそり立っていた。
 そんな彼女の動作に俺は思わず、笑みを浮かべる。
 そして、その後、続く言葉を考え……そして、やめた。
 考えないで、思ったとおりに話そう。

「貴女の優しさと強さに包まれて、俺はここまで来れました。あの森で、リリーと出会い、そして、貴女に出会えた事は、本当に運がよかったと思います。……レイリさん。あの時、会う事ができたのが貴女でなければ、俺はここにはいられなかったと、断言できますよ。それ程に、俺にとって貴女は特別な方。」

 俺は息を吸い、そして、言葉を見つけようとして……失敗する。
 いざとなると、なかなか上手く言葉が出てこない。

「いや、違うな。今でも特別ですが……形が変わりました。それは、きっと……レイリさん、貴女も同じですよね?」

 俺の言葉に、レイリさんは耳をピクリと震わせる。
 目を瞑ったままだが、俺はそれを肯定の返事と受け取った。

 ……ちょっと寂しいかな。

 けれど、それは、別れではなく新たな始まりと、俺は無理やり意識を矯正する。

「レイリさん。今まで、本当にありがとう。言葉と言う陳腐な物でしか、今は思いを伝えられませんが、本当に、貴女の気遣いと、そして、勇気に感謝を。俺は、貴女がいるからこそ、旅立てる。」

 そして、俺は大きく息を吸い、そして、恐らく取り消す事の出来ない言葉を、口にした。

「……どうか、下さい。そして、この森をよろしくお願いします。」

 その言葉に、となりで沈んでいたシャハルさんが、信じられない勢いで起き上がり、レイリさんを見つめ、そして、力を無くしたようにゆっくりと沈んでいった。
 レイリさんは震えていた。それは泣いているからかもしれないし、それを耐えているからかもしれない。

 宇迦之さんとの戦闘後に、レイリさんが、俺と対峙した時に判ってしまった。
 レイリさんは……彼女は……俺を、いや、より正確には、俺の力を恐れていたのだ。
 俺を見る目に宿っていたのは、畏怖。

 彼女はさとい。
 俺の本当の力を目の当たりにした時、彼女の脳裏には、きっと今後の森に降りかかるであろう、甚大な被害を見越してしまったのだ。
 そして、森の利益と、俺への思いを天秤にかけ……その行為を恥じたのかもしれない。
 何より、それ以上に、彼女は判ってしまった。賢く、聡明であるが故に。

『そう……けど、リリー。貴女は、ツバサ様と同じ位置に……立てるの?』
『あれを……見た後でも、なのね?』

 リリーに問うたあの言葉。
 あれは、雄弁にレイリさんの思いを語っていた。

 私には無理だ……と。

 俺の力を見て、その時、心が折れたのだと思う。
 俺の力を感じて、化け物と、一瞬思ってしまった彼女がいたのかもしれない。
 恋心があれば、全ての障害を越えていける?
 愛さえあれば、何もいらない?

 そう思える人がいるのは、間違いない事だ。
 どんな苦境にも、その思いを抱いて立ち向かえる人もいるだろう。

 だが、彼女はそうではなかった。

 先を考えてしまえるが故に、幻想に浸ることを良しとできなかったのだろう。
 全くもって、レイリさんらしい。

 俺はそれを気付かない振りをして、曖昧にする事もできたのだ。
 そして、レイリさんもその曖昧さを望んだ部分もあるだろう。だからこそ、きっぱりと踏み込んでは来なかった。
 だが、これから森を離れる俺が、彼女の心を縛っていて良いのか?
 苦しいときに、傍にもいれず、楽しい事も分かち合えず、いつになるのか判らない帰りを、ただ待たせるのか?

 それこそ、俺は不誠実だと感じた。
 本音を言えば、俺もレイリさんを縛り付けておきたい。
 俺の欲望渦巻く心の底には、全てを手に入れ、意のままに所有したいという汚い思いもある。

 だが、それで彼女は幸せになれるのだろうか?
 恐れを抱き、それを押し殺して、俺の伴侶として、幸せになれるのだろうか?
 それを努力と時間で解決していくと言うのも、方法としてはありだろう。

 しかし、俺にはその時間が無い。
 彼女を連れて行くことは、無理なのだ。

 だから、俺は俺の考えうる形で責任を取ったつもりだ。

 彼女と俺が、今の言葉に通わせた思い。
 それは、俺と言う枷を、彼女から外す事。
 もしかしたら、俺の独りよがりかもしれない。
 もっと上手い方法があるかもしれない。
 だが、レイリさんは、俺の言葉を反論すらせず受け入れた。
 それが答えだろう。

 胸に広がる冷たく、そして鈍く、空虚な淡い思い。
 これは、感傷か? それとも、欲望を手放した無念さか? 

