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オトナな副社長と秘密の恋

立花実咲

◆2 淡いときめき

◆2 淡いときめき


 入社式の日、私はプライマリーの下着を身につけていた。

 ふんわりとした桃色のシフォン地に、ぼかしの花柄が細かにプリントされたブラ&ショーツセット。一見ロリっぽいのにセクシーさも兼ね備えているそれは、女の子のやわらかマシュマロ肌をキレイに魅せてくれるので人気がある。ネット通販部門では、男性が恋人に着てほしい商品No1、『誘うブラシリーズ』のひとつだ。

 あいにく誘う相手はいないけれど、私にとっても大のお気に入り。そして、これは入社試験のとき御守り代わりに着ていたものと同じだ。私を導いてくれたこのブラ&ショーツを今日はラッキーアイテムとして身につけている。

 入社式は明るめなグレーのスーツを選び、中には控えめなフリルの入ったピンクのブラウス、胸もとにはコサージュをつけた。

 母と兄から合格祝いにもらった腕時計をつけ、自分でご褒美に買ったパンプスを履いて、気合いを入れるけれど、緊張のあまり足もとが震えてしまう。

 ホテルの会場の中、スーツに身を包んだ何百名もの新入社員をざっと見渡した。

 今から、社長の挨拶が始まる。英国が本社の外資系企業というだけあり、さすが幹部は皆、外国人ばかり。その中でも若い社長は目を引いた。

 今、壇上でマイクを持っているくろかわじゅん社長……。

 彼はプライマリーの親会社であるローレンス創業一族のひとりで、彼の祖父がローレンスの会長兼CEOを務めている。ローレンスといえば古くからモナコ王室に縁があるそうで、なるほど社長にはセレブの気品がある。

 新入社員への挨拶が終わり、式典はそれから一時間ほど続いた。その間、私が密かに期待していた人物は残念ながらどこにも見あたらなかった。

 あの日感じた気持ちがときめきだとしたら、次に会ったときには恋になっていたりして……なんて淡い想いを抱いていたけれど、まさか副社長である彼に振りむいてほしいなんて無謀なことは考えていない。

 ただ、もう一度会えたのなら、もしも彼が覚えていてくれたのなら、迷子になりそうだった私を導いてくれた、あのときのお礼をちゃんと言いたかったのだ。

 明日がオリエンテーションで、それから一ヵ月の新人研修に入る。そして研修最終日に人事部長と面接をして配属部署が通達されるらしい。

(入社式なら姿を見つけられると思ったのにな)

 今日、ここで彼の姿を見られないとしたら、きっとこの先、直接会うことはなかなかないだろう。そう思うと、なんだか寂しい気がした。


 一ヵ月の研修期間を終えて、いよいよ人事部長との面談の日がやってきた。

 入社試験、入社式、オリエンテーション、新人研修、どれもが緊張に身を包んだ日々だったけれど、今日が一番ドキドキしているかもしれない。

 頭の中で思い浮かべていたのは、企画、開発、販売……活気づいた現場、カラフルな下着たち。

 でも、ここの社員である兄から希望通りに行くことの方が珍しいと聞いていたので、ある程度、覚悟はしていた。

 ところが、意外にも私が配属されたのは『秘書課』だった。嘘でしょう?と目を疑ったくらいだ。入社式で悠然としている社長のそばに仕えていた社長秘書の様子を思い浮かべ、たちまち不安になる。

 社会人としての基本的なビジネスマナーを始め、研修内容はしっかり頭と体に叩きこんできたけれど、秘書という職務はさらに別格に思えたからだ。

「自信がないですか?」

 正直、秘書としての品格が私にあるとは思えない。いったい、どういう基準で選んでいるのだろう。選ばれた理由を尋ねようとした矢先、人事部長はやんわりとほほ笑み握手を求めたので、私は言いたいことをごくんとのみ込むほかなかった。

「いえ、意外だったので……驚きました」

「おめでとう。プライマリーの第一線ですよ。がんばってください」

 もうこれは決定事項なのだ。それから私は叶わなかった希望を脳内で無理やり打ち消し、人事部長の手を強く握り返した。

「ありがとうございます。しっかりがんばりますので、これからもご指導よろしくお願いします」

 ようやくプライマリーの社員として働けるということ、それが私にとって一番大事なこと。

 そう、私の夢の扉は開かれたばかりなのだから。


 秘書課に配属が決まった翌日――。

「緊張する……」

 秘書課に配属されたのは一名……私だけらしい。

 あの後、人事部長から聞いて知ったけれど、プライマリーでは新人から秘書をとることはほとんどないそうだ。研修で仲良くなった同期の子たちは皆バラバラの部署になってしまい、なんだかすごく心細い。

