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極甘同居~クールな御曹司に独占されました~

白石さよ

悪夢は庶民の蕎麦屋から (2)

 それにしても、私が喋っている間中、カウンターの下で有香が脛を蹴ってくるのはなぜだろう?

 有香は無言で、顔を背けるように私とは反対側を向いている。

「まあとにかく、イケメンで御曹司なんていう条件が揃ってるなら、女遊びが激しくて金遣いが荒いろくでなしの可能性大よね」

 先ほどより大きな一発を脛に食らい、ついに私は有香に抗議した。

「さっきから何で蹴るの?」

 その時、右側からあのなめらかな声がかけられた。

「お話中にすみません」

 有香に抗議するのをやめ、振り向いた私は、不覚にも彼の容貌に見とれてしまった。

 会計を終えた彼はもう帰るところらしく、すでに立ち上がっている。身長は百八十センチをゆうに超えているだろう。座って見上げている私の首が痛くなるほどすらりと背が高い。意志を感じさせる上品で端正な顔立ちは、微笑むと柔和に変化した。涼やかで知的な切れ長の目。さらりと額に落ちる漆黒の髪。まさに王子そのものだった。

 ただ茫然と彼を見上げる私に、その男性は小さな紙きれを差し出した。

「サービス券をもらったんですが、よかったらお使いになりますか? 僕は滅多に来られないので、失礼でなければ」

 彼が手にしている券には〝海老天一本無料〟と大きな字で書いてある。

 極上イケメンを前に、私は手を出していいものか、一瞬ためらった。

 でも、浅ましいと思われるのではないかとか、恥ずかしいなどと気にしてはいけない。せっかくの厚意なのだから。

「あの、ありがとうございます」

 私が頭を下げてお礼を言い、券を受け取ると、彼は「どういたしまして」と爽やかに微笑んで出口へと去っていった。

「親切な人よね! 海老天無料券だって。こんなのもらえるなんて、よっぽどの上客よね」

 前言撤回。イケメンにも、たまにはいい人がいるものだ。

 突如降ってきた幸運にホクホクしながら喋り続ける。

「でも私、そんなに露骨に見てたつもりはなかったんだけど、私たちの会話が聞こえてたのかなぁ……。あれっ、有香?」

 なぜか有香は隣でカウンターに突っ伏している。

「どうしたの?」

「どうしたのじゃないわよ、柚希!」

 突如、有香がすごい剣幕で起き上がって叫んだので、私も飛び上がった。

「あの人、王子よ!」

「うん。確かに王子っぽい人だったね。なかなかのイケメンさん」

 アンチイケメンを自称しながら見とれてしまった決まりの悪さで、若干控えめな評価で余裕を見せようとした私は、有香の次の言葉を聞いて真顔になった。

「そうじゃなくて! さっきの人が王子本人なの!」

「……本人?」

 本人って、まさか……。

「高梨室長よ! もう、どうしてくれるのよ柚希!」

 有香は泣かんばかりの勢いだ。

「う、嘘でしょ? 何でそんなセレブがこんな……」

〝場末の店にいるのよ〟と言いかけ、店に失礼だと気づいてすんでの所で飲み込んだ。

「嘘じゃないっ」

 またカウンターに突っ伏した有香の隣で、私は必死にこれまでの会話を振り返った。

『実力かどうかはわからない』

『女遊びが激しくて金遣いが荒いろくでなし』

 思い出すほどに血の気が引いていく。その他にも言ったかもしれないけれど、逃避本能なのか、私の脳がそれ以上思い出すことを拒否した。

「大丈夫よ、有香」

 とりあえず声に出して言ってみる。だって今さらジタバタしたところで、仕方がないではないか。

「どこが大丈夫なのよ?」

「うちは大企業でしょ。あれだけの会話で個人を特定するのは無理よ」

「でも名前言っちゃったじゃない。有香とか柚希とか」

「下の名前だけだし、有香も柚希もまあよくある名前……でもないか……」

 特に私が。我ながらロジックが苦しい。

「それに有香は顔を見られてないでしょ? だから大丈夫」

「じゃあ柚希は? まともに顔を見られたじゃないの」

「私も大丈夫」

 情けないけれど、ここだけは自信満々で胸を叩いた。

「私、今日はバッチリメイクしてきたし! 人事データの写真は普段と同じノーメイクだから、同一人物とは特定できないわよ」

 そう。品川本社に来る日は私のささやかな〝晴れ〟なのだ。

 技術部門にいる私の仕事は特殊で、ほぼ毎日、実験データの解析のためにクリーンルームに入る。そこはチリやホコリが厳禁なので、頭から足の先まですっぽりと覆う白い防塵服とマスクを着用する。マスクをしていても、メイクは禁止。せいぜいこっそりリップクリームを塗るぐらいしかできない。学生時代に思い描き、憧れたようなオフィスガール像とはほど遠い状態なのだ。

 だからこうして品川に来る時は、メイクやお洒落が叶うのが嬉しかった。普段は後ろで一つにまとめているセミロングの髪も、今日は下ろして緩く巻いてみた。

 でも、田舎出身で、大学に入るまでお洒落をしたことがなかったせいだろうか。美人でセンス抜群の有香と違い、私は今一つ自信が持てない。元々の容姿が平凡なうえに、毎日ノーメイクで引きこもる仕事ばかりしていたのでは、女子力が上がるはずもない。そして、刺激になるような男性との出会いもない。二十七歳を迎えた私には、目下それが悩みだ。

 それでも今日の私は普段とは別人のはずだ。そう自分に言い聞かせる私の横で、有香はまだ嘆いている。

「もうやだぁ……。当分、生きた心地しないよ。玉の輿に乗る可能性ゼロになっちゃったじゃない」

「玉の輿って……有香、彼氏いるでしょ」

 有香はイケメンの不興を買ったことがショックでたまらないらしい。彼はどこかの令嬢と政略結婚するのだから、有香の玉の輿の可能性は元々ゼロだろうという指摘は我慢した。

 その指摘は同時に、私の胸にまるで小さな火傷のようなチリっとした痛みを感じさせた。手の届かない世界への嫉妬だろうか。

 認めたくない感情を振り切るように、私は明るく声を上げた。

「大丈夫、大丈夫」

 あまり根拠のない〝大丈夫〟で有香を慰めながら、私は握り締めていたサービス券を開いた。

 裏に携帯番号が……なんて、この状況でお花畑なことを一瞬でも考えた自分に呆れ返る。イケメン嫌いの私としたことが、何という体たらくだ。

 その反動なのか、逆恨み的に腹が立ってきた。

 これをくれたのは決して親切ではなく、こうして私たちを恐怖に陥れるためにわざと声をかけてきたに違いない。私はあの紳士な風貌と態度に騙されたりしないんだから。

 そんな風に兜の緒を締めつつも、貧乏性の私は丁寧にサービス券を畳み、お財布を取り出して大切にしまい込んだ。

 それはそれ、これはこれ。サービス券に罪はない。次回、ありがたく使わせていただこう。

「雲の上の人でしょ? 接点ないんだから大丈夫よ、有香」

 会社の頂点と底辺。

 華やかなイケメン御曹司と地味なリケジョ。

 住む世界が違う彼と私が再会することは絶対にありえない。……はずだった。

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