運命(さだめ)の迷宮
景資くんの初出仕の日です。
翌日、父に紐で結んでもらったのを、
「ありがとうございます!!父上」
「よう似おうておる。景資。ではいこうかの?」
と表に出ると、神五郎はおらず、祖父の親綱と叔父の重綱と欅が待っていた。
「おぉ。色あわせが良いな。藤資が選んだのか?」
「いいえ、おじいさま!!実は、母上とおばあさまと、橘樹おばさまと茜おば様と采明お姉さんが。ここの色は父上と同じ藤の色、そして、この組紐は采明お姉さんが。父上もしているんですよ」
父の手首を示すと、藤資が照れ臭そうに、
「か、家族でお揃いも素敵だろうと、色を変えたり編み方を変えたりして、作ってくださったのだ。特に佐々礼が喜んで、お揃いが嬉しいと……」
「ぐはぁ!?あの藤資叔父上がのろけている!!」
「うるさい!!」
欅は、重綱を殴り、弥太郎を見る。
「この紐も素晴らしいが、その姿は本当に凛々しくて似合っているぞ。母上が喜んでいただろう」
「はい!!今日は、采明お姉さんと、皆で直江のお家で遊んだりするそうです。特に晴は采明お姉さんが大好きなので、一緒に色々と遊んでくれるのだとか。おばあさまも、橘樹おばさまも」
弥太郎は本当に嬉しかった。
元々橘樹は、弥太郎の賢さを可愛がり、様々なことを教えてくれたり、神五郎は、ボロボロの弥太郎達の衣を新調してくれた。
遠慮する弥太郎や佐々礼に、神五郎は、
「屋敷に仕えるものは私たちの家族だ。家族が、ボロボロの衣を着ていては、直江家の恥になる。姉上や、埜々香に仕立てて貰うがいい。いくつか反物を届けるので、良いな?」
「は、はい!!ありがとうございます!!」
「お前たちが、頑張って、近くの雑木林で燃えるものを探したり、食べられるもの、薬草を探してくれるお礼だ。これでも足りん」
神五郎は頭を撫でる。
「お前は賢い。努力をすれば必ず弥吉は、大成する。これからも頑張ってくれるか?」
「はい!!」
そう言っていた神五郎がいない。
「あ、あの……新五郎様は?」
「ん?……あぁ、殿が優柔不断でな、側近とは名ばかりの狐狸どもに利用され、意見をコロコロ変える」
重綱は、嫌そうに、
「しかも、采明を妾にという意見を聞こうとしたので、采明と兄上が激怒してな。特に、兄貴は采明にベタ惚れだろう?怒り狂って、もう出仕しないとな」
「えぇぇ!?あ、あの采明お姉さんを!?」
弥太郎は采明が大好きである。
優しくて、笑顔も可愛らしいし、弥太郎たちを兄弟のように可愛がってくれるのだ。
それに、色々な遊びや、おもちゃを作ってくれたり……兄弟たちは嬉しくて、大事にしている。
「絶対に嫌です!!僕たちは采明お姉さんが大好きなんです!!お姉さんはずっと直江のお家にいてほしいです!!」
拳を握りしめる。
「お姉ちゃんは直江家の人間で、宝物です!!僕のお姉ちゃんです!!どこにも出しちゃダメです!!」
「よくぞもうした!!じいは、本当に嬉しいぞ!!」
親綱が、頭を撫でようとすると、
「やめんか!!可愛い長男を見せびらかしにいくのだ!!じじいが口を挟むな!!」
「何だとう!!弥太郎は、直江家の子供じゃ!!」
「わしの!!息子じゃ!!行くぞ?景資」
藤資は、息子の手をとり、そっと握りしめる。
そのさりげない優しさがうれしく、ニコニコと父を見上げ、
「父上の手はごつごつしてるけれど、とっても暖かくて、ぎゅって握ってくれて嬉しいです」
「そうかの?」
「はい!!父上が私のことを守ってくれるようでホッとします」
まだ10にもならぬ幼い子供が、体の弱い……男達に翻弄されてきた母を支え生きてきたことを考えると、藤資は、心底最初に佐々礼と弥太郎、晴を見捨てた男が許せない。
晴の名前を聞いた瞬間、正体は解った。
しかも、弥太郎は、母親に良く似ている。
優しく大人しい佐々礼を長年苦しめ続けたあの男に見せつけるのだ!!
