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御曹司と婚前同居、はじめます

花木きな

許婚は御曹司 (2)

 その範囲は瑛真の言う通り、かなり狭い。たぶん、自身の顔も触れないと思う。

「パソコンなどのデスクワークはこなせる」

 そのために腕は吊らないでいるということなのだろう。けれど、いくら固定しているといっても、それでは負担が大きすぎる。

「治るのに時間がかかるよ?」

「ああ。でも、仕方ない」

 少しも困惑した表情を見せないあたり、こうすることが当たり前で、他に選択肢などないと考えているのだろう。

 さすが、背負うものが大きい人は違う。仕事を休もうとか考えもしないんだろうな。

「怪我に関しては分かった。あ、お父さん。脱臼は骨折じゃないからね?」

 お父さんは呆れた顔で「そうだな」と笑った。

 どうせ、そんな細かいことなんか言わなくてもいいって思っているんだろう。だけどそこはきちんとしておかないとスッキリしない。

「困っているっていうのは本当なんだろうね。だけど、家のことはハウスキーパーを雇えばいいし、身の回りのことに関しては彼に頼めばいいんじゃない?」

 財力があるならそのあたりはどうにでもなると思う。

 私にあごでしゃくられたお付きの男性は、複雑そうな表情を浮かべた。

「というか、ひとり暮らしなの?」

「家を出て、今は所有しているマンションにひとりで暮らしている。家政婦も雇っていない。この男は秘書兼運転手だが、所帯持ちなのでそこまで頼めない」

 さらりと言われた、所有しているマンションという部分に突っ込みたい気持ちを抑えて言う。

「それなら、おばさまに来てもらえば?」

「母は、家のことがなにもできない父の世話で手いっぱいだ」

 つけ入る隙を与えない言い方をされて、それ以上なにも言えなくなってしまった。

 困ったなぁ。

 瑛真は譲る気はさらさらないみたいだけど、私だって無理なものは無理なんだよ。

「私じゃなくてもいいんじゃない? お給料を出せば、いくらでも人材は確保できると思うんだけど」

「赤の他人に世話をされるのは苦痛だ」

「私も赤の他人だよ?」

「美和は俺の婚約者だろう? いずれは家族になる人間なのだから、他人ではないだろう」

 瑛真は穏やかに微笑んだ。

 ……は?

「婚約者って?」

 意外。瑛真ってこんな顔して冗談を言うんだ。

「俺たちはいいなづけだろう?」

 瑛真は冗談なのか本気なのか、分からなくなるようなことを言い出す。

「本来なら俺たちはもうとっくの昔に結婚していたはずなんだ。美和が十八歳になった時にもらおうと思っていたのに、おじさんが少し待ってほしいと言ってきてね」

 なにを言っているの? 今どき十八歳で結婚する女が世の中にどれほどいると?

 しかも私が十八歳なら瑛真は二十二歳だ。望めば欲しいもの全て手に入る人間が、なんの因果があってそんなにも若くして結婚をしなければならないのか。

 ……やっぱり冗談なんだよね?

 その考えは続くお父さんの言葉であっなく崩された。

「待たせて悪かったね。瀬織家に嫁ぐには、あまりにもどうぞのの名がすたれてしまっていたから……」

「だからそんなことは気にしないと何度も言っているのに――でも、よくここまで立て直しましたね。正直もう無理だと思っていましたよ」

 堂園家は創業から百年以上に渡り、化学製品の製造を続けているが、私が物心ついた頃にはすでに倒産の危機に陥っていた。それがここ数年の間でお父さんは誰もが驚くほどに業績を上げ、再び堂園化成を一流企業へと押し上げたのだ。

「いやあ、これも瀬織家に助けていただいたおかげですよ。本当に感謝しています」

 お父さんは深々と頭を下げた。

「やめてくださいよ。堂園家は親族同然なんですから」

 なによそれ。

「ようは、政略結婚ってこと?」

 ひとり娘を売ってまで、倒産寸前だった堂園化成を立て直したかったの?

