女子モテな妹と受難な俺

夏緑

一章 俺の妹が筋金入りに小生意気な件 (1)

あにっちー!」

 さわやかな平日の朝に、妹の声がひびいた。

 ああ、今朝こそは妹に見つからないように登校しようと思ってたのに……。ひたいを押さえて玄関でうなだれる俺は日向ひゆうが、都立第三高校の二年生。

 で、洋服ブラシを片手に玄関に走ってきたのは妹の今日きよう、同じ高校の一年生。

「あーもー兄っち! そんなドロドロの制服で学校行くつもり? いっしょに歩くあたしの身にもなってよね!」

 妹は俺の肩をぐいっと押さえつけて、ブレザーの上着を洋服ブラシでごしごしこすりはじめた。

「やっ、やめろよ。くすぐったいだろ!」

 俺は身をよじって妹を振りはらおうとしたけど、スポーツ万能で女子中に通ってたころから水球部のエースだった妹の腕力と握力は、見た目は色白で細っこいくせにめちゃくちゃ強い。心穏やかな文化系の俺は逃げられない。そのきゃしゃな体のどこに、こんな力があるんだ?

「兄っちがだらしないからでしょー!」

「っていうか何なんだ、その兄への敬意も尊敬も感じられない呼びかたは」

「尊敬してほしかったら、もっと尊敬できるようなカッコいいおにいちゃんになってよね。ったく、ちっちゃい子供じゃあるまいし手がかかるんだからっ」

「あるまいし、っておまえが兄をちっちゃい子扱いしてるんだろーがっ!」

「ほらほら、明日太ちゃん。きれいにしてあげるからじっとしててくだちゃいね~」

 小生意気な妹はブラシかけを俺の肩からはじめて、腕から胸、腹……。うぉっとー!

「おいおい! そこから先は通行止めだ!」

 下半身へと伸びたブラシを、俺はあわててつかんだ。妹は、ぷうっとふくれて俺を見上げる。

「もうっ! ちゃんと全身きれいにさせなさいよっ、兄っちがどこにでも座るからおしりが汚れちゃうんでしょー?」

 まったく……なんだ、そのハコフグみたいなふくれっつらは?


 俺は妹のことを、かわいいと思ったことは一度も無い。そもそも、俺が生まれてこのかた女子というものに対して常にドン引き姿勢なのは、この妹のせいだ。

 リアルに妹がいる奴は、決して妹えにはならないと聞く。妹というクリーチャー(および、その妹が家に連れてくる女友達)が、どんなにわがままで小生意気で邪悪かってことを毎日のように、ひしひしと肌身にしみて思い知らされているからだろう。

 俺も小学生のころ、妹および妹の友達のプリキュアごっこに巻きこまれた。プリキュアごっこでは、男子は怪人役を割りふられ、女子たちにボコボコにされる運命にあった。そして俺は、妹たちのおしりパンチ攻撃ラッシュにさらされて幸福感を感じられるほどの変態上級者ではなかった。

 そういうわけで俺はずっと「女は凶暴なモンスター」だと思っていた。そんなある日、俺は小学校の修学旅行で京都に行ったときに仏像を見た。

 男でも女でもない、優しくてたおやかな仏像は、俺におしりパンチをかましてくる極悪な妹たちとは真逆の位置にあった。そこに広がるのはただ清浄でせいひつなオーラ、不安も悩みも苦しみも全てを溶かして消すようなしきそくくうの悟りの境地。一目見た瞬間、俺はそのそうごんな美しさに心をとらわれた。

 さっそく俺は、参道のお土産屋さんで小さな仏像のフィギュアを買った。フィギュアについてた説明書に、仏教では「によしよう」は男の悟りをはばむけがれた邪悪な悪魔とされている、と書かれてるのを見て俺はわが意を得た気がした。


 うっかり仏像への限りなき愛ゆえに熱がこもりすぎてしまい、説明が長くなったけど、とにかくそれ以来、俺は女嫌いの仏像マニアになったわけだ。今流行はやりの「え仏像」じゃない。純然たる「仏像萌え」である。

 このハコフグ状態の妹の顔を見てると、ほんと生身の女子なんてロクなもんじゃない。上品なアルカイック・スマイルを浮かべる仏像をちょっとは見習えと俺は思う。

 ところが、客観的に見るとこいつはかなりかわいい部類らしい。去年高校の文化祭に来たときに、俺の知らない奴までふくめて「お兄さん、妹さんを紹介してくださいっ!」てなバカが二ダース来たレベルだ。その二ダースのバカが、そのハコフグ(もとい、そんなにかわいくない)、いやハリセンボンみたいなトゲトゲのふくれっつらを見たら絶対泣くぞ?