 刻々とその身を広げ、完成しようとする大結界を見る。
 俺には、彼女にこれ以上かける言葉も、時間も無かった。

 宇迦之さんへと視界を移す。
 彼女は先程と同じように、目を瞑り、静かに座っていた。

「宇迦之さん。今まで、人知れず見守ってくれてありがとう。森と……出来れば、レイリさんもお願いします。」

 そう声を掛けても、宇迦之さんはピクリとも動かない。
 しかし、代わりに俺の意識に、直接言葉が届く。

『なんじゃ、わらわにも挨拶をしてくれるのか? 主殿もまめじゃの。任せるが良い。レイリもああ見えて臆病な部分があるからの。あれで良かったと思うぞ。』

「そうですかね? 俺としては、まだ迷っている部分もあるのですが。」

『じゃが、主殿のレイリに向けられた思いは、伴侶に対しての思いとは違うのではないのかな?』

 宇迦之さんに、はっきりとそう指摘されて、俺は言葉に詰まる。

『主殿は不器用じゃ。どうやら、多くの女性に思いを抱くと言うことは難しいのじゃろ? ならば仕方なかろう。』

 そうなのだ。俺はどうしても、複数の女性を愛すると言う事に、抵抗を抱いてしまう。
 頭では判っているのだ。それが、許されており、何の問題も無いと。
 しかし、元の世界の価値観は、俺の心の底の深いところまで根を張っているようで、どうしても、割り切れない。
 尤も、複数の女性を愛する事の出来る人もいるらしいので、元の世界の価値観以前に、俺の性分なのかもしれないが。

「もう少し心の赴くままに出来るなら……俺も楽に生きられるんですけどね。」

『じゃが、そんな主殿だからこそ、わらわは選んだのじゃ。』

「なら、それも良かったと、思う事にします。」

『そうじゃな。それで良い。』

「ああ、ちなみに、新生代……俺と宇迦之さんの子供と言うことで良いですかね?」

『うむ。その通りじゃ。じゃから、後のことは任せて、大船に乗った気で旅立つが良いぞ。』

 その言葉を聞いて、俺は安心する。
 金龍さんに投げられる直前、宇迦之さんの言った事で、漸く俺は気がついたのである。

 思えば新生代の出現は、おかしかったのだ。
 俺の思いを受けたにしろ、片親では子を成せない。
 なのに実際は、新生代は生まれてきた。と言うことは、俺と別に誰かの思いがあったはずなのだ。
 そして、その思いは誰かといえば……森そのものだ。

 宇迦之さんは、言っていた。
『森を、わらわの中に飲み込むのが、大結界なのじゃからな。』と。
 つまり、この森は宇迦之さんに飲み込まれ、同化し、宇迦之さんの世界となっていた訳だ。
 変な話だが、宇迦之さんの腹の中にでもいたというイメージなのだろう。
 だから、森の意思と言うのは、そのまま宇迦之さんの意思に直結する。
 つまり、新生代は、俺と宇迦之さんの子なのだ。

 時間にして数秒だが、俺が考えにふけっていたその間にも、結界は徐々に完成へと近づいていた。

『さて、そろそろ結界が完成するのじゃ。わらわは眠りにつくとするよ。』

「もう、時間ですか。判りました。宇迦之さん、ありがとうございました。」

 俺はそう宇迦之さんに礼を言うと、最後に、森に向かって声を届ける。

「では、森の皆さん。私……いや、俺、行って来ます。皆、本当に今までありがとう。そして、またな!」

 その言葉と同時に、結界が完成したらしく、ファミリアとのリンクが切断された。

 地平線の先に見えていた森はその姿を消していた。
 視線の先には、延々と広がる黄土色の味気ない景色。
 探知には、先程からこちらに向かってくる一団の反応のみで、森の反応は綺麗に消えうせていた。
 俺はため息を吐くと、ゆるゆると下降して、砂の大地へと降り立つ。

 強引ではあるが、俺の言葉は届けた。
 これでもう、俺に悔いは無い。
 身勝手にも程があるのは、十分に自覚しているが、それでも、俺は進もうと……いや、進みたいと思ってしまった。

 そうやって、余韻に浸っていると、近距離探知に、見知った反応が浮かび上がった。
 それは、塊となって、一直線に俺のほうへと向かっている。
 振り向くと、砂煙が俺の方へとまっしぐらに向かってくるのが見えた。

 目を凝らせば、ヒビキの上にリリー。
 クウガの上には、咲耶。
 アギトの上には、此花。
 そして、それらを先導するように、低空で飛行するルナ。

 彼女達は、俺の姿を認めると、嬉しそうに手を振っていた。
 そんな彼女達の姿を見たとき、俺は何とも言えない思いを胸に感じる。
 それは、待ち焦がれた恋人との再会のようなときめきであったし、いたずらを親に見つけられた子供のようなばつの悪い思いでもあった。
 だが、それでも、俺は、彼女達が来てくれたことを、素直に嬉しいと思った。
 右も左も判らない世界。
 これから、大変だろうが、それでも、一人より、皆がいてくれた方が……きっと楽しい事も多いに違いない。
 レイリさん……甲斐性無しで、ごめんな。そして、今まで、本当にありがとう。
 宇迦之さん……行ってくるよ。

 俺は、そんな苦い思いを抱きながら、手を振って、皆を迎えたのだった。

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