運命(さだめ)の迷宮

ノベルバユーザー173744

景虎くんは、ステージで歌うときよりもとても緊張しています。

ドキドキとする心臓に、景虎かげとらは大きく息を吸って、歌い始める。

早春賦そうしゅんふ』である。

景虎は風景を言葉に表した曲が好きである。
外国語の歌もいくつも覚えたが、『浜辺の歌』『椰子の実』と言った曲が好きで、ステージでは時々アンコールの時に歌ったりもする。

采明あやめの視線が合うと、にっこりと笑いかける。

采明は自分の姉に近い存在。
采明には嫌われたくない景虎である。

采明は采明で、少し緊張しているのか強く手を握っている景虎を、弟のように思えていた。
まだ自分よりも年下だというのに、考え方は大人びていて、先に先に考える強さがある。
深い漆黒の眼差しは優しげで、賢いと言っても年相応のやんちゃ坊主と言った風情である。

3曲を歌いきった少年は、ペロッと舌を出す。

「あぁぁ……失敗した。途中歌が走ってしまった」
「全体的に素晴らしいですもの大丈夫ですよ。それよりも、旦那さまはどこが失敗されたとおっしゃられたかお分かりですか?」

采明の問いかけに、神五郎しんごろうは、

「いいや、解らん!!」
「だそうですよ」
「兄上は芸術に造詣がないからな……聞いても仕方ないぞ?姉上」
「景虎さま!!」

ムッとした神五郎の後ろから、

「か、景虎さま?景虎さまがいらっしゃるんですか!?」

竹藪の奥から現れたのは、景資かげすけである。
数えで13才つまり12才の景資は、横たわる采明に付いている景虎に駆け寄る。

「景虎さま!!お、お会いしとうございました!!景資……弥吉やきちにございます!!」

地面に座り、地に額を擦り付けんばかりに頭を下げる景資に、

「弥吉……じゃのうて、弥太郎やたろう!!元気そうじゃの!!……と言うか、お主、ますます母上に似て美しいのぉ……変なやからには注意せいよ?」
「はぁ?私ははるゆきのように愛らしくはありませんので」
「と言うか、なぜお主元服など致した?そなたはおなごであろうに」
「……はぁぁ!?」

神五郎は叫ぶ。

「お、おお……おなご!?」
「何を言うておる。どう見てもおなごであろうが」

まじまじと見た神五郎は、

「叔父上は知らんのだろう?」
「いえ、母から、聞いていると思います。ですが、与次郎よじろう藤三郎とうざぶろうも幼いですし、二人が元服するまでは、しばらくこのままでいようと思っております」
「どうしてその長い髪なのかと思っていたが……おなご……」
「そなたなら、その美貌で、すぐに嫁いでも問題ないと思うが……」

景虎に、弥太郎は、

「母や晴や雪は愛らしいですが、自分はさほど美しくもありませんし、それよりも武具の手入れや学問の方が楽しいです」

真顔で答える姿にがっくりくる。

「兄上!!何故こんな風に育ったか説明しろ!!事によっては、兄上を滅多うちにしてくれる!!」
「と言っても、私は解りませんでしたし……」

口ごもる神五郎に采明と景資は顔を見合わせプッと吹き出す。

「姉上、大丈夫ですか?急に早産など……何かあったのですか!?」
「……えっと、少しあったの、でも……大丈、夫……」

くぅぅっとうめく采明に、景資は慌てて腰をさすり、

「姉上。ラマーズ法ですよ。ひ、ひ、ふーです。一緒に頑張りましょう。私は母が7人子供を産んでいますので大丈夫です。安心してください」
「ありがとう……景資くんがいるともう一人妹ができたようで安心だわ」
「お姉ちゃん!!急いで作ってきたわよ!!」

儁乂しゅんがいに連れてこられた百合ゆりは、一人見知らぬ年下の子供に気がつき、

「お姉ちゃんの旦那さんのお子さんですか?」

と真顔で問いかけ、景虎が大爆笑する。

「あはははは!!兄上!!十分私や弥太郎の父親に見えるらしいぞ」
「わ、私は!!」
「冗談よ。だって、貴方、顔立ち違うし、肌が抜けるように白いでしょ?兄上は肌が適度に焼けているし。解ってるわよ」

にこにこと笑うと、

「あぁ、そうだったわ。初めまして。私は百合。采明お姉ちゃんの二つ下の妹です。よろしくね」
「あ、初めまして。私は中条藤資なかじょうふじすけの嫡男、景資と申します。幼名は弥太郎と申します。年は13才です」
「えぇぇ!?この子女の子でしょう?何で男の子の格好で、男の子の名前なの!?こんなに美少女なのに!!」

百合は訴える。

「美少女……?百合姉上の方がお美しいかと思うのですが?」
「こんな美人に言われると落ち込むわぁ……」
「えぇぇ!?私のせいですか!!すみません!!」

慌てて謝る景資に、百合は微笑む。

「やっぱり可愛いわぁ。弟の孔明こうめいよりも、妹が欲しかったわ」
「孔明?」
「あ、お姉ちゃん。見てみて!!一緒に現像しておいたわ。これが、景資ちゃんに、確か……」
明子あきこと言うのよ。可愛いでしょう?その次に撮った3人の大きい子が正明まさあきくんに、正樹まさきくん、橘信きつのぶくん。旦那さまのお姉さまの子供で、正明君と明ちゃんは双子なの」

