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陰陽師と天狗眼 ―巴市役所もののけトラブル係―

歌峰由子

1 引っ越しにトラブルは付きもの (3)

 十数軒の家があるこの集落に、現在住んでいるのは怜路だけだという。他の家は既に誰も帰る者のいない空家であったり、普段は家主不在で休日にのみ田畑を耕しに帰ってくる家だったりするようだ。いわゆる限界集落というやつだが、「自分のような身なりや職業の人間には住みやすい」と怜路は笑っていた。

 業者委託なり休日農業なりで稲作をしている家は多いようで、田植えに向けて耕された水田の様子は、ほぼ無人の集落とは思えない。人の気配はないのに荒廃もしていない、不思議な雰囲気の場所だった。

 その、静かな集落の奥まった高台にある、一際大きな屋敷に美郷は案内された。なんでも元はこの集落の庄屋屋敷だそうで、総二階の母屋はいりづくりで、目にも鮮やかな赤土色の石州瓦が葺かれている。母屋の他にも納屋や二つの土蔵、美郷が下宿を決めた離れなど多くの別棟が敷地に配された、大きな邸宅だ。

 灯りも点けずに下宿する和室の内障子を開け、寝巻姿の美郷は離れの南側に造られた中庭を眺めていた。全面一枚ガラスの掃き出し窓なので、今は荒れ果てて闇に沈む、元々は趣深いであろう中庭が座ったまま見渡せる。時刻は午後九時をすこし回ったところ、やる事は済ませたがまだ少々寝るには早い、といった頃合いだ。

 街の明かりも街路灯の光も届かない山奥の屋敷は、半端に腹を太らせたおぼろづきの光に抱かれている。聞こえる物音も遠い小川のせせらぎと、ようやく起き出して来た蛙の僅かな声だけだ。まさか手に入るとは思っても見なかった、闇と静寂の満ちた空間に美郷は目を細める。人の気配の遠さが心地良い。

「変わった人……というか、奇特な人というか……まあやっぱ変わり者だよな」

 実は大家の狩野怜路も、昨年東京から巴市に引っ越してきたばかりだという。彼は拝み屋として依頼を受ける傍ら、市内の居酒屋でアルバイトをしていた。幸いにして詐欺の類ではなかったらしいが、夜間自分が出払ってしまうのに、会ってすぐの人間に家の鍵を渡してしまう感覚は美郷には理解できない。

 独り言をこぼしながら眺める先では、小さな池の周りに常緑樹と山野草を配した中庭を、白いもやの塊がいくつも漂っている。山からこぼれ落ちて来た自然霊──いわゆる「もののけ」と呼ばれる類の何かだ。どうやら、池に引かれている山水と共に中庭へ流れ込むらしい。ここに泊まった一日目の夜はぜんとしたものである。

 怜路が越して来るまで、十年近く空家だったという屋敷の広い敷地は荒れており、怜路一人では到底太刀打ちできなかったそうだ。彼は母屋の台所と隣接する茶の間だけを使って生活しており、己の周囲を最低限だけを整えて、後は化け屋敷さながらのまま放置している。美郷が入居を決めた時、怜路は冗談か本気か分からない口調で、破格の家賃の代わりに敷地管理の手伝いをしろと言っていた。

(──ここで、生きていくんだ)

 諸事情あって、美郷は高校卒業と同時に実家と縁を切っている。元々美郷は巴市とは縁もゆかりもなく、採用試験で初めてこの地を踏んだ。これから美郷は、全く見知らぬ土地で誰も旧知の人間がいない中、新生活をスタートさせる。

「とにかく、頑張らなくちゃ……!」

 よし、と気合を入れて立ち上がる。寝支度を済ませてしまおうと動き始めた矢先、母屋の縁側の明かりが灯った。



 狩野怜路は拝み屋である。昼夜問わず常にサングラスをかけているせいもあり、よく「けったいなナリをしている」と言われるが、それでも食うに困らない程度に稼げる腕もあると自負していた。拝み屋なぞどうせヤクザな商売なのだ、己のような人間がわざわざ取り繕うためだけに、窮屈な格好をする理由もない。

 怜路がこの古民家に越してきたのはほんの一年と少しほど前で、今でも「この家に暮らしている」といった御大層な感覚はない。一部を間借りしているとか、み付いているといった方が怜路の感覚に合っている。しかるによって、公園で呆然としていた宿無しの同業者に軒を貸そうと思ったのも「お前も寄ってけば?」程度の軽い気持ちだった。

