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最愛の調べ~寡黙な王太子と身代わり花嫁~

森モト

歌姫イザベラ (3)

(今は私の言動でどんな事態を招くかも予測できない。指先ひとつの動きに、慎重にならなくては。……それでもいつか、彼らと仲良くなれるかしら)

「十分でございます。ご配慮ありがたく存じます」

 もう一度頭を下げて、イザベラは護衛の騎士とお付きの侍女に促されるままフェルナードの前を辞した。

 客室を出て、ふたりに連れられて回廊を歩いていく。

 高いアーチ型の天井にはこの国の歴史が宗教画の様相で描かれて、それだけで美術品のようである。格子の窓からはやわらかな光が差し込んでおり、そこから、紅葉し始めた深い森と城下町が見えた。

 イザベラが嫁いだアステート公国は、高台に建つ美しい白亜の城と城下町の赤い屋根のコントラストが美しい国だ。周囲は豊かな自然に囲まれ、おおよそ軍事にけた国とは思えないほど穏やかである。

 一方、イザベラの母国エルゴルは、国土は小さいながらも銅と青銅が採れる国で、どちらかというと城も民衆の家屋も、石壁造りの実用性重視のものが多い。

 王族と銅鉱山の鉱夫たちは普段から密接に話し合いを行い、年間の発掘量を決めたり産業発展の指針をまとめたりする。ほかの国と比較しても王族と民衆の距離が近い。

 そしてたまたま新しく発掘した鉱山で、鉄が採れた。

 そんな中、有頂天になったのはイザベラの父王である。この鉄を材料に、あろうことか長年国交のあった大国アステート公国ではなく、別の国へと商売を持ちかけた。

 国をもっと発展させようという父王の考えはわからなくもないが、いかんせん敵に回した相手が悪かった。

 父王はアステート公国へと連行され、国の鉱山で採れる銅の半分を独占する権利をアステート公国に譲渡することになり、そして自身の解放条件として、イザベラとの政略結婚を提示されたのである。

 政治に疎いイザベラでも、この待遇が破格のものであることがわかる。相手は長年その力を誇示してきた軍事国家だ。

 ちょっと鉄が採れたからといっていい気になって裏切り行為を働いてしまうような小国など、侵略して自国の領地にしてしまえばいい。父王以前の時代から成されてきた交易に免じて、とのことらしいが、どう考えても処罰が甘い。

 先ほどのフェルナードの態度も、正直納得できるものだ。

 なにが悲しくて、自国を裏切るような真似をした男の娘をめとらねばならないのか。

(私のような、歌うしか能のない姫より、もっと有益な縁を結べる姫はたくさんいるだろうに)

 アステートほどの大国なら、国内には有力な貴族も多くあるだろうし、フェルナードほどの容姿端麗な王子なら、それこそ引く手あまただろう。

(今はもう歌うことすらできないのに、それを隠してのうのうと嫁いでくるなんて、私はなんて厚かましいの)

 イザベラの歌を聴いた相手に、婚姻を申し込まれたのは初めてのことではない。他国で歌を披露していた頃は、有力な商家や王族、時たま庶民の男性からもプロポーズされることはあった。

 その時の決まり文句はこうである。

〝イザベラ姫、あなたのその歌声を私だけのものにしたい〟

 ありがたい申し出だが、イザベラは断り続けてきた。

 イザベラの価値はその歌声だけ。

 卑屈だとはわかっているが、まるでそう言われているようで素直に喜べなかったのである。

 アステートの婚姻でも同じようなものだ。イザベラの歌には興味があるが、イザベラそのものには用はないと言われているような気がした。

 フェルナード王子との結婚。どんな相手かもわからない人に嫁ぐことは王族同士の結婚では多くあることだ。そもそも小国育ちのイザベラは、自国のよく知る誰かといつか結婚するのだろうと漠然と考えてきた。それがまさか、こんな大国の、あんな美しい王子に嫁ぐことになるとは。あまりの予想外の展開に、戸惑うことしかできない。

 あの王子に果たして自分が見合うかと言われたら、誰もがノーと答えるだろう。

 それでも、この結婚はもう決まったことなのだ。

(それなら、私はこの国のために、王子のためになにができるのだろう……)

 舞踏会や貴族たちが集まる席で、歌を求められるのは当然だ。

 しかし、その時歌えなかったら、きっとイザベラは笑い者になる。フェルナード王子にもアステート公国にも恥をかかせることになる。

 そしてなにより、歌えない歌姫を差し出したとして、今度こそイザベラの母国は制裁を受けるかもしれない。

 だからといって、『人の目が怖くて歌えません』などと言ってはいられない。人前で歌う機会が訪れる前になんとかしなければと思う。

 この国でのイザベラの評価はひどいものだ。実害を及ぼさなかったとはいえ、この国を裏切った隣国の姫である。王家や国民が、イザベラの一挙手一投足に注目している。

 今、イザベラの前とうしろを歩いている騎士と侍女も例外ではない。彼らはいわば監視役なのだ。

 そんな中で、一番求められている歌が歌えないと知られれば――。

 想像して、イザベラはぞっとした。

 この国に受け入れてもらうには、きっと相当な時間と労力を費やさなくてはならない。

 回廊を歩きながら、イザベラは静かに心の中で悟っていた。


「本日の晩餐は、フェルナード王子もご一緒されるそうでございます。それまでごゆっくりとおくつろぎください」

 ここまでついてくれた侍女と騎士に礼を言うと、イザベラはひとり部屋へと入る。

 普通ならば、自国から従者を数人連れてくるだろうが、あいにくイザベラにそういった者はいない。

 小国ならではというか、お国柄というか、使用人はいるがお手伝いさんという感覚だし、従者は友達、民衆も友達、命令というよりお願い、といった中で生活してきた。

 ドレスの着脱も、水浴びも、部屋の片づけも、全部自分でこなしてきた。時には城の給仕の者たちと一緒にご飯を作ったり、鉱山に出向いて鉱夫たちと歌い合ったりもした。

 イザベラにとって、国は家族だ。城の者たちは従わせるものではなく、同じ国で共に生きる者であり、友人であった。

 人質として政略結婚するイザベラについてきても、その者がつらい思いをするだけである。

 共についていく、と言ってくれた者たちもいたが、彼らに自分のせいで要らぬ苦労などさせたくない。

 だから、誰を伴わせることなく、たったひとりで嫁いできた。

 歌えなくなった歌姫イザベラの、小さな覚悟だった。

 隣国とはいえ故郷から遠く離れたこの大きな国で、イザベラは生きていく。

 そう思うと、少し胸が苦しくなった。

 窓際に置かれたソファへと腰掛けて両開きの窓を開けると、乾いた風に乗って緑と土の匂いが入ってきて、鼻をくすぐる。

 豊かな自然を思わせるそれに、フェルナードの美しい緑の瞳を思い出した。

 芽吹く春の色。美しい生命の色だ。

(あの人はなにを思って、なにを考えて私を妻に迎えるのかしら)

 考えてもわかりそうもない。

 言葉ひとつさえもらえなかった。

 しかし、好意など持ってもらえなくてもいいと思った。

(……エルゴルだけは守るわ)

 目の前には、越えてきたばかりの山脈がその美しい尾根を連ねている。

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