悪意のTA

山本正純

容疑者のアリバイ

午前九時三十分。清水美里のマンションの一室で合田たちは輪になって話しあう。
「一分一万円。二十四時間では千四百四十万円。二十四時間は欲しいから最低でもそのくらいは用意しなければならない。どうしますか? 合田警部」
麻生が聞くと合田は応えた。
「そのくらい必要だ。千四百四十万円。制限時間は二十四時間。これでいいですか? 良平さん」
「はい。でも今からだと、銀行を梯子したとしても、八百万円で精一杯だ。預金通帳に亡くなった妻の遺族年金を合わせたら、それくらいの金額になる。会社の金を使うわけにはいかないから、千四百四十万円なんて準備できない」
「そうですか。ではこうしようか?」
合田は小さな声で良平に、耳打ちで作戦を教えた。
「しかし、こんなことして、もしものことがあったら」
「大丈夫。この作戦が成功するかは麻生の交渉にかかっている。いいか。次の電話の時、この紙に書いてあることを実行するだけだ」
麻生は手渡れた紙を読み、合田の作戦を把握する。そして、彼は笑みを浮かべた。
「なるほど。興味深い作戦ですね? 協力しますよ。合田警部」
麻生が作戦に納得すると、合田は両手を叩き、室内にいる刑事達に呼びかける。
「さて、次の電話まで残り一時間半だ。誘拐犯は必ず、身代金受け渡し場所に来る。と言いたいところだが、電話の時のようにアルバイトを雇う可能性もあるだろう。そこで、アルバイトを泳がせて、犯人と接触したところを逮捕する。人質救出が最優先だ!」
「はい」

刑事達の結束が強まった頃、合田の携帯電話が鳴る。表示画面を見ると、月影から電話が電話の相手だと言うことが分かった。
何か殺人事件の捜査で進展があったのかもしれないと思い、合田は携帯を耳に当てる。
「合田だが、何か分かったのか?」
『高野健二について、分かったことがある。東都新聞社の同僚の話しによると、高野は大工健一郎の脱税疑惑を暴こうとしていたらしい。それで東都新聞社の酒井の逆鱗に触れ、フリーの記者になったそうだ。その口論の原因になった記事を送る』
「衆議院議員の大工健一郎か? 誘拐犯の要求は、衆議院議員の大工健一郎の不正を公表する趣旨の謝罪会見を開くこと。その制限時間は警察が決めて、それに見合う身代金を払うこと」
『それに見合う身代金?』
「ああ、一分が一万円。警察が決めた制限時間内に記者会見が開催されなければ、人質の命はない」
『要求が達成されなかったら、警察の責任ってことか。それと、被害者は殺される直前に、六本木の飲み屋で菅野聖也と飲んでいたことが分かった。それと高野の死亡保険金の受取人は伊藤久美。去年まで伊藤と高野は同居していた。その時に保険金をかけたのだろう』
「つまり容疑者は、伊藤久美と菅野聖也。そして指名手配中の殺人犯、中之条透の三人ってことか? 誘拐の方の容疑者は、今のところ、フリーターの小澤実だけ」
合田の報告を聞き、月影は捜査の速さに感心する。
『凄いな。もう容疑者を突き止めるとは』
「だが、おかしいんだ。普通誘拐犯は、身元の特定を避けるために、声を変える。しかし小澤は声を変えなかった。もしも彼が誘拐犯だったら、そんなことすると思うか?」
『確かにおかしい。とりあえず小澤実が一連の事件に関与しているとみて捜査した方がいいかもしれないな』
「容疑者のアリバイは?」
『伊藤久美は、犯行当時コンビニで働いていたという鉄壁のアリバイがある。菅野はさっき言ったように、殺害される直前まで、六本木のバーで飲んでいた。だが、それから後のアリバイは分からない。もちろん中之条のアリバイは証明されていない』
六本木のバーと聞き、合田の脳裏に、一連の事件を繋ぐ糸口が浮かんだ。
「被害者が飲んでいた六本木の飲み屋はザーボンロックって店じゃないよな?」
『ああ。三か月前に開店したその店だ。なぜそれを聞く?』
「いや。清水美里誘拐事件で事情聴取した小澤実が、昨日その飲み屋でアルバイトを紹介された。脅迫電話をかけるバイトだ。時間は午後十一時らしい」
『もう一度調べてもらう。それと情報によれば高野と菅野は、あの夜口論になったらしい。店のマスターの証言だと、お前の罪だとか高野が叫んでいた』
「お前の罪?」
『こっちは小澤と高野の接点がないか調べる』
「それと、菅野の素行調査も行ってほしい」
『何か分かれば連絡する』
月影はそう言うと電話を切った。
しばらくして月影から新聞が送られてきた。ファックスで送られてきた新聞記事を読み、合田は思わず目を見開く。
『大工健一郎の秘書、投身自殺する』
それは誘拐犯が送ってきた新聞記事と全く同じ物だった。
「大工健一郎の元秘書」
合田が呟くと、上条は顔を合田と顔を合わせ、思い出したように語り始めた。
「半年前に投身自殺した女性ですよね? 脱税疑惑や大工氏の愛人疑惑で世間にバッシングを受け、最終的に彼女は自殺を選んだ。そ確か名前は……」
桜井真さくらいまこと
麻生が呟くと、上条は手を叩く。
「そんな名前でした」
上条がスッキリしたような顔付きになる。その直後、合田は咳払いした。
「もしかしたら、その秘書が自殺した事件と一連の事件は連動しているかもしれない。半年前に投身自殺した桜井真について、調べてみる必要があるな」


その頃、誘拐犯は暗い部屋の中で、壁に張られた新聞記事を、懐中電灯で照らした。
『菅野一家襲撃事件。犯人未だ捕まらず』
その新聞記事の見出しを、誘拐犯は睨み付ける。それから犯人は、机の上に置かれたナイフを手にして、その記事に突き刺す。
「こんな事件のせいで、桜井は死んだんです!」
身を震わせ、ナイフで新聞記事を滅多刺しにする黒い影。それから数秒の沈黙の後、犯人は落ち着きを取り戻す。
「彼女を殺した全ての物に復讐してやる」


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