「だ、旦那様……私は……身分のないものです。本当に本当に……私たちを大切にしていただいて、幸せです。でも、旦那様が、辛い目に……このような女を妻に迎えたと……馬鹿にされるのだけは!!」
ホロホロと涙をこぼす佐々礼をそっと抱き締める。
佐々礼は、ビクンと震えた。
佐々礼は男を恐れる……それほどまで苦しい目を遭わされてきたのだ。
「大丈夫だ。佐々礼……そなたを貶めるものは許さぬし、私は生涯佐々礼と添い遂げる。これからずっと私の妻は佐々礼一人だ」
「で、ですが……私の子供は……」
抱き締めた胸の辺りが濡れる。
それだけでも……佐々礼がどれ程苦しい目を遭ってきたのか、弥太郎たちは、そんな嘆く母を見てきたのか……と思うだけでも、許せないと思ったのだ。
「佐々礼?そなたの息子や娘はわしの子。前はきついことを言ってしまったが、本当に本当に……あの子達を一生守るつもりじゃ。可愛い実の子として、共に育てよう……子供たちが笑顔でわしに『父上!!』と呼んでくれることがとても幸せなのだ」
藤資は、心底そう思う。
母や兄弟を守るのだと必死に努力をして来た弥太郎は、藤資に本当に甘えてくれるようになった。
今日のように、
「えへへ……お仕事は大変だと思うのです。でも、私は父上と一緒にいくのが嬉しいです」
頬を赤くして笑う息子に、
「私も嬉しいぞ。この景資の出仕が嬉しい」
「一杯一杯頑張ります!!」
「力むではないぞ?ゆっくり頑張ればいい」
「はい!!」
時々あどけなく微笑む。
その表情は佐々礼は本当に、苦しい目にあわされても、子供を本当に可愛がってきたのだろう……本当に佐々礼は子供たちが愛おしく慈しんだ……本当の慈母と言うのは、妻のことを言うのだろう。
あの優しい、哀しげな表情の妻を笑顔にしてあげたい、妻も子供たちも自分が守らねば……と思う。
「景資?こちらだ」
「は、はい!!」
「緊張せずともよい。主君に緊張するなら。神五郎の方が迫力があるぞ。あの年であれほどの強さはないだろうの」
「神五郎様の方がおつよいんですか?」
弥太郎の言葉に、藤資が、
「強いな。あれは強い。景資も、神五郎に見習うがいい」
「はい!!」
門をくぐり、控えていた侍従に、
「直江親綱と、息子の重綱、篠井正信である。殿に挨拶に参った」
「中条藤資、そして嫡男景資と、殿に元服の挨拶に参った」
「直江親綱様!!そして中条様!!ようこそお出でくださいました!!」
頭を下げるが、欅を蔑んだ眼差しで見る。
その様子に親綱が、
「私の息子を何だと思っておる!!直江家を侮るか!!」
「は、はい!!申し訳ございません!!」
慌てて頭を下げ、案内していく。
キョロキョロと周囲を見回したいのを堪えようとする息子に、
「キョロキョロしても構わぬぞ?ここは、直江家や中条家の屋敷よりも下品だ」
耳に囁くと、えぇぇ!?といいたげに目を丸くして父を見る。
父の藤資はにやっと笑い、
「ふんっ、見てみるが良い。庭の手入れの悪さを、わしの手入れの方がましじゃろう。わしは、木々と話をしつつ樹を手入れしておる。直江家と我が家の木々は美しかろう!!」
その言葉に周囲を見回し、景資は、
「あ、父上の手入れの方が綺麗です!!それに……」
床を見る。
「直江家の廊下はとても綺麗です。……あぁ!!父上!!」
足の裏を見ると、黒くなっており、泣きそうになる。
昔の生活で汚れていた足の裏並みである。
こんな足では……。
「大丈夫じゃ」
ひょいっと息子を抱き上げ、頭を撫でる。
「後で風呂に入ろうの?綺麗に洗わねばな?」
「父上が悪く言われたら……」
涙声に、重綱が、
「気にすんな。ここは昔からそうだ。主が主だけに、全く下の者がなってない!!だから親父も、藤資叔父上が出仕止めたんだよ。兄貴もあの事で怒ってな!!今でも話題に出てるか?おっさん?」
嫌みたらしく、先導する男の背に声をかける。
「正信兄上の父上も何の落ち度もないのに、殺しておいてのうのうとよくここでいられるもんだ」
はっ!
