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冷徹ドクター 秘密の独占愛

未華 空央

冷徹ドクター 秘密の独占愛 / 路頭に迷いました (1)




冷徹ドクター 秘密の独占愛


路頭に迷いました


 院長が、亡くなった。

 一昨日の朝のことだ。


 朝、八時半。

 いつものように『つかいん』に出勤し、従業員出入り口のドアノブをひねると鍵がかかっていた。

 院長の住まいの一階に診療室が併設されているうちの医院では、毎朝、院長の奥さんが私たち従業員が入れるようにと、従業員口を解錠してくれている。

 だけど、この日は従業員口が閉まっていて、こんなこと今までなかったのに珍しいな、と思いながら院長宅の玄関へ回った。

 ところが玄関のインターフォンを押しても応答がない。

 おかしい……。そう思っているうちに、助手のしのさんも出勤して来た。

 ふたりして玄関前で待ちながら、院長宅の電話を鳴らしてみたが出る気配がなく、院長夫人の携帯にも連絡を入れてみる。けれど、いずれも繋がることはなかった。

「なんだかおかしくない?」と話していると、いよいよ九時から予約の患者さんが来院。玄関前に私服で立つ私たちを見つけると、どうしたのかと尋ねてきた。

 と、そのとき、手に握っていたスマホが震え出し、見ると、液晶画面には院長夫人の番号が表示されていた。

 やっと連絡がついた……。そうあんして出た電話から聞こえてきたのは、思いもよらぬ奥さんのすすり泣く声だった。

 ひと言目に「ごめんね」と言われ、ただならぬ雰囲気に総毛立つ。

「院長……今朝……亡くなったの」

 なにを言われているのかよくわからなかった。

 昨日の診療終了後、「お疲れさん」と診療室を出ていったにこやかな院長の顔を思い出した。


 きゅうせいしんきんこうそくだったらしい。

 朝、いつものように起こしに行くと、すでに息を引き取っていたと、あとから奥さんは話してくれた。

 院長の年齢は七十歳近く。もともと、院長がこうけつあつしょうとう尿にょうびょうを患っていたのは知っていた。ふくよかなこと、お酒が好きで毎夜晩酌をしていたことが祟ったのかもしれない。

 人との死別というのは、こんなに呆気なく訪れてしまうものなのか。

 両親や祖父母が健在である私は、身近な人の死に直面した経験がなかった。院長の死は、私の中で大きな出来事となっていた。

「次……もう考えてる?」

 ちょうもんきゃくが途絶えた通夜の受付で、篠田さんが小声で尋ねてきた。

 私たちの勤める塚田歯科医院の従業員は私と篠田さんのふたりだけ。

 ドクターは院長ひとりで、一時間にひとり、多くてもふたりを診るペースで予約を取っていたから、歯科医院の中でも小さなほうだったと言える。

 年配の患者さんが多く、治療よりも院長とのトークが時間を占めているような、そんなアットホームな診療スタイルの医院だった。

 今日は多くの弔問客の対応に追われる奥さんに代わり、私たちが受付に立っている。

「いや、まだぜんぜん。篠田さんは?」

「うん、ちょっと求人見始めてる」

 今日奥さんに会うと、今後のことについて話があった。

 院長が亡くなったことで、うちの医院は必然的に廃業することになる。院長夫婦には後を継ぐ子供たちがおらず、奥さんは他からドクターを雇ってまで病院を存続させるつもりはないと言う。

 そこで問題になるのが、従業員である私たちの存在。病院を閉めるとなると、いきなり職場を失うことになる。

 奥さんはこんなときにもかかわらず、申し訳なさそうに言った。

 次の職場を探してほしい、と。

「うちみたいなさ、緩ーくやってるとこがいいんだけど、なかなかそういうとこって居心地いいからスタッフが辞めないじゃない? だから求人が出ないんだよね」

 黒髪のショートボブを耳にかけ直し、篠田さんは溜め息まじりに言う。

「でも、篠田さんならどこでもやってけそうだけどな」

 篠田さんは私の三つ歳上の三十歳。

 私が今の医院に勤めて七年近くになるから、篠田さんはすでに十年目が間近に迫っていたところだ。仕事をテキパキとこなすし、はっきりとした受け答えをするから、年配の患者さんにも好印象を持たれている。

 そんな彼女だから、バリバリ診療をしている歯科医院でも十分やっていけると思うんだけど……。

「このタイミングで嫁にでも行ければいいんだけどねぇ……それも無理そうだし」

 今度はあからさまに「ハァー」と溜め息をついた。

ちゃんこそ、衛生士さんなんだから選び放題でしょ? いいよな~、資格持ちは」

 私、あさ千紗は歯科衛生士だ。

 普通科の高校を卒業して、歯科衛生士の専門学校へと進学したが、実は進路を考え始めるまで、〝歯科衛生士〟という職業がなんなのかよく知らなかった。

 ざっくりと、国家資格を持つ歯医者の看護師さん?くらいの知識だった。

 これからの時代は手に職をつけた方がいい、結婚してからもまた働きやすいから。

 そう母親に勧められ、就職にも困らなそうだしと決めたのだった。

 学生時代は医学系の講義をはじめ、臨床実習に追われる毎日を過ごした。

 開業医はもちろん、きょうせい専門の歯科医院、大学病院での実習にも行っていた。

 国家資格を持つ衛生士の業務内容は、ドクターについてのしんりょうじょから歯磨き指導までと幅広い。

 でも、衛生士も就職先によって生きるか死ぬかだと私は思っている。

 大学病院や最先端の診療をバリバリ行っている開業医の医院に勤めれば、知識や技術は否が応でもついてくる。だけど、私みたいにおじいちゃん院長がひとりで切り盛りしているような医院に勤めると、簡単な補助や雑務が主な業務となる。

 ハイレベルなオペのアシストをすることもなければ、自分で治療計画を立てて経過をみるしゅうりょうに携わることもない訳で。

 まぁそれも、自分が好んで決めた職場な訳で、とくに不満はない。

 居心地が良くて長年勤めてきたのがなによりの証拠だ。

 とにかく路頭に迷う訳にはいかないし、次、早いとこ決めないとな……。

「このたびは、お悔やみ申し上げます」

「お忙しい中、ありがとうございます」

 篠田さんの挨拶であっ、と自分の世界から舞い戻る。

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