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次期家元のみだらな純愛

西條六花

プロローグ (3)

「お申し出はとてもありがたいのですけど、それでは悟史さんの戸籍に傷をつけてしまうことになってしまいます。ですから、お気持ちだけで充分です」

「君が躊躇う気持ちもよくわかる。なら、こういう考え方ならどうかな。俺と君の結婚は、一年限定の〝契約〟だって」

「契約?」

「ああ。香帆さんも知ってのとおり、俺はいずれ父の後を継いでこの椿原流の家元となる。そのため、数年前から縁談の話が方々から舞い込んできたんだが、その数にうんざりしてしまって。中には強引に既成事実を作って妻の座に収まろうとするやからもいて、気づけばすっかり結婚に夢を持てなくなった」

 それを聞いた香帆は、彼が気の毒になる。

 確かに次期家元夫人の座は、未婚の女性にとって魅力的だろう。椿原家の大きな屋敷は港区のみなみあざにあり、相当な資産家であることは一目瞭然だ。加えて悟史自身も端整な容貌の持ち主で、是が非でも妻になりたいと考える者がいてもおかしくない。

 彼が言葉を続けた。

「そんな中、縁談相手のリストの中に君の名前を見つけた。昔から何度か顔を合わせていてまったく知らない仲ではないし、茶道の素養が充分にあってうちの流儀にもみやすい。だからどうかと思ったんだが」

 そこで悟史は一旦口をつぐみ、こちらを見た。

「香帆さんに恋人がいたのは、予想外だった。だがそちらと一緒になりたいという気持ちがあるにもかかわらず、ご両親に許す気がないのなら、俺と一年限りの契約結婚をするのは渡りに船のはずだ。今の状態でご両親の意向を覆すのは難しくとも、離婚後は世間の目を気にして娘を早く再婚させたいと考えるかもしれない。それに君はこちらに利がないと言ったが、俺としては一度結婚できるだけでも充分メリットがある。しつこい縁談の申し込みが一切なくなるし、離婚したあとは『しばらくそういう気になれない』と言って、再婚話をかわすことができるからな」

 彼の言葉を聞いた香帆は、ひどくしゆんじゆんする。だが一点だけ気になることがあり、悟史に問いかけた。

「でも──悟史さんは椿原家のごちやくなんですから、跡取りをもうけなければならないのでは? それこそ、周りの方々が黙っておられないのでは」

「確かにそうだが、姉のところに息子が一人いる。俺の跡目を彼に継がせれば、何ら問題はない」

 彼には姉が一人おり、既に結婚しているということは聞き及んでいる。

 あっさりした答えに、香帆は「それでいいのだろうか」と戸惑いをおぼえた。あまりに突然の申し出で、何と答えればいいのかわからない。

 目の前の彼を見つめた香帆は、しどろもどろになりながらやっとの思いで言った。

「あの……少し考える時間をいただいてもよろしいですか? 彼のほうにも、相談したいので」

「ああ、もちろん。一生に関わることだから、よく考えるといい」



 その後、上の空で見合いを終えた香帆は、先方の好感触に色めき立つ両親の目をかいくぐって夏川に会いに行った。

 そして椿原悟史から一年限りの契約結婚を持ちかけられたことを話すと、彼は戸惑った様子で言った。

「そんな……本当にお見合いした相手が、そんなことを?」

「ええ。椿原さんは独身主義らしくて、でも立場的に結婚しろという周りの圧力が強くて、頭を悩ませていたそうなの。わたしと一年間結婚したあとに離婚すれば、周囲への言い訳が立つと考えているみたい」

 香帆は夏川を見つめ、言葉を続けた。

「結婚しているあいだはわたしに一切手を出さないと言っているし、離婚する際は謝礼を兼ねて財産分与をしてくれるって。でも、婚姻期間中に外聞の悪い噂が出ると困るから、わたしと裕也さんが会うのは許可できないと言われたわ」

 香帆は一旦言葉を区切り、意を決して告げる。

「わたし──そのお話を受けようと思ってる。そうしたら、時間がかかっても最終的に裕也さんと結婚できるでしょう?」

 すると彼は表情を曇らせ、こちらを見た。

「話が上手すぎやしないかな。だって契約とはいえ入籍をして、一緒に生活をするんだろう? 相手が君に手を出さないという保証はどこにもないし、途中で気が変わって、なし崩しに本当の妻にされてしまうんじゃ」

「わたしが見るかぎり、お相手はとても誠実な方よ。決して約束をにしたりしない人だって信用できる」

 香帆は腕を伸ばし、夏川の手を握って言った。

「一年──たった一年だけ我慢すれば、わたしたちは結婚できるの。椿原さんと離婚したらきっと両親は怒るけれど、いずれ認めてくれるときが来ると思うわ。わたしは裕也さんのことが心から好きだし、一緒になるのを諦めたくない。それともあなたは、わずかな期間でも椿原さんと結婚するわたしを信じられない? 一年も待てないって思ってる……?」

「そんなことはない。僕だって香帆さんと一緒にいたい気持ちがあるし、できることなら結婚したいと考えてるよ。でも……そんなに上手く事が運ぶかなという不安はある。それに偽りとはいえ他の男と結婚して、同じ家に住むんだから、心配だよ」

 苦悩をにじませる彼の顔を見た香帆の胸が、ぎゅっと強く締めつけられる。夏川がやるせなく微笑ほほえんで言った。

「僕がもっと有名な画家で、ご両親が認めてくれるような人間なら、香帆さんは望まぬ見合いをせずに済んだのにな。……ない男で、本当にごめん」

「謝らないで、わたしは飾らないそのままの裕也さんを好きになったんだから。たとえ婚姻期間中に会うことはできなくても、メールや電話はしてもいいって言われたし、わたしたちの繋がりが切れるわけじゃないわ。だからどうか、わたしを信じて待っていてほしいの」

 香帆の真意を確かめようとするかのように、彼がじっとこちらを見つめる。やがて夏川は、苦渋に満ちた表情で答えた。

「……香帆さんを信じるよ。でも、もし結婚しているあいだに夫となった人を好きになってしまったり、僕のことがどうでもよくなったら、遠慮なく連絡を絶ってほしい。君に愛想を尽かされる覚悟は、とうにできてるから」

「何言ってるの、そんなことありえないったら。裕也さんが待っていてくれるなら、わたしは絶対に他の人を好きになったりしない」

 自分のしようとしていることは、世間から見たらきっと眉をひそめられるに違いない。

 だが彼がはっきり「待つ」と言ってくれたことで、香帆は心を決めていた。

(悟史さんと──契約結婚する。そして一年後に、彼と離婚しよう)

 そのあとは椿原家を出て夏川と駆け落ちし、法的に再婚ができる半年が経過したら、彼とすぐに入籍をする。

 それから実家に連絡を取れば、両親は自分たちの関係を許してくれるかもしれない。もし認めてもらえなくても、時間をかけて説得していけばいい。

 そう腹をくくると、すっきりした。生まれて初めて真剣に好きになり、気持ちが通じ合った夏川を、どうしても諦めたくない。ならばたとえ直接会えなくても一年間我慢し、ビジネスとして悟史と結婚することを選択したほうが、後々後悔しないに違いない。

 香帆は改めて夏川を見つめ、瞳に強い意思をにじませて告げた。

「一年後、必ず裕也さんの元に戻ってくるって約束する。……だからそれまで、わたしを信じて待っていて」

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