サウスベリィの下で
7._8.
7.
僕は、浴室で、姉さんに犯された。
そうされるだけの理由があったとも言えるが、これまでの情事同様、ただの遊びの延長にすぎないとも言える。
とにかく、回を重ねる毎に常識を見失いゆく僕たち姉弟の遊戯が、ごく一般的な道徳の領域――その線引きから逸脱したのだ。むろん、正常でも健康的でもないが、この上なく自然な成り行きだとも思う。
その日は屋敷には、年かさの使用人がいただけだった。
僕たち姉弟用に造られた2階の浴室は、壁の小さな窓から、庭のサウスベリィの老木がよく見えた。
姉さんは激しくシャワーを噴き出させると、浴室の扉をしっかり閉ざし、僕も、僕の声も外に逃れられないようにした。それなりの体格に成長していたといえ、僕は、女性に対する暴力の行使に絶対の嫌悪感を持っていた。親の躾のせいだ。僕は抵抗らしい抵抗もできなかった。人を呼ぼうにも声が出ない。その行為の不可解さや衝撃や恐怖などに加え、親の理想の“強い男子”像が僕をこの異常事態に絡め取っていた。
姉さんはいとも容易く、僕の着衣を剥がした。力任せに剥ぎ取るなどせず、手際はとても、優しかった。記憶の中のことだが、その優しくも略奪的と映る脱衣にはさほど時間を要さなかった。
それはとてもスムーズで、滑らかで。変成岩を磨いた床に流れる温水のように、ジットリと汗をかいた白壁の表面をすべる雫のように、滑らかで優しかった。
夢中の僕には、どこまでが衣服の感覚でどこからが素肌のものかも判別できなかった。ましてや思い出すなど。切れ切れの意識――映像のうちに気がつけば、僕は全裸だった。姉さんの手の、抜き取られた自分の下着から生ぬるい雫が垂れるのを見ては屈辱を覚えた。
少し笑って姉さんは、自分では衣服を脱がないまま近づく。とてもゆっくり。僕が逃げ出せないと承知した上で。
頭上よりの温水に濡れ、衣服が彼女の華奢な身体の造りに忠実に貼り付く。それが素肌とは見えなかったが、半透明となった布地に透けた桃色は、淫靡さのみを求めて創られたまだ見ぬ新素材のようだった。そこに緑に濡れた黒髪が、蕩け、粘液のように被さる。僕の視界では素肌や衣服という物質的な境界はすべて消え失せていた。
ひとつ――すべてがひとつだった。
水、白い壁、石の床、黒い髪、白い洋服、そして女の人の身体――。
ひとつと呼ぶのは固形的すぎる。
姉さんは実存と液状の中間地点にあった。それはすぐ目前にあり、そのあらゆる事象が姉さんであり、つまり僕にとってのすべてが姉さんだった。
「ふふっ……」
水が、笑った。
溶け出した蝋のような肢体からソッと細い腕が伸びる。その手がまるで必然と、僕の頬に触れる。
ヒヤリとした。頬が異常に熱を持っていた。
いっときだけ白い湯気の帷で隔てられていた姉さんの身体が今はもう、体温も感じられるほどに近い。
「――――――――」
何と言ったのか聞き取れなかったが、たぶん僕の名前を呼んだのだろう。その先の行為を思えば残酷な前座だ。“自分”を見失うことを決して許さない。どんな状況であっても、例えどんな悪夢の中にあり、どれほど惨めな姿であろうとも、常に明瞭に感じること。僕が僕のまま在ること。
白昼の浴室の中、実姉の戯れで清純を穢される蒼白く痩せた弱々しい少年は、絶対に、僕なのだ。
人は、目を背けられない現実が現れたとき、何を見るのだろう? 僕は姉さんから目を離せなかった。
ジワリと近づいて彼女は、唇を僕のそれに重ね合わせる。危機感と安心感とのないまぜの内に僕は自然に、姉さんに抱きしめられた。彼女は僕の剥き出しの鎖骨に指を這わせ、ツッ、ツッ、と不規則な律務を楽しむ。やがて指先は肋骨の曲線をなぞり小さな乳首に辿り着く。
「うぁ……」
男性には不要なはずの恥部をひどく悔しく感じた。恥ずかしくて、悔しくて、泣いた。僕のそんな涙をも、姉さんは流れるままにしておいてくれない。頬まで伝ったところで、真っ赤な舌ですべて舐め取る。
僕は、涙の1滴さえ、彼女から逃れられない。
唇を離したその一瞬の姉さんは、美しかった。否定の余地すらなく。記憶する側に残酷なまでに。その美しさを感じて美の綾波に揉まれる僕は、正体なく彼女の中に溺れた。まだ幼く、発展途上の性のうちに、それと判るほど純粋な官能を覚えた。
僕は最後まで否定したかった。いま、自分が“罪”の現場に在ると。しかしそれも、男である自らの身体が虚しくさせる。