 胸がチクリと針で刺されたように痛んだ。

「なにを言っているんだ」

 お父さんは心底驚いた様子で目を丸くする。

「美和、もしかしてなにも聞かされていない?」

 瑛真は眉を下げ、困惑した声を出した。

 傷ついたような顔をされる理由がまったく分からない。

 まだ手つかずだったコーヒーカップを持ち上げ、乾いた口の中に流し込んだ。

 そんな私を静かに見つめていたお父さんは、一度深い息を吐いてから口を開く。

「てっきりじいさんから話がいっていると思っていた。いや、もしかしたら話したけど、美和は小さかったから覚えていなかったのかもしれないな。じいさんが生前、瀬織の会長と親しい仲だったのは知っているだろう?」

 お父さんに頷き返す。

「彼らは互いの子供同士を結婚させるのが夢だったんだ。だけど瀬織家には男ふたり、堂園家には父さんひとりの、見事に男しか生まれなかった」

 私と瑛真が幼馴染であるように、お父さんと瀬織のおじさまも幼馴染でとても仲がいい。つい先日も一緒にミシュランガイドに掲載されているレストランへ食事に出掛けたと聞いている。

 もしかして、そこで今回の件について話し合われたんじゃ……。

「夢は孫の代まで引き継がれ、美和と瑛真くんの結婚は、美和が生まれた時点で決められていたことなんだよ」

 やっと話が繋がった。

「あまりにも身勝手なお話ね」

 それに、二十七歳になるまで本人に知らせていないのもどうかしている。

「私が、他に結婚したい人がいると言ったら、どうするつもりだったの?」

「いるのか? 俺以外に結婚したい奴が」

 瑛真が低い声を出して話に割り込んできた。

 見れば、眉間にしわを寄せて不愉快さをあらわにしている。

 ちょっと……なんで怒ってるのよ。

「もちろん、その時は反対するつもりだったよ。瑛真くんを超える人間なんてそういないしね」

 当たり前のように言うお父さんに苛立ちが募る。

 信じられない。自分はお母さんと恋愛結婚したくせに、私には自由を与えないなんて。

「美和、俺の質問に答えてくれ」

 瑛真は瞬きすらせずに強い眼差しを送ってくる。

 だから目が怖いんだってば!

「……今はいないけど」

 私の言葉を聞いた途端、瑛真は表情を柔らかくした。

 この人、本気で私と結婚するつもり? 正気?

「そうだよな。以前付き合っていた男とは三カ月前に別れているはずだ。その後は特に目立った交友関係もないし、俺以外にいるはずがないよな」

「――なんで」

 目を見開きすぎて瞳が乾いてしまった。

 意識的に瞬きを数回繰り返し、恐る恐る瑛真へ視線を戻す。

 変わらず穏やかな微笑みをたたえている瑛真に、背筋がゾクッとした。

「もしかして、調べたの?」

「会えない間、美和のことが気がかりで仕方なかったんだ」

 さっきとは違う意味で怖いと思った。

 指先が微かに震える。

 別に調べられて困るようなことはひとつもない。でも、こんなにも不愉快な気分にさせられたのはいつぶりだろう。

 膝の上で両手を握りしめ、ごくりと唾を一度飲み込んでから口を開いた。

「そんなことまでしなくちゃいけないような相手なら、結婚しない方がいいんじゃないの?」

「その逆だろう。好きでたまらないからこそ、変な虫がつかないように気にかけていたまでだ」

 瑛真は被せ気味に言った。

「……は?」

「俺も遊びのひとつやふたつは経験している。なにも美和に嫁入りまで処女を守れなんて古くさいことは言わない。もちろん初めての相手は俺がよかったが……」

 とんでもないことをお父さんの前で言わないでよ!

 苦笑いを浮かべているお父さんの横で、私は身の置き場がなくなって小さく縮こまった。

 瑛真は私たちに構わず続ける。

「遊びと本気は区別してもらわないと困るからな。おじさんが言ったように、美和がとち狂って俺以外の奴と結婚しないよう、見守らせてもらっていただけだ」

 それのなにが悪い、と言葉が続きそうな表情で、至極当然に言われて呆気に取られてしまった。

 言っていることがあまりにもおかしい。それなのに本人は真剣だというところに問題がある。それに、そもそも私に固執する理由が分からない。

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