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海辺のカフェで謎解きを ~マーフィーの幸せの法則~

悠木シュン

一章 一度認めた例外は、次からは当然の権利となる (1)



一章 一度認めた例外は、次からは当然の権利となる



 夏の入り口──。

 午後四時。ランチとディナーの間のブレイクタイム。

 昨夜から降り続いた雨は、正午過ぎには止んでいた。

 虹が出てますよ、と最後のお客さんが教えてくれた。

 そのお客さんが食べていた照り焼きチキンサンドがあまりにも美味しそうで、今日のまかないはこれを作ってもらおうと密かに狙っていたのに、食材が切れてしまったらしい。

 ランチプレートは一日限定二十食となっているが、売り切れることなんてめったにない。余ったランチは僕のまかないになったり、ディナーのシェフオススメメニューに回されたりする。

 今日は、いつになくお客さんの入りがよかった。新メニューの照り焼きチキンサンドがよほど旨いのだろう。僕はまだ一度しか食べたことがない。

 厚切りの食パンに塩でもんだ刻みキャベツがたっぷり入っていて、甘辛い醤油ダレとマヨネーズの相性が抜群の一品。付け合わせの自家製ピクルスとチーズ入りオニオンスープも好評だった。

「しょうがない」そう呟いて、ため息交じりに皿を見つめた。こんがりと焼き色のついたホットサンドが二つ載っている。ボリュームたっぷりの照り焼きサンドと比べると、かなり薄っぺらく感じる。

 カウンターの端に座り、中身はなんだろう? と持ち上げた。見た目とは違って、ずっしりと重さがある。具が何かわからない状態で食べる楽しみ。お弁当のおにぎりをかじるときに似た感動がある。

 大口を開けて、勢いよくホットサンドにかぶりついた。カリカリの食パンの後に来るじゅわっと甘酸っぱいソースが口の中を一気に幸せにしてくれる。断面から、トマトソースがたっぷり入っているのがわかった。指に落ちたソースをぺろっと舐める。