重綱が笑う。
立ち止まった男が顔を赤くして振り返るのを、
「おぉ?怒れるのか?怒ってみろよ。直江家を、中条家を馬鹿に出来るのか?」
挑発する重綱に、親綱が、
「やめぬか、重綱」
「何でだよ、親父。親父も兄貴を馬鹿にする、掃除もろくに出来ねぇこいつらを庇うのか!?」
「わしが遊べんではないか!!この礼儀作法もなっとらん若造が!!」
呆気に取られる景資の目の前で、親綱が蹴り飛ばす。
前のめりに倒れ込んだ男の尻と背中をわざわざ踏みにじり、
「この程度が、わしの息子を馬鹿にするな!!ふんっ、藤資、正信、重綱、この男の背を踏んでいけ。景資も、足を綺麗にするが良い。行くぞ」
「景資?良く拭くが良い。この男なら、いくら叩きのめしても構わぬぞ。祖父の命令じゃ。聞いておけ」
「え、えと……」
欅が先に進むと、振り返り、
「景資。渡ってくると良い。叔父さんがだっこするから」
「ほら、兄ちゃんが、手を引くから行くぞ」
重綱に手を取られ、とことこと渡ると、欅は抱き上げる。
「よしよし。大きくなったな。父上が来られた。父上がいいかな?」
「えとえと……」
そのまま欅は歩き出す。
そして小声でこの建物の作り等を小声で教えていく。
「叔父上は、ここを知って……」
「父が、先代の我が儘に振り回され、逆鱗に触れて母共々自害する当日まで、殿の遊び相手としてここにいたからな。父上と母上が私と茜を連れ出してかくまってくれたんだよ」
「殿は……今の殿は、叔父上にお姉さんを助けてくれなかったんですか!?」
「そうだね。全く」
冷たくあっさりと告げる。
「もう昔で、殿は忘れているだろうけれど、私を先代に突きだそうとされて、一緒にいた神五郎と、駆けつけてきた父上に蹴られ、投げ飛ばされていたね。もう会いたくないけど、篠井の次の当主として、景資とご挨拶も良いだろうと、思ったんだ」
「そ、そんな……私は、叔父上たちがそんな目に遭っているなんて知りませんでした」
「茜は覚えていない。赤子だから。でも、父上や母上が良く私に『我慢するな。お前の家はここじゃ。甘えてよいぞ。いたずらも、神五郎と同じように説教するゆえ……と言うても、そなたも神五郎も、暴れんの?』『と言うことで、母の実家で遊んでこい!!』と篠井の家で橘樹と三人で3月ほど山の中を駆け回った。毎日毎日ボロボロの衣になるので、そちらの祖父や、義父が嘆かれて、しかし一緒に来ていた母上は『魚を釣ってこい!!』とぽいっと追い出されて、3人で四苦八苦しながら色々としていたよ。あの頃は本当に神五郎があの性格だろう?『おらぁぁ!!何をしやがる!!弱いものいじめは最低行為だ!!往け!!』と、突き飛ばしていたのを良く説教したね」
「何昔話してるんだ?欅兄貴、まだ息子も生まれたばかりなのに、じじいの懐かしい昔話か?親父や藤資叔父じゃあるまいし、もう歳か?」
重綱の一言に、二人が真っ直ぐではなく横に蹴る。
障子がものすごい音と共に破れ、突っ込んでいった。
「な、何をしているんだ!?重綱!?」
「ただの、父や叔父を敬わぬ馬鹿に説教よりも手痛い仕打ちです。気になさらず」
親綱は楽しげに笑いながら入っていく。
藤資は、欅に頼むと言いたげに視線を合わせると、先に入っていき、欅は景資を抱いて入っていく。
欅の姿に一瞬怯むが、
