社長と一つ屋根の下で~家政婦の甘美な片恋~
1 驚きのスカウト (3)
「こちらも家政婦を一刻も早く雇いたいので急がせて申し訳ない。明日の昼までに名刺に書かれている携帯へ電話をいただきたい」
真剣な態度だったので、千花も真剣に考えようと思った。
「わかりました」
「いい返事を待っているよ、篠瀬さん」
仕事に戻った千花だったが頭の中で久城の言葉が木霊していて集中できなかった。今日は夜勤のシフトパターンで明日の昼までホテルに居なければならない。
チェックインするお客様の案内が落ち着いてくると荷物置き場に立っていた。中には荷物を送りたいと仰るお客様もいるため対応しなければならないのだ。
ずっと立ち仕事で脚はだるくなるのだが、今日は考えることがいっぱいあって疲れなんて気にならなかった。
お金は必要である。
妹の学費だけではなく、妹が結婚する時には姉としてある程度の負担はしてあげたい。両親がいれば不自由なくやってあげられることをお金がないからとの理由でできないのは可哀想だ。
しかしいまの収入では貯金するのも限度がある。自分の収入を上げるためにはこの職場では難しいであろう。高卒の自分を雇ってくれただけでもありがたいと思わなければ。
転職をすると言っても、何の資格もない。そして年齢だって次の誕生日で二十六歳だ。
いい条件で働かせてもらえるなら受けるべきかもしれない。
二十三時が過ぎた頃休憩に入り、妹の玲に電話をするために寒さを我慢しつつ人が居ない裏玄関から外へ出た。
「もしもし玲。遅い時間にごめんね。相談したいことがあるんだけどいま大丈夫?」
『どうしたの? 切羽詰まった声をして』
五歳も離れている玲はしっかり者で頭もいい自慢の妹だ。両親が亡くなってからは自分の未来を全て託して大事に世話をしてきた。いまでは頼れる存在になっている。
「玲はCadeau du soleilってわかる?」
『東京にある有名なレストランじゃない? それがどうしたの?』
会社名を言っただけなのにわかるなんて有名なレストランなのだろう。しっかりした会社の社長だということに安心した千花は今日あった出来事を玲に告げた。
『お姉ちゃん。冷静になりなって。相手は東京の人だよ? 騙されているんだって』
賛成してくれると思っていたのに思い切り反対されて驚いてしまう。
「悪い人じゃないの。本当に紳士で信頼のおける方なの」
この一年間で会っただけだが、色んなお客様の対応をしている千花には自然と人を見抜く力がついていた。
自分では自信のある能力だが玲は笑う。
『そんなにその人をかばうなんて。結果はもう決まってるんじゃない?』
「……えっ?」
『私は断固反対。お姉ちゃんはいい大人なのにピュアすぎる。悪い言い方をすれば世間知らず。そんなお姉ちゃんが東京でやっていけるなんて思えない』
正しいことを言われているため言い返せずに唇を噛んだ。
妹のためと言いつつも本当は東京で働いてチャレンジしたいって思っているのかもしれない。この環境を変えたいと思っている時にタイミングよくスカウトされたからこんなに迷うのか?
もう久城に会えない……と言うのも大きな理由の一つだと千花は胸にある甘酸っぱい気持ちを感じていた。
手が冷たくなってきて外に出ているのが辛くなってきたから電話を切ろう。最後に答えを出すのは自分なのだ。
『まあでも……お姉ちゃんだって大人だしね。きっといろいろ思うことがあるだろうし。もしもやりたいなら応援する。でも、その怪しげな男と電話で話させてね』
「うん、わかった。ありがとう。風邪に気をつけてね。じゃあ」
電話を切って中へ入っていく。手はすっかり冷たくなっていた。零時過ぎれば従業員も入浴ができるからしっかり温まろう。
そして明日の昼まで悔いが残らないように考えようと思った。
零時が過ぎ、お客様も寝静まったようだ。待機室では男性の先輩がパソコンに向かって旅行プランの入力をしている。やることがなくなってしまった千花は温泉に入ってくることにした。
露天風呂を貸し切りで使えるのは嬉しい。
空を見上げると満天の星空がある。
静寂に包まれた中身体をしっかりと温めながら久城を思う。
大自然で育った千花。
このおいしい空気が吸えなくて生きていけるだろうか。
この大好きなお湯に浸かれなくても肌は荒れないだろうか。
星空ではなく東京のネオンばかり見ていては目が悪くならないだろうか。
友達もすぐには会えなくなるがホームシックにはならないだろうか。
自分のことばかり考えてしまう悪い姉だが、この選択で玲を悲しませる結末にはならない?
お湯から上がると水が滴る。
すっかり温まって桃色に染まった千花は入浴を終えた。
待機室へ戻ろうと歩いているとリラックスルームがある。レコードがたくさんあるからと就職をする時、このホテルに決めた。だが社員である千花は入ってゆっくりレコードを聴くことなんてできない。
レコードは亡くなった両親が大好きだったからだ。小さい頃はレコードなんて雑音が入って嫌いだったけど大人になると深くて味わいのある音に魅力を覚えた。東京にもゆっくりとレコードが聴ける場所があるだろうか。
リラックスルームを通りすぎようとした時、久城が中から出てきた。
驚いた千花は立ち止まってしまう。
お迎えした時のスーツとは違いラフな格好をしていてセットされていた髪の毛も乾かしたばかりのようだ。
妙に大人の色気を感じてしまい真っ赤になったが、平然とした態度を取る。
「こんばんは、お客様」
「こんばんは、篠瀬さん。お風呂あがりですか?」
しっかりと髪の毛も乾かして制服を着ているのになぜわかったのだろう。
「前もこの時間に会った時、教えてくれたでしょ。従業員も零時過ぎたら入れるって」
「あぁ……そうでしたね」
「だから肌が綺麗なんだと納得した記憶がある」
褒め言葉に身体が熱くなり溶けてしまいそうだ。
女性を喜ばす言葉を言えるなんてさすが久城だ。
「そして、レコードが好きだけど従業員だとゆっくりこの部屋で聴けないと嘆いていたのも覚えてるよ」
自分なんかとの会話を覚えていてくれてありがたい。何か言葉を発しなければと千花は思案する。
「久城様は有名なレストランを経営されていらっしゃるのですね。すごくお偉い方とこうしてお話できるなんて恐縮でございます。この仕事をやっていてとても誇りに思いました」
久城を見ると気持ちが揺らぐ。本当にここを辞めてしまっていいのだろうか。
「偉くないけど。この仕事も誇りに思えると思うが東京での仕事も絶対にやってよかったと思えるよ」
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