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エリート御曹司の契約婚約者

ひらび久美

第一章 突然のプロポーズ (2)

(どっちの方が逃げられる確率が高いだろう……?)

 成穂がうかがうように目線を上げると、創一はニヤッと笑った。その笑みにゾッとしたとき、ドアをノックする音が聞こえた。出入口に顔を向けると、戸柱にもたれて細身の黒いスーツを着た男性が立っている。一八〇センチは優に超えていそうな長身で、恋愛ドラマに出ていてもおかしくないような甘い顔立ちをした彼こそ、副社長兼経営企画本部長の小間井悠斗だった。

 彼はゆっくりと戸柱から体を起こし、数歩中に入った。そして、顔立ちとは正反対のトゲのある口調で言う。

「ここは神聖な職場だったはずだが、君たちには違ったようだな」

 鋭い目で見据えられて、創一は慌てて成穂の両手首を離し、両手をスーツのパンツのポケットに突っ込んだ。

「も、もちろん、職場は神聖な場所だと思っています! そ、それじゃ、木戸さん、ビーフジャーキー、確かに届けたからっ」

 創一は副社長の前で頭を下げ、顔を伏せたままそそくさと出ていった。廊下を急ぐ足音が小さくなり、悠斗がドアを閉める。成穂はホッとして肩から力を抜いた。助けてくれた礼を言おうと悠斗を見たが、彼は成穂が口を開くより早く淡々とした声を出す。

「木戸さんは仕事はできるのに、男を見る目はないんだな」

〝男を見る目〟。

 その言葉を聞いて、成穂は下唇をギュッとみしめた。

 四ヵ月近く前、信じていた人たちの本心が見抜けず、ひどい裏切りにあった。二度とあんな経験をしたくないから……必要以上に男性と親しくなるまいと決めた。自分に人を見る目がないのは、痛いほどわかっている。でも、だからといって、なぜ赤の他人の副社長にこんな言い方をされなければならないのか。

 成穂はムッとしたが、感情を顔に出さないよう無表情を装う。

「私に何かご用でしょうか?」

 その問いに答えず、悠斗はゆっくり歩いて、成穂の前にあるテーブルに浅く腰かけた。

「五ヵ月ほど前、四月下旬に会社で騒動があった」

 いったい何の話が始まるのかと、成穂は眉を寄せて悠斗を見た。

「一人の男性が会社に怒鳴り込んできた。ある女性社員の恋人だったそうで、『俺の彼女を弄びやがって!』とものすごいけんまくだった。その男性が言うには、彼の恋人を元宮さんが猛アプローチをして奪った挙げ句、あっさり捨てたんだそうだ。居合わせた秘書室長がその場を治めてくれたらしいが……結局、その女性社員は居づらくなって四月末に退社した」

 居づらくなって、と聞いて、成穂は胸が痛んだ。けれど、成穂には関係のない話だ。

「副社長はいったい何がおっしゃりたいんですか?」

 悠斗は成穂の愛想のない視線を正面から受け止めた。

「つまり、元宮さんと付き合うには、それなりの覚悟がいるということだ」

 まるで成穂が創一に気があるかのような言い方だ。成穂は腹が立って、ことさら冷たい口調で言う。

「コマイフーズでは社内恋愛は禁止なんですか?」

「いや、そういう規定はない」

「でしたら、私が誰と付き合おうと私の自由だと思いますが。万一、私が元宮さんに弄ばれたとしても、私には会社に怒鳴り込んでくるような相手はいませんので、会社にご迷惑をおかけすることはありません。そもそも、私、元宮さんには何の興味もありませんから」

 きっぱりと言ったとき、ピーピーピーッと電子音が鳴って、オーブンレンジが焼き上がりを知らせた。成穂がミトンを両手にはめてドアを開けると、もわっとした熱気とともに、芳ばしい香りが辺りに広がる。

(いい匂い!)

 この瞬間が好きなのだ。

 成穂はうっとりして大きく香りを吸い込んだ。キッシュを取り出し、網の上に置いて冷ます。キッシュはこんがりキツネ色に焼けていて、見た目もとてもおいしそうだ。これならホームページやSNSに写真を載せても大丈夫だろう。

 成穂は満足して一度頷いた。そのとき、悠斗の声が聞こえてくる。

「君に興味がなくても、元宮さんの方は君に関心が大ありのようだったが」

 まだその話をするのかと、成穂はため息をついて悠斗に真顔を向けた。

「仮に元宮さんがそうだとしても、私は仕事以外に興味も関心もありませんので」

「本当に?」

「はい」

「実は俺もそうなんだ」

「そうですか」

 成穂は素っ気ない声で返事をして、ケースからデジタル一眼レフカメラを取り出し、キッシュに向けた。

「仕事以外、興味も関心もない」

「はあ」

 成穂は生返事をして、数回シャッターを押した。何枚か撮ってから写真を確認する。きれいに撮れていたので、次はキッシュにナイフを入れて八等分し、ビーフジャーキーとほうれん草とシメジがおいしそうに見える断面を探す。

(あ、ここがいい)

 よさそうな角度から何枚か写真を撮った。カメラを操作して写真を見ていたら、悠斗の声が聞こえてくる。

「君とは気が合うと思うんだ。俺の婚約者になってくれないか?」

「……は?」

 成穂は顔を上げて悠斗を見た。目の前の彼は、口元に穏やかな笑みをたたえている。自社ホームページの役員紹介ページに載っている写真と同じく、万人受けしそうな笑顔だ。

(今、〝ペンを貸してくれないか〟的なノリで何か言われたような気がしたけど……?)

 成穂がまじまじと見ると、悠斗は視線でキッシュを示した。

「それ、一つもらってもいい?」

「え? あ、構いませんけど……でも、広報課の七人にもあげる予定なので、私と半分こでいいですか?」

「ああ」

 成穂はナイフを使って、一切れを半分に切った。それを小皿に載せてフォークと一緒に差し出す。

「ありがとう」

 悠斗は受け取って、一口サイズに切ったキッシュをフォークで口に運んだ。その手を顎に当てて考えながら味わう。

「ふーん、思ったよりずっとうまいな。ビーフジャーキーが固いかと思ったが、しっとりして柔らかくなっている」

 成穂は残りの半分を小さく切って口に入れた。二日前に試作したときよりも生クリームの分量を減らしたので、口当たりが軽くなっている。

「ビーフジャーキーの濃縮されたうまが、卵と生クリームのまろやかな生地と意外と相性がいいんです」

「ジャーキーはそのまま食べるものだと思っていたから、この食べ方は新鮮だな」

「うちで輸入している食品の利用法の幅を広げるお手伝いをするのが、私の仕事ですから」

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