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偽りの人形 冷徹主人の愛戯に乱されて

灯束きはれ

章1 人形になった日 (2)


 そしてアンジュが目を覚ました時には、全てが終わっていた。

『目が覚めましたか』

 枕元にいたのは白衣を着た男性だった。

『あの、あなたは……』

『どこか痛いところや苦しいところは』

 アンジュの質問には答えず、その男性は淡々とした口調で逆に質問を投げ掛けてくる。質問の内容などからして、この男性は医者なのだろう。

『ありません……』

『そうですか。異常はないようですので、私はこれで』

 必要な報告は終えたというように、男性はそのまま部屋を後にした。

 アンジュは寝かされていた布団から起き上がった。

 そこは暮らし慣れた平屋で、アンジュは自分の布団に寝かされていた。

「……お母さんは?」

 母を探すものの、その姿はどこにもない。

 アンジュ以外には部屋の隅に座るスーツ姿の男性がいるだけだった。

 涙ぐむ男性と目が合い、嫌な予感を感じながらもアンジュはたずねた。

 本当ならば聞きたくはなかった。

 それでもアンジュは聞くしかなかった。

『あの……お母さんは?』

『ルリは、君のお母さんは……』

 アンジュの問い掛けに答えようとどうにか口を開いた男性だったが、言葉の途中でうつむいてしまった。

『……君が倒れた後に、亡くなったよ。君が倒れてから今日でもう三日目でね。君には申し訳ないけど、彼女は私が見送らせてもらった』

『そんな……』

『私が呼んだ医者が言うには、もう手の施し様がなかったらしい……』

 絞り出すように告げられた事実に、アンジュは言葉を失った。

 唯一の家族である母を失い、一体これからどうすればいいのか。

 母を亡くした実感さえも湧かないアンジュにはわからない。

『これから先のことは心配はいらない……君のことは私が引き取るから』

『あの……』

『ん?』

『あなたは誰ですか? 母の知り合いですか?』

 男性は泣きすぎて赤くなってしまった目元に困ったような笑みを浮かべた。

『そうだった。名乗るのがすっかり遅くなってしまったね』

 男性はアンジュのそばに来ると、アンジュの前に膝をついた。

 ずっとここにいたのか。男性のスーツは皺が出来ていた。

『僕の名は砂金ミネヒト。君の、父親だよ』

『私の、お父さん……?』

 ──父親。

 それはアンジュが生まれて初めて触れる存在だった。

 もちろん自分がいるということは父親がいるということや、一般的な父親がどういったものなのかという知識は持ち合わせていた。

 ただ、これまで母と二人で暮らしてきたアンジュが父親を欲したことは一度たりともなく、自分の父親だと名乗るミネヒトがこうして目の前に立っていることが母は亡くなったこと以上に、現実味のないことに思える。

『君が困惑するのも無理はないか……理由あって彼女と、ルリと結婚することが出来なかったから……けれど、私がルリのことを忘れた日はなかった。ようやく探し出せたかと思えば、まさかあんなことになっていたなんて……』

 話をする中でルリのことを思い出してしまったのか。

 再び泣きそうになるミネヒトに、アンジュはたずねた。

『あの、さっき言っていた私を引き取るって、どういうことですか?』

『何も知らなかったとは言え、ルリと君には辛い思いをさせてしまったからね。せめて一人になってしまった君の面倒を、私に見させてはくれないかな?』

『でも、急にそんなことを言われても……』

 ミネヒトからの申し出は有難い。

 しかし母を亡くしたばかりのアンジュにそんなことを決められるほどの余裕はどこにもない。

 それに出来るならば、母と過ごしたこの家を離れたくはない。

『あぁ、その点については安心するといい。君が眠っている間に必要な手続きや準備は全て済ませておいたから』

 改めて部屋の中を見回してみれば、長年使っていた箪笥や鏡台などが全てなくなっている。すっかり殺風景になってしまった部屋に、母との思い出に浸りながら暮らしていくことは不可能なのだと、アンジュは悟った。

 事実、十をいくつか超えたばかりの子供一人で暮らしていけるはずがない。

 今のアンジュにはミネヒトに着いて行くしか選択肢はない。

 ──母の死と、突然現れた父との生活。

 それは幼いアンジュにとって、あまりにも重い現実だった。


 アンジュが平屋を後にすることになったのは、その翌日のことだった。

 荷物らしい物も特になく、母が作ってくれた青いワンピースを身に纏い、これと言った荷物もなく平屋を後にするアンジュを見送ってくれる人はおらず、アンジュは一人住み慣れた我が家に背を向けて歩き出した。

『待ってくれ!』

 聞こえてきた声にアンジュは足を止めた。

 アンジュを呼び止めたのはスーツの上に白衣を着た男性だった。

 医者かと思ったものの、白衣は所々が黒く汚れ、更には機械の油に似たようなにおいもする。

 よほど急いできたのか。

 男性はアンジュの前で息を整えるとようやく口を開いた。

『いや、間に合ってよかった……君はルリ君の娘さんだね?』

『そうですけど……』

『やっぱりそうか。君は本当にルリ君とよく似ているから』

『あの、母のことを知っているんですか?』

『知っているも何も、ルリ君には本当に世話になったんだ。それなのに、まさかこんなことになってしまうなんて……』

 男性は母のことを思い出すような遠い目をしていた。

『ルリ君を助けることが出来ずに、本当にすまなかった』

『それはあなたのせいでは』

『いいや、共に目標に向かって歩いていた仲間として、そして研修者として、ルリ君を助けられなかったことは、本当にすまないと思っているんだ……それでこれを君に受け取ってほしくてね。どうにか間に合ってよかったよ』

 男性は手にしていた風呂敷包みをアンジュに差し出した。

『これは……?』

『ルリ君から作ってほしいと頼まれていたものだよ』

 風呂敷を開けていくと、中に包まれていたのは一体の市松人形だった。

 しかし一般的な物と違い、その瞳は青い瞳をしていた。

『青い瞳……』

『綺麗だろう。瑠璃色という色だ』

 ──瑠璃。

 それは母と同じ名前だった。

『帯のところにあるつまみを回してごらん』

 男性に言われる通り、アンジュが帯の結び目にあるつまみを回してみれば、聞き慣れたメロディーが流れてくる。

(この歌……)

 オルゴールの音色が奏でているそれは母がアンジュに何度も口ずさんでくれたあの歌だった。

『ルリ君から君への贈り物として作った世界で一つしかないからくり人形だ。受け取ってはくれないだろうか?』

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