「親綱叔父、藤資叔父、ひさしぶりにどうされた?」
「そうなのです。私は養女を迎えましてな。藤資にもいい加減身を固めよと娘を嫁がせましての。藤資の長男になる、我が孫が昨日元服いたしましてな。正信。景資をこちらに」
欅に立たせて貰い、祖父と父の間に座ると、父と練習したように、頭を下げる。
「殿には、初めてお目にかかります。私は、中条藤資の嫡男、景資と申します。お目通りをお許しいただき、恐悦至極にございます」
「景資と申すか、表をあげよ」
「はい!」
顔をあげると、幼いものの、柔和で愛らしい顔に晴景は息を飲んだ。
左目の下に泣きボクロはないが、昔、戯れに通っていた女に瓜二つである。
「そなたの『景』は……」
「直江家の、母の義理の妹になる采明叔母上がつけてくださいました。景虎様の景でございます。私たちの命の恩人です。そして資は父の名前でございます。『景』とは景色……この移り行く景色の表情が美しく、優しいように、私に優しく、そして父のように強い者になるようにと。叔母のつけてくれたこの名を大事にしたいと思います」
「景虎の!?」
「左様にございます。私と母、兄弟は、景虎様に救われました。私は、こちらに挨拶に伺いましたが、景虎様にお仕えすることをお許しいただければと思います」
「ならぬ!!」
立ち上がる晴景に、景資は真剣な眼差しで、
「私を含め5人の子供を育てつつ、苦しんできた母を、乳母として直江家の屋敷に連れてきてくださったのは、景虎様と実綱様でした!!そして慈しんで下さったのは、直江家の皆様と父上です!!他のかたは、母を苦しめ、救っても下さらなかった!!母の苦しみを思ってくれた景虎様に、皆様に恩をお返ししたいと思って何が悪いのです!!あなた様がたとえ、私の父であっても、母を苦しめる人です!!決して私はお仕えしません!!」
「なっ!」
「今、先程私の顔を見て驚かれましたね?あなたは、母を苦しめた人間です!!私は決して貴方に仕える気はありません!!それで私を斬るのなら斬ってください!!幼い元服の挨拶に来た中条の嫡子を斬ったと、貴方は臣下の者に乱心したと言われるでしょう!!そして、景虎様に位を譲り、幽閉せよと声が上がるでしょう!!そうすれば、景虎様が次の当主となられます!!どうやっても、貴方には不利です。負けをお認めください」
まだ10にもならない景資の知恵に4人は息を飲む。
ここまで考えるとは、本人も賢いがこの子の知恵を知り、学問を学ばせた神五郎の先見の明に、采明の……。
景資は立ち上がり、
「正信叔父上!!私はご挨拶を終えました。帰りたいのですが、道が分かりません……一緒に帰っていただけますか?」
「あぁ。帰ろう。では、父上、叔父上、重綱。後はよろしくお願いいたします」
元の主を無視し、甥を抱いて去っていったのだった。
「ありがとうございます!!父上」
「よう似おうておる。景資。ではいこうかの?」
と表に出ると、神五郎はおらず、祖父の親綱と叔父の重綱と欅が待っていた。
「おぉ。色あわせが良いな。藤資が選んだのか?」
「いいえ、おじいさま!!実は、母上とおばあさまと、橘樹おばさまと茜おば様と采明お姉さんが。ここの色は父上と同じ藤の色、そして、この組紐は采明お姉さんが。父上もしているんですよ」
