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極甘同居~クールな御曹司に独占されました~

白石さよ

無念の再会 (1)


無念の再会


もりした! 組成変化のデータは?」

「取りました! 今、解析中です」

「できたら第二技術部に回してくれ。今日中に」

「はい」

 画面に顔がめり込むほどデータ分析に集中していた私は、慌ただしく指示を飛ばす部長の靴音が部屋を出て行くと、画面の陰でこっそり疲れた目をこすった。

「今日中とか至急ばっかり……」

 時刻は午後三時。今日やる予定にしていた仕事にもまだ取りかかれていない。これが終わればお昼を食べようと思っていたのに、食べそびれてしまったせいで、頭も身体も力が入らなくなってきた。

「少しだけ、エネルギー補給しよう」

 デスクの下のバッグからお財布を取り、廊下の自販機コーナーで栄養ドリンクを買うと、私は廊下の窓から薄曇りの空を見上げた。

 液晶ディスプレイメーカー国内最大手。私はその生産拠点の一つである第二東京事業所の生産技術部に所属している。

 液晶ディスプレイ業界は海外メーカーとの競争が激しく、ジャパンパワーを結集する形で国内の様々な企業が合併や提携を繰り返しながら生き残りをかける、熾烈な世界だ。

 うちの社も数年前に吸収合併をしたばかりで、その影響で余剰人員のカットやコスト削減などを余儀なくされ、最近ようやく経営が安定してきた状況だ。

 この会社を志望した動機──というより理系を目指すきっかけになったのは、中学生だった頃、画期的な新技術の開発に成功した若い研究者の華々しい姿をニュースで見たことだった。

 地道に頑張れば、私でもいつか困っている人を救えるような、世の中を変える貢献ができるかもしれない。

 そんな大きな夢を抱いて理系の道に進むことを決めた。

 あれから十年余り。当時の夢と今の現実はかなり違う。

 ノーベル賞ものの世紀の発見ではなく、液晶パネル製造ラインの不具合の原因について、ひたすら地味に検証を繰り返す日々だ。

 入社のきっかけも、自分の意志というより大学のゼミの教授推薦だった。理系学生の就職は、だいたいが教授の采配で決まる。

 でも入社してもうすぐ五年を迎える今、私はこの仕事が好きだと胸を張って言える。

 華々しくもないし、その存在すらほとんど意識されない部門ではあるけれど、液晶ディスプレイメーカーにとって、業績を左右するのは私たちが担う量産技術だ。私はその誇りを持って仕事をしている。

 そう、誇りを持ってはいるのだけど……。

 私は溜息をついて自分の服装を見下ろした。

 着ているのはお洒落なスーツではなく、憧れの白衣でもなく、泥臭さが漂う会社のロゴ入りのベージュ色の作業服だ。技術職社員は、事業所内では作業服を着用することが義務付けられている。

 それだけならまだいい。

 私が毎日防塵服を着て立ち入るのは液晶パネルが実際に製造されている区域で、ほんの少しでもチリやホコリを持ち込むと重大な製品不良の原因になってしまう。清浄度はクラス一〇〇と呼ばれる最高レベルで、当然ながらメイクは一切禁止だ。

 かといって、クリーンルームに出入りするたびに顔を洗ったりメイクしたりする訳にもいかない。

 私の職場は男性ばかりで、同じ悩みを語れる女性の同僚はいない。眉がとても薄い私は、最初は職場の男性陣に〝まろ〟と呼ばれてからかわれるなど、恥ずかしくて仕方なかったけれど、最近は一向に平気になってしまった。今では周囲も慣れて、ふざけた名前で私を呼ぶ人はいない。新人女子ではなくなり、年齢的にもからかわれる対象から外れたということでもある。

 二十七歳、彼氏なし。毎日スッピンで作業服。これって女としてどうなのだろう?

