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御曹司様のことなんて絶対好きにならない!

佳月さや

限定ランチをご一緒に (1)

限定ランチをご一緒に


さいとうさーん! 三番にお電話です」

「新しいカタログってどこに置いた?」

 営業部は今日も朝からいろいろな音にあふれている。人によってはうるさく感じるかもしれないが、雑多で賑やかな空気は私にとって心地いい。

 このオフィスの雑音をBGMに、私は隅っこでカタカタとキーボードを鳴らしながらひとり静かに伝票入力をする。

 地味だし時間がかかるし、やりたがらない人も多い作業。でも、誰とも話さず黙々とできるから私は大好きで、ほかの人の分まで手伝うこともある。朝から好きな仕事を誰にも邪魔されず進める。

 うーん、今朝も快調だわー。

 このまま電話応対に邪魔されずさくさくと入力して、お昼までに終わらせられるといいんだけどなー。そしたら昼休憩と同時にチャッチャっと席を立って『紫陽花あじさいてい』の限定ランチに走るのもアリだ。

 作業をする手を止めることなく、昼休憩の予定を考える。

 人気の限定メニューを食べるには入念な計画が必要なのだ。あ、知恵ちゃんにも声をかけとかないと。

 伝票入力をいったんやめて、社内のメールボックスを開いて知恵ちゃんにメールを送る。

【今日のお昼、紫陽花亭の限定ランチはどう? 私、ダッシュできそうだから先に並んどくからさ。知恵ちゃんは仕事、キリつきそう?】


「そんなうれしそうな顔して、誰にメールしてるの?」

 左耳のすぐ横から急に聞こえてきた声に驚いて、椅子ごと右側に飛び退く。その勢いのまま振り返ると、そこには整った垣内課長の横顔。いつものにっこり笑顔のまま屈み込んで、私の真横から話しかけてきたのだ。

「なにするんですか~~! ってか近すぎです!」

 声と一緒に吐息も伝わって、真っ赤になってしまった耳を手で隠しながら叫んだ。

 しかし抗議をスルーしてPC画面を覗き込んだ課長は、私の方に顔を向けて微笑んだ。

「紫陽花亭かぁ、たしかにあそこのランチはおいしいよね。俺も一緒に行っていい?」

「だめです! ゆうさんとふたりで行くんです。それより勝手に人のメール見ないでください!」

 そのとき、ポンッとメールボックスが受信音を鳴らした。

 差出人の『結城知恵』の名前を見つけた課長が、私の背後から手を伸ばしてマウスをクリックし勝手にメールを開く。

 まるでうしろから抱きしめられているみたいな体勢に、耳だけじゃなく顔も赤くしながらさらに抗議するが、やっぱり聞いてもらえない。

「だから勝手に人のメールを……」

「残念だね。結城さん、一緒にランチ行けないってさ」

 聞いてもらえないどころか最後まで言わせてすらもらえない。

 へ!? 行けない?

 にっこり笑う垣内課長を無視してPCに視線を戻すと、たしかにそこには知恵ちゃんからのメールが届いていた。

 知恵ちゃんがアシスタントする営業さんが昼イチで打ち合わせに行くので、それまでに資料を揃えなきゃいけないらしい。

【今日は昼休憩とれるかもアヤシイ】と泣き顔の絵文字が書かれているメールを見ると、のん気に誘ってごめんねという気持ちさえ起きてくる。

 課長の視線を感じつつ、知恵ちゃんに【また今度行こうね】と返信した。


「約束もなくなったみたいだし、行こうか」

「だから行きませんから」

 当然のように言う課長を横目で睨みながら断ると、返事の代わりに口角を上げてニヤリと笑った。

 こんな悪い顔で笑うの、初めて見た。

 垣内課長といえば、いつも爽やかで軽快。会話をするときはニコニコとして、相手に嫌悪感を与えることもない。

 敏腕営業マンなのだから、きっとお腹の中に黒いモノがあるはずなのに今までまったく感じさせなくて。もしや彼は根っからの爽やかで純真な好青年なんじゃないかと、本気で思ってた。

