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極上男子シリーズ~エリート外交官の危険な結婚宣言~

水守恵蓮

救世主は謎の公務員 (3)

 老夫婦がこんな時間から六本木観光?と、思わず目を丸くした。でもまあ、六本木の夜は賑やかだし、観光するのは楽しいのかも、と思い直す。ここからならどの電車に誘導すべきかな、と頭の中に地下鉄の路線図を思い浮かべながら奥様に行き方を説明した。どうやらそれなりにわかりやすい経路を説明できたようで、ふたりともうれしそうに『サンキュー』を連呼して去っていった。

 彼らの背中を見送って、私もつい微笑んでしまう。

 一日の終わりに人様の役に立てた。終わりよければすべてよしっていうもの。無意味な合コンを最後に終わるよりは、ずっとずっと気分がいい。

 そんな自己満足で心を潤わせ、さあ私も帰ろう、と駅に向かって一歩踏み出そうとした。

 ところがさっきと変わらない位置に五十嵐さんが立ち止まっているのを見つけて、思わずギョッとして足を止める。

 あの老夫婦に六本木への行き方を教えている間に、さっさと先に行ってしまったものと思っていたのに。なんでそこに立ち止まって、その上私を注視しているんだろう?

「あ、あの……?」

 五十嵐さんの読めない行動に、私は半分引きつりながら愛想笑いを浮かべた。

 私が声をかけたのを突破口にして、彼が大股で私に突進してくる。

 闘牛競技中のマタドールのような気分になった。だけど私は挑まず逃げようとして、数歩後ずさった。

「君……なんだ? 今の英語」

「えっ?」

 私の目の前で立ち止まった五十嵐さんが、いきなりスッと眼鏡をはずした。はずした眼鏡をたたんで上着の胸ポケットに挿しながら、さっきまでとは全然違う、好奇心あふれるまなざしで私をグッと覗き込んできた。いきなりの近距離に、ちょっと戸惑う。けれど。

「五十嵐さん、綺麗な目の色してますね」

 私に真っすぐ向けられる瞳は、日本人らしい濃いブラウンではなく、ちょっと青みがかっていてグレーに見える。合コン中もずっと眼鏡をかけていた上、どことなく目を伏せ気味にしていたから、私は今初めてこの色を知った。

 彼は一瞬ハッとしたような表情を浮かべ、彼の瞳を真正面で見入る私から、居心地悪そうにわずかに目を逸らした。

「あんまり見るな。嫌いなんだよ。この目」

「あ、だから眼鏡で隠してたんですか? もったいない、すごく綺麗なのに。あの……ご家族に外国の方とかいます……よね?」

 眼鏡はやっぱり伊達だったのかな、と思いながら、私はさらに身を乗り出してしまう。

 彼は完全に背をのけぞらせながら、私の視線から逃げていたけれど、そのうちあきらめたのか、はあっと大きく息を吐いた。

「ねえ、質問してるのは俺の方なんだけど」

「へ?」

「しかも、近い。……君、俺を襲うつもり?」

 そう言われて、私は初めて自分の行動に気がついた。

 近づいてきたのは五十嵐さんだけど、その綺麗な瞳をしっかり見ようと距離を詰めていたのは私の方。五十嵐さんの腕に両手を掛け、かかとを上げて背伸びして、キスできそうなくらいの至近距離で見つめていたのだ。

「す、すみません!!