父の手首を示すと、藤資が照れ臭そうに、
「か、家族でお揃いも素敵だろうと、色を変えたり編み方を変えたりして、作ってくださったのだ。特に佐々礼が喜んで、お揃いが嬉しいと……」
「ぐはぁ!?あの藤資叔父上がのろけている!!」
「うるさい!!」
欅は、重綱を殴り、弥太郎を見る。
「この紐も素晴らしいが、その姿は本当に凛々しくて似合っているぞ。母上が喜んでいただろう」
「はい!!今日は、采明お姉さんと、皆で直江のお家で遊んだりするそうです。特に晴は采明お姉さんが大好きなので、一緒に色々と遊んでくれるのだとか。おばあさまも、橘樹おばさまも」
弥太郎は本当に嬉しかった。
元々橘樹は、弥太郎の賢さを可愛がり、様々なことを教えてくれたり、神五郎は、ボロボロの弥太郎達の衣を新調してくれた。
遠慮する弥太郎や佐々礼に、神五郎は、
「屋敷に仕えるものは私たちの家族だ。家族が、ボロボロの衣を着ていては、直江家の恥になる。姉上や、埜々香に仕立てて貰うがいい。いくつか反物を届けるので、良いな?」
「は、はい!!ありがとうございます!!」
「お前たちが、頑張って、近くの雑木林で燃えるものを探したり、食べられるもの、薬草を探してくれるお礼だ。これでも足りん」
神五郎は頭を撫でる。
「お前は賢い。努力をすれば必ず弥吉は、大成する。これからも頑張ってくれるか?」
「はい!!」
そう言っていた神五郎がいない。
「あ、あの……新五郎様は?」
「ん?……あぁ、殿が優柔不断でな、側近とは名ばかりの狐狸どもに利用され、意見をコロコロ変える」
重綱は、嫌そうに、
「しかも、采明を妾にという意見を聞こうとしたので、采明と兄上が激怒してな。特に、兄貴は采明にベタ惚れだろう?怒り狂って、もう出仕しないとな」
「えぇぇ!?あ、あの采明お姉さんを!?」
弥太郎は采明が大好きである。
優しくて、笑顔も可愛らしいし、弥太郎たちを兄弟のように可愛がってくれるのだ。
それに、色々な遊びや、おもちゃを作ってくれたり……兄弟たちは嬉しくて、大事にしている。
「絶対に嫌です!!僕たちは采明お姉さんが大好きなんです!!お姉さんはずっと直江のお家にいてほしいです!!」
拳を握りしめる。
「お姉ちゃんは直江家の人間で、宝物です!!僕のお姉ちゃんです!!どこにも出しちゃダメです!!」
「よくぞもうした!!じいは、本当に嬉しいぞ!!」
親綱が、頭を撫でようとすると、
「やめんか!!可愛い長男を見せびらかしにいくのだ!!じじいが口を挟むな!!」
「何だとう!!弥太郎は、直江家の子供じゃ!!」
「わしの!!息子じゃ!!行くぞ?景資」
藤資は、息子の手をとり、そっと握りしめる。
そのさりげない優しさがうれしく、ニコニコと父を見上げ、
「父上の手はごつごつしてるけれど、とっても暖かくて、ぎゅって握ってくれて嬉しいです」
「そうかの?」
「はい!!父上が私のことを守ってくれるようでホッとします」
まだ10にもならぬ幼い子供が、体の弱い……男達に翻弄されてきた母を支え生きてきたことを考えると、藤資は、心底最初に佐々礼と弥太郎、晴を見捨てた男が許せない。
晴の名前を聞いた瞬間、正体は解った。
しかも、弥太郎は、母親に良く似ている。
優しく大人しい佐々礼を長年苦しめ続けたあの男に見せつけるのだ!!
