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異世界の酒場で運命の男が待っていました ぬるいエールを魔法で冷やして

このはなさくや

【一章】きっかけはエール (1)

【一章】きっかけはエール



「横、いいですか」

「……おう」

 それは初めて入った酒場でのこと。

 重い扉を開けた途端に冒険者らしき一団の盛り上がる声が聞こえて、私は反射的に眉を顰めた。

 普段なら気にもならないはずなのに、今日は大声で話し笑う声がどうも耳に障る。

 ただその場で踵を返すのも憚られて、私は集団から一番離れたカウンターに行き、先客の男に軽く頭を下げて席に着いた。

「ここのお勧めを」

「あいよ」

 目の前に置かれたジョッキに、そっと口を付ける。薄い褐色の泡の下から現れた琥珀色のエールは、口に含むとふわっと鼻に抜ける香りとともに、独特の甘みを舌に残した。

 ──これ、私が好きだったビールにちょっと似てる。

 まさかこんな場所でまた味わえるなんて。思わず頬が緩んでいくのがわかる。ただ惜しむらくは、エールがあまりにもぬるいことだろうか。

 そういえば、この世界では冷たいお酒に出会ったことがない。氷の魔法はごく一般的なのに飲み物がどれも常温なのは、「飲み物を冷やす」という習慣がないのかもしれない。

 ぬるいエールを飲みながらぼんやりそんなことを考えていた私は、ふと思いついて目の前のジョッキに両手を添えた。

 エールの適温はだいたい十度前後だと聞いたことがある。あまり冷やしすぎても、逆に美味しくないのだとか。

 液体を凍らせるのではなく、ジョッキを凍らせるイメージで魔力を流す。やがてジョッキが冷気を纏い白く冷たくなったところで、私は魔力を止めた。

 ……ん、美味しい。

 試しに一口含んだエールは冷やされたことで味が締まり、鮮烈な苦みが喉を抜けていくのが堪らない。

 先ほどと同じエールとは思えないくらいの変わりように、私は喉を鳴らして一気に飲み干した。

「おい、それはなんだ」

「え?」

 突然のバリトンボイスに横を見ると、隣の先客がじっとこちらを見ていた。

 酒場の暗い照明の下でまじまじと見ると、年齢は三十代後半だろうか。茶色い髪を短く刈った、鋭い三白眼のかなり人相の悪い男だ。

 椅子に座っているにもかかわらず、私より頭一つ分以上は背が高い。分厚い胸板の逞しい身体のせいか、手の中にあるジョッキがまるでマグカップのように見える。

 普通の女性だったら、声をかけられたら怖がって逃げ出すのではないだろうか、なんて失礼なことを考えた。

「それ、とは?」

「お前が今、飲んでた奴だ」

「ああ、普通のエールですよ。……ちょっと冷やしましたけど」

「へえ、美味そうだな。なあ、俺のエールも冷やしてくれねえか」

「はあ、まあいいですけど」

 間を置かずに差し出された二杯の新しいエールに、私は先ほどと同じように魔力を流す。

 やがて冷えてキンキンになったジョッキを男のほうへと押しやると、男は嬉しそうにジョッキを持ち上げ、もう一つを私のだと顎で示した。

「そっちは俺の驕りだ。……へえ、よく冷えてるな。器用なもんだ」

 そう言って一口ごくりと飲んだ男は、驚いたようにジョッキから口を離した。それからニヤリと笑うと、あっという間に飲み干した。

「こりゃあ美味い。冷たいエールってのもいいもんだな」

「それはよかった。元々ここバルデラードのエールが美味しいから、冷やすと余計美味しく感じるんでしょうね。今日初めて飲みましたが、お勧めだというのも納得です」

「そうだろう? 俺もそうだが、バルデラードに住む奴はこれしか飲まねえんだ。ククッ、それにしても魔力でエールを冷やす奴なんざ、初めて見たぜ」

「そうですか?」

「ああ、魔力の無駄遣いっつうか、贅沢な使いかただな」

「ふふ。確かにこんなふうに魔力を使う人間は、あまりいないかもしれませんね」

 人相の悪い大男が無邪気に冷たいエールを喜ぶ姿が微笑ましくて、私もつられるように笑みを零す。

 その時、後ろの集団から一際高い歓声が起こった。あまりの声の大きさに、私は思わず肩を竦めた。

 ……今日に限って彼らの声がこんなに気になるのは、自分で思っているより身体が疲れているのだろうか。今夜はこれで切り上げようか。こういう時は、無理をしないほうがいいのかもしれない。

 私は目を瞑り、マントのフードの上からこめかみを強く指で押さえた。

「普段ならここはもっと静かなんだがな。今日は若い奴らがずいぶんと騒いでるようだ」

「ええ、そのようですね。皆さん楽しそうで羨ましい限りです」

 そう言って私はエールをすべて飲み干し、席を立った。

「ごちそうさまでした。私はこれで」

「おい、待てよ」

 少し眉を顰めた男は、急に欲望を滲ませた眼差しで私をじっと見つめた。

「……なあ、上で飲み直さねえか。珍しい酒があるんだ」


 連れて行かれたのは、男が長期滞在しているという部屋だった。

 確かに室内には無造作に剣や防具が置かれ、長くここに住んでいるだろう生活感が滲み出る。男性の部屋にしては意外なほどに片付いているのは、ワイルドな外見に反して几帳面な性格なのだろうか。

 この世界の酒場には、宿泊できる場所が併設されていることが多い。いや、たいていの宿屋には酒場が併設されている、と言ったほうが正しいだろうか。

 そして酒を飲んでいて「上で」、「二階で」、もしくは「二人だけで」と誘われた場合、性的行為を含むお誘いだと考えてほぼ間違いない。

 だからこそ珍しい。純粋にそう思った。普通なら一回限りの相手を、わざわざ自分のテリトリーに招き入れないだろう。

 よほど手馴れているのか、それともあまりにも無頓着なのか。この男は一体どちらだろう……?

「たいしたもんはねえが、ゆっくりしてくれ。今、酒を用意するから……」

 そう言って振り返った男は、私がマントを脱いだ姿を見て絶句した。

 グラスを持ったまま目を瞠り、動きを止め固まった男の姿に、私は思わず苦笑する。

 確かに酒場は薄暗かったし、マントのフードを被ったままだった。だけど、これはもしかして。

「……男だと思ってました?」

「あ、ああ……。いや、違う。いや、そうなんだが……、まいったな」

「ふふ、よく間違われますから気にしないでください。それより、もしかしてあなたは男性しか興味のない人だったりします?」

「はあ?」

「ええっと、つまり男性に対して性的興奮を……」

「ちょっと待て。一体なんの話をしているんだ?」

「え? だって」

「いや、俺はだな、純粋に酒に誘ったつもりだったんだ。俺が持ってる酒も冷やすと美味くなるんじゃねえかと……、ああクソッ、そういうことか!」

 突然なにかに気が付いたように男は舌打ちをすると、気まずそうに自分の頭を掻く。その困ったような様子を見て、私は自分の失敗を悟った。

「……どうやら私の早とちりだったようですね。不快な思いをさせてしまい申し訳ありません」

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