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次期家元のみだらな純愛

西條六花

プロローグ (2)

 彼が意表を突かれた様子で眉を上げ、こちらを見る。

 そのまなしを受け止めた香帆は、いたたまれなさを押し殺した。見合いの場が設けられたタイミングでこんなことを言われるのは、悟史にとって寝耳に水だろう。

 室内がしんと静まり返り、互いのあいだに沈黙が満ちる。やがて彼が問いかけてきた。

「驚いた。君にそういう相手がいることは、ご両親はご存じなのか?」

「いえ。両親は……何も知りません」

「どういう素性の人なのか、聞いていいかな」

「あの……」

 香帆は膝の上の手をぎゅっと握りしめて答えた。

「その人は──画家なんです。わたしの四つ上の二十七歳で、絵画展で知り合いました」

 香帆は説明する。

 なつかわゆうという名の彼は駆け出しの画家で、世間的にはほぼ無名だ。都内のギャラリーでグループ展をしていたところをたまたま香帆が訪れ、作品の説明などを聞くうち、文学青年を思わせる夏川の線の細さや作風そのままの穏やかな雰囲気に心かれた。

 彼との繋がりを、これっきりにしたくない──そんな気持ちにかられた香帆が、勇気を振り絞って「またどこかで作品を発表する機会があったら、教えていただけませんか」と申し出たところ、彼ははにかんだように笑って連絡先を交換してくれた。

 それから夏川のアトリエを訪問したり、制作途中の作品を見せてもらったりと少しずつ距離を縮め、互いに惹かれていることを確認したのは七ヵ月ほど前の話だ。香帆にとっては初めての恋であり、一緒にいられるだけで幸せだった。

 しかしそこでネックになったのが、こちらの家柄だった。香帆は手元に視線を落として言った。

「わたしに自由な恋愛が許されず、いずれ親の決めた相手と結婚しなければならないことは……昔からよくわかっていました。彼もそれを理解してくれていて、事あるごとに『せめて僕が、名の知れた画家だったら』と言っていたのですけど」

 いつか別れなければならなくなるのを見越してか、夏川はキス以外はせず、プラトニックな関係のままだった。

 今回こうして縁談話が持ち上がり、両親は至って乗り気で話を進めたものの、香帆はずっとかつとうしていた。

 結婚の話がまとまれば、せっかく気持ちが通い合った彼と別れなければならない。たとえ無名の画家でも、いつもお金に困っていても、夏川を好きで諦めたくない──それが考えた末に出した結論だった。

「彼のほうは、わたしがお見合いをするのはやむを得ないと考えているようです。先日『縁談の話がきているなら、もう僕に会いに来てはいけない』と言われてしまったのですけど、わたしの中のおもいは簡単には消せなくて……。こんな気持ちで縁談を進めるのは、悟史さんに対して失礼です。ですからどうか、破談にすることをお許しいただけないでしょうか。お願いいたします」

 香帆は悟史に向かって、頭を下げる。

 彼はじっと考え込み、こちらを見つめているようだった。やがて悟史が静かに言う。

「顔を上げてくれないか。そんなにかしこまらなくていいから」

「……っ、でも」

「そうした事情があるのに縁談が持ち上がったのなら、さぞつらかっただろう。君の心痛は、察して余りある」

 予想外に穏やかな彼の口調に、香帆は戸惑いをおぼえる。

(怒って……ないの? わたしは今の段階で、充分失礼なことをしているのに)

 そんな気持ちを察したのか、悟史が言葉を続けた。

「突然の話に驚いたけど、俺は怒ってないし、むしろ君に同情している。それなりの家に生まれた女性は、現代でも結婚相手を自由に選べないんだものな。時代錯誤にも程がある」

「……っ」

 思いがけない言葉を向けられ、香帆の目にじわりと涙がにじむ。

 まさか彼に、こんなふうに気遣われるとは思わなかった。不快感をあらわにされてもおかしくないと考えていたのに、悟史は存外心の広い男のようだ。

 彼が考え込みながら口を開いた。

「こんなことを言っては何だが、君の相手が無名の画家だというのがネックだな。朝比奈家は世間的に見れば伝統ある名家、そして香帆さんはお兄さんのたけさんがいるとはいえ、ご夫妻が溺愛されている一人娘だ。家元を退かれたお祖父さまも含め、ご家族は絶対に彼との結婚を許可しないだろう」

「…………」

「俺も昔から知っている君に、意に染まぬ結婚をいるのは忍びない。何とか力になってやりたいが、さてどうするか」

 悟史がこちらの立場をおもんぱかってくれたことは、香帆にとって大きななぐさめとなった。

 だが彼の言うとおり、家族が夏川との関係を認める可能性はまったくない。今回の縁談は悟史が椿原流の次期家元という立場であり、娘をぜひとも宗家に嫁入りさせたいと考える両親の思惑からまとまった話だ。

(やっぱり……諦めるしかないのかもしれない。でも夏川さんが駄目だからって、悟史さんとの縁談を進めるのは違う)

 香帆がそんなふうに考えていると、彼が思案顔でつぶやいた。

「──考えてみたんだが、君は一旦、俺と結婚するのはどうかな」

「えっ?」

「俺と結婚し、一年ほど夫婦として暮らしたのちに、離婚する。そのあいだは絶対に手を出さないと約束するし、別れる際はきちんと財産分与をするから、君はそれを元手に恋人と駆け落ちでもするといい。言い方は悪いが、名家である朝比奈家にとって離婚して出戻った娘は体裁が悪く、早く何とかしたいと考えるはずだ。ほとぼりが冷めれば、きっとご両親も一度バツがついた君の再婚に寛容になるだろう」

 あまりに突拍子もない提案に、香帆はぜんとして目の前の悟史を見つめる。

 彼は一体、何を言っているのだろう。わざわざ入籍し、夫婦になったにもかかわらず、こちらに手は出さない。一年後に離婚する際は、財産分与もする──その条件は香帆にとってかなり都合のいいのものだったが、悟史には一切利がない。

 香帆は小さく問いかけた。

「そんな……おっしゃっている意味が、よくわかりません。その条件では、悟史さんに何のメリットもないのに」

「言ったろう? 力になりたいって。昔から知っている香帆さんは、いわば遠い親戚のような感覚なんだ」

 確かに彼とは幼少期から何度か顔を合わせていて、幼かった香帆は中学生だった悟史にねだり、茶をててもらったこともある。

 彼が言葉を付け加えた。

「ただし実際に籍を入れるに際し、残念ながら無条件というわけにはいかない。婚姻期間中は不貞のうわさが立つとさわりがあるから、君と彼が会うことは許可できない。電話やメールで連絡を取るのは許可するから、それで関係を維持すればいい。どうだ」

 香帆の胸に期待と不安が渦巻き、心臓が速い鼓動を刻む。

 一年間だけ悟史と結婚生活を送り、その後離婚するなど、許されるのだろうか。両親はせっかく次期家元夫人になった娘が離婚することを許さないだろうが、ほとぼりが冷めれば再婚を認めてくれる可能性は、充分にある気がする。

(でも……)

 やはりそこまで彼に迷惑をかけるのは、気が引ける。こうして縁談に臨みながらそれを拒むのは、一〇〇パーセントこちらのままだ。

 そう考えた香帆は、悟史を見つめて言った。

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