「だ、旦那様……私は……身分のないものです。本当に本当に……私たちを大切にしていただいて、幸せです。でも、旦那様が、辛い目に……このような女を妻に迎えたと……馬鹿にされるのだけは!!」
ホロホロと涙をこぼす佐々礼をそっと抱き締める。
佐々礼は、ビクンと震えた。
佐々礼は男を恐れる……それほどまで苦しい目を遭わされてきたのだ。
「大丈夫だ。佐々礼……そなたを貶めるものは許さぬし、私は生涯佐々礼と添い遂げる。これからずっと私の妻は佐々礼一人だ」
「で、ですが……私の子供は……」
抱き締めた胸の辺りが濡れる。
それだけでも……佐々礼がどれ程苦しい目を遭ってきたのか、弥太郎たちは、そんな嘆く母を見てきたのか……と思うだけでも、許せないと思ったのだ。
「佐々礼?そなたの息子や娘はわしの子。前はきついことを言ってしまったが、本当に本当に……あの子達を一生守るつもりじゃ。可愛い実の子として、共に育てよう……子供たちが笑顔でわしに『父上!!』と呼んでくれることがとても幸せなのだ」
藤資は、心底そう思う。
母や兄弟を守るのだと必死に努力をして来た弥太郎は、藤資に本当に甘えてくれるようになった。
今日のように、
「えへへ……お仕事は大変だと思うのです。でも、私は父上と一緒にいくのが嬉しいです」
頬を赤くして笑う息子に、
「私も嬉しいぞ。この景資の出仕が嬉しい」
「一杯一杯頑張ります!!」
「力むではないぞ?ゆっくり頑張ればいい」
「はい!!」
時々あどけなく微笑む。
その表情は佐々礼は本当に、苦しい目にあわされても、子供を本当に可愛がってきたのだろう……本当に佐々礼は子供たちが愛おしく慈しんだ……本当の慈母と言うのは、妻のことを言うのだろう。
あの優しい、哀しげな表情の妻を笑顔にしてあげたい、妻も子供たちも自分が守らねば……と思う。
「景資?こちらだ」
「は、はい!!」
「緊張せずともよい。主君に緊張するなら。神五郎の方が迫力があるぞ。あの年であれほどの強さはないだろうの」
「神五郎様の方がおつよいんですか?」
弥太郎の言葉に、藤資が、
「強いな。あれは強い。景資も、神五郎に見習うがいい」
「はい!!」
門をくぐり、控えていた侍従に、
「直江親綱と、息子の重綱、篠井正信である。殿に挨拶に参った」
「中条藤資、そして嫡男景資と、殿に元服の挨拶に参った」
「直江親綱様!!そして中条様!!ようこそお出でくださいました!!」
頭を下げるが、欅を蔑んだ眼差しで見る。
その様子に親綱が、
「私の息子を何だと思っておる!!直江家を侮るか!!」
「は、はい!!申し訳ございません!!」
慌てて頭を下げ、案内していく。
キョロキョロと周囲を見回したいのを堪えようとする息子に、
「キョロキョロしても構わぬぞ?ここは、直江家や中条家の屋敷よりも下品だ」
耳に囁くと、えぇぇ!?といいたげに目を丸くして父を見る。
父の藤資はにやっと笑い、
「ふんっ、見てみるが良い。庭の手入れの悪さを、わしの手入れの方がましじゃろう。わしは、木々と話をしつつ樹を手入れしておる。直江家と我が家の木々は美しかろう!!」
その言葉に周囲を見回し、景資は、
「あ、父上の手入れの方が綺麗です!!それに……」
床を見る。
「直江家の廊下はとても綺麗です。……あぁ!!父上!!」
足の裏を見ると、黒くなっており、泣きそうになる。
昔の生活で汚れていた足の裏並みである。
こんな足では……。
「大丈夫じゃ」
ひょいっと息子を抱き上げ、頭を撫でる。
「後で風呂に入ろうの?綺麗に洗わねばな?」
「父上が悪く言われたら……」
涙声に、重綱が、
「気にすんな。ここは昔からそうだ。主が主だけに、全く下の者がなってない!!だから親父も、藤資叔父上が出仕止めたんだよ。兄貴もあの事で怒ってな!!今でも話題に出てるか?おっさん?」
嫌みたらしく、先導する男の背に声をかける。
「正信兄上の父上も何の落ち度もないのに、殺しておいてのうのうとよくここでいられるもんだ」
はっ!
