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溺愛社長とウエディング

水島忍

第一章 仕組まれた結婚 (3)

 でも、政略結婚させようとまでは思っていないんじゃないかしら。

 お見合いならわかる。その話をどこかで聞きかじった人がうわさを流しているのかもしれない。

「お金持ちの考えることは判らないものね」

「よく言うわよ。お金持ちの家にずっと住んでるくせに」

「わたしは居候しているだけよ。お金持ちどころか、お給料もほとんどおじ様に渡しているもの。貯金もあまりないのよ」

 翔子は大げさに溜息をついた。

「理解しがたいなあ。学費を返したい気持ちは判るけど、受け取るほうの気持ちが……。社長にとっては、詩帆の学費くらい大したものでもないでしょうにね」

「わたしは受け取ってもらいたいわ。本当にお世話になったのよ。親戚にも冷たくされて、おじ様がいなければ、高校中退で働かなきゃならなかったわ。それなのに、大学まで面倒を見てくださって……」

「はいはい、判った。もう……おじ様が大好きなのね」

 詩帆は大きく頷いた。

「変な意味じゃなくて、尊敬しているのよ」

 だから、わたしも、困っている人がいたら助けてあげたい。

 本当のことを言えば、家政婦の真似事をしたり、お金を渡したりするくらいでは、恩返しにはとても足りない。だが、幹夫が自分にしてくれたように、他人に対して無私の奉仕をすれば、それが恩返しになると思うのだ。

「でもまあ、社長の娘が結婚して、家を出ていってくれたら、詩帆も少しは楽になるんじゃない?」

 詩帆は思わず頷きかけてしまい、顔を赤らめた。

 佐紀は詩帆に対していろいろ口うるさいが、それも仕方のないことだ。それに、佐紀の悪口は言えない。彼女は大恩ある幹夫の娘だからだ。

「そんなことないわ。でも、佐紀さん、お見合いなんて受け入れるかしら」

 今朝も彼女は自分が店の責任者だからと強調していた。あれだけ仕事が大事な人なのだから、結婚相手くらい自分で選ぶと言うのではないだろうか。いくら父親が勧める相手でも、気に食わなければ、その気には絶対ならないだろう。

 どちらにしても、詩帆には関係のない話だ。

 詩帆自身はまだ結婚などとても考えられない。受けた恩を返したと思えるまでには、もっと時間がかかるだろう。

 それに、まだ運命の人には出会ってないみたいだし。

 恋なんてしたことはない。もちろんほのかな憧れのような気持ちを抱いたことはある。だが、詩帆の人生は十六歳のときに一変し、それからは男の子のことなどのんびり考えている余裕はなかった。

 もし恋に落ちて、その相手からプロポーズされたら……?

 いいえ、まだそんなことまで考えられないわ。

 今は……ただ前に進むのみ。

 そして、これからもそうだった。



 堀田邸に帰ると、何やら普段と様子が違う。家の中が綺麗に掃除されているのはいつもどおりだが、いつもよりかなり丁寧に玄関周りや居間などが掃除され、花まで飾られていた。

 着替えてから、何か手伝おうとキッチンへ行くと、家政婦の矢代から夕食時に客が招かれていることを知らされた。

「なんだかとても大事なお客様らしいわよ。だから、今日は気を引き締めて給仕するようにって奥様がおっしゃっていたわ」

 キッチンにはもう一人の家政婦がいて、二人はフレンチの下ごしらえで大わらわのようだった。矢代は和食からフレンチまでカバーできるプロの料理人並みの腕前を持っているので、堀田家ではケータリングを頼まず、矢代に依頼する。詩帆も矢代の指示に従って、料理の支度を手伝ったり、テーブルのセッティングをした。

 そのうちに、客がやってきたようだ。

 詩帆は嘉子に注意され、給仕のためにシンプルな白いブラウスと黒のスカートを身につけた。ウェイトレス役だが、服装まで気を使わなくてはいけない客だと思うと、なんだか緊張してくる。