(ま、打算が無ェわけじゃーねェけど)

 パチリと大きな音を立ててスイッチを入れると、縁側に吊るされた白熱灯が点る。屋敷の玄関横から離れへと延びる板張りの縁側は、母屋の突き当たりで折れて中庭側に回りこんでいた。そこまで行けば新しい同居人の様子が窺えるはずだと、怜路は古びて虫穴のある床板をきしませる。

 屋敷の南側に三つも続く大きな客間を横切り、西の中庭に面した掃き出しのカーテンに手をかけた。日に焼けてせた薄っぺらいカーテンの向こうには、小さな池を中心としたやぶのような中庭と、つい数日前まで閉め切られていた離れのれ縁が見えるはずだ。せっせと入れた荷物を解いていた下宿人は、どうにか人心地ついたであろうか。

(同業者だしな、流石にビビッて逃げたりはしねーだろ、ウン)

 コツコツとガラス窓の足元を叩く小さな気配に、ぬるい笑いが漏れる。怜路が知人ので手に入れたここは、いわゆる「化け屋敷」だ。怜路が寝起きしている屋敷の東側は一応綺麗にしてあるが、どれだけ抜いても刈っても雑草は伸びるし、裏からは山水と共に無尽蔵にもののけが転がり落ちてくる。

 最低限、空家の間に棲み付いていた厄介そうな大物は追い払ったが、いくら祓おうが滅そうがもののけを生み出す母体の山が、荒れ放題のまま家のすぐ背後にあるのだ。敷地全体を浄めるのは、とうの昔に諦めている。

 カーテンを引くと、まず闇に沈んだ中庭が目に入った。

 てっきり和室の明かりが灯っていると思っていたが、下宿人はもう寝てしまったのかと怜路は中庭の右手を見遣る。すると和室の内障子は開いたままで、暗い室内にぼうっと白い影が立っていた。思わず息を呑む。

(──ッくそ、まだあんなデカいの居やがったのか!?

 真っ白い着物姿の人影が、長い黒髪を垂らしてうつむいている。おおかた、離れに人の気配を感じて山からおどかしに下りて来たのだろう。いかに新入りが同業者といえど、あんなものに歓迎されたのでは出て行くかもしれないと、慌てて怜路は離れへ向かう。怜路の立っている廊下の奥に、離れへ出入りする引戸があった。

 左手で引戸を力いっぱい開ける。右手は即座に妖魔を祓えるよう力を溜めていた。戸板が壁にぶつかる乱暴な音が響き渡る。

「臨兵闘者──」

「うわあああっ!?

「皆陳……は?」

 九字を切って追い払おうと、二指を立てた右手を振り上げた先。妖魔に狙いを定めたはずの場所に、慌てふためく下宿人が居た。

「ちょ、何ですかっ! 人にとういん向けないでくださいよ!!

「はァ!? っつーか……ええ!?

 頭をかばうように両腕を上げたそれは、確かに怜路が招いた下宿人である。そういえば髪の長い男だった。だが、なにゆえ白い着物なぞ着ているのか。

 唖然と突っ立った怜路の前で、そろそろと下宿人が腕を下ろす。淡い月光に浮かぶ白いじゅばんと白い肌、背の半ばまで届く癖のない黒髪、中性的で秀麗な面立ちまで含め、どれをとっても立派な「幽霊絵図」な新しい住人が、歯ブラシセットを片手に怜路の様子を窺っていた。

「おま……電気くらい点けろや……」

 どうにか絞り出した忠告は、酷く間抜けに響いた。

「すみません……」

 どういう事態か理解したらしい下宿人が、きまり悪そうに眉尻を下げる。「あの、この、寝巻は習慣で……」とむにゃむにゃ言い訳し始めた美青年のナイトウェアの趣味を、怜路がとやかく言う謂れもない。ただ、少しサングラスのずれた先で、乱れた寝巻の合わせの隙間を何かがうごめいた。

「別に何でもいいさ、邪魔したな」

 諸々追い払うのに都合が良いかと拾ってみたが、逆にとんでもないものを家に入れてしまった気がしなくもない。

(ま、それもいいだろうよ)

 少なくとも、ここに出る程度のもののけ相手にビビる人種ではなさそうだ。暮らすついでに、屋敷の西側を綺麗にしてくれれば文句はない。

「じゃーな、お休みィ」

 まだ戸惑った様子の下宿人に背を向け、怜路はひらりと片手を振った。

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