偽りの人形 冷徹主人の愛戯に乱されて
プロローグ / 章1 人形になった日 (1)



プロローグ
いつかきっと、この歯車は止まってしまう。
けれど、どうか悲しまないで。
歯車が刻んだ跡を、証を覚えていて。
たとえ今は止まったままだとしても、もう一度歯車は回り始めるから。
だから、どうか……。
──歯車を回す手をためらわないで。
章1 人形になった日
かつて、この国は異国との交流を一切絶っていた時期があった。
──それを変えたきっかけは、先の時代に起きた戦。
その戦のせいで国は大きな痛手を負った。
そこへやってきたのが異国からの開国の交渉だった。
当時の国には異国をこれまでのように退けるだけの力はなく、国の責任者達はひどく頭を悩ませたものの、これから先の時代のことを見据え、開国へ踏み切ることを決めた。
この時の開国によって、すでに格段の進化を遂げていた異国の文化や技術が異人達とともに国へと伝わり、このおかげで国は痛手から立ち直るとともに飛躍的な進化を遂げることになった。
この時の決断は「英断」として語られ、開国という「明るい路」によってつくられた時代ということから、年号が「明路」と改められたのだった。
アンジュとして最後の記憶にあるのは、母の美しい髪と瞳の色だ。
母の名前でもある光を浴びて輝きを増したかのような瑠璃色の瞳に、星のきらめきをそのまま閉じ込めたような銀色の髪。
アンジュにとって、母と同じ色をした髪と目はひそかな自慢でもあり、そんな輝きを持った母のことが大好きだった。
『アンジュ、今日はどんなお話をしようかしら?』
『じゃあ、銀のお姫様と金の王子様のお話がいい!』
『あらあら、本当にアンジュはこのお話がお気に入りなのね』
『うん!』
『じゃあ、お話をしましょうか……』
この物語に出てくる銀のお姫様は、まるで母のようで。
だからアンジュはこの話が大好きだった。
母は小さく笑いながら、もう何度目になるのかわからない物語に、時折歌を織り交ぜながら、眠りに落ちていくアンジュに話してくれた。
物心がついた頃からアンジュは母と二人暮らしで、母は近くの屋敷で働き、アンジュを一人で育ててくれた。
少しでも助けになればと、母が働いている間にアンジュが家事をこなし、夜遅くに帰ってくる母をあたたかな夕食で迎える。そんな生活だった。
端から見れば貧しい生活に見えたかもしれないが、母がいれば決して広いとは言えない平屋での生活も苦ではなかった。
夕食の買い出しに近くにある商店街に向かう途中で見かけるアンジュと同じ年頃の女の子達に憧れがないと言えば嘘になるが、それでもアンジュは幸せだ。
──確かに幸せだった。
そんな生活に陰りが見え始めたのは、アンジュが十歳を超えた頃だった。
『こほこほっ……』
『お母さん、大丈夫?』
『えぇ、だからそんなに心配しなくても大丈夫よ、アンジュ。これくらい休んでいれば、すぐによくなるから。ね?』
『うん……』
何日も続く咳に、ただの風邪だと。
母自身も、そしてアンジュもそう思っていた。
近くに住む医師にも往診に来てもらい、薬ももらっていた。
しかしいつまで経っても母の体調はよくならず、咳はひどくなり、次第に母は弱っていった。
かつてアンジュに物語を語っていた声はすっかりかすれ、眠りに落ちるアンジュの頬を撫でてくれた手は力を失い、一日の大半を布団に臥せて過ごすようになったのは二人寄り添うように寒い冬を超えた頃のことだった。
まだ幼かったアンジュに出来ることはなく、母の変化を察しながらも「大丈夫」という母の言葉を信じ、ただその手にすがることしか出来なかった。
(お願い……誰でもいいから……)
『お母さんを、助けて……』
『ルリ!』
アンジュの必死の願いが届いたのか。
平屋に駆け込んできたのは見知らぬ男性だった。
男性が着ている茶色の三つ揃えのスーツはアンジュでもわかるほど生地や仕立ての良い物で、シャツの手首には青い石のついたカフスボタンが留まっている。
『あの……誰、ですか?』
おそるおそるたずねたアンジュに目を向けた男性は信じられないものを見たかのように目尻の垂れた目を見開いた。
『君は、まさか……』
『どうして、お母さんの名前を知ってるんですか?』
アンジュの言葉を聞いた男性は革靴を脱ぐことも忘れ、そのまま部屋に上がると、布団の上で眠る母の元に駆け寄った。
『あぁ、ルリ……どうして、どうしてこんなことに……』
ささくれの目立つ畳の上に崩れ落ちるように膝をついた男性は嘆きにも懺悔にも似た言葉を零していた。
『見つかっちゃったわね……ミネヒト』
目を開けた母はそんな男性に笑い掛けた。
──ミネヒト。
母が口にした名前はアンジュが初めて耳にするものだった。
『すまない……私が、もっと早くに君を見つけることが出来ていれば、こんなことには……』
『いいのよ。私、隠れるのは得意だから……この国に来たのだって、家族の反対を押し切って隠れて船に乗ってきたのだもの』
『あぁ、そうだったね……君はそういう人だよ……』
男性はどうにか笑おうとしたようだが、笑うことは出来なかった。
『すまない……本当に、すまない……』
涙を流しながら謝る男性の頬に母は手を伸ばし、流れ落ちる涙を優しく拭った。
『泣かないでミネヒト。私、またあなたに会えて嬉しいのよ』
母の言葉を聞いた男性は細くなってしまった母の手を握り締めた。
『まさか最期に、こうやってミネヒトに会えるだなんて思わなかったから』
『最期だなんて……そんな馬鹿なことを言うな、ルリ!』
『だって本当のことだから……自分の身体のことだもの。他の誰でもない自分が一番よくわかってるわ』
(……どうして、そんなことを言うの?)
これまで母が弱音を吐いたところなど、アンジュは見たことがなかった。
どんな時でも明るく笑っていた母。
しかしそんな母が男性に向けている笑みはひどく儚げで、それでいてこれまでアンジュが見た中で一番美しい笑みだった。
ふいに胸がひどく苦しくなる。
(何、これ……)
『そんなことを言うんじゃない! もうすぐ私が呼んだ医者が来る。だから』
『……ありがとう、ミネヒト』
『そんな……』
言葉を失う男性に笑い掛けたルリはアンジュを呼んだ。
『アンジュ……』
『お母さん……』
『どうか、──……』
(聞こえないよ、お母さん……)
母の言葉を聞き終えることなく、アンジュは意識を失った。
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