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お城を追い出された王女は、庶民の暮らしを満喫する

四馬タ

プロローグ (2)

 正直、これほどうまくいくとは思っていなかった。とはいえ、大人しく殺されるつもりもなかったので、それなりに準備はしていたのだが、必要なかったようだ。彼は彼で、王妃の命令に対して、思うところがあったのだろう。主人の命令にだくだくと従う他の騎士たちよりも、ガジェ・ノーマンのほうがよほど騎士らしいと、喜びのあまり、彼に抱きついてしまう。淑女らしからぬ振る舞いだが、かまうものか。もう自分は、王女ではないのだから。

「ありがとう。この恩は一生忘れないわ」

 はっと息を呑む気配がし、彼の気持ちが変わらないうちに、「さようなら」と慌ててその場をあとにする。幸い、この《狩猟の森》は王族所有の土地であるため、狼や野犬のたぐいはいない。途中で獣に襲われる心配もないだろう。

 ――やったわ。ついに自由の身よ。

 堅苦しい宮廷での生活、継母からの嫌がらせ、異母妹の恨みがましい顔、隣国で待ち受けるであろう厳しいお妃教育――その全てから解放されて、自由に酔いしれながら、シルビアは走った。

 継母の嫌がらせに耐え、胃をきりきりさせながらも反抗し続けたのは、いつかこの日が来ることを予期していたからだ。衝動に任せてただ城から逃げ出すよりも、殺されたことにすれば追っ手は来ないし、面倒な後始末はすべて継母に押しつけることができる。彼女が第一王女の死をどう処理するかは知らないが、今ごろ必死になって王への言い訳を考えていることだろう。

 ――お父さまは……きっと悲しまないでしょうね。

 むしろ清々するに違いない。途中、立ち止まったシルビアは、木陰でドレスを脱ぎ、幹の穴にそれを押し込んで隠した。ドレスの下にはあらかじめ平民用の服を身につけていて、最後にショールを頭に巻けば、どこにでもいる町娘のできあがりだ。

 こそこそと向かう先は、城下町のはずれにある空き店舗である。歩いて結構な距離だったが、日が暮れる前にたどり着くことができた。かつては花屋だったその店は、狩猟好きだった祖父好みの、山小屋風の建物で、市井の暮らしぶりを見るために作られた、前国王の隠れ家でもあった。

 この店の存在を知っているのは、シルビアと、祖父の側近であり、宮廷まじない師であったリリィ・ジェイトンだけだったが、祖父の亡きあと、ジェイトンは宮廷から姿を消し、行方知れずとなっている。

 まじない師とは、生まれながらに魔力を持つ人間のことで、職業にもなっている。この国にはわずか九人しかおらず、まじない一つで高額な料金を請求するため、王侯貴族しか相手にしないという噂だ。まれに、民間人相手に商売するまじない師もいるようだが、そのほとんどが偽者らしい。

 祖父は死に際に、この店のことをシルビアに教えてくれた。

 お前の好きにしなさいと言ってくれた。

 シルビアは、祖父が亡くなってから、肌身離さず持ち歩いている形見の鍵を取り出すと、扉を開けて、中に入った。一階は店舗兼作業場になっていて、寝室は二階にある。一見して何の変哲もない、ただのお店だが、この建物には、宮廷まじない師によって、様々なまじないがほどこされていた。

 一つ、自然災害を退けるまじない。

 二つ、建物の老朽化を防ぐまじない。

 三つ、客に店主の正体がばれない、及び、店主の顔を覚えられないまじない。

 四つ、盗難や強盗、不法侵入者を防ぐまじない。

 五つ、裏庭が敷地の外から見えないまじない。

 ……などである。

 もっとも三つ目に関しては、店主の正体が第一王女であると事前に知られている場合は、効果がないらしい。他にも出血大サービスとばかりたくさんのまじないがかけられているようだが、祖父もその全てを把握してはいないようだった。ちなみに、この店の鍵にも護身用のまじないがほどこされていて、仮にガジェ・ノーマンに斬り捨てられたとしても、まじないそのものが身代わりとなって、シルビアを守ってくれるはずだった。

 まじないの効果や継続期間は、まじない師の保有する魔力の量に左右されるらしく、少なくともあと二十年はもつと聞いて――その頃には第一王女の存在などみな忘れているだろうとほっとした。要するに、この店にいる限り、身の安全は保障されたも同然で、思う存分、自由を満喫できるというわけだが……。

 扉を閉めた途端、ほこりが宙に舞い上がり、シルビアは咳き込んだ。どうやら、室内を清潔に保つ、といったまじないはかけられていないようだ。よく見れば、床だけでなく、テーブルや椅子といった家具にまでほこりが降り積もっている。カーテンやシーツも薄汚れているし、空気もよどんでいて、換気する必要がありそうだ。

 生活する上で必要な物は、前もって少しずつ運びこんでいたものの、毎回、この場所が継母に見つからないよう、気を張って行動していたせいか、掃除まで気が回らなかったのだ。しかし、いざ自分で掃除や料理をしなければならないと思うと、不安を感じる以上に、わくわくした。

 これまでも、物が盗まれたり、衣装をダメにされたりと、城では信頼できる侍女や小間使いがいなかったため、身の回りのことはできる限り自分でやっていた。暇さえあれば使用人たちの仕事ぶりを観察していたので、掃除や洗濯も一通りこなせるつもりだ。何より、小さい頃から繰り返し読んできた母の日記がある。

 母方の祖母は、薬草や香草を育て、安価な値段で民間薬を処方する薬師で、母はその手伝いをしながら店の看板娘として働いていたようだ。日記には当時の暮らしぶりや、食事やお菓子の作り方、ハーブの育て方などが詳細に記されていて――シルビアが庶民の生活にあこがれを抱くようになったのも、この日記がきっかけだった。

 掃除道具を手に、今一度、室内を見回す。

「さあ、始めるわよ」

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