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次期家元のみだらな純愛

西條六花

プロローグ (1)





 広々とした座敷の雪見障子から、苔むしたつくばいや石造りのとうろう、手入れの行き届いた美しい日本庭園がかいえる。六月のこの時季は緑が濃く、樹木の葉がみずみずしい色合いだ。

 その日、銀座にある老舗しにせ料亭の一室では、見合いの席が設けられていた。仲人の六十代の男性がにこやかに言う。

「こちらは椿つばきはらさとさん。裏千家椿原流の家元こうで、現在はお弟子さんたちにおけいをつけておられます。年齢は三十歳です」

「椿原悟史です。よろしくお願いいたします」

 テーブルを挟んで向かいに座る男性が、そう言って頭を下げる。

 和服姿が板につき、気負った様子がまったくないのは、彼が茶道の次期家元で日常的に着物を着慣れているからだろう。浅グレーのじろ模様の色紋付と草木染のはかままんにしきたちばなびしの角帯に墨黒濃淡の羽織を合わせた今日の装いは、グレーのトーンの中で白とあいねずおりひもえ、格調高く優雅だ。

 彼──椿原悟史の顔を、あさは失礼にならない程度に観察する。

 現在三十歳だという悟史は年齢以上の落ち着きがあり、顔立ちはとても整っている。すっきりとした顔の輪郭や切れ長の目元、きれいに通った鼻筋や薄い唇が形作る容貌は男らしさとほのかな色気が漂い、目元にわずかに掛かる癖のない黒髪が理知的な雰囲気を引き立てていた。

 肩幅は広く、身体からだには適度な厚みがあり、和服を見事に着こなしたその姿は端然としている。仲人の男性が、続いて香帆を紹介した。

「そしてこちらが、朝比奈香帆さん。朝比奈流家元のお嬢さんで、年齢は二十二歳。今年A大の英文科を卒業されています」

「朝比奈香帆と申します。どうぞよろしくお願いいたします」

 香帆は折り目正しく頭を下げる。

 今日の香帆は浅紫の地色に草花を友禅染した訪問着に、金のかすみもんの袋帯を合わせた、華やかな和服姿だ。自己紹介が済んだあと、互いの両親と仲人夫妻をまじえ、和やかに話が始まった。

「椿原さんがご自宅で行われている茶道教室は、お弟子さんが増えて盛況だそうですね。六月はどのようなことをなさるんですか?」

「当教室は初心者から経験者まで幅広くお弟子さんがいらっしゃいますが、六月はうすちやまえの棚の稽古に移ります。まるじよくこうこうだな、桑小卓を使った点前、盆略点前などの稽古や、禅語と掛け軸についての講話を行っています」

 悟史の口調はよどみなく、至って落ち着いている。

 椿原流は裏千家の流派のひとつで、かつては武家の茶道指南役を務めており、彼はその長男だ。朝比奈流はそこからさらに派生した庶派に当たり、家柄的には劣っているといっていい。

 そんな彼との縁談が持ち上がったのは、ひとえに香帆の父のゴリ押しのおかげだった。悟史にいくつも縁談が舞い込んでいるという話を耳にした彼は、「宗家の次期家元に娘を嫁入りさせれば、流派の中での朝比奈流の存在感を増すことができるかもしれない」と考え、縁談話を持ちかけた。

 結果、数ある候補者の中から香帆が選ばれ、見合いの場がセッティングされて今日に至る。

(どうしてわたしが選ばれたんだろう。確かにつながりのある家から妻を迎えたほうが、流派の結束は強くなるんだろうけど)

 香帆と彼は今日が初対面ではなく、幼い頃から何度も顔を合わせてきた仲だ。

 親しく行き来するつきあいではなかったものの、椿原家で行われる茶会に祖父や父に連れられて参加したことがあり、顔と名前が一致する程度には知っていた。

(悟史さん、とても端整な顔立ちだし、物腰も落ち着いてる。家柄も良くて次期家元の地位が約束されてるんだから、わたしにはもつたいない相手だわ)

 七歳の年齢差があるが、男性のほうが年上なら頼りがいや包容力があり、きっとちょうどいいのだろう。

 そう思いながらも、香帆の気持ちは晴れない。正直に言えばこの縁談は気が進まなかったが、朝比奈家は椿原家に及ばないものの世間的に名家といわれる家柄で、体面がある。

 お嬢さま育ちの香帆にはそもそも自由な恋愛が許されておらず、いずれする結婚が両親が決めたものであり、かつ双方の家格を重視して行われる〝家同士の繋がり〟となることは、昔から口を酸っぱくして言われてきた。

(わかってるわ。家名に傷をつけないためには、両親やおさまが認める相手の元に嫁ぐしかないんだって。……でも)

 歴史ある家に生まれた者としての自覚がありつつも、若い香帆の心には切実な思いがくすぶる。

 このまま嫁げば、椿原家の伝統に縛られるきゆうくつな生活が待っているのは充分予想ができ、逃げ場はなくなる。そうなる前に、香帆は何とかして結婚を回避しようとしていた。

 歓談で場の雰囲気が和んだところで、仲人がにこやかに言う。

「では、そろそろお二人だけでお話しする時間を設けましょうか。我々は退室して、別室でお茶をいただこうと思うのですが、いかがですか」

 双方の両親がうなずき、香帆の母親が「香帆ちゃん、あとでね」とささやいて退室していく。

 障子戸が閉まり、二人きりになった部屋の中で、香帆は緊張を押し殺した。やがて悟史が、口を開く。

「こうして改まると、何だかおかしな感じだな。君とは昔から何度も顔を合わせているのに」

「そ、そうですね……」

 香帆は返事をし、視線を上げる。

 すると向かいに座る悟史ともろに目が合ってしまい、ドキリとした。彼は端整な顔に笑みひとつ浮かべず、淡々と言葉を続ける。

「とはいえ、ここ数年はゆっくり話をする機会はなかったが。元気だったか?」

「はい。お陰さまで」

 普段たくさんの弟子たちと接しているだけあって、悟史の態度に浮ついたところはない。彼は香帆を見つめて言った。

「縁談相手が香帆さんになって、俺としてはよかったと思っている。昔から何度も顔を合わせていて知らない相手ではないし、君は朝比奈流家元の娘として、きちんとした作法や教養を兼ね備えているからな。椿原家うちは覚えなければならないしきたりや行事も多いが、もし君が妻となってくれるなら、俺は全力でサポートするつもりだ。決して不安にはさせないと約束するから、どうか大船に乗ったつもりで嫁いでほしい」

 香帆は膝の上で、強く拳を握りしめる。

 今この場には両親や仲人はおらず、二人きりだ。自分の気持ちを伝える絶好の機会で、勇気を出して口を開いた。

「わたし……悟史さんに大切なお話があって」

「何だ?」

「……あの」

 心の中に、強い躊躇ためらいがこみ上げる。

 これから自分が言おうとしていることは、もしかすると悟史を怒らせてしまうかもしれない。少なくとも不快にさせてしまうのは確実で、心臓がドクドクと嫌な鼓動を刻んだ。

(でも──言わなきゃ)

 このまま話を進めるのは、彼に対して失礼だ。そう結論づけた香帆は、悟史を真っすぐに見つめて言った。

「これからわたしが申し上げる内容は、悟史さんに対してとても失礼なことだと自覚しております。お仲人さんやそちらのご両親にもご足労をいただいた状況で、とても心苦しいのですけど」

「…………」

「実はわたしには、他に好きな人がおります。このような気持ちで悟史さんと結婚するのは大変失礼なことですので、今回のお話はお断りしたいと思うのですが、いかがでしょうか」

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