愛を教えて+α 【完全版】
第一部 (1)


──プロローグ──
都内、港区──地上五十四階の高層ビル、最上階に彼のオフィスがあった。窓からは首都東京が一望できる。最高の景観、最高の地位、望むものは大概手に入れられる。そんな場所に、藤原卓巳は立っていた。
『わかった……現場の判断は君に任せる』
卓巳はそう言って携帯を切る。彼は窓際に立ち、眠らない街の灯りを黒い瞳に映した。
しかし、その光は卓巳の心まで照らしてはくれない。
少しネクタイを緩めると、彼は無表情に秘書の宗行臣を振り返った。
「調査は終わったのか?」
「はい。おおむね終了しました。時間に余裕がなく、未確認の部分もありますが」
「構わん、報告しろ」
「はい。千早万里子、二十二歳、聖マリア女子大学四年生、父親は千早物産社長で」
二十九歳の卓巳より、秘書の宗は四歳年上だ。しかし、同じ年齢か逆に見られることが多い。宗は優秀な男だ。言われたことを百パーセント遂行する。だが、それ以上のことができない欠点もあった。早い話、融通が利かない。
卓巳はため息をひとつ吐くと宗の言葉を遮った。
「おい。時間は有効に使え。報告は私の知らないことだけにしてくれ」
「失礼いたしました。──千早物産は生き残りに必死ですが、業績は悪くありません。千早社長は人望も厚く、ステイタスや目先の利益で娘を売ることはしない人物だと思われます。娘の万里子も質素で地味な女性ですね。渡航歴を探っても、同行者は父親のみです。私生活でも羽目を外すことはなく、宝石やブランド品を買い漁る趣味もありません。調査中は見事なほど、大学と家の往復でした」
宗は報告書を読み上げながら軽く手を上げて見せた。
「お前がお手上げとは情けないな。なければ作れ! 銀行に手を回せば、父親の会社を傾けることは可能だろう。父ひとり子ひとり……孝行娘なら尚のこと、父の窮状を知れば黙って従うだろう。だが、もうひと押し必要だな」
「色仕掛けはどうですか? 社長が、愛をささやいてベッドに連れ込めば、翌朝にはサインしますよ」
軽口を叩きながらにこやかに笑う。仕事では融通が利かないが、プライベートではかなりのやり手だと聞いている。主に女性関係だが……卓巳には興味のない話だ。
「宗、君はそんなに暇なのか?」
デスクに置かれた万里子の写真に視線を落としながら、いよいよ卓巳は不快感を露わにした。
宗は咳払いをして表情を引き締める。
「いえ、続きを報告します。千早万里子は清純無垢な処女に見えますが、女はわかりませんね。彼女は四年前、高校三年生の秋に千葉市内の産婦人科に二、三度通院しています。病院の看護師に金を握らせたところ、妊娠中絶の手術を受けていたことがわかりました。カルテは無理でしたが、中絶同意書のコピーを入手いたしました」
その報告に、一瞬、卓巳の表情が曇った。
卓巳は、新たに手にした報告書に目を通しながら、
「──この男が相手か? 何者だ」
「香田俊介、千早家で働く家政婦、香田忍の息子です」
「家政婦の息子だと!? なんでそんな男と……」
「俊介は大学を出るまで、母と一緒に千早家に住み込んでいたようです。ミッション系女子校育ちの彼女にとっては、数少ない身近な男性だったのではないでしょうか? しかし、俊介はその年の三月に結婚しています。中絶の時期から、夏以降に関係があったとすれば、当然、不倫の関係ですね。俊介は公立の中学教師ですから、おおやけになれば免職でしょう。それと、父親は中絶の事実を知らないようです。その辺りをつつけば、首を縦に振るのでは?」
こんな切り札があるなら早く言え、と思いつつ。卓巳は、妙に胸がざわめくのを抑え切れない。
「そうだな。ところで、ふたりの関係は続いているのか?」
それは大きな問題だ。こととしだいによっては、卓巳の計画も変更せざるを得ない。
「いえ。現在、万里子の周辺に男の影は見当たりません。よほど上手く立ち回っていれば別ですが」
キッパリとした宗の返答に、卓巳は深く息を吐く。
しかし、次に彼の胸に込み上げてきたものは、万里子に対する憤りだった。
「お嬢様のひと夏のアバンチュール、か……結果がこれとはお粗末な話だ。愚かな女の典型だな。だが、そういった女のほうが扱いやすい。取引先の銀行に手を回せ。それで承知しないときは、この一件がジョーカーになるな。よし、話を進める。お前も上手くやってくれ」
「はい。通常業務とはいささか毛色の変わった仕事ですが……」
卓巳の命令で、ライバル企業に裏工作を仕掛けさせることはある。だが、なんの利害関係もない女性を……言い方は悪いが、罠に嵌めるのだ。良識なり良心なりを持ち合わせている人間であれば、胸を痛めて当然だろう。
「茶番は承知だ。だが、しくじれば私はすべてを失う。祖母の考えはわからんが、従うしかない。私は千早万里子を妻にする」
〝株式会社F総合企画〟そんなプレートがドアの外に光っていた。
深夜零時、この時間になれば、残っているのはF総合企画の社長である卓巳と秘書の宗、ふたりだけだ。
だが、卓巳の肩書きはそれだけではない。国内最大規模のコンツェルン、藤原グループの若き総帥。
今の彼に敵はいない──〝今の〟彼には。
卓巳は、コンクリートジャングルの片隅に身を潜める獲物を見つけ、密かに射程に捉えたのだった。
──第一章 婚約──
(一)求婚
渋谷区にある聖マリア女子大学。この学校に、千早万里子は付属の初等科から在籍している。現在は文学部の四年生。教育学科で初等教育を専攻し、幼稚園、小学校の教諭となるべく勉強中であった。
「だから、せっかくのチャンスなのよ。卒業まで半年もないのに、万里子さんはこのまま学生生活が終わっても後悔しないの?」
「それに、これはただの遊びじゃないの。相手は未来のお医者様よ。どこに出会いが転がっているかわからないわ。万里子さんも、一度くらい出てもいいんじゃないかしら?」
世間一般において、聖マリア女子大学はお嬢様大学と言われている。
だが実際のところ、大学から入学したほとんどの学生は、中産階級の娘だ。
父親はある程度の資産家で中堅企業の社長、母方は旧家に繋がる──そんな万里子のような〝本物のお嬢様〟は、初等科から通うごく一部だけであった。
とはいえ、大学の名前をブランドとして捉えるなら、聖マリア女子大学は上位ランクに属している。合コンとなると人気が高く、それを利用して多くの学生が将来性のある恋人探しに精を出していた。
「ええ、でも今日は本当に都合が悪くて……ごめんなさい」
万里子は自分を囲む友人たちに、控え目に微笑んだ。
柔らかな栗色の髪が風になびき、背中の中ほどで揺れていた。染めている訳でもないのに生まれつき色が淡い。そのせいか、秋の木漏れ日に、万里子の頭上はティアラをつけたように煌めいている。
ただ……九月の終わり、周囲のほとんどがまだ半袖を着ているにもかかわらず、万里子はクリーム色の長袖ブラウスを着ていた。それも第一ボタンまでキッチリと留め、襟のリボンも長さを揃えて左右均等に結んでいる。隙を見せない着こなしに、彼女の几帳面さが窺えた。
万里子自身、友人と集まるのは嫌いではない。クラブ活動はしていないが、誘われたら可能な限り集まりには出席している。
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