黒川さんに悪役は似合わない
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第一章 黒くろ川かわさんは生徒会長になりたい
「私のために悪役になってくれない?」
黒川明衣子のこの一言が、すべての始まりであり、すべての終わりでもあった。
この瞬間、俺は彼女の無謀な計画と無茶ぶりに巻き込まれてしまった。
なぜ俺が悪役にならなくちゃいけないんだ?
どうしてこんなことになった?
ほんの一時間前まで、俺はちゃんと普通の真面目で平凡な高校生だったのに──。
「ねえ、何してんの?」
入学式が終わった放課後の教室は騒がしく、俺はさっき配られたクラス名簿を見て、クラスメイトの名前を覚えているところだった。
「ねえってば!」
友人を作ろうとするならば、きちんと相手の名前を覚えておくのは人間関係の基本である。
何事もきちんと準備をし、そのときに備える。俺はいつもそうやって真面目に生きてきた。
「倫太郎ってば! 聞いてる?」
名前を呼ばれてようやく自分のことだと気がつく。
「……なんだ、葉月か」
顔を上げると、宝城葉月が口を尖らせて俺を睨んでいた。
「なんだとは何よ。無視されたかと思ったじゃん」
葉月とは同じ中学の同級生で、たまたま同じこの神久山高校に入学し、たまたま同じクラスになった。そんな腐れ縁的な関係。
「ねぇねぇねぇ、これからどうするの?」
拗ねたと思ったら一転、ぴょこんとしゃがんで俺の顔を下から覗き込む葉月。机にちょんと置いた手が、まるで餌をねだるハムスターみたい。

葉月のいつもより高めのテンションは、きっと高校に入学して期待に胸を躍らせているのだろう。分かりやすい奴だよ、まったく。
「どうするって、もう帰るだけじゃないか」
そんな葉月のテンションに引きずられないように、俺は俺らしく実直に答える。
葉月の初々しさに鼻白みながらも、新品の匂いがする制服と慣れないネクタイに首を絞められている俺もまた、ピカピカの新入生である。
「ほんっっと、真面目だね、倫太郎はー」
葉月には呆れられたが、真面目は俺にとっては褒め言葉である。
入学式当日から寄り道をしたり買い食いするような不真面目なことをやるわけにはいかないのだ。まっすぐ帰宅、これ一択。
「真面目の何が悪いんだよ。質実剛健、謹厳実直。何も悪いとこないだろうが?」
「またそんな難しいこと言っちゃって! 高校生になったんだからもっと楽しまなきゃ!」
「俺は十分楽しんでるよ。新しい教科書を読むだけで、知識が増えて最高だぞ? ほら、『羅生門』なんて人間の本質とエゴイズムを……」
「教科書読んでテンション上がる高校生なんか倫太郎くらいだよ! 絶対変!」
まるで理解できないというふうに首をひねる葉月。世の中の真面目な高校生に謝れ!
「……でも、それが倫太郎のいいとこなんだけどねぇ」
「ん? なんか言ったか?」
「な、なんでもないわよ!」
両手をぶんぶん振って否定する葉月。
「じゃあ帰るだけだったらこれから暇でしょ?」
今度はあっけらかんとした笑顔で聞いてくる。感情が忙しい奴だな、お前は。
「暇じゃねーよ。帰ったら明日の実力テストの勉強したり……」
「あのさ、これからクラブの見学に行こうと思ってるんだけどさ、倫太郎も一緒に行かない?」
こっちの予定は初めから無視するように、食い気味で誘ってきた。
「クラブ見学、か……」
「そそそ! 真面目な男子はクラブ活動に精を出すものよ! 放課後が充実するからね!」
真面目な男子、という言葉にぴくりと反応してしまう。
そんなこと言われたら断りにくいじゃないか。
クラブ活動に取り組むだけで真面目に思われるのは確かだし、健康的で高校生らしさを示せるというもの。明日のテストは気になるが、長い目で見るとクラブ見学はありかもしれない。
「確かにそれなら……。何部の見学?」
「女子バレー部」
葉月が眉毛の上でお行儀よくなびいている前髪を整えながら、答えた。
「俺が女子バレー部の見学してたら、変態じゃねーか!」
葉月は「確かに!」と今気づいたみたいに屈託のない笑顔を漏らす。
真面目に青春しようとした俺が間違いだった。
「でも倫太郎になら練習見られても変態とは思わないけどねー」
葉月がぽつりとつぶやく。こいつ、俺のこと男と思って見てないよな?
「ったく。お前がどう思おうが、周りは気にすんだよ」
「つまんないの。倫太郎はどこもクラブ入らないの? そういえば中学のときも何もしてなかったよね? ていうか真面目に図書委員の仕事ばっかしてたっけ? そうだ、最近なんかおすすめの本ある? 帰りに本屋寄る? 行くんなら付き合うよ?」
「クラブ見学行くんじゃなかったのかよ……」
こいつ、昔からやたら俺のこと探ってくるんだよな。
俺にも言えないことは色々あるんだぞ。
「もう、倫太郎も高校生になったんだからさ、もうちょっと浮かれなさいよ。ほれほれ」
そんな無関心っぷりをぶち壊そうと、葉月が俺のわき腹を突いてくる。
俺の浮かれゲージを溜めようとするな! くそ、我慢だ我慢。
「ねえ、宝城さん、ちょっといい?」
葉月とごちゃごちゃしてるところに、数人の女子が声をかけてきた。
さすが葉月、もうクラスメイトに名前覚えられてんじゃん。俺も早く覚えなきゃ。
「あ、どうしたの?」
葉月は分かりやすい笑顔と、少し高めのよそ行きの声で振り向いた。
俺も新入生気分ではしゃいでると思われるとまずいので、背筋を伸ばして座り直す。
「これからみんなでお茶しよっか、みたいなこと言ってるんだけど」
「え、そうなんだ? ええ、どうしよう?」
葉月が困った顔でこっちを窺う。
「宝城さん、もしかして彼氏と予定でもある?」
と、小さめだが形のよさそうな胸の女子がこっちをちらっと見ながら、葉月に尋ねる。
おっと、初対面の女子の胸をチェックしている場合ではない。女子ってそういう視線に気づくっていうからな。いかんいかん。
「えーっ! 倫太郎が彼氏なわけないじゃん! やだなー、それ無理め!」
葉月は全力で否定をかます。
ああそうだ。俺みたいな真面目な男は不純異性交遊などしない。学生の本業は勉強だからな。
「じゃあ、俺は帰るわ。明日テストあるしな」
鞄を肩にかけ、必要以上に真面目な顔を作って席を立つ。
「全然違うってー! やだやだ、ないない!」
背後では葉月が必要以上に俺との関係を否定し続けていた。
葉月はいつも楽しそうで何よりだ。
「はぁ」
教室を出たところで、俺はついため息をこぼす。
無理して自分を抑えるのは、なかなかくたびれるものである。
「真面目に生きるって、疲れるよなぁ」
自分の真面目な生き方に、今日も今日とて悩まされている高校一年生。
それが俺、蝶野倫太郎であった。
俺がこうも真面目にこだわるようになったのは、小四のときのある出来事が原因だった。