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オトナな副社長と秘密の恋

立花実咲

◆1 恋のお相手は

◆1 恋のお相手は


 私が〝二度目〟に恋に落ちたのは、三月、桜のつぼみが開き始める頃、入社説明会の日だった。

 代官山にある本社オフィスに到着した私、きくともは、一流企業を前にして、圧倒されていた。

 ビルの外観はもちろん、ロビーの広さ、行き交う人は皆忙しそうで、ひとりまごついてしまう。きょろきょろと目を動かし、やっとのことで説明会会場と書かれた案内を見つけた。

 エレベーターに向かおうとして小走りで駆けていく。そのとき、誰かの肩にどんとぶつかった。

 その拍子に脇に抱えていたクリアファイルが床にすべり落ち、中身を派手にばら撒いてしまった。

「ごめんなさい」

「いや、こちらこそ、ごめん」

 慌てて拾おうとすると、相手も手伝ってくれて、ハイと私に手渡してくれた。

 顔を上げると、彼はにこりと優しいほほ笑みをたたえていた。あまりにも素敵だったから、私は一瞬見惚れて声が出なかった。

 すらりと伸びた背、やわらかそうな紅茶色の髪、貴族顔負けの甘い目もと、通った鼻筋、穏やかなほほ笑み、年齢は亡くなったときの父より少し上くらいとしたら……四十くらいかな。今でも父が生きていたら、こんな雰囲気かもしれない。なんて、美化しすぎて天国にいる父が聞いたら、笑ってしまうかもしれない。

「君は、新卒者かな?」

「あ、ごめんなさい。そうです」

「合格おめでとう。説明会はこっちだよ。よかったら案内するからおいで」

「ありがとうございます。緊張してしまっていて……申し訳ありませんでした」

「いや、僕の方こそ、しっかり前を向いているべきだった」

「そんな、私の方こそ」

 堂々巡りになって、顔を見合わせる。そのとき、ふわ、と崩れた笑顔が、あまりに優しかったから、それ以上はもう言わなかった。

 エレベーターの中に入り、四階に到着すると、ひとつの会議室のドアが開かれて、私はそこに案内された。会議室では新卒者がすでに何名か顔を揃えていて、人事部の人が恐縮したようにやってくる。私はそこではじめて彼が、副社長であることを知った。

 ネームプレートを確認すれば、副社長、いち とおると書かれていた。

(彼が、プライマリーの副社長なんだ)

 肩書きを知って、また緊張がみなぎり、全身に力が入る。

「もう大丈夫だよ、子猫ちゃん」

 からかわれたのだろうか、彼の甘い声はやわらかくそう紡いで、そして大きな手で、風のようにそっと私の背を押した。

「ありがとうございました」

 ふわりと見せたほほ笑みにつられて、私の口角も上がる。

 彼のそばからは春のにおいがした。それは、ほんのり甘酸っぱいような、桜のにおい。

 私の胸はきゅっと痛く締めつけられて、まるで階段を必死に上り切ったときみたいにドキドキ心臓がうるさく鳴り響いている。

 副社長だったら、私が接する機会なんて、きっとそうそうないだろう。けれど、また会いたい。こんな気持ちになるのは、はじめてだった。

 ここは外資系一流企業『プライマリー』。新卒採用の競争率は激しく、私が内定をもらえたのは本当に奇蹟かもしれない。

 実は兄がここの庶務課に勤めていて、縁故入社でもあれば、とすがりたい気持ちだったけれど、そんな権力はあいにく持っていない。

 それでも私はどうしてもここに勤めたかったから、業界のことをたくさん勉強したし、いろんな資料を見て研究をした。

 プライマリーは、イギリス生まれの下着メーカーで、国内でもシェアトップを誇る数々の人気ブランドを生み出している。とくに三年前くらいにスイスの繊維企業と共同開発を始めたことでさらなるヒット商品を打ち出し、今ではプライマリーの名前を見ない日はない。

 私は中学生の頃から、プライマリーの下着に憧れていた。ショーウインドウや売り場で素敵だなと思ったりしていたけれど……。なにせいいものは高いし、販売員が「サイズを測りましょうか」と、寄ってくるのが苦手で、母が買ってきてくれるスポーツブラばかりしていた。

 高校生になってはじめてバイトして、自分のお小遣いでブラジャーを買った。恥ずかしかったけれどちゃんとサイズを測ってもらって、バストのお手入れ方法やブラジャーの魅せ方まで教えてもらった。

 そこで、Aカップしかないと思っていた私は、Bカップであることが判明。ほんの少し浮かび上がった谷間のラインに釘づけになったことを今でも覚えている。その日の私は天使の羽根に包まれているかのように軽やかな気分だった。

 実は、私は中学生の頃からたいしてサイズが変わらない小さな胸がコンプレックスだった。

 好奇心旺盛な男子に貧乳とからかわれてきた私は、それから男子が苦手になってしまって、恋を覚えることなく、知らず知らずのうちに猫背になって胸を隠すようになっていった。

 それがなおさらよくなかったみたいで、背筋を伸ばして胸を張ってちゃんとブラジャーで支えることで、美しいバストのラインができあがることを教わった。

 おかげで、AカップからBカップへ、次第にCカップに変化し、スタイルアップしていった。それからの私は性格まで明るくなった気がする。すべてはプライマリーのブラジャーのおかげだと思う。

 優しく手のひらで包み込むような素材は心地よく、シルエットを美しく見せるラインは自信を持たせてくれる。なにより、機能性が素晴らしかった。

 たいてい機能性に優れていると、一方でデザインがいまいちだったりするのだけれど、プライマリーの下着は、アパレルメーカーでウエディングドレスにまで携わった経歴を持つ有名デザイナーが揃っていて、みんなお洒落でかわいいのだ。

 手が出なかった価格も、いろいろなバリエーションが出てきて、学生でも買えるような手頃なシリーズも増えた。

 私はプライマリーに魅せられて以来、こつこつと一枚ずつコレクションとして集めている。

 入社試験ではブラジャーとショーツのデザインと機能性を考え、面接では実際にプレゼンを行ったのだけれど、合格をもらえたのは、こういう下地が役立ったからかもしれない。

 中学三年生のときに父が他界して以来、母と五歳年上の兄と静かに三人で暮らしてきた私は……、父や兄以外の男性を知るよりも先に、すっかり下着に恋をしていたのだ――それが一度目の恋。

 内定が決まったときは本気で泣いて喜んで、家族で盛大にお祝いをした。

(こうなってはじめて、兄がなぜプライマリーを選んだのか、そして私と同じように試験でしたはずのプレゼンが、どんな内容だったのか気になっているのだけれど、恥ずかしがって教えてはくれない)

 一応、希望の部署は、企画、販売、と考えているのだけれど、一年目から希望通り配属される確率は低いのだとか。社員の兄が言うのだから間違いない。とにかく入社してプライマリーの一員になれただけで満足だったのだ。

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