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エリート御曹司の契約婚約者

ひらび久美

第一章 突然のプロポーズ (3)

「なるほど」

 悠斗が感心したように頷くので、成穂は説明を続ける。

「ジャーキーの場合、ビールのお供というイメージが強いですが、おつまみ以外の需要を喚起したいんです。広報課で試食して、今回は少し分厚くて大きめの商品を使うことにしました。味つけはしようベースですので、和風っぽくシメジを加えてみました。でも、しようが利いた商品やハバネロを使った商品はキッシュに向かないと思うので、別のレシピを考えるつもりです」

 気づけば右手をぐっと握って、前のめりになって語っていた。

「ほんの数分前までは俺と話もしたくないって顔をしてたのに、仕事のことになると熱くなるんだな」

 悠斗にニヤリとされて、成穂は右手を下ろした。食べることが大好きだから……食べ物のことになるとつい熱が入ってしまう。

 成穂は小さくせきばらいをして真顔を作った。

「ところで、私に何のご用だったんでしょうか?」

「用件はさっき言ったんだが」

「そうですか?」

「食べ物の話をしていないときだったから、君は上の空だったんだな」

 成穂はバツが悪くなって首を縮込めた。確かに写真を撮るのに夢中になっていて、悠斗の言葉をちゃんと聞いていなかった。

「ええと……何か貸してくれ、みたいなお話でしたか?」

 悠斗は一度ため息をついて言う。

「俺の婚約者になってくれないか、と言った」

 成穂は悠斗の顔をまじまじと見た。彼はそうがコマイフーズの創業者で、祖父が現会長、父が現社長という、文句のつけようのないイケメン御曹司だ。そんな人が自分なんかにプロポーズをするわけがない。それに、彼の顔はどう見ても、〝ペンを貸してくれないか〟と言っているようにしか見えない。

 成穂が不信感丸出しの顔になり、悠斗はにっこりと微笑ほほえむ。

「広報課に電話したら、君はここにいるって教えられたんだ。だから、プロポーズしに来た」

「ちょっと……いいえ、まったく意味がわからないんですが」

 もちろん副社長兼経営企画本部長である彼の顔は知っているし、講演会や大きな会議などで話しているのを聞いたこともある。けれど、仕事で直接関わることはなかったし、こうやって一対一で会話をするのは今日が初めてだ。それなのにどうしてプロポーズされるのか。

 成穂は首をかしげて悠斗を見た。

「副社長はお疲れなんですか?」

「いや、そんなに疲れてはいないが」

「じゃあ、夢を見ていらっしゃる?」

「夢?」

 今度は悠斗が首を傾げた。

「はい。今すぐ誰かにプロポーズしないと逮捕される夢とか」

 悠斗はなぜそんな発想になるのかわからない、と言いたげな表情で成穂を見たが、成穂だって彼の発想が不思議でたまらない。

「私にプロポーズするくらい結婚相手にお困りなら、給湯室やカフェで『副社長と結婚したい』って騒いでいる女性社員に声をかけたらいかがでしょうか。すぐにイエスの返事がもらえると思いますが」

「いや、ほかの誰かじゃなくて君がいいんだ。君は何より仕事が大切なんだろう? だから──」

 悠斗の声にかぶさるようにして低い振動音が聞こえてきた。彼はジャケットの内ポケットからスマートフォンを取り出し、小さくため息をついて成穂を見る。

「しまった。もう戻らなければ。続きは改めて話すよ」

「いえ、改めてお話しいただかなくても、返事は決まっています。ノーですから」

「いや、まだ返事はしないでくれ」

 悠斗が制止するように右手を挙げた。

「いいえ、今すぐさせてください」

「ダメだ」

 悠斗がぴしゃりと言った。その声の調子が思ったよりも切羽詰まっていて、成穂は口をつぐむ。

「すまない。とにかく後でもう一度、ちゃんと話をしよう」

 悠斗は言うやいなや、スマホを耳に当てて調理研究室を出て行った。


 イチョウ並木の歩道を歩きながら、成穂は悠斗が出ていったときのことを思い出し、大きなため息をついた。

(やっぱりどう考えてもわからない)

 広報課の一社員に過ぎない成穂が、副社長兼経営企画本部長という、いわば雲の上の存在の男性になぜプロポーズされるのか。

 頭を悩ませながらしばらく歩いていたら、ふとある考えが頭に浮かんで足を止めた。

(もしかしたら、私が二十八歳で中途採用者だから、長く働くつもりがあるか確かめるために、わざとプロポーズしたのかもしれない)

 それなら納得できるが、失礼な話である。

(私、今の仕事が大好きなのに)

 成穂はムカムカしながら歩き出した。

 こういうときはおいしい食べ物のことでも考えようと、駅ビルのパティスリーやベーカリーを思い浮かべる。秋を先取りして、パティスリーでは洋ナシのケーキや柿のタルトが宣伝され、ベーカリーではクルミとイチジクのパンのポスターが貼られていた。

(うちも何か秋を意識した料理かお菓子を紹介したいな……。秋と言えばやっぱりくりかなぁ。でも、マロンジャムを使ったお菓子は……ありがちな気がする。だったら、先月輸入を始めたハーブのシロップの販促につながるレシピを何か考えようかな……)

 おいしい食材やレシピのことを考えると、ワクワクして腹立ちが治まってきた。足取りさえ自然と軽くなる。こんなにも仕事を楽しんでいるのに、めるわけがない。結婚したって辞めるつもりはないが……そもそも結婚する予定もなければ、その気もない。

 それなのに副社長はわざわざプロポーズなんかして、成穂が腰かけのつもりで働いているのかどうか確かめようとしたのだ。

 本気ではない、うそのプロポーズ。けれど、本気だったはずのプロポーズだって、嘘になることもある。

(私ってつくづくまともなプロポーズに縁がないんだなぁ……)

 成穂は歩きながら皮肉な気持ちで口元をゆがめた。


 人生最初で最後になるはずだったプロポーズは、五ヵ月前の四月下旬、六歳年上の恋人だったむらおうがしてくれた。当時の成穂は健康食品会社のカスタマーサポート部で働いていて、應太は同じフロアにある総務部総務課の課長だった。

 彼の部屋で成穂が作った夕食を食べた後、應太がコーヒーを飲みながら言ったのだ。

「そろそろ結婚するか。付き合って四年になるし、俺ももうすぐ三十五だ」

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