悪意のTA

山本正純

前代未聞な身代金

その時、清水良平の携帯電話が掛かった。合田が腕時計で時間を確認すると、犯人が予告していた午前九時五分になっていた。
「誘拐犯からかもしれない。準備しろ!」
合田の呼びかけにより、上条と西野はヘッドフォンを着用する。それから麻生はコードに繋がれた携帯電話を持ち、それを耳に当てた。
「誘拐犯ですね? 清水美里さんは無事ですか?」
『その前に、あなたが誰なのかを教えてよ。父親じゃないよね?』
麻生が聞いた声。それはボイスチェンジャーで声を変えていない、二十代の男性のような声だった。
「警視庁の麻生恵一。あなたは誰ですか?」
『えっと。ララバイでいいや』
「それではララバイさん。あなたの目的は何ですか?」
「我々の目的は大工健一郎の不正を公表することだ。ただ謝罪会見をさせるだけでよい』
「大工健一郎の不正と清水美里さんは関係ないでしょう。今すぐ彼女を解放しなさい」
だが、誘拐犯は麻生の交渉に応じず、淡々と要求を伝えた。
『記者会見をするって言う約束を破って、警察は我々を捕まえるかもしれない。だから身代金が欲しいな』
「身代金? 具体的な金額はいくらですか?」
『それは、警察が決めて。身代金は時間だ。一分を一万円に換算して、命の制限時間を決めろ。ただし制限時間までに謝罪会見がなければゲームオーバー。人質の命はない。また制限時間は十一時までに決めたら最後、制限時間は変更できないことを忘れるな。では午前十一時。また電話する』


誘拐犯からの電話は、一方的に切れた。誘拐犯との最初の交渉を終わらせた麻生は上条の方を見る。
「上条。逆探知は?」
「東都マンション駐車場。今高崎さんがいる場所です」
それを聞き、合田は驚愕する。
「このマンションの駐車場から電話したのか。そんな大胆な誘拐犯なんて聞いたことがない」
冗談だろうと合田は思った。だが結果が表示されたパソコンには、驚愕の事実。
前代未聞な事実を把握した合田は、急いで高崎に連絡する。
「高崎。聞こえるか? 犯人は今駐車場にいる。不審な車は無かったか」
『はい。黄色のスイフトスポーツが九時に来てから止まっていました。運転手はまだ車内にいます』
「運転手に職質をかけろ」
合田が指示を出したタイミングで、不審な車は走り始める。
『不審な車が発進しました。今から追跡します。ナンバープレートは……』
高崎は合田に自動車のナンバープレートを伝え、青田が運転するスカイラインに乗り込む。
誘拐犯との追跡は、僅か一分で決着した。パトカーのサイレンの音を聞いただけで、突然自動車は、道路の端に停車したのだから。
何かがおかしいと刑事は思った。青田が疑念を抱いていると、自動車を運転する男が顔を見せた。
刑事達の前に現れた、スリムな体型に細目な男は首を傾げた。
「警察? 俺はアルバイトをしていただけさ。この原稿の通りに電話する。声優のオーディションのつもりでやったのに。まさか本当に警察が来るとはねぇ」
その男は、警察に職務質問をされたことに驚いているようだった。
「なぜ逃走した?」
「家に帰ろうとしただけです」
男がハッキリ答えると、高崎は男の顔を見る。
「その原稿を署で預からせてもらう。それとあなたの名前は?」
小澤実おざわみのるです」
小澤は頭を下げると、青田は自分の自動車の運転席に乗り込む。
「兎に角、警視庁に来てもらおうか」
高崎は小澤を後部座席に乗せ、彼を警視庁に連れていく。


午前九時二十分。警視庁の取調室の椅子に、小澤実は座った。その正面には青田と高崎が座っている。
「大胆なことをしたな。誘拐犯さん」
高崎のその言葉を聞き、小澤は慌てる。
「だから誘拐犯は設定ですよ。これは第二試験という解釈でいいのかな? 試験官さん?」
要領を得ない小澤の言葉に青田は首を傾げる。
「どういうことですか?」
「だからこれはオーディションで、あなたは試験官」
どうやら勘違いしているらしい男に、事実を伝えると、小澤は両目を見開き、驚く。
「いいえ。我々は警察です」
「本当に刑事さんだとは思いませんでしたよ。刑事風の試験官だと思いました」
「誤解は解けましたか?では事情聴取を始めます」
事情聴取と聞き、ようやく自分が置かれている立場に気が付いた小澤は、弁明する。
「待ってください。僕はただアルバイトに参加しただけです」
「どのようなアルバイトですか?」
青田からの質問に対し、小澤は昨日の出来事を語り始めた。


六月三十一日。午後十一時、小澤実は六本木にあるザーボンロックというバーのカウンター席に座り、お酒を飲んでいた。
「くそ。なんでまた不合格なんだよ」
酔っぱらい愚痴を語る客に、店主が笑う。
「また落ちたのかい。今度は何だ?」
「声優のオーディションだよ。やっぱり素人じゃ無理なのか?」
小澤の言葉を聞きつけ、黒いスーツを着た男が、席を立ちあがり、彼の座るカウンター席の隣に座り直す。
「面白いアルバイトがある。現行通りに話せばいいだけの仕事だ。うまくいけば声優の仕事がもらえる。電話の相手は芸能会社の人事部長」
小澤は胡散臭い仕事だと、思っていた。だが、それとは裏腹にこれは、フリーター生活を終わらせるチャンスではないかと思い、彼は男の名刺を受け取った。


小澤の話をメモする青田の横で、高崎が確認する。
「つまりアルバイトでもあり試験だった」
「はい。そういえば、その男の声はどこかで聞いたような気がします。酔っていて、男の顔までは覚えていませんが。兎に角、これは任意の事情聴取ですよね。帰っていいですか?」
高崎と青田は小さな声で相談した。
「物的証拠もないしここは見張りを付けるか」
「はい」
釈放することを決めた二人は、同時に首を縦に振る。その後で青田は、最後に小澤に話しかける。
「最後にアルバイトを紹介した人物の名刺をお借りしてもいいですか?」
「はい」
小澤は財布からその男の名刺を出し、警察に提出した。

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