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最愛の調べ~寡黙な王太子と身代わり花嫁~

森モト

歌姫イザベラ (2)

 軍事の天才と名高いフェルナード王子が守るアステートに、イザベラの父は身柄を拘束された。その上で、父王の解放条件として、歌姫として名高いイザベラをフェルナード王子の妻としてアステートに差し出せと提示してきたのである。

 父王がエルゴルに帰ってくるまでの一ヶ月の間、イザベラは突然訪れた人生の岐路に戸惑い、いっそう憂鬱に日々を過ごすこととなった。

(どうして私なのかしら。アステートでは私の歌は不評だったのに、歌姫として求められることにどんな意味があるの?)

 しかも、今のイザベラは歌えない。

 歌姫として求められたところで、おそらくなんの役目も果たせないだろう。

 そもそもアステート公国のフェルナードといえば、若くしてアステートの軍事国家としての基盤を築き上げた才能ある王子だと聞く。そんな優秀な王位継承者の妻として、なぜイザベラを指名してきたのか。

(……裏切り者の姫を妻として迎える意図は?)

 考えても考えても答えは出ない。

 わかっていながら、イザベラはアステートに嫁ぐまでの間、そんなことばかりをぐるぐると考え続けた。


「お初にお目にかかります、エルゴルの第一王女イザベラと申します」

 目の前に座る美しい青年の前で、イザベラはゆっくりとこうべを垂れた。

 この日のためにあつらえたドレスは美しかったが、それに反してイザベラの心は重い。

 エルゴルからアステートまで、全行程一ヶ月と少し。

 山脈を越えてやって来た隣国の空気は冷たかった。

 あのトラウマを生んだ国に、イザベラは再び足を踏み入れていた。

 騎士棟どころか城でも歓迎されていないのかと、あの日の苦い思いがよみがえり、憂鬱になっていく。

 さらに、出立の際の父王の取り乱しぶりも尾を引いていた。

 小さいながらも一国の主が涙と鼻水を流して別れを惜しむのである。冷たく送り出されるよりはよほどいいが、あの調子だと数日は執務や事業が滞るかもしれない。苦労するのは弟たちと周りだ。

 祖国を支えてくれる皆の苦労を思うと、イザベラはますます心が重くなる。

 そもそも泣いて後悔するくらいなら、余計な欲をかくなと言ってやりたい。

 ちなみに弟たちは、姉のイザベラが嫁ぐことで大国と貿易以上に太いパイプができたと喜んでいた。薄情なものである。


「山脈を越えるのは大変だったでしょう。今日はゆっくりとお休みになってください。アステートはあなたを歓迎いたします」

 イザベラが頭の中で父王をサンドバッグにしていると、正面に座る美しい青年ではなく、そのうしろに立つ若い従者が口を開いた。

 イザベラが嫁いだ男――王太子・フェルナードは、ひと言も発することなく、ただイザベラを見つめている。

 イザベラの夫となる人は、それはそれは美しい人だった。

 歌をたしなんできたイザベラは、それこそうるわしい吟遊詩人や踊り子とも何度か会うこともあったが、彼ほど美しい人は見たことがない。

 陽光を反射させる黒髪は少しうねり、その白磁の肌をやわらかく縁取っている。

 瞳は美しい緑だ。例えるなら、春に芽吹く新緑の色。アーモンド型の目が愛らしい印象を与えそうなものだが、きゅっと閉じられた唇は薄く、それが逆に顔全体を引きしめている。鼻は高すぎず低すぎず、少しだけそばかすが散ったイザベラの鼻とは異なり、しみひとつない。

 容姿はとても優雅なのに、着ている服は詰襟の軍服だ。黒に近い深緑に、金色のしゅうでアステート公国に伝わるつたの紋様が成されている。ともすれば禁欲的なそれが、フェルナードにはとても似合っていた。

(……美しいのに表情がないから、まるで人形の顔みたいだわ。なにを考えているのかまったくわからない)

 心が読み取れない人が一番怖い、とイザベラは未来の夫を見ながらぼんやりと考えた。

 そして、二年前のあの出来事が頭をよぎる。

 彼に見覚えがあった。見覚えどころか、記憶に焼きついている。

 一度見たら忘れられないほどの美しさ。この美しさを、イザベラは知っていた。

(なんという運命のいたずら)

 神様は無慈悲である。

 イザベラが失望させてしまっただろう男の妻になる日がこようとは――。


 今イザベラがいるのは、おそらく客室である。それもかなり上等な部屋だ。貴族たちに用意されるようなものではなく、王族がひんきゃくを迎えるためにつくられた部屋である。

 内装は白で統一され、ところどころ金色のアクセントが入る壁紙の品がいいこと。天井には薄緑で蔦の紋様が踊るように描かれ、置かれた家具はどれも一級品だとわかる。

 その部屋の主であるフェルナードは、大きな窓を背に腰掛けていた。

「このたびは、我が父の帰国を許していただきありがとうございました」

 引き換えにイザベラがこの国へと嫁いだわけだが、非があるのはもちろんエルゴルである。なにをおいても、まずは感謝の気持ちを伝えなければと、イザベラは深く頭を下げて謝辞を示した。

 イザベラの輿入れを条件に父王が解放されるというものだったが、父王が自国に帰った後も、イザベラはしばらくエルゴルにとどまることを許され、アステートに向け出立するまで猶予をもらえた。おかげで嫁ぐ準備は父王の采配で滞りなく行えたし、涙と鼻水をドレスにつけられたとはいえ、父王を含む家族との別れもきちんと済ますことができた。

 長きにわたって親交があったとはいえ、裏切りを働いたエルゴルに対して大変寛大な処置といえる。

 そんなイザベラの思いを知ってか知らずか、フェルナードはとくになにを言うでもなくうなずいただけだった。

(話してはくださらない……。ひと言でも話してくだされば、彼がどう思っているか少しはわかるのに)

 イザベラは、人の声で嘘を見抜くことができる。昔から〝声〟に対して敏感で、成長するにつれ、声の微妙な変化で相手が嘘をついているかどうかがわかるようになったのだった。

 アステートに着いたら、彼にこの結婚についてどう思っているのか聞いてみようと思っていたのだが、そもそも口もきいてもらえないのでは話にならない。

 どんな事情があろうと、一応は婚姻が決められた王族同士の顔合わせに変わりはない。小国の王女相手とはいえ、己に嫁いできた相手にひと言もないのは失礼にあたるのではないかと、イザベラは少し不満に思った。

(裏切った国の女とは話す価値もないということかしら。それとも、二年前のあの日、役に立たなかった私など、相手にする気も起きない?)

 もしそう思われていたら、この結婚生活は悲劇的だな、とイザベラがぼんやり考えていると、フェルナードではなく従者が口を開いた。

 男性にしては少し高く、神経質そうな声をしている。

「なにか必要なものがあれば、すぐにそろえさせましょう」

 なにも語らない主からイザベラの意識を逸らすような言葉だ。

 そうと気づいていても、イザベラはこの意心地の悪さを和らげたくてその言葉に飛びつきそうになった。とはいえ、この冷たい空気の中で要望を口にする勇気はない。

 欲しいものはあるが、もう少し彼らと仲良くなれてから申し出ることにしようと決めた。そして、親しくなるための努力を惜しむまいとも思った。

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