重綱が笑う。
立ち止まった男が顔を赤くして振り返るのを、
「おぉ?怒れるのか?怒ってみろよ。直江家を、中条家を馬鹿に出来るのか?」
挑発する重綱に、親綱が、
「やめぬか、重綱」
「何でだよ、親父。親父も兄貴を馬鹿にする、掃除もろくに出来ねぇこいつらを庇うのか!?」
「わしが遊べんではないか!!この礼儀作法もなっとらん若造が!!」
呆気に取られる景資の目の前で、親綱が蹴り飛ばす。
前のめりに倒れ込んだ男の尻と背中をわざわざ踏みにじり、
「この程度が、わしの息子を馬鹿にするな!!ふんっ、藤資、正信、重綱、この男の背を踏んでいけ。景資も、足を綺麗にするが良い。行くぞ」
「景資?良く拭くが良い。この男なら、いくら叩きのめしても構わぬぞ。祖父の命令じゃ。聞いておけ」
「え、えと……」
欅が先に進むと、振り返り、
「景資。渡ってくると良い。叔父さんがだっこするから」
「ほら、兄ちゃんが、手を引くから行くぞ」
重綱に手を取られ、とことこと渡ると、欅は抱き上げる。
「よしよし。大きくなったな。父上が来られた。父上がいいかな?」
「えとえと……」
そのまま欅は歩き出す。
そして小声でこの建物の作り等を小声で教えていく。
「叔父上は、ここを知って……」
「父が、先代の我が儘に振り回され、逆鱗に触れて母共々自害する当日まで、殿の遊び相手としてここにいたからな。父上と母上が私と茜を連れ出してかくまってくれたんだよ」
「殿は……今の殿は、叔父上にお姉さんを助けてくれなかったんですか!?」
「そうだね。全く」
冷たくあっさりと告げる。
「もう昔で、殿は忘れているだろうけれど、私を先代に突きだそうとされて、一緒にいた神五郎と、駆けつけてきた父上に蹴られ、投げ飛ばされていたね。もう会いたくないけど、篠井の次の当主として、景資とご挨拶も良いだろうと、思ったんだ」
「そ、そんな……私は、叔父上たちがそんな目に遭っているなんて知りませんでした」
「茜は覚えていない。赤子だから。でも、父上や母上が良く私に『我慢するな。お前の家はここじゃ。甘えてよいぞ。いたずらも、神五郎と同じように説教するゆえ……と言うても、そなたも神五郎も、暴れんの?』『と言うことで、母の実家で遊んでこい!!』と篠井の家で橘樹と三人で3月ほど山の中を駆け回った。毎日毎日ボロボロの衣になるので、そちらの祖父や、義父が嘆かれて、しかし一緒に来ていた母上は『魚を釣ってこい!!』とぽいっと追い出されて、3人で四苦八苦しながら色々としていたよ。あの頃は本当に神五郎があの性格だろう?『おらぁぁ!!何をしやがる!!弱いものいじめは最低行為だ!!往け!!』と、突き飛ばしていたのを良く説教したね」
「何昔話してるんだ?欅兄貴、まだ息子も生まれたばかりなのに、じじいの懐かしい昔話か?親父や藤資叔父じゃあるまいし、もう歳か?」
重綱の一言に、二人が真っ直ぐではなく横に蹴る。
障子がものすごい音と共に破れ、突っ込んでいった。
「な、何をしているんだ!?重綱!?」
「ただの、父や叔父を敬わぬ馬鹿に説教よりも手痛い仕打ちです。気になさらず」