 幸か不幸か、職場に若い独身男性は少なく、恋の可能性はない。スッピンでも気にする必要がないといえばそうかもしれないけれど、こんな職場に幽閉されていたのでは枯れていくばかりだ。

 さらには、ほぼ毎日深夜まで残業しているせいで、友人は誰も私に合コンの誘いをかけてくれなくなった。大抵都合がつかないか、それ以前に連絡すら取れないこともあるからだ。

 私、結婚できないかも。……いや。〝かも〟じゃなくて、このままでは絶対にできない。

 三十歳の大台が見えてきた年齢の女にとって、これは切実な問題だ。

 そこでふと〝結婚〟というワードから先日蕎麦屋で遭遇した御曹司のことを思い出して、ポケットからスマホを取り出した。有香によれば、今月の会社HPに彼の紹介記事が載っているという。

 それは部門紹介のコーナーで、すぐに見つかった。

 経営企画室長 高梨のりひと、三十歳。名前からしてセレブ臭を感じるのは私のひがみだろうか。

 紺色のスーツに水色のシャツ、濃紺のネクタイ姿で微笑む彼は洗練されていて、まさにサラブレッドの雰囲気だ。

 エスカレーター式ではなく国立の超有名大学卒ということは、確かに頭はいいらしい。それに加え、留学までしているようだ。

 何かケチをつけてやろうと思って読み始めたはずなのに、いつのまにか実物はこれよりもっと格好よかったなと顔写真を見つめている自分に気づき、可笑しくなった。

 こんなの、別世界の人だ。テレビ画面の芸能人と変わらない。

 高梨室長のページを閉じてからHPを適当にタップしていた私は、閉じようとした手をふと止めた。研究部門のホープの紹介記事だ。

 それはがわさんという若手の女性社員で、現在はアメリカの研究所に派遣されているという。ノーベル科学賞受賞者を輩出したこともある名門の研究所だ。

 記事に添えてある小さな写真には、数人の外国人の仲間とともに若い日本人女性が笑顔で収まっていた。顔を見ようと画面を拡大したけれど、画像が粗くてよく見えない。でも、とても綺麗な人のようだった。

「すごいなぁ……」

 リケジョのてっぺんと底辺。思わず小さく呟いた。

 この若さで、頂点の天才たちと肩を並べて活躍しているなんて。しかも優れた容姿まで授かっているなんて、神様は不公平だ。

 私がいる技術部門と彼女がいる研究部門は似ているようで、その位置づけは大きく異なる。会社の売上を支えるのが技術、それとはまったく別に、潤沢な予算を与えられて最先端のテクノロジーを追究するのが研究部門だ。極端に言えば、稼ぐ部門と使う部門、という例えになるだろうか。なのに給与体系はあちらの方が評価が高いのだから、働きアリには何とも切ない現実だ。

 会社の上層部は業界紙や科学誌掲載などで対外的に派手にアピールできる研究部門がお気に入りで、社長が激励訪問したという記事を社内報で頻繁に目にする。かたや、この第二東京事業所に社長が視察に来たのは、私の記憶ではこの五年で一度きりだ。

 でも、他人は他人。画面を閉じると栄養ドリンクを飲み干して気合を入れた。

「よし、頑張ろう!」

 大事な仕事は山ほどある。解析結果を第二技術部に届けたあとは、防塵服を着て製造ラインに入り、液晶パネルの耐久性を検証するため負荷をかける信頼性実験のデータを計測することになっている。王子たちと自分を比べている暇なんかないのだ。

「こら森下! サボっとらんではよ戻れよー」

 廊下を通りかかったよこやま課長が、丸めた書類で後ろから私の頭をパコンと叩いていった。

 横山課長は直属の上司で、コテコテの関西弁でいつも私に小言を飛ばしてくる。私を「まろ」と命名した張本人だ。そういう本人だって髪はボサボサだしヒゲを剃り忘れてくるし、貴重な独身組だというのに、むさ苦しいことこの上ない。周囲がこんなのばかりだから、私の女磨きにも精が出ないのだ。

「サボってません! お昼を食べ損ねたからエネルギー補給です」

 答えた時には、廊下に横山課長の姿はもうなかった。お昼抜きで働く部下のことなんか、まるで心配していない。

「人使い荒いよ、もう」

 文句を言いつつ、先ほどの女性の記事を思い起こし、雲の上の存在相手に「負けないぞ」と一方的なライバル心を燃やして職場に戻った。


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