紙をめくり、プッと吹き出す。

「お、お兄さん、お兄さんの顔が、顔が……ひきつってる!!」
「わ、私はそういったものが良く解らんから……あ、でも、明子と采明は可愛い」
「のろけてる~!!お姉ちゃん。旦那さん、とってもかっこいいし優しい人ね。良かったわ」
「えっと……そうなのかしら?」

照れ笑った采明は、顔をしかめうめく。

「陣痛が早まっています。出産が近いようです」
「そうじゃの。嬢の言う通りじゃ」

花岡医師は、腹部を確認し、

「母体も余り大きくない上に、赤ん坊も小さいの……。おい、保育器は!!準備できとるか?それと産湯にタオル、産着も!!」
「大丈夫です」

はるかは答える。
元々、警察より実家の産婦人科を継ぐ予定だったのだが、成績の優秀さから警察庁に入った。
しかし、定期的に大学に通い、医師の免許も取得した。
これで、何かが起こった場合に対処ができると思ったのだが……。
このような大怪我をおった妊婦の早産に立ち会うとは思っても見なかった。
そして、部下の安田やすだを止められなかった自分を恥じている。

「おい、遼」
「何だ?儁乂」
「安田が行方不明だ。緊急配備を敷いているが、この夕刻に藪の中、あの馬鹿が寄ってきて何かをするかも知れん!!」
「……注意せねばならんな」

遼は唇を噛む。
ここにいるのは、花岡医師に遼、儁乂だけでなく、春の国の学院の生徒であり、VIPの二人に5年間行方不明だった柚須浦采明ゆすうらあやめ、そして彼女の夫と言う青年と、12才位の少女。

気を抜くわけにはいかない。

「ううぅぅぅ……」
「お姉ちゃん。いきまないで。ゆっくりでいいよ。大丈夫よ。赤ちゃんは大丈夫」
「そうです。大丈夫……」

景資が不意に振り返った。
そこには景資は知らないが、拳銃を構えた男がいて……。

「死ね!!化け物!!」

の声に、咄嗟に采明をかばい抱きついた。
次の瞬間、背中に激痛が走る!!

「景資君!?景資……!!いやぁぁぁ!!」

百合は悲鳴をあげる。
自分よりも小柄な少女の背に、暗くて見えないが黒いシミが広がっていく。

「貴様ぁぁ!!」

儁乂が、安田に駆け寄ると、拳銃を投げ飛ばし柔道の技で倒し、押さえ込んだ。

「……一般市民に対し拳銃を向けただけではなく、二度も発砲……午後6時57分、貴様を緊急逮捕する」
「あれは魔物だ!!私は悪くない!!悪くないんだ!!」
「黙れ!!遼!!俺はこいつを連れていく!!その子を止血して病院に!!」
「解った!!」

遼は動かない景資を静かにうつ伏せで寝かせ、服を剥がして傷を確認する。

「……大丈夫だな……全治二ヶ月……命は助かる。申し訳ない!!この子を病院に連れていく!!景虎、そして采明さんのご主人。このあとは安全だと思うが、周辺を確認してほしい。私よりも儁乂……彼が早く来ると思うそれまでよろしく頼む!!」
「よ、よろしくお願いいたします!!私の妹の娘です!!お願いいたします!!」

神五郎の一言に、

「解っております。ご安心ください!!」

簡単に止血をしてそっと抱き上げて立ち去る。

「あのバカのせいで!!姉上や弥太郎に何かあれば許さん!!」

景虎が激怒する。

「弥太郎は本当に本当に家族思いで、兄弟として、姉のように思っていたのに!!守れなんだ自分が悔しい!!」
「本当に……大丈夫かしら……お兄さん。生まれてくる赤ちゃんや、弥太郎ちゃんと呼ばれている彼女を待てる?」
「……」

俯き、黙り込む。
景虎が、

「冷たいことを言うが、無理じゃ。兄上は、私の兄と対立しておる。優柔不断で、甘い誘惑に弱く、努力をせぬ兄と、直江家の嫡子として、長尾家を支えようとされている兄上では天と地の差がある。今回もたぶん、周囲の佞臣ねいしんの甘言に惑わされ、兄上の屋敷を襲ったのだ。兄上は、早急に帰って、事を納めねばならぬ。私も行こう」
「駄目……です」

采明が苦しげに手をつかむ。

「景虎さまが、戻られるともっと混乱いたします。まだ機は熟していないのです。お待ちくださいませ!!私たちが、景虎さまが戻られてもすぐに動けるようにさせていただきます。ですから……」
「子供はどうするのだ!!それに弥太郎は!!」

采明は夫を見て、

「子供は……こちらに残します。景資君は、守役として……。いつか再び道が通じるまで……待ちます」

ポロっと采明の瞳から明珠しんじゅしずくが落ちた。

「苦しくて……悲しくても……時が、来るまで待つしか……」
「お姉ちゃん!!戻るの!?もう会えなくなったら嫌だよ!!お姉ちゃん!!」
「ごめんね。百合……お父さんとお母さんに、ご免なさいって……伝えてね」



その日の深夜……采明は男の子を産み落とし、名前を、『実明さねあき』と付けた。
そして夫に抱き抱えられたまま、保育器で運ばれていった息子を見送り……そして去っていったのだった。

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