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スクールカースト殺人教室(新潮文庫)

堀内公太郎

Day1 (2)

 息苦しさを感じてしまう。それが視線のせいばかりでないのは、南自身が一番よく分かっていた。学校という空間にいるだけで、当時の記憶がよみがえってくる。左の手首がうずいた。

「──どうした、お嬢ちゃん?」前を行くしきしんいちが振り返ると、「現場を前にしてったかい?」とからかうように訊いてくる。

 屋敷はなし署の刑事課に所属する警部補だ。歳は五十前後、サングラスに白髪混じりのオールバックは、どう見ても堅気に見えない。

 南は苦笑いした。

「こう見えても、一応、一課の刑事ですから」

「でも、大学出て、数年だろ」

「五年になります」

「だったら、慣れっこでもねえだろ。現場は片手ぐらいか?」

「もう少しあります」

 南は強がって見せた。殺しの現場はこれが七回目だ。

「ほう」屋敷がニヤリとする。「いい度胸だ。よし、行くぞ」と先に立って歩き出した。南はそのあとに続く。

 本来なら、本庁一課の南が主導権を握るべきだ。しかし、南が所属している三係の班長、ささもとから、「オヤジさんによく勉強させてもらえ」と言われている。かつて屋敷が本庁にいたころ、笹本とは同じ班にいたことがあるそうだ。

 校舎に入ると、昇降口にいた制服警官が屋敷に向かって敬礼した。それから南を見て、不審そうにまゆをひそめる。

「こちら、本庁の永沢巡査部長だ」屋敷が警官に向かって告げた。

 警官が驚きの表情を浮かべる。

「ご、ご苦労さまです!」

「現場は上だな」

「は、三階になります」

 階段を三階まで上ると、《一年D組》と書かれた教室へ向かった。中に入ると、何人もの鑑識課員が仕事をしている。教壇の上に、うつ伏せに倒れた男の死体があった。ポロシャツの背中が、血でどす黒く変色している。

「お疲れさまです」三十前後の胸板の厚い男が近づいてきた。小柄でずんぐりしている。南を見ると、「こちらは?」と屋敷に訊いた。

「本庁の永沢巡査部長だ」

「へえ、あんたが?」男が口元をゆがめるように笑う。「いやあ、お会いできて光栄です。田無署のこんと言います。優秀だっておうわさはかねがね聞いてますよ」

 南は適当に笑みで返した。

「被害者は?」屋敷が尋ねる。

 紺野が手帳を広げた。

「羽田勝、二十六歳、ここ私立西東京学園高校の国語教師です。一Dの担任でもあります。死亡推定時刻は深夜三時前後。背後から刃物で数か所刺され、うち一つがじんぞうに達しています。凶器は見つかっていません。財布や携帯電話は持ち去られています」

「どうしてそんな時間に学校にいたんだ?」

「分かりません。警備員も知らなかったそうです」

「第一発見者は?」

「最初に登校した女子生徒です。婦人警官をつけて、一階の応接室で待機させてます」

「分かった。ご苦労」

 紺野が南を見てニヤニヤする。

「どうです? ホシは分かりました?」

 南は当惑した。

「……今ので分かるんですか」

「いやあ、優秀と名高い巡査部長殿なら、分かるのかと思って」

「……いいえ。分かりません」

「そりゃ残念」紺野があざけるように笑った。「じゃ、しよかつの僕は聞き込みに回ります。その優秀な頭でさっさと解決してください」

 紺野はそう告げると、教室を出ていってしまった。

「──一階へ戻るぞ」

 屋敷が歩き出す。南もあとに続いた。階段を下り始めてすぐ、屋敷があきれたように訊いてきた。

「なんで言い返さなかった?」

「……波風は立てたくないので」

「悔しくないのか」

「悔しくないと思いますか」

 屋敷が肩をすくめた。

「そりゃそうだよな」

 一年前、南は本庁の捜査一課に異動した。希望は出していたものの、まさか本当に異動できるとは思っていなかった。あとで聞いた話によると、笹本が引っ張ってくれたという。四谷署にいたとき、ある事件で笹本の班と行動をともにすることがあった。そのときの南の働きを評価してくれたらしい。