 ふわふわとろとろのスクランブルエッグとチーズとハムの入った具沢山な一品。卵の甘みとハムの塩気が絶妙で、とろけるチーズが糸を引くように伸びるのも楽しい。

 後味にちょっぴりバジルが利いていて、これもなかなか旨い。

 甘み、酸味、塩味が絶妙なバランスで来たところで、ホットミルクを流し込んだ。練乳入りでほんのり甘い。至福のひととき。

「ナールー。おまえも一緒に捜してくれよ」

 厨房の奥から、声が飛んでくる。僕──みず──は、聞こえないふりをしてホットサンドとホットミルクを交互に口に運んでいく。

 さっきから、せわしなく厨房をうろつき、腕時計を捜しているのは『キッチン・マホロバ』のシェフであり店長であるみずみな。つまり、僕の兄だ。

 お客さんから衛生的によくないから外せと言われて素直に外したものの、どこへ置いたかわからなくなったというのだ。

 何年も前からずっとつけているお気に入りのGショックというから、焦り具合が半端じゃない。

「がんばってー」と適当に声をかけ、食べ終わった食器をカウンターの上に載せた。

 普段、クールに決め込んでいるせいか、あたふたしているときの兄貴はちょっと可愛い。

 外の空気を吸おうと玄関の扉を開けた瞬間、ものすごい勢いで黒い塊が僕の足元をすり抜けていった。

 目の前には、黒い服を着た、すらりと背の高い女性が息を切らしながら立っている。

 右手には杖のようなものを持ち、深刻そうな表情をしていた。視線は、僕の足元にある。どうやら、今、僕の足元をすり抜けていった黒い塊を追いかけてきたらしい。

 黒い塊とは、最近うちの店に棲みついている猫である。名前はまだない。

 体のほとんどが黒で、胸元と足先が白いので、黒いタキシードを着ているかのようだ。

 首に小さなリボン形の模様があり、それが可愛いからと漫画の『リボンの騎士』から取って、名前を〝騎士ナイト〟にしようと兄貴が言い出した。

 だけど、その漫画を知らない僕がなんだかしっくりこないと抗議したため、保留になっている。そろそろ、ちゃんとした名前が必要かなと思っているところだ。

 元々は、野良猫で、何気なく餌をあげているうちにいつの間にか店に棲みつくようになっただけだから、近所の人に「うちの猫です」と言われても文句は言えない。

 一週間近く帰ってこないこともよくある。最近見ないな、とこちらが気になったころにふらりとやってきて人懐こそうにまとわりついてくる。この気まぐれさが憎らしいところだ。絶妙な距離感で、僕の気を惹く。

 黒い服を着た女性は、ぜーぜーと息を吐きながら苦しそうに顔を上げた。見覚えはない。

「大丈夫ですか?」僕の問いに女性は小さくうなづいた。

 何か言いたそうな必死な目で僕を見つめる。そのとき、甘い香りが鼻腔をくすぐった。好きな香りだ。脳を優しく刺激するような。

 冷静になってよく見ると、手にしていた杖のようなものは、ただの茶色い傘だった。

 女性は、眉間に皺を寄せ、乱れた呼吸を整えながら訊いてきた。

「あの猫ちゃんって、君んの?」やはり、猫を探してここまで来たらしい。

 あ、いや、まあ……。と僕が曖昧にうなずくと、女性はため息をついてそこにしゃがみこんだ。同時に、背負っていたリュックサックを下ろす。有名なアウトドアブランドのもので、かなりの大きさだ。

 店の前は緑に覆われている。多肉植物や流木を組み合わせて作ったアーチやプランターがちょっとメルヘンな世界観を作り出してくれる。丁寧に手入れされた芝生は柔らかく、青々としていて美しい。

 女性は、まだ苦しそうにしていて、話ができる感じではない。そこで、「少し前からこの店に棲みついちゃいまして……」と、言い訳めいた感じで答えると、「そう」とひとこと呟いてハンドタオルで汗を拭った。

 濃くて長い睫毛が瞬きのたびに頬に影を作る。僕は女性を見下ろすと、観察し始めた。

 黒のノースリーブのワンピースに、白のハイカットスニーカー。腰まであるつややかな黒髪、透きとおるほどの白い肌、くっきりとした二重瞼に指で摘み上げたような小柄な鼻。丸くてちょっと短い顎。細長い腕には、青い血管が浮き上がって見える。化粧はナチュラルで、唇の色だけがほんのりピンク色をしている。

 年齢は、僕よりもやや年上の二十二、三歳。いや、もうちょい上か。眉毛の位置でぱつっと切られた前髪が幼く見せているだけかもしれない。

 乱れた髪を手櫛で整え、胸元に垂れていた髪をふぁさっと後ろにやった。

 その瞬間、ふんわりとプルメリアの香りがした。透明な風が頬を撫でていくような優雅で甘やかな香り。

 あ、やっぱり好きな香りだ。匂いフェチというといやらしく聞こえるので、香りフェチだと自称している。もし、〝一目惚れ〟のようなもので香りに特化したものがあるとしたら、僕は完全に〝一鼻惚れ〟していた。

「〝あいつ〟というか、猫を捜してここまで追いかけてきたんじゃないんですか?」

「ええ。そうなんだけど……」

「猫を返してほしいっていう話じゃないんですか?」

「違います。さっき、近くの公園で、中学生くらいの男の子たちが猫ちゃんを木の上から地面に落とそうとしていたの。こうやって、手足を持って」

 女性はジェスチャーを交えて説明する。

 この近くということは、けやきおお公園のことだろう。公園といっても、遊具や広場があるわけではなく、遊歩道と展望台しかない。細い小道の先にある茂みの中には、樹のトンネルがある。そこは、まるでジブリのような世界観。通称トトロの森。

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