「子供のくせに……。本当に狂っちゃった?」
姉さんの指はとうとう、僕の“触れてはいけない部分”を侵す。自分の肉体の変容に初めて気づかされ、恥ずべき肉の突起を握りしめられ、そして――。
「あの子、あなたのことを本当に好きでいてくれるのにね?」
耳元で――囁かれて――。
――僕は終わった。
この日、ここで。この瞬間に。“純粋な時代”が。
*
あとは、とくに書くほどのこともないだろう。
ただただ姉さんがずっと隠し持ってきた肉欲のままに僕を貪り、それに呼応した僕の肉体もまた、初めての女性をどこまでも求めた。互いに求め合い、その痴態を延々と繰り返しただけだ。
ふたつの幼い肉の熱れの狭間に僕が見たものは、やはり、窓の向こうのサウスベリィだ。
強風に嬲られて揺れるその様は、僕には、笑っているように見えた。
罪深くも滑稽な2つの人間を、激しく笑っていた。
*
夕べの食卓に着く。
使用人にも晩に帰宅した両親にも、僕たちの間に何かがあったと悟られなかった自信は、いまでもある。姉さんがいつもより上品にスープを口に運ぶようになっていたが、そこから僕らの激しい情交を察するのは不可能だ。
姉さんは正直に告白していた。まるで気づく気配のない大人たち――父さんに母さん、年かさの使用人ら全員に。隠すことなく。
その首すじ――スプーンを口に運ぶ時もキチンと伸ばした姿勢なので常に襟刳から曝け出される――に幾つも浮いた緋色の斑点を――夢中の雄が桃色の肉を求めて喰らいついた、その柔らかな痕跡を。
ただ僕だけが独り、その緋を証拠に持つ“罪”から逃れる道を探していた。
*
あえて他にも特別だった点を挙げるならば、ただ、その行為は僕にとってあれが初めてだったことくらいか。
ナサニエル・ホーソンという作家に出会うより、少し古い想い出だ。
*
8.
見ていた
*
以降も”行為”は続いた。ばかりか、場所を屋外に移すと快感がより昂る、自分たちの性癖をも知った。
残暑がとくに厳しかったあの日、庭の隅、サウスベリィの木陰で、姉さんは僕に”いつものこと”を施していた。
老木の幹に身を預けて立つ僕は、下半身の着衣をすべて地面まで下ろされ、あの”部分”を姉さんにやや乱暴に握られている。彼女は”それ”を思うまま弄び、やがて侮蔑とも読める涼しげな笑みを浮かべて、最後に、口に頬ばった。
「あ……」
僕を、姉さんの小さな舌が包む。ヌルヌル蠢き茎を撫でては、先端を不規則に刺戟する。
どうしてこの肉の変貌を自在にできないのだろう? 内側から競り上がる熱気に僕は、いつもそのことに悩んだ。理性など持たずに粗暴に幼稚に、姉さんを穢すべく噴き出る白色を自ら目にするたびに。
ふだん姉さんは、口に含んだものをすぐには飲みこまず、僕に吐き出して見せる。だが、その日に限り、その瞬間に口を離し、わざとそれを中空に舞わせた。
粘液は姉さんの顔を犯す。
僕の大好きな黒い髪も、白のワンピースも。笑顔をも。
*
かえでさんが見ていた。
*
どうして彼女が、あのとき僕の家の庭にいたのか。
それを推理できたのはまた暫くののち、この風景が想い出に変わろうとしていた夏。赤く彩られたその画像の中の、姉さんの顔に浮かぶ鋭い刃物にも似た微笑に気づいた、9月の暑い午後だ。
*
頬の上気した僕を、恥知らずにも蒼白い下半身を野外に晒した僕の姿を、かえでさんは、綺麗な丸い瞳にしっかり焼き付けた。
その、彼女の突然の出現に僕は何も言えなかった。そして、正気を取り戻したとき、彼女は既に姿を消していた。
このとき、もしも羞恥などをすべて忘れてかえでさんの後を追っていたら――追いついたとして、事態はより悪化したろうが――僕のその後は大きく変わったかも知れない。もちろん、僕の手に選択権のあった分岐点ではないのだが。
すべての僕は初めから姉さんのものだった。だからあれは“略奪”じゃない。僕は、姉さんが自分を愛していると判っていたのだから。
姉さんが僕を奪ったんじゃない。僕が、姉さんの“愛”を受け容れたのだ。
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以来、かえでさんとは会っていない。彼女は幾度か門の外に気遣わしげな姿を見せもしたが、僕はもう、それには応えられなかった。
そしていつ頃からか、その姿も、あの午後の退屈な時間から消えた。
あの晩夏の庭園、僕は、とても大切なものを喪失した。
*