 本庁の捜査一課は花形だ。希望者は腐るほどいる。南のような若い女が行ったことをおもしろく思わない人間は数多くいた。そのため、出向く先々で、先ほどのように所轄の刑事から冷ややかな対応をされることが多い。やっかみ半分で、南が笹本の愛人だという噂も飛び交っていた。

「少しぐらい言い返したって、バチは当たらんだろう」

「言い返せば、余計なネタを提供するだけです」

 しばらく間があってから、屋敷が鼻を鳴らした。

「お嬢ちゃんも大変だな」

「大丈夫です。私には信念がありますから」

「信念?」

「弱い人に寄り添える警察官になることです」

 ふーん、と屋敷が目を細める。

「弱い人に寄り添えるねえ……」

鹿にしてくださってもかまいません。でも、私が警察官になったのは弱者のためです。この信念があるかぎり、私は絶対に警察官を辞めません」

 屋敷がふと笑いを漏らした。

「そういう青臭い台詞せりふ、わりと嫌いじゃないけどな」

「……え?」

「笹本がお嬢ちゃんに目をかけた理由が分かる気がするよ」

 屋敷が階段を下りていく。南はあとを追いかけた。一階に着くと、先ほどの制服警官が南たちに向かって敬礼する。

「まずは校長に話を聞こう」

「第一発見者じゃなくてですか」

「最初に、被害者がどういう人物だったのか知っておきたい。それに、ボスに話を通しておくのは、捜査をやりやすくする基本だ」

「分かりました」

 昇降口の横を抜けて、廊下を歩いていく。左へ伸びた通路の一番手前に《校長室》と書かれたプレートがついていた。ノックすると、「どうぞ」と男の声が返ってくる。

「失礼します」

 ドアを開けて中に入った。奥の机に、五十代半ばのスーツを着た男性がこちらを向いて座っている。前髪が後退しているが、日に焼けた顔からはエネルギッシュな印象を受けた。

「田無署の屋敷です。こちらは本庁の永沢といいます」

「校長の泉田です。このたびはお騒がせして申し訳ない」

「お話を聞かせてもらってよろしいですか」

「どうぞ」泉田が部屋の中央に置かれたソファを示す。「今、お茶を入れさせます」と立ち上がろうとした。

「いや、けっこうです」

 屋敷が泉田を制すと、ソファに腰を下ろした。南もその横に座ると、カバンから手帳とペンを取り出す。

 泉田が机を回ってくると、南たちの向かいに座った。

「亡くなった羽田先生について聞かせてください」

「いい先生でした。やる気もあって、将来、どういう教師に育つのか、本当に楽しみにしていました」

「生徒からの評判はどうです?」

「よかったと思います。最初に担任を持ったときは、苦労してましたけど。今回は生徒の心をうまくつかんでいたみたいです」

「最初の苦労とは?」

「初めての担任がプレッシャーだったのでしょう。精神的に参ったようでした。そのため、私が指示して、一年間、休職させたんです。昨秋に復帰して、この四月から再び担任を持っていました」

「校長先生が羽田先生と直接話をする機会はあるんですか」

「彼は私の高校のラグビー部の後輩なんです。うちの学校に来たのもその縁でして」

 ほう、と屋敷が身体を乗り出す。

「では、羽田さんのことにはお詳しいんですね」

「それなりには。彼は十一月に結婚する予定で、その仲人なこうども頼まれていました」

「お相手は?」

「この学校の教師です。本橋優香先生と言います。美男美女でお似合いだったんですが残念です」

「なるほど」

 屋敷がちらりとこちらを見た。目が合うと、南は小さくうなずいて見せる。重要な容疑者候補ということだろう。

「本橋先生は今どちらに?」

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