 慌てて手を離し、大きく一歩うしろに飛びのいた。五十嵐さんの方はポリッと頭を掻いただけで、それほど表情を変えないけれど。

「距離近いの、慣れてる? 意外だけど、海外生活の経験がありそうだ。留学とか?」

 私が飛びのいたぶんを、五十嵐さんの方から再び近寄ってくる。向けられた質問に、私は困惑しながら首を横に振った。

「き、帰国子女なんです。父の仕事の関係で、三歳から中学を卒業するまでイギリスに住んでて……」

「なるほど。それでネイティブ並みの綺麗なイギリス英語しゃべるのか。……ふ~ん」

 私にまるで無関心だったさっきまでの態度を百八十度変えると、五十嵐さんは口もとに手をあて、ジーッと音がしそうなくらい私を観察し始める。

「タナボタ……。まあ、見栄えはしないけど、背に腹は代えられないし……この際、手、打っとくかな」

「な、なんですか」

 さすがに怯んで今度は私の方が背をのけぞらせながら逃げると、彼の手が私の腕をガシッと掴んだ。

「君、名前なんて言ったっけ? え~っと……みやうちさん?」

「宮沢香帆です」

 なんだろう? この態度の変わりよう。

 私は思いっきり警戒心をこめた目で五十嵐さんを見上げる。すると、驚いたことに、彼は私にニッコリと微笑んだのだ。

 まるで二重人格かと思うくらい一変した五十嵐さんの表情に、私は不覚にもドキッと鼓動を高鳴らせてしまう、けれど。

「OK。宮沢さんね。あのさ。ひと晩だけでいいから、俺に付き合ってほしいんだけど」

「……は?」

 綺麗なグレーの瞳で、まるでおとぎ話の王子様のように微笑みながら、口にしたのはわりと俗っぽい最低なお誘いだった。


 翌朝。

 私はいつも以上に憂鬱な気分で駅のホームへの階段を下りた。

 相変わらず大混雑しているホームを見るだけで、もううんざりだ。無意識に漏れてしまうため、息をはばかることもできない。

 その上、コートのポケットに手を突っ込んだ途端、クシャッと丸めたコンビニのレシートが手に触れた。昨夜、五十嵐さんが私に押しつけてきたものだ。広げれば裏に彼のメアドと携帯番号が書かれている。

 その感触で昨夜の五十嵐さんの言葉を思い出し、沸々と怒りが込み上げてきた。

 私のなにがいきなり彼の興味を引いたのかわからないけど、『ひと晩付き合え』ってどういうことよ。ふっざけんな。あんな綺麗な顔して、彼もやっぱり下着泥棒と大差ないただの男だ。

 当然きつく睨み上げて、渡されたレシートもゴミよろしく目の前で握りつぶして帰ってきたけど、ポケットに入っていたなんて間抜け。

 だけどまあ、私も軽く見られたもんだ。言われた言葉以上の侮辱を感じて、私はひと晩経った今でも、プリプリと怒っていた。

 けれど、フッと冷静になる。

 もしかして、私、そんな軽い女に見えるのかな。だからこうして毎朝毎朝電車でも……。

 駅員さんのアナウンスがひときわ高らかに響き渡り、顔を上げた途端、一気に現実が押し寄せてくる。

 メランコリックな気分に浸りかけたとき、ホームにはすし詰め状態の電車が進入してきた。私はいつも通り車内に押し込まれるだけ。

 車内のどこにたどり着いたのかもわからず、自分の位置を確認しようとする。けれど、すでに身動きの取れない状況にあり、もう電車は動き始めている。というのは今日に限らず、毎朝のパターンだ。

 そして、ひと駅過ぎたあたりから――。

「っ……」

 やっぱり来た、と身体がビクッとこわばる。

 実を言うと、私は一ヵ月ほど前から通勤電車での痴漢に悩まされているのだ。

 毎朝同じ電車の同じ車両に乗るわけじゃないのに。お尻に触れる他人の手の感触に、背筋がゾッとするのを感じながら、私は泣きたくなってしまう。

 私、普段はあまりものじしない性格だけど、この行為に対して声をあげることがどうしてもできない。

 恥ずかしいというのもある。それに、私に危害を加えている人の顔を見てしまうのが怖くて、誰が犯人か特定できない。いつの世も、結局性的弱者なのは女性の方だ。

 毎朝私の身体は固まり、東京駅に着くのをひたすら待つだけ。

 犯人は私がなにも言えないと決めつけているようで、うごめく手は最近調子に乗ってきている。なんとか少しでも立ち位置をずらして逃げようとするのに、しつこい。

 頭にまで鳥肌が立つ、嫌な嫌な感触。

「っく、う……」

 こらえる。歯を食いしばって。調子に乗る手をそこから先には侵入させまいと、必死に内股に力をこめる。

 でも気持ち悪い。通勤電車の中だというのに、じわっと涙が込み上げてきてしまう。

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