 が、それはやっぱり勘違いだったようで。

「業務時間内の私用メール、黙っといてほしいでしょ?」

 黒い笑顔のまま私を見ていた課長は、おもむろにのたまった。

 ……まさか、脅すとは。黒い笑顔といい、意外すぎる。どうやら私が想像していた爽やかな好青年は空想の人物だったらしい。現実の垣内課長とはだいぶ違うみたいだ。

「し、私用メールなんてみんなしてますよ?」

 驚きから立ち直った私が、最後の力を振り絞り反論すると、彼は笑みを深めてうなずいた。

「もちろん、そんなことは分かっているよ。でも規律違反には違いないからね。おおやけにされると困るでしょ?」

 そりゃ困る。こんな些細なこと、ちょっとした注意で済むだろうけど、ボーナス査定に響くことはたしかだ。しかも私のことを公にすれば、相手の知恵ちゃんにも累が及んでしまう。

「たかがランチで脅しってオカシイですよ?」

 不機嫌に答えると、課長はクスクスと楽しそうに笑い出した。

 その笑顔には妖艶さが感じられて、怒りの感情も忘れて思わず見惚れてしまう。

「だよね。俺もそう思う。でも脅してでも、香奈実ちゃんと一緒に食事に行きたいんだ。俺の気持ちもそろそろちゃんと分かってもらいたいし、ね」

『そろそろちゃんと分かってもらいたい』ってなんのことだろう? たしかに食べている姿を見ていたいってだけで、こんなにしつこく食事に誘われるのはおかしいのかもしれない。それなら、私を誘ってくれる理由は? いくら考えても思いつかない。

 小首を傾げる私に、『外回りのついでに早めに並んでおくから現地集合ね』と告げた課長は、ぽんとアタマをなでてから離れていった。

 なでられた頭を押さえながら呆然とする。今起きたことも言われたこともうまく処理できない。

 なによりいつもと違う笑顔が頭にこびり付いて取れない。

 考えちゃだめな気がする……。

 ブルブルと頭を振ったけれど、垣内課長の存在を頭から追い出すことはできなくて。それからというもの、楽しいはずの伝票入力はちっとも進まない。

 近寄ることも畏れ多くて極力関わらないようにしていた御曹司なのに。ちょっかいをかけられて、うっとうしく思っていたはずなのに。新しい顔を見せる垣内課長が私の頭の中でどんどん大きくなって、存在が無視できなくなっている。

 感じたことのない感覚に私は落ち着かない気持ちを持てあましてしまった。


***


 フレアのベージュのスカートは歩くたびに上品に裾が揺れる、最近買ったお気に入り。でもそれ以外は、オフホワイトのブラウスに黒のオフィス用カーディガン。

 ストレートのダークブラウンの髪は、お手入れが楽なように顎のラインで揃え、社会人として最低限のナチュラルメイク。太ってはいないけれど、薄っぺらい体形は間違ってもナイスバディにほど遠い。


 ランチタイム、急いで向かった紫陽花亭に垣内課長はすでに並んでくれていた。

 黒いスーツに濃紺のストライプのネクタイ。クセのある短髪を立てるようにセットした姿は遠目からも格好いい。

 百八十センチの高身長と、整った顔も人目を引いて、前後に並ぶOLさんたちがキャイキャイ騒いでいる。

 ……合流しづらい。

 気持ちは分かるよ。たしかにビジュアル的に王子様だ。実際に御曹司だし。そこに平々凡々な私がその連れとして合流するのはかなりイタい。

〝なんであんな子?〟と言わんばかりの刺さるような視線を予測するのは、私の被害妄想が強いせいではないはずだ。

 このまま踵を返してしまおうか、いやいや私のために並んでくれてるのにそれは人としてだめでしょう、とグルグル考えていたら、垣内課長の方が先に私に気づいた。

「すぐ出てこられたみたいだね。よかった」

 あぁぁっ! もうそんなにうれしそうな顔で手なんて振らないでください。

 ちょっと泣きそうになりながら課長に近づくと、案の定周りの女子がざわめいて申し訳なくなる。

「……並んでいただいてありがとうございました」

 周りの視線が気になってうつむいたまま返事をする私に、垣内課長はぐっと顔を近づけて覗き込んできた。

「どうした? 調子悪いの?」

 近すぎる距離を少しでも離すべく、体重を背後にかけて顔を引く。

「いえ! 大丈夫です」

 すると、うしろのOLさんたちが「キスしちゃうかと思ったー!」と盛り上がっているのが聞こえる。

 そういうのはこっちに聞こえないように言ってくださいよ、とは思うものの、この近さだとしょうがないか。

 恥ずかしすぎる話にチラリと課長を見ると、イタズラを閃いたようにおもしろそうに笑っている。そして私の肩を掴み、顔を近づけ耳もとでささやいた。

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