 嘉子がキッチンにやってきた。

「ワインを出してちょうだい。早くね」

 詩帆はアイスバケットに入れたワインを置いた金色のバーカートを、ダイニングのほうへと押していった。

 客は幹夫と同じ年頃の夫婦、そして、その息子らしき男性だった。男性は大樹より少し年上だろうか。堀田家の家族は全員揃っていて、彼らを歓待していた。家族ぐるみの付き合いなのかと思ったが、よく考えると、彼らは初めてここに招かれたのだ。

 ともかく、大事な客だということは判る。

 息子らしき男性は整った顔立ちをしていた。キリッとした眉に涼しげな目元、鼻筋はまっすぐ通っていて、口元は引き締まっている。仕立てのいいダークスーツは身体にぴったり合っているようで、詩帆はなんだかドキッとしてしまった。

 まるで、わたしの夢に出てくる男性のようで……。

 夢に出てくるのは、詩帆の理想の夫だ。

 もしかして、この人が『そう』なの?

 一瞬そう思ったが、詩帆は即座に否定する。とても素敵な男性だが、自分のような庶民とは違う。彼は詩帆のほうをちらりと見たものの、すぐに視線をらした。

 そうよ。この人じゃないわ。

 それに、詩帆には気になることがあった。翔子から昼休みに聞いた話が頭によみがえってくる。

 ひょっとして、この人が佐紀さんの政略結婚の相手なの?

 あの話を聞いたときにはうそだと思ったが、それらしき人物が親と一緒に現れると、信憑性しんぴようせいが増す。

 どちらにしても、わたしには関わりないことよ。

 どんなに素敵な容姿の男性だろうと、佐紀の結婚相手に恋するわけにはいかない。

 とはいえ、詩帆はワインのコルクをワインオープナーで抜きながら、緊張していた。いや、これはきっと大事な客だとくぎを刺されたからだ。この男性がとても格好よくて、自分が彼を意識しているからではない。

 ええ、そうよ。他の人のものには興味がかれないわ。

 ただ、彼はまだ佐紀の結婚相手と決まったわけではなかった。

 ワインを全員に注いで回るとき、詩帆の手は震えていた。問題の男性はその震える手元に気づいたのか、ちらりと詩帆を見て会釈をしてくれる。口元に笑みが浮かんでいて、なんだか優しい人に見えた。

 おかげで、詩帆はやっと緊張が解け、ほっとする。堀田家の面々は詩帆を無視していたから、彼だけが自分を判ってくれたような気がした。

 ワインを注いでしまうと、詩帆は一旦キッチンに戻り、前菜の皿を並べた大きなカートを押してきて、料理の説明をする。そして、テーブルの上へ置いていった。本格フレンチみたいな繊細な料理の数々を出し、食べ終わった皿を引いていく。

 後はメインの料理とデザートだけだ。詩帆はダイニングルームの隅で黙って控えていた。何か用事を言いつけられれば、すぐに応じられる体勢だ。

 詩帆は高級レストランで働けるのではないかと思うくらい、何度もこんな給仕をしたことがあった。つまり、何度もこうした会食はこの堀田邸で行われたことがあったのだが、今夜は今までとはやはり雰囲気が違う。

 堀田夫妻と相手の夫妻はとても盛り上がっているものの、例の男性は失礼にならないくらいの話しかしていないようだった。佐紀はパーティードレスを着て、見事な宝石のついたネックレスをしていて、男性に何かと話しかけていた。大樹はというと、一人、あまり関心のなさそうな表情をしていたが、誰より熱心に料理を食べてくれていたから、その点では詩帆は嬉しかった。

 やっぱり、これはお見合いなのかしら……。

 佐紀はとても乗り気のように見える。いや、彼女はこれがお見合いだと知っているのだろうか。知らずに、彼に恋したとしたら、それはそれで残酷ではないかと思うのだ。

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