 四十一階の秘書室で室長が待っているというので、出社してすぐ私はエレベーターに乗った。

 私の想像では、秘書のお姉さんたちは清楚で美しくてそつのない感じだが、いったい、どんな先輩社員がいるのだろう。

 ドキドキして秘書室を訪ねると、眼鏡をかけた男性が待っていた。事前に人事担当から聞いていたが、彼が室長だとすぐに分かった。見た目の雰囲気からして、頭の切れそうなクールな感じがする。

「お待ちしていました。私はもりしげ重といいます。よろしくお願いしますね。では、早速そちらで皆さんに挨拶しましょうか」

 私の想像していた通り、めくるめく花園……キレイな女子社員の多いこと。五名くらいがいっせいに振り返ったけれど、その仕草すら美しい。

「新入社員の菊池円香と申します。ご指導よろしくお願いします」

 にこやかな笑顔と拍手の後で、室長はそれから……と補足した。

「重役について出ている秘書もいますから、あとは個々に挨拶してください」

「はい。分かりました」

「まずは、これから、あなたの教育係を紹介します」

 と、室長の視線が動いた。

 つられて目で追うと、清楚な女性が立ち上がり、にこりと笑顔を見せた。

くろかわ美羽みわです。社長秘書をしています。これからよろしくね」

 この秘書課の中でも、一番若い彼女が、社長秘書。ということはそれだけ有能ということだろう。さっきから緊張の連続だけれど、美羽さんにはどこか和ませる雰囲気があって、私をホッとさせてくれた。

 彼女が教育係だったら、なんだかうまくやっていけそう。

「あとのことは、任せましたよ」

 室長は美羽さんにそう声をかけて自分のデスクに戻っていった。私は室長に頭を下げて見送った後、美羽さんに向き直る。

「早速なんだけど、お待ちかねの人がいるの。案内するわね。こっちへ来てもらえるかしら」

「はい」

 美羽さんに促されて秘書室を出ると、再びエレベーターへ連れてこられた。

「ここから上は重役フロアになっているのよ」

(重役……)

 美羽さんが説明してくれる間も、階数は上がっていき、あっという間に四十八階に到着した。

 広々としたフロアの奥に、焦げ茶色の大きなドアが出迎える。そこには『副社長室』とプレートがついていた。

(副社長って……)

 私はすぐに薄茶色の瞳の、優しかった紳士を思い浮かべた。

「あ、あの……」

「大丈夫。緊張しないで。菊池さんを選んだのは、副社長なんだから」

 にこにこと笑顔を絶やさず、美羽さんが言う。

 ノックをすると低い声が響いて、緊張していた私の心臓の音は一気に最高潮に達した。

 そこで私を待っていたのは――想像した通り、市ヶ谷副社長だった。

 彼は椅子から立ち上がり、私たちの方へやってきた。

「やあ、待っていたよ」

 その声に、さらに胸が高鳴る。すらっとした長身の、仕立てのいいスーツを着た彼は、たしかに、あのときの彼だった。

(私を選んだのが、副社長ってどういうこと?)

 困惑する私をよそに、市ヶ谷副社長は、爽やかさと甘さが同居した目もとに、ふんわりと笑みを刻む。

「美羽さん、連れてきてくれてありがとう。三十分後には社長がジュネーブから戻るんだろう。君は迎えに行ってかまわない」

 市ヶ谷副社長が促すと、美羽さんは「恐れ入ります」と彼に頭を下げ、そして私に朗らかな笑みを向けた。

「じゃあ、菊池さん、あとのことは副社長から聞いてね」

「あ、ありがとうございます」

 ドアが閉まって、私と市ヶ谷副社長はふたりきりになった。戸惑う私に、彼はゆったりと近づいて、挨拶をしてくれた。

「迷子の子猫ちゃん。入社おめでとう」

 やわらかそうな髪の色と似たガラス玉のような瞳が、優しく私を見つめている。

「市ヶ谷さん……」

 夢の中で何度も呼んだ名前が、零れ落ちてくる。

 しまった、いけない。副社長って言わなくちゃいけないのに。

「すみません。副社長」

「いいよ。うれしいな。覚えていてくれたんだね」

 彼の爽やかなほほ笑みと微かな桜の香りを感じた瞬間。緊張してドキドキと打っていた鼓動は、いつの間にか、トクンと甘い響きを奏でる、淡いときめきに変わっていた。

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