「だれに見せるわけでもないし、別に制服が汚れてよーがいいんだよっ! それより、朝は忙しいのにいちいちおせっかいはやめろって!」

「朝が忙しいのは、あにっちがいつも夜遅くまで変なプラモ作って寝坊してるからでしょ?」

「変なプラモとか言うなっ、あれは仏像フィギュアだ! いいから放せって!」

 俺は必死に妹の腕を振りはらって、玄関から飛びだした。カバンを持ってダッシュで走る。妹は自分もカバンを持つと、超ダッシュで追いかけてきた。ショートめの髪が軽く風になびき、引きしまった細い脚が飛ぶように長いストライドを刻む。

「はっ……速っ!」

 水球といえば、水中の格闘技とも呼ばれる。プールの中でやるハンドボールみたいなもんだけど、ハンドボールだってじゅうぶん格闘技レベルなのに、それを水中でやっちゃう妹の体力レベルを、俺は思い知らされることになった。

「そーだ兄っち、制服もボロいけど私服もダサすぎだよ。高校生男子がポロシャツとかありえないっしょ。しかも口から火を吹いてるワニのしゆうとか、明らかにニセモノだし」

 俺は短距離走レベルのダッシュをかけてるのに、妹はランニング気分の涼しい顔で話しかけてくる。

「な……なんでおまえが、俺の私服をくわしく知ってるんだよ」

「このあいだママが洗濯物たたむの手伝ったもん」

「洗濯物……だとーっ? ま、ま、まさかおまえ……」

 俺は、ぴたり、と足を止めた。声が震えた。まさか……いや、まさか、だよな。年ごろの女子が、家族とはいえ男のパンツをたたんだりするはずが……。

「あ、そうだ。パンツもださいよ、いくらなんでも高校生男子がスヌーピーのトランクスはありえないと思うんだ」

 しれっ、と妹は答えた。ガー! 俺のパンツを見てしまったのかーっ!

「おおおおおお袋が買ってくるんだからしかたないだろっ!」

 いかん、思わずうろたえまくってしまった。妹は、挑戦的な目で俺の顔を下からニヤニヤとのぞきこんできた。

「高校生にもなって親が買ってくるパンツはいてるとか、そんなんじゃモテないよ?」

「うっ、うるさい! 俺がモテよーがモテなかろーが、おまえに関係ないだろ!」

「関係ありすぎだよ! あにっちがカッコ悪かったら、妹のあたしが恥かくじゃない」

「たまたまみようが同じの他人だとか言っときゃいいだろ?」

「っていうか、妹として許せないわけ! ほら、このネクタイ曲がってるとことか、だらしないったらもー!」

 妹が俺のブレザーのネクタイをぐいぐい引っぱって、結び目を直そうとする。苦しい苦しいっ、絞まってる、首絞まってる~っ!

 時間帯はちょうど通勤通学ラッシュ、歩道の真ん中で今まさに進行中の殺人事件を横目に見ながら、学生や若いサラリーマンがつぶやく声が聞こえてくる。

「うおっ、あのチョーかわえぇ~! スタイルもいいし、モデルとかかなー」

「俺も毎朝、あんなかわいい娘にネクタイ締めてもらいてぇ~」

「っていうかあの男は何だ? どうしてあんなパッとしない奴が、あんな超かわいいにネクタイ結んでもらってんだ?」

「明らかに弱みを握ってってるんじゃね?」

「うん、盗撮写真を撮られて強請られてるってとこじゃね? だってああいう男って、一見マジメそうに見えるけど、意外とああいうのがムッツリスケベだからさー」

「だよな、でなきゃあんなかわいいがあんなつまんねー男にひっついてるわけねーよな。かわいそうに、その変態野郎の魔手から俺が救いだしてやりたい!」

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