エリート御曹司の契約婚約者
第一章 突然のプロポーズ (1)

第一章 突然のプロポーズ
大阪本社ビルを出てすぐ、塀の上に掲げられた〝株式会社コマイフーズ〟の立派な両面看板が目に飛び込んできた。それと同時に、副社長兼経営企画本部長である小間井悠斗にかけられた言葉が耳に蘇る。
『木戸さんは仕事はできるのに、男を見る目はないんだな』
甘く整った外見と低く涼しげな声に似合わない皮肉のこもった口調に、木戸成穂は三時間前に感じたのと同じ怒りを覚える。
いくら三十三歳という若さで副社長兼経営企画本部長を務めるイケメンエリート御曹司だからって……どうして彼にそんなことを言われなければならないのか。おまけにそうやって成穂を貶しておきながら、彼はなぜかその直後、成穂にプロポーズしたのである。
(いったいあの副社長は何を考えているんだろう)
成穂は顔をしかめてずんずん歩き、門を出たところで八階建てのオフィスビルを振り仰いだ。外はすっかり暗くなっているが、まだそれぞれのフロアにはいくつか明かりが灯っている。
そのガラス張りの建物を本社ビルとするコマイフーズに、現在二十八歳の成穂は二ヵ月前の七月に転職したばかりだ。創業百周年を迎える食品輸入商社で総務部広報課に配属された成穂は、主に自社輸入商品の知名度アップを担当している。食べ歩きが趣味で、食べることが大好きな成穂にとって、仕事はとても楽しいが、まだ社内の他部署の人とはそんなに深い人間関係はできていない。
(そもそも副社長とだって、直接話したことはなかったのに)
それなのに、いったい副社長はどういうつもりであんなことを言ったのか……そもそも本当にプロポーズだったのか?
成穂はイチョウ並木の歩道を駅に向かって歩きながら、三時間ほど前の出来事を思い出す。
今日は九月初旬の木曜日。オレンジ色の夕陽が差し込む五階の調理研究室に、パイ生地が焼ける芳ばしい香りが漂い始めた。棚のオーブンレンジの中では、ビーフジャーキーを使ったキッシュにほんのりと焼き色がついている。
(うん、いい感じに焼けてきた)
成穂はオーブンレンジを覗きながら満足げに頷いた。
胸元まであるマロンブラウンの髪をシュシュで一つにまとめ、白のブラウスとスモーキーブルーのテーパードパンツの上からデニム生地のエプロンを着けた成穂は、午後四時過ぎの今、会社の公式ホームページに載せる料理を試作しているところだ。そうやって自社で輸入している食品を使って、新しい食べ方をホームページやメールマガジン、SNSで提案するのも、成穂の仕事である。
うまく焼けそうなことが嬉しくてつい鼻歌が出そうになったが、横のテーブルに頬杖をついて座っている男性の視線に気づき、真顔を保った。明るい茶髪でスーツを着崩した、どちらかと言えば軽そうなこのイケメンは、元宮創一という名だ。保管室からビーフジャーキーを運んできてくれた商品管理部の社員だが、彼はまだ自分の部署に戻らずに調理研究室に居座っている。
(いつまでここで仕事をサボってるつもりなんだろ)
そう思ったとき、創一が口を開いた。
「すごくいい匂いがしてきた。木戸さんは美人なうえに料理もできるんだな。モテるでしょ?」
創一のニヤけた顔を横目で見て、成穂は愛想なく答える。
「いいえ」
「またまたぁ」
創一はゆっくりと前髪を掻き上げて続ける。
「でも、きれいなことを鼻にかけないってところはポイント高いよ。やっぱり彼氏とかいるよね?」
「答える必要あります?」
成穂はオーブンレンジに視線を戻して素っ気なく言った。
「それって本当はいるけど、俺に興味があるからはっきり答えられないってこと? それとも今はたまたまいないけど、素直にそう答えたくないとか? そのクールさはどっちだろうなぁ」
おもしろがるように言われて、成穂は創一の相手をするのが面倒になってきた。
「別に答えたくないわけではありません。仕事が恋人なんです」
「つまり、仕事以上にイイ男に出会えなかったってことか。世の中の男に失望してるから、そんなに冷めてるの? 俺と付き合ったら、君の身も心も熱く蕩かせてあげるよ」
よく仕事中にそんなくさいセリフを吐いて同僚を口説けるものだ。成穂は呆れながらきっぱりと断る。
「結構です」
けれど、創一は気にする様子もなく続ける。
「見たらわかると思うけど、俺、すごくモテるんだよ? 俺と付き合ったら絶対楽しいから」
「お断りします。あなたと付き合うより、仕事をしている方が絶対楽しいと思いますから」
成穂は関心をキッシュに向けたまま答えた。オーブンの残り時間表示は五分だ。フックにかかっているオーブンミトンに手を伸ばしたとき、右肩に手を置かれて驚いた。いつの間にか創一が背後に立っている。
「俺の方が仕事よりも楽しいって、証明してやろうか?」
創一はニヤニヤ笑いながら成穂の髪からシュシュを解き、自分の手首に通した。そして成穂の髪にすっと手櫛を通す。
「触らないでください」
成穂は創一を睨んだ。
「試す前から拒否するのはよくないなぁ。料理だって試食をするだろ?」
創一は成穂の髪をくるくると自分の指に絡ませた。いくら彼がイケメンでも、親しげな仕草をされても、軽薄な言葉には嫌悪感しか覚えない。
成穂は創一に冷ややかな視線を向ける。
「やめないと大声を出しますよ」
「こんな時間に五階には誰もいないんじゃないかな」
成穂は出入口にチラリと視線を向けた。彼がすぐ帰れるようにドアを開けたままにしておいたが、彼の言う通り、資料室と保管室、調理研究室しかないこのフロアに、今、人がいる可能性は低そうだ。
「もしかして俺を焦らしてるのか?」
創一が薄く笑いながら成穂の顎を掴んだ。成穂はとっさに両手で創一の胸を押しやろうとしたが、彼に両手首を掴まれる。
「君みたいなタイプは、本当は強引にされるのが好きなんだろ?」
思い込みに満ちた彼の言葉に虫酸が走る。まさか会社で勤務時間中にこんなことを言ってくる男性がいるとは思いもしなかった。これ以上この自意識過剰な勘違いイケメンの相手をしたくはないが……両手首を掴まれていては、身の危険しか感じない。
応じるフリをして油断させ、隙を見て逃げ出そうか。それとも、ドラマやマンガであるように、急所を蹴飛ばそうか。
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