社長と一つ屋根の下で~家政婦の甘美な片恋~
1 驚きのスカウト (2)
「はい、喜んでお持ちいたします」
エレベーターが到着しドアを手で抑えて久城を中に入れると、千花は素早く中に入って階数ボタンを押した。狭い空間でのふたりの短い時間だが幸せだった。
「春も近いですが北海道はまだまだ寒いですね。来月いらっしゃる時はもっと温かくなっているといいのですが」
久城の方に振り返り、ほほ笑みながら話しかける千花。
いつか久城と桜鑑賞をできるといいなと思ってしまう。そんな自分勝手な夢は持つだけで罰があたってしまいそうだ。
特別室がある階に到着して部屋まで送り届ける。絨毯にふたりの足音は吸い込まれて静かな廊下を歩いていた。
部屋に到着し解錠し扉を開く。中に入っていく久城に続いて後ろに付いて行く。
和洋室である特別室にはベッドが二脚あり、和室には琉球畳が使用されている。貸し切りの露天風呂がついており昼間は大自然が望めるのだ。
「お荷物はどちらに置きましょうか?」
正面に立っている久城を見上げてほほ笑む。溜息が出てしまいそうなほど整った顔にいい香り。久城の優しさと落ち着いた雰囲気に千花は顔が赤くなってしまう。
(特別室に泊まるお客様とベルパーソンなんて不釣り合いなんだから、こんな思い早く消さなきゃ)
「実は……しばらく会えないかもしれない」
唐突に言われた言葉に激しい寂しさを覚えた。瞳が揺れてしまう。
「仕事が一段落したんだ。北海道に来る回数は減ってしまうだろう」
「左様でございますか。お仕事一段落されてよかったですね。さてお荷物は」
話を遮るように千花の持っていた鞄を取り上げた久城は若干苛立った表情をした。鞄をベッドの脇にあるテーブルへ置きに行く。その後姿を見届けて出て行こうとする千花。名残惜しいがいつまでもここにいる訳にはいかない。
「待ってくれ」
力強い声で言われて立ち止まった。扉のドアノブにかけていた手を放し振り返る。
「はい。なんのご用でしょうか?」
「篠瀬さんは正社員なのか?」
突然の質問に驚くが素直に答える。
「いえ……」
「失礼だが給与はどのくらいもらっているんだ?」
「詳しいことはお答えできかねます」
いくら久城が素敵な男性であってもそんなこと答えられるわけがない。申し訳ないがやんわりと距離を置く。
久城は少し考えたような顔をした。
「そうだね、失礼すぎた。申し訳ない。じゃあ質問を変えよう。篠瀬さんは料理や洗濯、掃除はできるかな?」
そんな基本的なこともできないと思われているのか。
自分への評価が低いことに愕然としてしまった。仕事中なのを忘れて思わず強い口調で答えてしまった。
「できますよ、それくらい。高校の時に両親が亡くなったんで、わたくしが家事を全てやりました。妹にお弁当も持たせましたし」
久城はじっと千花を見つめている。
はっとした千花はプライベートなことをついつい話してしまったと思い焦った。どんなに憧れているお客様であっても深入りしてはいけないのだ。
「申し訳ありません。余計なことまで話してしまいました」
頭を深々と下げる。
「妹がいるんだな」
優しい口調だった。
千花のことをもっと知りたいような声音が頭に降ってきて驚きながら顔を上げた。
「妹も一緒に住んでいるのか?」
「札幌で医学生として頑張っております」
「学費は?」
どうしてそんなこと聞いてくるのだろうと思いつつ、プライベートなことを言ったのは自分なので責任を感じて答える。
「両親の残してくれた遺産……と言ってもさほどないので、足りない分は仕送りしております。妹も空いている時はアルバイトをしておりますのでなんとか」
心配そうな目をされた。
それとも哀れだと思われているのかな。
これ以上ここにいる訳にはいかない。言わなくていいことまで話してしまいそうだし、他にもお客様が待っているかもしれない。
「では失礼致します」
帰ろうとすると、久城は胸元のポケットから名刺入れを出して一枚抜いた。
そして千花に差し出したのだ。
『Cadeau du soleil 代表取締役社長 久城貴将』と書かれている。会社名をどこかで見たことがあるかもと思った。
──代表取締役社長の肩書きを見て、久城はやっぱり社会的に地位のある人なのだと思い千花は一歩引いてしまう。
なんで名刺を渡されたのか理解できずに大きな瞳は久城を見つめた。
「時間もないだろうから単刀直入に言うよ。住み込み家政婦として働かないか」
「え……?」
あまりにも驚いて言葉が出ない。予想もしていないことが言われたのだ。
名刺を持っていた手に汗が滲む。
「給料の条件を提示するためにさきほどの質問をしたんだ。悪かったね。いまの篠瀬さんがもらっている金額の倍を支払う。もちろん篠瀬さんの眠る部屋も確保する。少々広い部屋なんで持て余しているんだ」
畳み掛けるように好条件を突きつけてくる。
そんな条件のいい仕事があるのだろうか。
住み込みというのが気になるのと東京へ行かなければならないのが不安だ。そんなすぐには決断できない。
「どうだろう?」
戸惑う千花は瞳を揺らす。いい条件だが千花は自分にできるのかと思った。
「もしかして、付き合っている男性がいるから遠距離恋愛になるのを心配しているのか?」
探るような表情をしてくすっと笑っている。千花は男性と付き合った経験すらない。そして恋愛の話も苦手だ。
顔を真っ赤にして否定する。
「いいえ。わたくしなんぞ相手にしてもらえません。そんな相手がいれば嫁いでおります。……もう、二十五歳なので」
ついつい本当のことを言ってしまい反省する。
「そうか。十も年下なんだな」
こんなところで久城の年齢を知ることになるとは思わなかった。
「妹さんのためにも安定した高い給与が必要だと思うが」
「そんな心配していただかなくても結構です」
バカにされたくないと思い言い返すと久城は目を細めて笑った。
「素直になれなくて申し訳ない。ぜひ篠瀬さんに家政婦になってほしいと思っている。篠瀬さんになら自宅をお任せできると感じたから、スカウトさせてもらったんだが……」
その言葉には一点の曇りもないように思えた。
だが即答はできない。妹にも相談したいし自分の将来もしっかり考える必要があるだろう。
憧れてやまない久城からの誘いで舞い上がりそうなほど嬉しかったが、冷静になる必要がある。
「いますぐに返事をと言われても困るだろうから、一晩考えてみてくれないか?」
「一晩……ですか?」
あまりにも短いと思ったが、いつまでもだらだら考えても答えが出ないような気がした。
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