親綱は楽しげに笑いながら入っていく。
藤資は、欅に頼むと言いたげに視線を合わせると、先に入っていき、欅は景資を抱いて入っていく。
欅の姿に一瞬怯むが、
「親綱叔父、藤資叔父、ひさしぶりにどうされた?」
「そうなのです。私は養女を迎えましてな。藤資にもいい加減身を固めよと娘を嫁がせましての。藤資の長男になる、我が孫が昨日元服いたしましてな。正信。景資をこちらに」
欅に立たせて貰い、祖父と父の間に座ると、父と練習したように、頭を下げる。
「殿には、初めてお目にかかります。私は、中条藤資の嫡男、景資と申します。お目通りをお許しいただき、恐悦至極にございます」
「景資と申すか、表をあげよ」
「はい!」
顔をあげると、幼いものの、柔和で愛らしい顔に晴景は息を飲んだ。
左目の下に泣きボクロはないが、昔、戯れに通っていた女に瓜二つである。
「そなたの『景』は……」
「直江家の、母の義理の妹になる采明叔母上がつけてくださいました。景虎様の景でございます。私たちの命の恩人です。そして資は父の名前でございます。『景』とは景色……この移り行く景色の表情が美しく、優しいように、私に優しく、そして父のように強い者になるようにと。叔母のつけてくれたこの名を大事にしたいと思います」
「景虎の!?」
「左様にございます。私と母、兄弟は、景虎様に救われました。私は、こちらに挨拶に伺いましたが、景虎様にお仕えすることをお許しいただければと思います」
「ならぬ!!」
立ち上がる晴景に、景資は真剣な眼差しで、
「私を含め5人の子供を育てつつ、苦しんできた母を、乳母として直江家の屋敷に連れてきてくださったのは、景虎様と実綱様でした!!そして慈しんで下さったのは、直江家の皆様と父上です!!他のかたは、母を苦しめ、救っても下さらなかった!!母の苦しみを思ってくれた景虎様に、皆様に恩をお返ししたいと思って何が悪いのです!!あなた様がたとえ、私の父であっても、母を苦しめる人です!!決して私はお仕えしません!!」
「なっ!」
「今、先程私の顔を見て驚かれましたね?あなたは、母を苦しめた人間です!!私は決して貴方に仕える気はありません!!それで私を斬るのなら斬ってください!!幼い元服の挨拶に来た中条の嫡子を斬ったと、貴方は臣下の者に乱心したと言われるでしょう!!そして、景虎様に位を譲り、幽閉せよと声が上がるでしょう!!そうすれば、景虎様が次の当主となられます!!どうやっても、貴方には不利です。負けをお認めください」
まだ10にもならない景資の知恵に4人は息を飲む。
ここまで考えるとは、本人も賢いがこの子の知恵を知り、学問を学ばせた神五郎の先見の明に、采明の……。
景資は立ち上がり、
「正信叔父上!!私はご挨拶を終えました。帰りたいのですが、道が分かりません……一緒に帰っていただけますか?」
「あぁ。帰ろう。では、父上、叔父上、重綱。後はよろしくお願いいたします」
元の主を無視し、甥を抱いて去っていったのだった。
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